一輪車で土を運ぶたびに足で踏み固めてはいたが、私の体重などたかがしれている。基礎を打つまでに土地全体が沈むのを待つ必要があった。待っている間は、人手の入っていなかった林の中を歩き、枯れ枝を拾ったり、木に絡みついた蔦をはずしたりした。集めた枯れ木で焚き火をするのも楽しかった。雨が降り、渇くたびに少しずつ地面は落ち着いていった。季節は巡り再び夏が来ようとしていた。夏になれば、まとまった休みが取れる。その時期に照準を合わせて、すべての手配を済ませておかなければならなかった。
ログはすでに発注済みである。シベリア鉄道に乗せられ、こちらに向かう手はずになっている。自分が旅するわけではないが、シベリア鉄道で運ばれると聞いたとき、心が躍った。本当はマシンカットされた角ログのはずなのに、頭に浮かんだのは雪をかぶった丸太が、無蓋の貨車に積まれてこちらに向かっている画面だった。『ドクトルジバゴ』の映画を思い出してもらえば、よく分かるかもしれない。丸太が着けば、早速組み立てにかからねばならない。電動の大工道具も使うことになる。それまでに電気を引いておく必要があった。
まずは、自分の住む町の電力会社に行った。というのも、小屋を建てようとしているあたりは、全くの山林で、近くには電柱はおろか電線そのものがまったく通っていなかったからだ。そんなところに電線が引けるものかどうか、懸念しながら行くと、何のことはない、話は簡単についた。小屋を建てようとしている地区に近い電気工事店を数軒紹介してくれた。後は、自分でそこに行って頼めということらしかった。
今後のこともあるので、最寄りの書店に立ち寄り、二万五千分の一の地図を買ってきた。大学時代、各地の窯跡を訪ねるのを趣味にしていた友人がよくこの地図を買いに行くのに付き合った。細かく分類された棚に収まっているこの地図には、どことなく専門的な匂いがあって憧れていた。もらったリストと照らし合わせてみると、最も近いのはM地区にある「なかの電気商会」という店だった。電話してみると、了解という返事だったので、次の休日に現地で落ち合う約束をして電話を切った。
中野さんは時間通りにやってきた。よそ者がなにやら林の中でやっているという噂は、こんな所では話の種になりやすい。ああ、それならというのですぐ分かったのだろう。話してみると、これまでもログハウスの電気工事をしたことがあるという。こちらが詳しく言わずとも、電線を地中に埋設するなど、景観に十分注意を払ってくれることが話の端々からうかがわれ、頼もしい限りだった。
しばらくして、見積もりが送られてきた。幹線からの引き込みで、何本か電柱を立てねばならず、それだけで13万円がいるというのは、少し痛かった。他にも家を建てる人がいれば分担してもらえるだろうが、今のところその気配はかけらもない。一人で支払うよりないのは分かっている。けれど、それ以降に電気を引く人は、この費用を支払う義務はないわけで、何となく不公平な気がしないでもない。
小屋を建てるときには、また別の工事をするとして、建てている間電気が使えるように臨時の線を引いてもらった(写真)。これで、電気鋸も電気鉋も使えるわけだ。とはいっても、この時点では、まだ何も買ってなかったのだが。臨時工事は六月の初めには完成した。1994年の夏が始まろうとしていた。
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