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ENGLAND

 2006/8/26 コッツウォルズ

ホテルの窓からは駐車場越しに街の通りが見える。仕事に出かけるのか、黄色い煉瓦造りの建物の前を男が一人歩いている。夜の間に降った雨のせいで路面は黒く濡れている。イギリス映画によくある景気の悪い映像を見ているようだ。雨はやんでいるようだが、いつ降り出しても不思議のなさそうな厚い雲が空全体を覆っている。

ティーバッグの紅茶は味気なくて、珈琲に戻ってしまったが、ビュフェ形式の朝食でもチョイスは英国式だ。厚切りベーコン、ソーセージ、スクランブルエッグ、ベイクドトマトという定番。そうそう、ベイクドビーンズを忘れてはいけない。日本の煮豆のようなものだが、甘さと辛さがほどよくて結構はまってしまう。グレープフルーツとオレンジは皮を剥いてある。それにヨーグルト。

いよいよコッツウォルズに行く日。できたら雨には降られたくないが、こればかりはどうしようもない。実際、イギリスに来てから降られなかった日は一日たりともない。まあ、そう長く降りはしないので、にわか雨程度なのだが、歩くことの多い今回のような旅では、傘一つでも荷物になる。持たないですませることができればそれに越したことはない。

コッツウォルズというのは、ここ何年で有名になった観光地で、それ以前はあまり知る人もいない田舎だった。だいたいコッツウォルズは地名ではない。北はストラトフォード・アポン・エイヴォンから南はバースあたりまでの丘陵地帯一帯を指して、ザ・コッツウォルズと呼ばれている。この地方独特のライムストーンという蜂蜜色の石灰岩でできた家が並ぶ小さな村々が点在して絵葉書のように美しいという。

コッツウォルズを見てみたいと思うようになったのは、ウィリアム・モリスの影響である。ラファエロ前派が好きで、本好きでもあれば、ウィリアム・モリスとケルムスコット・プレスの名前は忘れることができない。社会主義者で日本の民藝運動に影響を与えたアーツ・アンド・クラフト運動の立役者で本も書いた。『ユートピアだより』で、テムズ上流を船でさかのぼる様子を描いている、それがコッツウォルズにあるケルムスコット村である。

モリスの家であったケルムスコット・マナーは今も残っているが、交通の便が悪く、夏の間、それも一週間の間に二、三日しか見学が許されないのでは、時間の限られた旅行者には狭き門である。せめて、モリスが「イギリスでいちばん美しい村」といったバイブリーくらいは見てみたいと思ったのが今回の旅というわけだ。

 ボートン・オン・ザ・ウォーター

朝、八時半に宿を出て、二時間ほど走るとコッツウォルズに着いた。町の裏手でバスを降りると、地図を片手に塀で囲まれた狭い道を少し歩いた。急に視界が開けるとそこには、静かに流れる川の水面に柳が揺れ、蜂蜜色の家並みが映る、まさに絵葉書のような風景が待っていた。ボートン・オン・ザ・ウォーターは、「リトル・ヴェネティア」と呼ばれているそうだが、日本人には倉敷の美観地区のようなところだと言えばいちばんよく分かるだろう。

川沿いの民家に古い自動車を集めたモーター博物館があった。十時半にならないと開かないので、それまで町を歩くことにした。ウィンドラッシュ川に面した表通りは観光客でいっぱいなので、町の中に入っていった。最初の小路にパブリック・フットパスの標示を見つけたので迷わずに入った。キッシングゲートと呼ばれる、人ひとりが通り抜けられる幅を残して片開きの戸がついた入り口を抜けると、羊がいた。

村はずれの森の方から町の人が朝の散歩を終えて帰ってくる。"Good Morning"と、どちらからともなく挨拶を交わす。旅行者がいても特に気にする様子もない。妻は熊とも写真を撮ったくらいの動物好きだが、どうやら羊は苦手らしく、あまり近づかないので写真が撮りにくい。それでも何とか一枚撮って町の方に戻った。

