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沙獏の迷宮 EGYPT
山羊の頭をしたスフィンクスの参道

 LUXOR 東岸

昨夜の夕食時、同年代の父親二人と同じテーブルを囲んだ。二人ともお嬢さんを連れての旅で、男の子しかいない父親としてはちょっと羨ましい気持ちもあって、めずらしく話しこんでしまった。話し出せば、ほぼ同じ時代に学生生活を送っていたこともあり、昔話に花が咲いた。シャワーを浴びた後、ベッドの上に寝ころんだのは覚えているが、そのまま寝込んでしまったようだ。夜中に気がついて布団の中に入ったのだが、遅かったらしい。寝苦しく浅い眠りのまま朝を迎えた。

エアコンで冷えたのか、胃腸の調子が悪い。薬を飲んだが、食欲がなくだるい。予定では、カルナックとルクソールの両神殿の中を歩いて見て回ることになっていた。日を遮る物とてない神殿の遺跡の中を何時間も歩くのかと思うと、先が思いやられた。妻は、からかうように、
「だから、昨日あんまり調子がいいと自慢するものじゃないといったでしょ。」と、言う。そうだった。今まで、どこに行っても調子を崩したことがない、と夕食の席で言ったばかりだ。

船で、アスワンの町に戻った。朝のナイル川には水鳥が餌を探すのか、水の上を低く飛んでいた。河岸に群生した葦の中から大きな白い鷺が現れ、水面を軽く滑走し、二、三度羽ばたくとグライダーのようにふわりと浮いた。朝陽を浴びてその白い羽は神々しいようだった。動物に神性を見た古代エジプトの人々の気持ちが分かるような気がした。


 スカラベ

フンコロガシ(スカラベ)の足跡 ルクソールに向かうため、アスワン空港に向かうバスが、きれいな砂が採取できる砂丘があるというので、途中停車した。砂の上に小鳥が歩いたような小さな足跡がいくつも残っていた。ムスタファが「フンコロガシの歩いた跡です。」と教えてくれた。エジプトでは神聖な昆虫として、装身具や印章にも用いられたスカラベである。どこかに本物はいないかと探し回ってみたが、あたりにそれらしきものの影も形もなかった。

 カルナック神殿

 第一の塔門

カルナック アモン神殿第一の塔門バスを降りてから神殿入口までがやけに遠い。太陽はほとんど真上にあった。じりじりと照りつける直射日光を避けるために、まるで雨を避けるときのように、あちらの木陰、こちらの木陰と木の陰を探して渡り歩いた。

荷物のチェックが厳しいのか、客が入口で行列を作っていた。X線の感度が強すぎると、フィルムが感光してしまうため、カメラを鞄から出し、別の机に置いた。デジタルカメラの液晶面を下に向けたまま机の上を引き摺るようにしてこちらに渡す係官の無神経さに腹が立った。

まず目に飛び込んでくるのは、城壁のような巨大な門。そして、参道の両側に居並ぶ無数のスフィンクス像である。山羊の頭を持ったスフィンクスが見守る中を歩き、ピュロンと呼ばれる第一の塔門の前に出た。さすがに中王国、新王国時代の首都として栄えた古都テーベ。その数あるカルナックの神殿の中で、最も大きいアモン大神殿の前に立つと、あまりの大きさに圧倒されて声も出なくなってしまった。まるで城塞のような塔門の正面に立つと、スフィンクス参道から真っ直ぐに続く列柱の回廊がエジプト神殿建築の定式通り、はるか彼方に位置する至聖所の一点に収束する壮麗な遠近法の実現に唯々立ちつくすばかりだった。


 中庭

アモン神殿中庭第一の塔門をくぐると、広い中庭が現れる。かつて民衆もここまでは入ることが許されていたという。祭礼の時には神像が神官たちに担がれ、至聖所を出て、ちょうどこの辺りで人々の目に触れたはずである。中央に立っているのは、タハルカ王のキオスク(といっても売店ではない。あずまやのこと)である。中庭の右手にはラムセス三世神殿が周壁から外に突き出るように造られている。おそらく、増築による増築を経て、現在のような神殿の形になったのだろう。基本的にはシンメトリカルなエジプト古代神殿の構成からはいくらか逸脱した構造になっている。


 大列柱室

中庭を経て、第二の塔門を過ぎたものは、誰しも溜息をもらさずにはいられないだろう。高さ23mと15mの二種類の巨大な柱が134本並ぶ大列柱室はまさに壮観。今でこそ無蓋に成り果てているが当時は中央部の高い柱から縁辺部の低い柱に向け勾配のある屋根が天井を覆っていた。塔門と天蓋によって覆われた広い空間は僅かに格子状に開いた明層窓から入り込む光を除けば明かりらしい明かりのない薄暗闇。その幾筋かの線条の光線が投げかける乏しい光の中で、神に捧げる供物を携えた神官が厳かに祈拝している姿が頭の中に浮かび上がった。

