不動産業者は、他府県から来ていた。一応仮契約ということで、手付けをうって、その日は終わった。人を疑ってはいけないと教えられてきたけれど、山の中に幟だけが立っているような場所で会った人間をそう簡単に信じることはできない相談だった。それまでにもこうした手口で手付け金をだまし取られた話を聞いていただけに次の連絡がくるまでは心配だった。
現地で決めてきた土地の登記のために測量をし直すので立ち会えという連絡が来たのは、それからしばらくたった日のことだった。ちゃんと進んでいるのだなと、安心してやって来てみると、案の定問題が起きていた。当日約束した区画の一つ隣の区画が測量されているではないか。切り立った岩場を含むその区画では、重機でも使わなければ家が建つものではない。のっけからトラブルである。先行きに暗い影がさしたようだった。
不動産業者の社員の対応は誠実さを感じさせるものだったが、山の中ではどうしようもなく、帰宅してから電話で連絡を取り合うことになった。これから先もこうした面倒な交渉が続くことが思いやられ、憂鬱な気持ちで車を運転して帰った。
向こうの単なる勘違いだったらしく、こちらの言い分は、割とすんなり通って、もとの区画の図面が送られてきた。百坪といっても急峻な斜面がほとんどで、小屋を建てられるだけの平地はあまりない。北に向かって開いた扇形の土地で、要(かなめ)にあたる所が山になっている。取り付け道路に面したあたりは平坦になっているが、そこではせっかくの林の中というメリットを失ってしまうことになる。一考を要するところだ。
測量に不備があったとかで、もう一度、測量のやり直しに立ち会うという無駄足を加えた挙げ句、やっとの事で、自分の土地の境界を示す黄色い杭が打たれた。扇の要にあたる境界には、立木にロープを巻いて目印にした。百坪といっても、たったこれだけかというのが実感だった。風呂敷を広げておいて、一方の端を持ち上げて見せられているようなものだから、奥行きのないのもはなはだしい。少々がっかりしたが、自分の土地が決まったというのは格別の気分である。境界から境界までを、自分の足で歩いてみた。自分の土地を買うのははじめてである。領土を検分する封建領主のような気分だった。
それからしばらくして、土地の権利書の受領と代金の受け渡しのため、司法書士の事務所を訪れた。友人が同行してくれたのはありがたかった。持ち慣れぬ現金を所持しているため、少し緊張していたからだ。不動産業者に土地代金を支払い、司法書士から登記済みの土地権利書を手渡された。これで、無事契約完了。やっと名実ともに、あの山林が自分のものになったわけである。いろいろと心配させられたが、後から思えば、あれが杞憂というものだろう。しかし、不動産の取り引きというものは、素人にとっては肩の凝るものであった。(1992/11/16)
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