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WEEKEND LOG LIFE

 18.山の動物

 栗鼠

12月に入ったばかりのよく晴れた日曜日のことである。ベランダに置いたデッキチェアで、本を読んでいた。ふと何かが、視界の端を掠めた。外していた眼鏡をかけて、あらためて前の道の方に目を遣った。日溜まりの中に動く影があった。小動物に特有の素早い移動と停止のリズム。鼬かと思うほど痩せてはいたが、持ち上げて見せた尻尾で分かった。栗鼠(りす)だ。冬籠もり用の木の実でも探しているのだろうか。次第にこちらに近づいてくる。ベランダのすぐ前の杉の木に飛びつくと、あっという間に枝に登り、枝から枝へと飛び移って、裏の山に姿を隠してしまった。

この地に小屋を建てるまでは、よく八ヶ岳に別荘を借り、近くの高原や山を散策した。麦草峠から白駒池に至る原生林も何度か歩いたが、たしか、その折りに登った山で栗鼠を見たのを覚えている。立て札に、野生の栗鼠だから餌をやるなと書かれていた。一度餌をもらうことを覚えると、自分で採ることを忘れてしまうのだろうか。

そのことを覚えていたので、ベランダのすぐ近くまで来るようになったときも餌をやるのは思いとどまった。見るからに痩せていて、何か与えたかったのはやまやまだったのだが。その冬は、あと一度、今度は妻も見た。どうやら、彼の餌探しのルートの真ん中に小屋を建ててしまったらしい。いつも、谷川の向こうの山から来ては、小屋の上の木伝いに裏山に消えていった。愛くるしい目をした山の隣人である。

 鹿

猫の額ほどの敷地の中は、できるだけ手を入れず、もとからあったままにしてある。それでも季節が来れば、野の花が咲く。蕾ができると、次の週末あたりには開くだろうと楽しみにしながら山を後にするのだ。ところが、である。次の週末、蕾のあった辺りを探すのだが、花らしいものは何も見あたらない。よく見ると、つぼみのついていたらしい茎は残っている。近くにあった別の茎も同じように蕾の付け根から切られているようなのだ。

花を採るにしても、こんな所から採ったら飾りようもない。変なことをするものだといぶかしく思っていた。そんなある日のこと、犬の散歩に来ていた大西さんと話をする機会があった。蕾の話をすると、笑いながら教えてくれた。どうやら鹿の仕業らしい。鹿はことのほか新芽が好きで、新芽がでる季節になると、夜、山を下りてきては、里の畑や植林の新芽を食べてしまうという。

大阪の能勢町に大学時代の友人がいて、毎夏というほど泊まらせてもらう。つい最近も、友人宅の近くにある山荘風の喫茶店でお茶を飲んでいると、下の畑に鹿が現れた。親子連れで、森から出てきたところらしい。
「鹿じゃないか。あれ。」
という私に、ふだんの彼からは想像もつかない厳しい顔をして友人は答えた。
「ああやって出てきてはせっかく育てた作物を食べていく。」
と、苦々しげに呟くと、もう一人の友人との会話に戻ってしまった。

休みの日には家の仕事である農作業を手伝う彼にとって、鹿は、よき隣人ではないらしい。花の蕾くらいは何でもない。時々は、姿を見せてほしいものだと思うのは、週末だけの田舎暮らしを楽しむ閑人のの酔狂なのだろう。

 啄木鳥(きつつき)

一時期バードカーヴィングに凝ったことがある。百舌を作り、翡翠(かわせみ)を彫り終わったあたりから、近視の度が進み、細かい作業がつらくなってきた。根気が続かなくなってきたのかもしれない。色を塗れば完成のところまで来て放り出したままになっている。

ベランダに座っていると、季節により、様々な小鳥たちが、鳴き交わす。鳴き声も羽根の色も微妙に違うのだが、それらを細かに聞き分ける力がない。双眼鏡も取り出し、鳴き声のする方を探すのだが、なかなかその姿をとらえるのは難しい。

そんな私でも、聞き違えることのない鳥がいる。啄木鳥である。本当に乾いた木を小刻みに叩くような音が、聞こえてくる。姿を見つけることは難しい。それでも、音は、いつまでも鳴り続けている。どこか高い木の幹を掘り続けているのだろう。類こそ違え、この山に棲み家を作ろうとする仲間の一人である。


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