およそ建築物は屋根によって内部空間が切り取られることで、かえってその大きさが際立つもの。想像の翼をいくら広げてみたところで、創建当時この建築が保持していた大空間の発する荘厳さをイメージすることは不可能だろう。せめては、列柱の間を歩くことで、その広さを体感するよりない。少し歩くと、柱の陰に隠れてしまって、相手が見えなくなる。まるでかくれんぼでもしているようだ。

 オベリスク

ハトシェプストは、エジプト初の女王だが、夫トトメス二世の死後、幼いトトメス三世の摂政の位置にありながら、王位を簒奪し、自らファラオとなった。後に成長して王位を得たトトメス三世は、ハトシェプスト女王の仕打ちを憎悪し、女王の像や浮き彫りなどの顔を削り取るなど、女王の記憶を歴史から抹消しようとした。このアモン大神殿に残るオベリスクも取り壊そうと試みたが、オベリスクが倒れると、周囲の神殿を壊してしまうためそれはあきらめた。その代わりとして、下からオベリスクが見られないように周囲に壁を築いて隠してしまった。そのため、壁に隠されていた部分と露出していた頂上部の色が違うのだという。言われてみれば、そんな気もするが、権力争いと近親憎悪の激しさばかりが記憶に残った。


 十字架

後のグレコ・ローマン時代になってからも神殿は増築や改築がなされている。おそらくキリスト教化されてからのローマの仕業であろう。三体並んだ神像の左右二体の胸部のみを残し、頭部と胸から下を削りとることで、十字架に見せたものである。タリバーンによるバーミヤン大仏の破壊が如何にもイスラム教徒の暴挙のように喧伝されているが、キリスト教徒もかくのごとき冒涜を働いている。異教を理解することはいつの世にあっても難しい。自分達ばかりが正しいとは思わぬことだ。

この後、もう一度大列柱室まで戻り、そこから第七塔門を抜けて聖なる池に出た。喉の渇きと脚の疲れ、それに朝からの体調不良が重なり、かなりまいっていた。聖なる池の近くには喫茶店があると聞いて、とにかくそこに急いだ。ちょうどコーラが切れたところで、セブンアップを注文した。普段なら甘い炭酸水が、疲れた体には不思議に心地よい。こちらのデザートが無闇に甘いのも理由のあることかもしれない。とにかく。日陰の椅子に腰を下ろして、紙コップの中の清涼飲料水を飲み干す頃には、かなり元気が回復したのは確かだ。


 鳩料理

昼食は市内のレストランで、この日は鳩料理を食べることになっていた。エジプトでは、鳩料理はご馳走で結婚式などのときに食べるそうだ。折角のご馳走だが、胃の具合は相変わらずで、とても食べられそうにない。

初めに出たのはモロヘイヤのスープで、これは何とか食べられた。今回の旅では、コース料理の中で、スープが最も口に合った。さて、アントレの鳩だが、鳩一羽を丸ごとローストしたもので、内臓を抜いた後に小麦の詰め物がしてあった。胸や腿の肉はチキンに似ていた。腹のところは、皮がぱりっとしてナイフで切ると、中に詰めた小麦がこぼれだす。初めにナイフで切り分け、小さい骨を手で持って食べるのが正しい食べ方らしい。しかし、わりと油っぽくて、なかなか進まない。鳩肉ならロゼあたりがいいのだろうが、とてもワインの飲める状態ではない。取り合わせの温野菜やベイクドポテトをあてにビールばかり嘗めるようにして飲んでいた。

鳩のことは、アラビア語で「ハマーム」と言うらしい。剽軽な給仕が「ハマーム、ハマーム、ハマーム」と歌いながら皿を運んで来ると、相席になった人が、これもまた愉快な人で、給仕に合わせて「ハマーム、ハマーム」とやっていた。デザートはバナナと林檎だった。林檎は相変わらず丸のまま、バナナは皮がまだ青かった。フォークとナイフで、バナナの皮を外すと、中は熟していておいしかった。ちなみに、バナナは「モーズ」という。給仕がそう教えてくれた。


 ルクソール神殿

ラムセス二世の中庭ナイル川に沿って延びるナブル・イン・ニール通りを、川を右手にしながら、走った。ナイルは南から北に流れている。今いるのはナイルの東岸である。エジプトでも黄泉の国は太陽の沈む西にあると考えられ、王たちが眠る「王家の谷」はナイル西岸にある。岸壁には豪華な客船が何艘も接岸されていた。

長い休暇がとれる欧米の人たちは、ナイルの船旅をゆっくり楽しんでいるのだろう。船旅の利点は、荷造りと荷ほどきの手間が省けることだ。欠点はといえば、ホテル代わりのキャビンが気に入らなくても船を変わるのは難しいことだろう。それと、いくら波はなくとも、船に弱い人は船酔いの心配がある。仕事の必要があって、船に乗らねばならないことがあり、いやというほど乗ったが、今でもあまり気持ちのいいものではない。今回も一度はクルーズを考えたが、断念したのはそれが理由である。


 スフィンクス参道

スフィンクス参道道路を隔てた川の反対側に塔門や列柱が整然と並ぶ遺跡が見えてきた。ルクソール神殿である。もともとは、カルナックのアモン大神殿の付属神殿として建てられたもので、入口を入って左手に延びるスフィンクス参道は、かつてはアモン大神殿のスフィンクス参道と結ばれていたという。こちらのスフィンクスは、見なれた人面獣身のそれであった。



