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ENGLAND

 2006/8/28 ロンドン 2

明け方、うつらうつらのうちに雨の音を聞いた。雨の音を聞くと落ち着くのか、いつの間にか眠ってしまっていた。七時起床。シャワーを使って気分もすっきり。雨も上がったようだ。朝食は基本的に昨日と同じ。皮付きで茹でた小ぶりの馬鈴薯が美味しい。昨日全ゾーンをカバーする乗車券を買っておきながら、思いの外乗れなかったことを考えて、今日は中心部だけをカバーするゾーン1・2の一日乗車券にした。これだと一往復でお釣りが来る。

 倫敦塔

ロンドン塔歩いていっても知れていると思うのだが、昨日の失敗に懲りて、できるだけ歩かずにすむように地下鉄で一駅移動した。駅を出ると、そこはもうロンドン塔の入り口だった。

ロンドン塔を抜きにして英国の歴史は語れない。夏目漱石は、『倫敦塔』の中で、「倫敦塔の歴史は英国の歴史を煎じ詰めたものである」と書いている。ロンドン塔と縁の深い映画『10000日のアン』や『わが命つきるとも』ではヘンリー八世とアン・ブーリン、それにトマス・モアとの確執が描かれているが、それだけではない。11世紀に征服王ウィリアムが砦を築いて以来、国の内外の敵に対して拡張を続けてきた城であり、牢獄であり、処刑場である。

入り口の荷物検査はテロを恐れてか、宝物の盗難を警戒してなのかよく分からない。おざなりな検査をすませてロンドン塔の中に入る。まだ朝早いので、行列もなく入れた。ビーフイーターと呼ばれる退役軍人で構成される衛士が、古式に則った衣裳を着てそこらここらを闊歩している。牛肉喰いという名は血気盛んなことからくるように言われるが、実はフランス語のbuffetier(王のビュフェの番人)から来ているらしい。ウィリアム一世はフランスから来た王なのだ。こういう人士がいると必ず一緒に写真を撮りたくなる妻は早速交渉して一緒に写真に収まっている。そのせいか、ずいぶん英語が上達したように思える。

城壁の上を歩くのだが、所々に塔が立っていて、螺旋階段が上に続いている。どの壁にも幽閉された囚人の落書きが残されている。摩滅を防ぐアクリル板が数多の希望と諦念を定着している。小さな窓から外がのぞけるのだが、何を思って見た景色だろう。解放を願いながら断頭台の露と消えた囚人も多い。ひとくちに観光といってもなかなか楽しむどころの騒ぎではない。

ジュエルハウスには、王家の歴代の王冠や王錫が展示されていた。立ち止まらないようにご丁寧にも動く歩道が設置されていたが、朝早いせいか、人数は少なくゆっくり見ることができた。530カラットもあるアフリカの星と呼ばれるダイヤをはじめ、これでもかというほどの黄金づくしの調度品の数々である。

幽閉された虜囚の怨嗟の声を聞いた後で歴代の王達の饗宴を垣間見させるという、なかなかよくできた演出だが、血の滴るローストビーフを好むのと同じ趣向で少々胃にもたれる。外に出ると、濡れ羽色も見事な大鴉が砲身にとまっていた。塔から鴉が姿を消すときは王家が滅ぶときだという予言があるために、飛べないように風切り羽根が切られている。そのせいか気が立っているらしく、近づかないようにという警告文が貼ってあった。英国は動物保護に熱心な国だが、国の存亡がかかれば、建て前なぞはどこかに吹き飛んでしまうらしい。

ホワイトタワーに上った。ここでは拷問の様子や甲冑その他の武具を展示している。馬上槍試合用の木製の槍の大きさに驚いた。映画では簡単に見えるが、これを片手で持つというのは凄い。馬にまで着せた鎧の重量は半端ではない。騎士も馬も苦労していたのだ。ロンドン塔の入場料は15ポンドだから三千円以上する。料金の高い分、アトラクションやグッズは充実している。一種のテーマパークだと考えたら納得できるだろう。

海外に来ると建築物のミニチュアを探すのが恒例になっている。そのコレクションの中にロンドン塔も入ることになった。小さな物だが、ビーフイーターも鴉も甲冑も付いている。ほかにはテニエルの描いた絵をもとにしたグリフォン像、タータンのマフラー。妻の方はといえばペンダントを見つけたようだ。買い物に来ているわけではないが、イギリスは遠い。帰ってから旅のよすがとなる物は何かほしい。妻も満足した様子だ。

テムズ川沿いのロンドン塔からはタワー・ブリッジが目の前だ。運がよければ跳ねあげ式の橋の上がるところも見られるのだが、この日はおりたままだった。雨上がりの陽光がテムズに降りそそぎ橋は逆光のもと眩く輝いていた。

 テート・ブリテン

ワンデイ・トラベルカードを使って、地下鉄でタワーヒルからヴィクトリアに出て、そこで線を乗り換えピムリコで降りた。ターナー・コレクションで有名だったかつてのテート・ギャラリーは、20世紀以降の国外の作品を新しくできたテート・モダンに移し、テート・ブリテンという名で主に19世紀までの英国の作家、作品を所蔵展示する美術館となった。

以前に来たときは、ターナーの絵に圧倒されっぱなしだったが、今回はラファエロ前派と再会するのが主たる目的。漱石の『草枕』にも出てくるミレイの『オフェリア』を含む主要な作品がここに収められている。発表当時は評価されず、今でもさほど評価は高くないように思えるラファエロ前派だが、好きな物は仕方がない。

