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WEEKEND LOG LIFE

 7.丸太が着いた

予定では、7月の末に到着するはずだった丸太が、8月に入っても日本に着かない。T社に電話で聞くと、国境の税関の検査で時間がかかっているそうだ。なにしろ、シベリア鉄道である。想像を遙かに超える手続きがあるのだろう。こちらでいくら焦ってもどうなるものではない。とはいうものの、休暇は待ってくれない。早く着いてくれないと、また、週末だけの作業になってしまう。早く着いてくれと、毎日祈るばかりだった。

荷が横浜港に着いたという電話が来たのは、8月も終わろうかという頃であった。当日は、荷下ろしに時間がかかるので、例の友人二人に手助けを頼んだ。あとは、天気が心配だった。当然雨でも荷は着くのだから、下ろさなければならないのだが、できれば、足下のいい時にやりたい。踏み固められてない山の土は、雨が降れば、水を含んで泥濘になってしまうのだ。

幸い、当日は上天気だった。午前十時には荷が着くというので、少し早い目に村に入った。目印といって特別にない山里のことである。川に架かる小橋を見落とせば、トラックはそのまま通り過ぎていってしまう心配がある。車を、トラックの邪魔にならない空き地にとめ、橋のたもとで待った。ログを積んだ4トントラックである。こちらは見落とすはずがない。

ところが、である。いつまで待っても来ない。携帯電話の普及していない頃のこと、山の中では連絡のとりようもない。足踏みしながら待っていると、それらしき車が、どう考えても反対側からやって来るではないか。まだ若い運転手がこちらに気づいたのか、トラックを止めた。
「T社から頼まれたんだけど、お宅がそう?一度通ったんだけど、気づかずに通り過ぎてしまったらしい。車を回せるところがないので、ずっとむこうまで行って回してきた。」

すれ違いだったのだろう。とにかく着いてよかった。と、ほっとしたのも束の間。何度切り返してもトラックが小橋を渡ることができない。道幅が狭いので、後輪が橋に乗らないのだ。そういえば、電話で「4トントラックが入れますか」と聞いていたっけ。その時は、上の山から杉丸太を運び出す車が通るのだから大丈夫と答えたのだが、この目で確かめたわけではない。おいおい、もし車が橋を渡れなかったら、このトラック満載の丸太を、自分たちだけで五百メートル先の敷地まで運ぶことになるんだぞ。気が遠くなりかけた。

その時だった。それまで、慎重に切り返しを繰り返していた運転手が、何を思ったか思いっきりバックをしてきた。むちゃだ。ぶつかる、と思った。案の定、後部の荷台が山肌にぶつかって、少しへこんでしまった。あああ、やってしまった。ところが、そのほんの少しのバックが功を奏して、車は無事橋を渡ってしまった。さすが、プロの仕事である。思わず「やったあ」と叫んでしまったが、後で、あの傷、弁償させられるのかな、と運転手のことが心配になった。

電気工事をしてくれた中野さんも人を連れて手伝いに来てくれた。運転手は、荷下ろしはしないのか、座席で昼寝をしていた。きっと朝早かったのだろうと思った。基礎を打った場所から坂を下りたところに少し開けた場所がある。丸太は、そこに置くことにした。五人で必死に運ぶのだが、いったい何本あるのか、いっこうに終わらない。それに長い丸太は、かなりの重さがある。腕と腰がぱんぱんに張ってきて、途中でひと休みした。

中野さんたちは仕事があるので帰ってしまった。後は三人だけである。運転手をあまり待たせるのも悪い。残りは休まずに一気に下ろした。急に動いたためか、Kさんが気持ちが悪いと言い出した。養生シートを敷いて、その場に横になって休んでもらった。残りは、あと少しだった。Mさんと二人で、どうにか全部下ろすことができた。トラックは、何事もなかったように帰っていった。Kさんの元気が戻ったので、妻が用意してくれた弁当を食べた。こんな重労働は生まれて初めてである。ご飯のおいしいことといったらなかった。

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