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ENGLAND

 2006/8/24 レイク・ディストリクト(湖水地方)2

 ワーズワースの家

さわやかな朝の空気の中をバスは走っていた。生い繁った老樹の葉群が道の彼方此方に小暗い影を落としている。緩やかなアップダウンを繰り返しながらも、車はしだいに湖畔に近づいているようだった。最後の坂を下りきると、バスは町の中に入っていった。群青色の湖面が車窓いっぱいに広がっている。ウィンダミア湖だ。桟橋のあるボウネスの町はウィンダミア湖クルーズを楽しもうという観光客で朝早くから人集りができていた。

ウィンダミア湖にはすでに何艘ものボートやヨットが浮かんでいた。アーサー・ランサムが子ども向けに書いた『ツバメ号とアマゾン号』に始まるシリーズは、この湖が舞台になっている。白い帆を揚げて軽快に帆走する小型のヨットを見ていると、懸命にヨットを操るツバメ号の少年達を思い出す。子どもの頃シリーズを夢中になって読んだかつての少年達にとって、ここウィンダミア湖は「聖地」であり、いつかは訪れたい巡礼の地になっているという。

湖にそって南北にのびる道を、さっきからバスは北に向かって走り続けている。ウィンダミア湖の北西にグラスミアという町がある。詩人ワーズワースが愛し、居を構えた町だ。ダヴ・コテージと呼ばれるその家は街道を少し入ったところに今でも当時そのままに保存されている。それともう一軒。詩人が丘の上にある古い司祭館を購入し、自ら設計した庭をめぐらしたライダル・マウント。二軒の家を結ぶフットパスを歩くのがこの日の目的である。

天気の悪いことで知られる湖水地方には稀な絶好のウォーキング日和。足は山の方に向いているのだが、まずは詩人の家を表敬訪問することに。かつては街道に面したパブだったが、新しい道ができたためにさびれてしまったところを詩人が買い受けたのがこの家だ。崖の下に建っているため、二階の窓の下が庭になっている。その小さな庭に出られるように階段の踊り場に後付けのドアが作られていた。

浪漫派詩人ワーズワースという名は知っていたが、文学史上の人物で特に興味はなかった。しかし、親友のコウルリッジはもちろんキーツやシェリーなどが訪れ、この小さな家が英国浪漫派のサロン的な場所になっていたのだということを知ると少し興味が湧いてきた。『阿片吸引者の告白』で有名なトマス・ド・クィンシーが、阿片を吸うために用いたパイプも展示されていた。なんだか急に英国浪漫派が身近に感じられてくるから不思議なものだ。

 パブリック・フットパス

ダヴ・コテージを出て左手に少し歩くと坂道が見えてくる。切り通しになった細道を抜けるとパブリック・フットパスの標識が現れた。矢印の先には陽をいっぱい浴びた丘が聳えている。いよいよウォーキングのはじまりである。フットパスとはもともとけもの道。舗装路を外れると、石や泥濘だらけの山道が続く。幸いなことに朝からの陽差しで山から流れ出した水も石の表面を濡らすだけで、足下はしっかりしている。雨だったら、さぞかし気の滅入ることだったろう。

反対側から歩いてくる人に出会うたびに「グッド・モーニング」と挨拶をする。本当に文字通りの気持ちのいい朝だ。道は険しいが、勾配は緩やかで歩くのはけっこう楽しい。それに何より眼下には玻璃の破片を浮かべたようなグラスミア湖が、歩みに連れて木の間隠れに見え隠れする。イングリッシュ・オークや橡の老樹が大きな葉で気持ちのいい陰を作ってくれている下をのんびりと歩いていくのだ。少し寒いくらいの気温が、歩くのにちょうどいい。

山肌を縫うような杣道がひとしきり続いた頃、見晴らしのいい坂の上がちょうど涼しい木陰になっている辺りに、石で拵えたベンチのようなものがあった。前を行く人が腰を下ろして一休みしていると、この辺りに詳しい人が説明しはじめた。
「昔は丘の上には教会がなく、人が死ぬと棺桶を担いで下の町まで運びました。いくら疲れても人ひとり通るのがやっとの道では棺を置く場所がなくて休めません。そうです。今あなたが座っていたのは死者の棺を置く場所なのです。この道はCoffin Path(棺桶道)というのです。」
座っていた人はあわてて腰を上げたのだったが、誰もいなくなったのをいいことに、ひんやりした石の上に妻は気持ちよさそうに寝ころぶのだった。

