現在、私は村里にほど近い山の中に、ログキャビンを持っている。確認申請を必要としない限界の大きさで、3坪屋根裏つきという、まことにちっぽけな小屋である。それでも、夏の一日をベランダに置いた椅子の上でうとうとしたり、冬の日、林間に酒をあたためて焚き火の色に酔ったりするには充分間に合っている。何、費用はたいしてかからない。要はやる気の問題である。そのやる気が出るかどうか、山の暮らしのあれこれ、まずは、丸太小屋造りの顛末から紹介しよう。
10年ほど前のことになる。気の合う友人と喫茶店で話していたとき、共同でログハウスを作ろう、という話になった。みんな小さい子がいて、自然の中で思いっきり遊ばせるにはベースキャンプがほしいと思っていたからだ。それに、そんな場所があれば、自分たちにもやってみたいことはたくさんあった。なにしろ、まだ若かった。
幸い海にも山にも恵まれた国立公園の中に住んでいるので、別荘地には事欠かなかった。ピクニック気分で、あちこちドライブしてみたのだったが、みんなが気に入る場所というのは、なかなか見つかりそうになかった。
そのうち、少しずつ共同参画者の数はへり、三人だけが残った。とりあえず、ログハウスに触れてみようということになり、都合がつかなかった私以外の二人が、信州で開かれるログスクールに参加した。
実習を終えて帰った二人はもう待っていることに耐えられなくなっていた。それぞれの家の敷地内に建てる相談がまとまっていたのだ。郊外に住んでいる二人にはまだ建てられる土地があったが、地方都市とはいえ、古くから観光客で賑わった街道沿いに住む管理人には、3坪の小屋を建てる土地の余裕がなかった。そこで、二人の小屋を建てる手伝いをしながら、ログハウス造りのノウハウを身につけることにしたのだった。
着々とできあがっていく二人の小屋造りを手伝いながらも、自分の小屋はまだ土地さえ見つからないことに焦りを通りこし、あきらめ気分が漂いだした頃だった。その友人たちと出かけた海外旅行から帰った私に、妻が一枚のチラシを見せたのだった。
それは、山林の売却を知らせる不動産業者の広告だった。優柔不断な夫の態度に業を煮やした妻は、自分が乗り出すことに決めたのだろう。それでも煮え切らない夫を説得し、とにかく現地説明会に行くことを同意させた。
一坪一万円という値段が高いのか安いのか、山の切り売りなど初体験の二人には分かるはずもなかった。ただ、残っていた土地が、北向きながらも前に谷川の流れるいいロケーションを持っているのが気に入った。思い切って百坪ほどのその土地を買うことにした。これがすべての始まりだった。
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