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SCANDINAVIA

 2005/8/17  コペンハーゲン

昨夜そのまま眠ってしまったので、朝からシャワーを浴びた。バスタブこそないものの備え付けのシャンプーとドライヤーがあり、へたなホテルよりは設備が整っている。さっぱりした気分で朝食の席に着いた。クルーズでは、基本的に最初に座った席が自分の席である。夕食と同じ席が空いていたので、そこに座る。

デンマークに来たのだからと、妻はデニッシュをとったが、この日もパンは何種類も出ていた。好みのパンを自分で切り分け、バターを塗り、たくさんあるハム、ピクルス、チーズの中から好きな物を選んで上にのせていった。席に着くと、珈琲はポットで供された。珈琲は必ず二杯飲む。食事とともに一杯。そして食後に一杯。おかわりに立たずにすむのは何よりだ。

食後、甲板を散歩したり、免税店をのぞいたりしていると、あっという間に港が見えてきた。一泊なので、スーツケースは持ち込んでいない。手荷物を整理して下船の準備をした。どうせ皆下りるのだから先を争うこともないはずだが、タラップに続く5階ホールは下船を急ぐ客でごった返していた。群集心理というものなのか、飛行機でもことは同じだ。列の最後尾に並んだ。

 アマリエンボー宮殿

アマリエンボー宮殿

船を下りたら、二人の女性がパンフレットを配っていた。MUSEUM EROTICAとある。性風俗資料を展示する博物館である。他の国ではあまり見られない歓迎の仕方だ。一時期、北欧といえばフリーセックスの国という固定観念で語られることが多かったが、こういうおおらかさも影響しているのかもしれない。

大小500の島々からなるデンマークの国。首都コペンハーゲンはシェラン島にある港町だ。今も暗褐色の煉瓦でできた古い倉庫群が昔を偲ばせるように立ち並んでいる。もっとも、古いのは外観だけで内部は近代化され、オフィスその他に転用されているという。壊して新しいビルを建てる方が簡単なのに、古い港町の佇まいを残そうという姿勢に市民社会の成熟を感じる。

まずは、埠頭に近い、現国王の居城であるアマリエンボー宮殿を訪ねた。中心に騎馬像のある八角形の広場を取り囲むように四つの館が建っている。火事に見舞われた王がそれまでの居城に変わるものを探し求め、貴族の館だったものを買い上げたという。館はそれぞれ、現国王夫妻、皇太后、皇太子の宮殿、そして迎賓館として使われている。

国王マーグレテ2世女王は、のっぽで帽子好きの愛煙家、考古学者でもあり、チボリで上演する劇の戯曲も書く文人として国民に敬愛されている。儀式の時にはバルコニーに出て市民に顔を見せるが、子どもたちは、女王が引っ込むと「女王陛下、戻ってこないと帰らない」と、何度も声に出してアンコールを繰り返す。その度に女王は顔を見せるという。微笑ましい話だ。

徴兵制の布かれているデンマークだが、18歳になると籤引きで四分の一の若者が兵役に就く。兵役を好まぬものは兵役拒否も認められ、その場合福祉関係の仕事に回されるそうだ。合理的といわれるデンマーク人らしい。その若者たちによる衛兵交代がここでも始まっていた。5人ずつが隊伍を組んでそれぞれ決められた位置に動いていく。自動小銃のカシャッという音は威圧的だが、熊の毛皮の帽子をかぶった少年たちの頬は薔薇色で可愛いものだ。

正規兵の衛兵は一点を見据えて身動き一つしないものだが、そこはまだ少年、微笑んだり、目を動かしたりと人間らしさが仄見える。女性はなぜ衛兵になれないのかという議論も起きているそうだ。訓練しても期間が過ぎれば除隊してしまう徴兵制より職業軍人を育成する方が効率的だという声もあるようだが、若者に国を守るという気概を涵養することが大事だ、というのが、保守派の現政権の考えらしい。

宮殿の真向かいに海を挟んで立つオペラハウスは海運業者による寄付で建築されたもの。高税で有名な北欧では、寄付は有効な節税法なのだろう。多くの建築物が寄付によって建てられている。1700人収容の大ホールから中小のホールまで、地上4階地下6階という大きな建物である。海の中に立つが陸から橋で結ばれている。夜ともなればライトアップされた宮殿が眺められる絶好のロケーションを持つ。