 ライダル・マウント

棺桶を置いた場所から何ほども歩かないうちに、詩人の新しい家ライダル・マウントに着いた。小高い丘の上に建つ瀟洒な家は崖下のダヴ・コテージから移り住んだ家族にとって快適だったことだろう。パブの面影を残すダヴ・コテージの薄暗い応接間と比べ、新しい家の広間は南からの陽が部屋の奥まで差し込んでいた。書斎から自分で設計した庭を眺めるのはさぞかしいい気分だったにちがいない。

芝生の広場を大きくとった庭の周りには様々な樹木や花々が生い茂り、その間を遊歩道が行き交っている。美しい風景なのだが、芝地から眺めた白い館の上にはどこまでも青い空が広がるばかりで、何かとらえどころのないような感じを覚えた。請われて桂冠詩人の栄誉は受けたものの、晩年のワーズワースはもう詩を書かなくなっていたという。詩を書くにはあの薄暗く、底冷えのしそうな小さな家の方があっていたのかも知れない。そう思うと、さっき訪れたばかりのダヴ・コテージが何やら懐かしく感じられてくるのだった。

 ウィンダミア湖クルーズ

桟橋を見下ろす高台に建つホテルで昼食をとった後、クルーズ船の乗船時刻まで桟橋近くのベンチでぼんやりと過ごした。ウィンダミア湖には今風のジェット・スキーやモーター・ボートは見あたらなかった。脂色の塗料を塗った古ぼけた貸しボートが幾艘も汀に引き上げられていた。桟橋近くには餌をやる観光客が多いのか、鴎や白鳥がたくさん集まってきていた。

上甲板いっぱいに並べられた座席は満席だった。かろうじて隙間を見つけて座ると、船はすぐに桟橋を離れた。短パンにTシャツ、野球帽という、いかにもアメリカ人らしい装いの父親とその家族が前に座っていた。夏のウィンダミアは世界中からやってくる観光客でごった返している。特にこの日は一日中上天気で、湖上遊覧を楽しむにはもってこいの日だった。湖畔には色とりどりのサマー・ハウスが並び、船遊びのヨットが水面を滑っていく。桟橋のあるボウネスから湖の南端にあるレイクサイドまでのハーフ・クルーズを楽しんだ後は、バスでもう一度ボウネスに戻った。

湖水地方はピーター・ラビットの生みの親ビアトリクス・ポターが半生を過ごした地として知られている。ポターの旧居があるニア・ソーリー村は、ボウネスの対岸に位置する。ただ、ピーター・ラビット人気で観光客が増え、環境の悪化を懸念して最近では入場が制限されているという。予約が取れなかった観光客を満足させるためか、ボウネスの町にピーター・ラビットの世界を人形で再現した小さな博物館がある。せっかく来たのだから訪ねてみることにした。

さすがはマダム・タッソーの蝋人形館を売り物にする国だけのことはある。入り口ではポターその人の蝋人形が出迎えてくれた。中に入ると、ピーターやその仲間達のお話が絵本の世界そのままに人形で表現されている。こちらに来る前に予習しておいたせいでハリネズミのティギー小母さんや蛙のジェレミー・フィッシャーさんは顔なじみのように思える。子ども騙しの見世物ととるか、童心に返って遊べるかは受けとめる人によるだろう。

博物館を出た後、坂道の両側に並ぶ土産物店をのぞいたが、これといった物はなかった。日も傾き、湖面は雲の影で覆われ、すっかり暗くなっていた。にぎやかだっただけに人影が消えると湖岸の小さな町は何やらさびしげに見える。坂の上にあるホテルで鱒を食べた後、ワイルド・ボアに戻った。歩き疲れたせいか、部屋に戻るとすぐ眠ってしまった。

galleryに写真があります。Grasmere Rydal Mount/Windermere
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