 ラムセス二世像

アモン大神殿の賑わいと比べると、ルクソール神殿は人影も少なく森閑としていた。一日のうちで最も暑い時間だったからかもしれない。ネクタネポ王の中庭に立つと第一の塔門の前にオベリスクとラムセス二世像が立っていた。本来オベリスクは二本あったのだが、そのうちの一本は、現在フランスのコンコルド広場にある。ヨーロッパには、エジプトから持ち出されたオベリスクが建っている広場が少なくない。映画『ローマの休日』で有名な、イタリアのスペイン広場にもある。実は、昨年のイタリア旅行で目にしているはずだが、記憶から抜け落ちていた。自分のHPで確認してみたら、ちゃんとあった。


 ガーミア・アブー・イルハッガーグ

第1の塔門を入ってすぐ左側に不思議な物を見つけた。頭上はるかな所に入り口の扉のある建物だ。空中を歩いてでもいかなければ、あの扉から中に入ることはできないだろう。イタロ・カルヴィーノの『見えない都市』の中にでもでてきそうな不思議な印象の建物である。それに何より様式がでたらめだ。古代エジプト様式の巨大な石造建築の上に木に竹を接いだようなイスラム風の建築である。狂人でもなければ思いつきそうにない組み合わせに首を傾げた。

実は、この遺跡は長い間砂に埋もれていたのだそうだ。古代エジプト王朝が滅亡してから長い歳月が経った。エジプトはイスラム教を報じる人々によって支配されていた。ガーミアを建てるための土地を探していたイスラム教徒には、砂の上に少し残っていた遺跡の礎石らしき物は、神の啓示だと思ったにちがいない。そして、そこにガーミアを建ててからもまた長い年月が過ぎ去った。エジプト古代王朝の遺跡が相次いで発掘されるようになり、ガーミアの下に巨大なルクソール神殿の埋もれていることも明らかになった。しかし、ガーミア自体もすでに遺跡と呼ばれて不思議のない程の時間が経過していたことから、取り壊しを免れ、現在のような形で保存されている。


 アメンホテプ三世中庭の列柱

カルナックのアモン大神殿の列柱の巨大さには、たしかに度肝を抜かれた。しかし、柱自体のデザインの美しさについていえば、ルクソール神殿の列柱は、カルナックのそれに優るとも劣らない。束ねられたパピルスの蕾を様式化したデザインは、ある意味モダンでさえある。人っ子一人いない神殿に柱の長い影が落ちていた。ふと既視感に似た感情に襲われた。見たこともないはずの風景を以前に見たことがあったように錯覚するあの感情だ。しかし、デジャ・ヴではなかった。人気のない列柱室に落ちる影がデ・キリコの絵を思い出させたのだった。


 ルクソールの夜

ナイル川に架かる橋を渡ってホテルに着いた。やはり中洲を利用して作られている。芝生の中を枝のようにのびる遊歩道を抜けて各コテージに行く。綿状の花をつけたアフリカ原産の樹木の下をヤマセミに似た鳥が堂々と歩いている。楽園のようにきれいなのだが、一刻も早く部屋について休みたいのが本音だ。リフトのあるホテルが恋しい。

部屋の中はがんがんに冷えていた。急に冷やされたからか、しばらくすると寒気がしてきた。布団に入っても震えが治まらない。熱を計ると七度三分。これから上がってくるかもしれない。めずらしく気弱になってしまった。今夜はカルナック神殿での「音と光のショー」がある。寝ていたいが、夕食は町に出ないと食べられない。時間まで横になって休んだ。

シャワーを浴びる気になれず、熱い湯をバスタブに張ってゆっくり浸かった。入るときはぞくっとしたが、そのうち温まってきた。新しいシャツに着替え、上着を着てバスに乗った。今夜の夕食は中華で、楽しみにしていたのだが、あまり食欲がなかった。

スープに入っていたワンタンの皮が少し歯ごたえがありすぎたが、想像していたよりも中華料理らしかった。ここの給仕もなかなか凝っていた。二つのグラスにビールを同時に注ぐのだが、二本の瓶の先端をグラスの縁に引っ掛けながら、グラスを回しながら注いでいく。今度は目を瞑ってやりだした。拍手に気をよくしたのか、グラスが空く度にそれをやる。食欲がなく、ビールだけが楽しみの此方としては、パフォーマンスはいいから早く飲みたいのだ。大人げない気がしないでもなかったが、グラスが空いたので自分でやって見せた。挑戦されたと思ったのか、手で目隠しをされたが、どうにか拍手を受けて注ぎ終わった。「いつでも使ってやる」と言われた。

ショーは、中庭や列柱室を巡回しながら、各部屋ごとに立ち止まって、ナレーションを聞いていく。石は昼間の余熱で熱く、回廊は立錐の余地もない。観客の発する体温もある。熱さと足の疲れで、ストーリーを追うどころではない。聖なる池を見下ろす階段席まで来てやっと席に座り、満天の星空を見たときが一番感動した。


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