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Chalrecot / Stratford-upon-Avon / Lake district 1 2 / Chester / The Cotswolds / London 1 2
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ENGLAND
シェイクスピアの生家

 2006/8/23 ストラトフォード・アポン・エイヴォン

 朝のシャルコット村

6時前には目が覚めてしまった。長時間の移動で体は疲れていても、体内リズムは25時間周期で働いていて、眠っている間でも、朝を感じて起こそうとする。何度も目を覚ましては時間を確認し、また眠ろうとする、その繰り返しだ。海外旅行につき物のジェットラグにもすっかり慣れっこになってしまった。慣れないうちは起きて何かしはじめるから、いつまでも時差ボケに引きずられて、昼間眠くて夜間目が冴える。こんな田舎のホテルで深夜起きたところですることもない。いくら目が冴えようが寝てやり過ごすしかないのだ。

レストランは7時にならないと開かないから、それまで朝の散歩に出た。ホテルの前は木柵で囲われた牧草地。その横は教会の墓地になっていた。道理で静かなはずだ。朝露を置いた芝草の間に厚い石板が点在している。棺を直に埋葬するから、墓石と墓石の間隔が広いのがいい。日本の墓地は狭い。生きている間は兎小屋に住んでいるのだ。死んだ後くらいは広々としたところに葬ってもらいたいものだ。

今朝も朝から雨がぱらついた。足下の草には小さな水滴の球がいくつも乗っかっている。黒ずんだ土の道を木柵沿いに歩いていくと木の陰から大きな角を生やした雄鹿がゆったりと歩いてきた。カメラを構えると向こうに行ってしまったが、朝の散歩ですれちがうには最高の相手だった。後で調べるとシャルコットにはナショナル・トラストが運営する公園があり、この辺りは、その昔シェイクスピアも鹿を捕まえに来たことがあるという。

 ストラトフォード・アポン・エイヴォン

英国にはストラトフォードという町はほかにもあって、それぞれ「何処の」という但し書きが前についている。シェイクスピアが生まれたのはエイヴォン川沿いのストラトフォード。それが地名の由来である。柳の枝が水の上に影を浮かべる静かな川には何艘ものボートが繋がれ、この古い町のかつての賑わいを物語っているようだった。

英国特有の信号のないラナバウトと呼ばれる回転式の交差点で向きを変えると、バスは市街地に入っていった。町の中心にある広場で車を降りると、傘をさして歩き出した。目指す生家はすぐ近くだった。手袋職人をしていた父親のジョンの家は、町の目抜き通りに面していた。この家の二階でシェイクスピアは生まれた。当時そのままではないものの、寝具や揺りかごが置かれた寝室からは何不自由のない裕福な暮らしぶりがしのばれた。

面白いのは窓硝子に彫り込まれたここを訪れた有名人のサインである。ディッケンズもカーライルも記念に名前を彫りつけている。それだけではない、世界の文学史に名を連ねる錚々たる顔ぶれが修学旅行に来た子どものようにはしゃいで名を刻んでいるのだ。あらためてシェイクスピアという存在の大きさを感じた。

雨は降り続いていた。なるほど傘の手放せない国だなあ、と心の中で呟きながら通りに出た。せっかくこの町に来たのだから、墓のあるホーリー・トリニティ教会まで歩くことにした。イギリスの雨は粒が小さいから傘をささずともコートと帽子でしのげるのだと何かで読んで、人に説きもしたが、あれは真っ赤な嘘。雨粒の直径はけっこう大きい。ただ、ひどい降りも長くは続かず、降ったり止んだりなので、いちいち傘を差したり畳んだりするのが面倒なだけだ。

少し歩くと、十字路の一隅に立つ教会の隣に黒い梁と白壁が規則的なリズムを作るハーフ・ティンバー様式の建物が見えてきた。中世ギルドの権勢を今に伝えるギルド・ホールである。その二階がシェイクスピアも通ったグラマー・スクールになっている。貴族の子弟でないシェイクスピアは、大学教育を受けていない。学校の下にあるホールでは、よく旅役者が芝居の興行をしていたという。ロンドンに出たシェイクスピアは、まずは役者として舞台を踏んだ。子ども時代の芝居見物の影響があったかも知れない。

ゲアリ・ブラックウッドの『シェイクスピアを盗め!』に続く三部作には芝居小屋の座付き作者時代のシェイクスピアが出てくる。速記の技術を買われてシェイクスピアの台本を盗むことを命じられた少年ウィッジの話でいわゆるヤング・アダルト小説だが、数々の賞を受賞しているだけあって、シェイクスピアファンでなくても充分楽しめる。この地を訪れる前に夫婦共に読んできている。今回はそのシェイクスピアさんの墓参りも兼ねている。

雨が上がって明るくなってきていた。英国に限ったことではないが、こちらではちょっとした通りにも名前がついていて、十字路には通りの名前を記したプレートが立っている。文字さえ読めれば地図を片手にウォーキングを楽しめるようになっているわけだ。教会通りとチェスナットウォークがぶつかる分かれ道で地図を調べていると、
「道に迷ったのかい?」と、声がかかった。町の住人らしい。
「ホーリー・トリニティ教会に行きたいんだ。」と、言うと左に折れて、次を右だと教えてくれた。
以前イギリスで道を訊ねたときは、いかにも紳士然とした老人の不親切さに呆れたものだが、今回は田舎を中心に歩いたからか、みな親切で英国人に対する印象が少し変わった。

教えられた通りの路を行くと、こんもりとした繁みの向こうに教会の塔が見えた。ライムの並木の下を石畳の道が入り口に向かって続いていた。
矢印の通りに進み入り口らしきところに着くと、無料と聞いてきたのに、修復中の様子で寄付を募るという趣旨の貼り紙があり、その前に受付らしい僧が一人座っていた。誰もいなければ無視して通るのだが、金額まで書かれていては素通りもできない。二人分の金額を払うと、
「日本人?」と訊いてきた。そうだと答えると、「ありがとう」と日本語で言って日本語のパンフレットをくれた。この後どこに行っても日本語のパンフレットが待っていた。

シェイクスピアの墓は内陣の奥まった辺りにあり、「良き友よ、我が墓を動かすことなかれ。我が骨を掘り出す者には災いあれ。」といった意味の墓碑銘が刻んであった。教会内に埋葬される者の数は限られていて、昔は古い物から掘り起こして外の墓地に埋め直すのが習いであった。それを虞れてのことだろう。将来、国民の誇りとしてウェストミンスター寺院に埋葬したいという話が来ることなど考えもしなかったらしい。その所為かどうか、他の著名人が多く眠るウェストミンスター寺院だが、英国が誇るシェイクスピアの墓だけはない。

エイヴォン川は教会のすぐ裏を流れていた。枝垂れ柳の枝が木陰をつくる川沿いの道を行くと、ロイヤルシェイクスピア劇場にぶつかる。多くのシェイクスピア役者が集う劇団の本拠地には映画『指輪物語』でガンダルフを演じたイアン・マッケランのポスターが貼ってあった。雨が降ってきていた。川沿いの道を離れ、町の中を歩いて帰ることにした。低い家並みが続く通りには、町の人が買い物をするのだろう小体な店が並んでいた。

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