 人魚姫の像

人魚姫

世界三大がっかりの一つと陰口をきかれている人魚姫の像だが、そんな風には思わなかった。ただ、もっとにぎやかな場所にあるのかと思っていたが、対岸にドックの見える遊歩道の下にひっそりと座っていた。もっとも、周りは観光客で足の踏み場もなかった。海を背景に岩の上に座っているのですぐ近くまで近寄ることはできない。遊歩道の上か波打ち際、それとも遊覧船に乗って海から近づくのみだ。

彫刻家がモデルにしたのが、後に妻となるプリマドンナ。その脚があまりに美しかったので魚の尾鰭にしてしまうには惜しく、二本の脚を残したままの人魚姫になったという、そのエピソードが微笑ましい。首を折られたり、右手を切り取られたりと受難の続く像だが、修復中何もなくては観光客が気の毒だというので、モデルが岩の上に座ったこともあったそうだ。それが結構人気を呼んだというから、おかしい。

人魚姫のあるランゲリニエ埠頭近くには、五稜郭の形をしたカステレットという昔の砦跡がいまは公園となって残っている。伝説の女神ゲフィオンの像や、レジスタンス運動の記録が集められている自由博物館を横目に見ながら市の中心部に向かう。博物館の前に実物の装甲車が展示してあるのが目を引く。街並みを残すためにさっさと降伏してしまったといわれる国にしては好戦的な印象を受ける。これも国を守る気概のデモンストレーションだろうか。

昼食は市の中心部にある古いレストラン。二階に上がると床が傾いているのが分かる。隅のテーブルなど、注がれたビールがグラスの縁と平行になっていない。サラダと、ポーク、西瓜その他のフルーツを盛り合わせたデザートだった。相変わらずワインを注文する客は少ないようで、ボトルをというと1リットル入りのハウスワインが出てきた。それには退却を願って普通のボトルを頼むと、ちゃんと、あるじゃないか。地元オーデンセのワインが出てきた。あっさりして少し物足りない味だが、地ワインはうれしい。

店のオーナーは中国系らしい。ワインの料金を払うとき、「ワンハンドレッド、チュウ」と聞こえる。102クローネを出すと、首を横に振る。よく聞いてみると日本語で十、と言っているらしい。こちらが、「ワンハンドレッド?」と訊いたので、それにつられて英語で言ったものの、後は日本語で言ったようだ。皮付きの馬鈴薯を焼いたのが美味しかった。表面に切れ目を入れ、そこにスプーンが刺してある。これで掬えというのだ。バターをのせ、塩をふると絶品であった。

ニューハウンコペンハーゲンというのは商人の港という意味らしい。二度の大火やペスト、ナポレオン戦争、第二次世界大戦の戦火をくぐり抜けてきた街は中世の街並みを今に残している。シェラン島の上につくられた街は運河が張り巡らされた水の都でもある。中でもっともコペンハーゲンらしい街を挙げるなら昔の船着場だったニューハウンだ。あのアンデルセンもこの町が好きで三度居を構えたという。ニューハウンの一角にはアンデルセンの家というプレートを嵌め込んだ家が今も残っていた。

 クロンボー城

クロンボー城

シェイクスピアの『ハムレット』はデンマーク王子ということになっている。もちろん、あの時代のこと。座付き役者兼作家のシェイクスピアは芝居に忙しくて、デンマークになぞ来られようはずもない。どこかで耳にした風聞をもとに書き下ろしたのがこれほど有名な悲劇になろうとは、さすがのシェイクスピアも予想できなかっただろう。

そのハムレットの城のモデルになったのが北シェランに今も残るクロンボー城だ。伝説の城を一目見ようと、海沿いの道を北上した。小さな田舎町でバスを下りると、濠に架けられた橋の向こうから車が出てきた。城の管理人だった。世界遺産から車でお出かけというのはちょっといい気分だろう。入れちがいに中に入る。濠の向こうにも高い城壁がめぐらされ、堅固な城砦であったことを物語っている。