小さな町でぐるっと一回りして反対側から川に出ようとしたとき、"Good Morning"と声がした。"Good Morning"と返すと、「英語はしゃべれるか?」と聞いてきた。「少しだけだ」と答えると「日本語で"Good Morning"は、何と言うのか」と訊かれた。「おはよう」と言うのだと教えたのだが、相手の発音は「オハイオ」と聞こえる。別の日本人に試すつもりだろうが、アメリカのオハイオから来た人だと勘違いされるんじゃないだろうか。

自動車博物館は、農家を継ぎ足し継ぎ足ししたいくつもの屋根の下に趣味で集めたのだろう、オースティンやMG、ジャガーといった往年の古強者が自動車関連の広告やら骨董品めいた小物と一緒に雑然と並んでいた。コレクションの展示という感じで、あまり整理されておらず、博物館というよりはガレージの中を歩いているようだったが、古い車好きにはたまらないところだろう。保存状態がもう少しよければ、と思いはしたが。

 バイブリー

バイブリーは、ほんとうに小さな村だった。スワン・ホテルの前からコルン川の流れに沿って歩き出すと、夏草の生い茂った草むらの向こうに、森を背にして尖った切り妻屋根が並んでいた。一面の緑の中、そこだけ蜂蜜色に切り取られていた。アーリントン・ロウという名で呼ばれる14世紀から残る羊毛店だったところだ。今ではナショナルトラストが管理する職工小屋として使われている。

コルン川に架かる橋を渡って細い道を行くとアーリントン・ロウは目の前だ。石を積んだ壁に傾斜のきつい屋根がかぶさって、絵本の中から抜け出してきたような按配だが、中には人が暮らしている。しっかり引かれたカーテンの陰には人の気配があった。中に入ることができないのは残念だが、人が暮らしているのでは仕方がない。しかし、一年中ひっきりなしに人が我が家の前を往き来していては住人はさぞ落ち着かないことだろうと同情に耐えなかった。

ホテルの前は鱒の養魚場になっていて、用水路には魚の群れが泳いでいた。コルン川に架かる石橋の下を向こうから飛んできた鴨が潜っては着水する。滑空訓練のようでもあり遊びのようでもある。いつまでも繰り返される光景に人集りがしていた。かつての水車小屋、アーリントン・ミルは今では博物館になっていた。ほかに行くところもないのでギフトショップやカフェのある、この辺りに観光客は集まってくる。

道は坂の上の方に続いていた。蜂蜜色の家はその向こうまで、通りに沿って並んでいた。時間があれば、ゆっくり見て回ってもいいだろう。ただ、モリスが「イギリスでいちばん美しい村」と言ったのは、アーリントン・ロウ周辺の景色を指してのことだったのではないか。石橋の畔にはオークの枝が葉を茂らせ、その下は茫々と生えた丈高い草。その間に隠れるように見える鋸歯状の屋根はいかにもモリスの書いた中世風の物語に出てきそうな佇まいを残していた。

 カッスル・クーム

長い下り坂をおりていくと、下の方から白いベールをつけた花嫁を乗せた馬車がやって来た。結婚式の帰りらしい。ディレクターズ・スーツに身を固めた新郎も晴れやかな顔をしている。演出なのだろうが、いかにも馬車がぴったりくる風景である。

町の入り口には、かつて市場が開かれた場所であることを示すマーケット・クロスがあった。道はそこから緩やかな傾斜を帯びて下に続いている。同じ蜂蜜色と言っても、町によって無彩色に近い色をした町もあれば、褐色と言ってもいいほど黄みがかった色の町もある。映画『ドリトル先生の不思議な旅』冒頭シーンのロケ地として使われたのが、ここカッスル・クーム。イギリスでいちばん古い町コンテストでも何度も優勝しているともいわれている。

なるほど、道の両側に並ぶ家々に調和がとれていて、町全体に懐かしい風が流れているようだ。小さなカフェが歩道にテーブルと椅子を出しているのが目につく程度で、花を飾った石壁には小さな窓があるが、どの家も何の店なのか分からないほど慎ましやかな店構えだ。案山子の人形が出てるのはクラフト店だろう。緑のレインコートを着た妻は早速並んで写真に収まった。