バーン・ジョーンズやダンテ・ガブリエル・ロゼッティの絵はすでに何度も見たものだが、テートで会うのはまた別の感慨がある。ロゼッティが描いた『白昼夢』のモデルはモリスの妻ジェーンで、二人の中は半ば公認されていた。ファム・ファタルとも言うべき女性の蠱惑的な表情はいつ見ても謎に満ちている。妻ははじめて見るターナー・コレクションに惹かれたようだった。無理もない。はじめてきたときは自分もそうだった。テートの誇るコレクションである。

館内では子どものためのプロジェクトが展開されていて、多種多様な画材その他がフロアに準備されていた。フロアに座り込んだ子どもたちは、色を塗ったり糊で貼ったり、自分の気の向くままに制作に励んでいた。周りには古今の名作がケースもなしに展示されている中でだ。こういうあたりにイギリスという国の民度(嫌な言葉だが)の高さを感じる。

外に出てくると、年老いてなお矍鑠とした人が、ベンチに座ってノートに何かを書いている。館内では名画を模写する若者の姿もよく見かけた。すべての博物館、美術館は無料で公開されている。国による補助金なしではやっていけない美術館が多く、採算を考えると廃館もやむなし、などという寂しい話はどこかの国の話題だ。教育を大事にするというのは、こういうことを言うのではないか。

 ディケンズ・イン

食べることが好きな割には、味覚は劣等感覚であるというヘーゲルの言葉が頭のどこかに巣くっていて、店の名に拘泥することを厭う気持ちがある。、今回はイギリスということも考えて最後の食事だけは店を決めていた。ホテルからそう遠くないキャサリンズ・ドックにあるディケンズ・インだ。ここは一階がパブ、二階がピザ・ハウス、三階がレストランになっている。

そろそろ英国料理にも飽きた頃なので妻の好きなピザでもと考えていたのだが、空港に行く時間が迫ってきていた。ロンドンの街は一つ一つの建物が大きくて、地図で見るより歩いてみると一ブロックの距離が長い。地下鉄を降りてから歩く時間がかかるため、注文してから焼くピザでは、ホテルに帰る時間が間に合わなくなることも考えられる。そこで、やっぱりパブ・ランチですませることにした。

エールが気に入っているので、パブは有り難いのだが、ランチの量が半端じゃない。この日のチョイスは、ソーセージとベイクドビーンズだが、ソーセージは三本、付け合わせのポテトチップスは山盛り、これでもかというほど盛ってくれる。妻はジャケット・ポテトにやはり山と盛ったツナサラダが付いてきた。メインを決めると付け合わせは自動的に決まるらしい。

ビター(エール)1パイントをバー・カウンターから自分で運んできて最後の晩餐のはじまりである。ロンドンでは船溜まりはここだけ。繋留されたヨットを見ながら食べるランチは、一般のパブとちがって特別の味わいがある。マリナーの集うバーには、他とはちがった磊落さがあった。食べきれずに少し残してしまったが、元気になってホテルに戻った。

 出国審査

空港のチェックは厳しかった。コインや時計はもちろん靴まで脱がされるという念の入ったやり方だ。化粧品は無論のこと、歯磨きチューブ、目薬、リップ・クリームに至るまで没収される。女性は12時間のフライトの後はすっぴんで機内を出ないといけないわけだ。しかし、身体検査の後、トイレでコンタクトをはめている人を見た。ごまかして洗浄液のケースを持ち込んだのだろう。そんなことができるなら、爆薬の持ち込みは充分可能だ。現に前に並んだ人は、健康上の理由で体にチューブをつけていたが、手探りの身体検査のみで無事通過していた。

全体に日本人に対するチェックは甘い。はっきり顔で分かるのが良いのやら悪いのやら。国際政治の動向に対して行使する意志も力も持っていないと見られているわけだ。日本のアメリカ追従外交は、ロンドンではよくても、イスラム諸国では逆に働くことは充分考えられる。かつては友好的だったトルコやエジプトで、今の日本はどう思われているのだろう。

 機内

残った小銭を使ってしまおうと空港にあるアイリッシュ・パブで最後のエールを飲んだのがいけなかったのだろうか。夕食後テレビを見ながら眠ってしまったらしい。胸苦しくて目が覚めると、周囲の景色がぼやけ全体に黄色くかすんで見える。いくら目をこすっても治らない。ベルトをゆるめシャツのボタンを外してみたが、冷や汗が流れてくる。妻に気分が悪いことを告げてトイレに立った。

トイレで休んでいると、冷や汗は相変わらず流れるものの視界ははっきりしてきた。妻が心配してドアの外から様子を訊くので外に出た。気分はいくらかよくなったが、胸のあたりが落ち着かなかった。しばらくして、もう一度トイレに行き、食べたものを全部吐いてしまうと気分は楽になった。消化不良を起こしていたらしい。

朝食はトマトジュースとフルーツ、それにヨーグルトだけですませた。本来はこれくらいでいいところを、イギリス滞在中はずいぶん食べていた。胃も疲れたにちがいない。飛行機を降り、難波に着いた頃には名物の豚饅を食べてみようかと思うくらいには回復していた。帰りの電車で食べたそれは言いようもなく美味しかった。缶ビールの味は到底エールに勝てるものではなかったが、豚饅は文句なく美味い。日本に帰ったのだとしみじみ思った。

帰国した後も、ランチはともかく、エールが恋しくてならない。誰かイギリスのパブを居酒屋チェーンのように全国展開してくれないだろうか。

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