坂を下りきるとバック・ホース・ブリッジという名の石橋が架かるきれいな川に出た。馬の背という名の通りアーチ状に組まれた石の下を水が勢いよく流れていた。それまでの二つの町の川は整備されすぎて水量が少なく、水鳥は浮かぶのでなく川底に足をつけていた。水量豊かなバイブルック川にはそれに相応しいしっかりした橋がよく似合っていた。

橋を渡ったところに前庭を広くとった屋敷があり、コッツウォルズ名物のマッシュルーム・ストーンが並んでいた。昔は、刈り取ったばかりの麦を笠状の石の上に広げて乾かすのに使ったものだが、今ではこの地方特有の飾りとなっている。

橋近くの風景が気に入ったので、何枚かシャッターを切っていると、二人で撮ってやろうと声をかけてくれる人があった。親切に甘えてカメラを渡したのだが、どうもうまく撮れないらしい。デジタルカメラは液晶画面を見て構図を決めるのが一般的だが、一眼レフになれているためファインダーで構図を決めるようにセットしてあるからだと気がついた。説明したら、
「それじゃ、何枚も撮ってしまってたかもしれない。」
と、すまなさそうにカメラを返してくれた。後で確認すると十枚近く撮っていた。デジタルカメラなら不要なものは消せるから何の問題もないのだが。

軒という物のない家が続く一本道では雨宿りする場所が限られている。聖アンドリューズという名の教会を見つけて中に入った。さっきの二人が式を挙げた後で、紙吹雪が雨に濡れて敷石の上にへばりついていた。教会の前は墓地になっているが、芝生の間に墓石の立っているのは落ち着いた印象で、結婚式が行われるのに何の不都合もなさそうに見えた。日本の墓地ではこうはいかないだろうな、と思った。

雨はだんだん強くなってきていた。いつまでも教会にいるわけにもいかず、外に出た。考えることはみな同じでマーケットクロスの上に屋根があるのを幸い、石に腰かけて雨宿りをする人が絶えなかった。ぶらぶら歩くだけが頼りの旅である。本降りになってしまうと、ちょっと困る。いっこうに雨はやむ気配がないので、傘をさして歩くことにした。よくしたもので意を決して歩くと日が差してくる。バスに着く頃には傘は乾いていた。

 トラブル発生

ドライブインで停まったバスが、なかなか発車しない。どうやらエンジントラブルらしい。近くの修理工場に連絡を取ったらしいが、修理の者がこない。ロンドンの旅行社に連絡を取って替わりのバスがくるまで、時間待ちという事態になった。トルコで、一度同じ目に遭っているので他の乗客ほどイライラしない。それまでの旅程をメモしたり、本を読んだりして時間を潰した。

結局二時間ほど遅れてロンドンに入った。黄昏のロンドンは、それまでの田舎町とはちがって威圧するような建築が立ち並んでいた。名物の渋滞につかまって夕食を予約してあるピカデリー・サーカス近くのチャイナ・タウンに着くまでが大変だった。チェンチェンクーというレストランは、最近の日中関係を反映しているのか、それとも大幅に時間が遅れたことが不服なのか店員は無愛想で、料理の味はともかく量は少なかった。

休みのところを引っぱりだされた運転手はロンドンの道をよく知らない様子で、案内役の女性が何かと指図をするのだが、珍道中ぶりは最後まで続き、ホテル近くの一方通行で身動きできなくなってしまったときはどうなるのかと思った。幸いスペースがあったのでUターンして事なきを得たが、もとの道に戻ったと思ったらパトカーに出くわしたのには驚いた。

ロンドンのホテルもシャワーだけしかなかった。環境を考えてのことだというがタオルも一人一枚きりというのは初めてで、唖然とした。シャワーを浴びた髪を乾かそうとタオルを使えば腰に巻くものがないわけだ。さすがにフロントに言うとすぐに出してくれたが、言わない客はそのままがまんしているのだろうか。電圧やらプラグ形状やらが面倒でドライヤーを持ち歩かないので、ドライヤー付きの部屋がありがたいのだが、当然ついてなかった。しかし、これもフロントで貸してくれる。どうせならはじめから置いておいてくれればいいのに、と思う。さすがに疲れたのでシャワーを浴びると、すぐに眠ってしまった。

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