クロンボーとは、クラウン(王)のボー(砦)という意味である。フレデリクス2世によって1585年に建てられたものだ。王が住むにふさわしい砦という意味でクロンボー城の名を賜ったのでもあろうか。デンマーク・ルネッサンス式建築の中でもっとも見事な建築といわれているが、現在も当時の建築技術だけを用いて修復中であった。中庭には大きな足場が組まれていて、内部の見学はかなわなかった。いかにも砦といった武骨な感じの強い城である。

どの塔屋のあたりに父王の亡霊が出たものか、頭をめぐらすのだが、城の裏まできている海から飛んできたかもめが舞うばかり。ぬけるような青空から、かもめの鳴き声が聞こえてくる。あまりにのどかな光景に、ハムレット王子の物語を想像するのは難しかった。曇天の冬の日、海から吹きつける風が塔にあたって唸り声をあげる日などに来てみたい城だった。

 フレデリクスボー城

フレデリクスボー城

クロンボー城のある北の海岸から内陸部に向けて車を走らせた。デンマークはそのほとんどが平地である。180メートルほどの山が高山扱いされるというから、いかに平坦な土地が広がっているか分かるだろう。酪農が盛んで道沿いの草地に牛や馬がのどかに草をはんでいるのがどこでも見受けられた。小一時間も走ると小さな町のロータリーで車は止まった。木立の向こうに塔が見えた。

フレデリクスの砦という名にもかかわらずルネッサンス様式の優雅な建築である。それもそのはず、ここももとは貴族の館であった。1560年にフレデリクス2世が入手し、建築好きで知られる息子のクリスチャン4世が60年の歳月をかけて完成させたものだ。長い橋が湖の上に架かっている。城門をくぐると、両側を厩舎状の建物に挟まれた通路が延びている。館には高い塔の下に開いたアーチ状の門から入る。

中央に円形の噴水のある中庭をさらに進み、ようやくコの字型に開いた館の前に出ることができた。建物の一階部分を占めるアーチ型の回廊が創り出すリズムが重厚な中にも軽快な感じを与えている。デンマーク一美しい城と言われているのも肯ける。城館の正面左右両側に対になって建つ八角形の塔の内部が螺旋階段になっている。それを上る。階段の壁面は様々な紋章を描いた盾で埋められていた。

デンマークでは勲章を賜るのは一代限りの栄誉とされている。その栄誉を永く記念するため、家の紋章と勲章の種類を描いた盾が城内の壁に所狭しと飾られているのだ。家柄に関係なく国家に功のあったものには十字賞、王侯貴族の家柄にはエレファント勲章が贈られる。国王には贈らないため、天皇の盾はないが、今上天皇皇太子時代のものがあった。十六葉の菊の御紋章の下にちゃんと象がぶら下がっていた。

勲章を授与された者はレセプションの際にはそれを身に帯びて儀式に臨むのが礼儀である。この間のデンマーク訪問の際、宮内庁は勲章を準備するのを忘れ、デンマーク王家の控えの勲章を借りて、レセプションをすませたという。どうにか事なきを得たからいいが、やれ国歌、国旗と騒ぎ立てる割には国際的な慣習にうとく、とんだ恥を国外で晒す。恥ずかしい話だ。

広間の壁は歴代の王家の肖像画で埋まっていた。絵の具の色も鮮やかなのはマーグレテ2世女王と、結婚により第二位の王位継承権を手にしたヘンリック殿下の肖像である。そこまではよかったのだが、子どもがふえるたびに継承権の順位が下がるのにへそを曲げ、ヘンリック殿下はある時故国フランスに帰ってしまった。女王の説得が功を奏し、今はデンマークに戻っている。最近では悟りを開いたとか聞くが、女王の国ならではの笑えない話である。

 ストロイエ

ストロイエ

コペンハーゲン市内に戻っても、夏の日はまだ高いところにあった。観光客や市民でにぎわう市庁舎前広場でバスを下りた。広場の一角、セブンイレブンとバーガーキングの店に挟まれた通りは、ストロイエと呼ばれる有名な歩行者天国。市庁舎前広場からコンゲンスニュートー広場まで続く長い通りの両側には王室御用達の老舗や高級ブランド店が軒を並べている。

夕食までの時間を使って目抜き通りの散策を楽しむことにした。この日はイングランド対デンマークのサッカー試合が開催されるとかで、物騒なことで有名なイングランドのサポーターが大挙してストロイエに繰り出し気勢を上げていた。ビールの入ったプラスティックコップ片手にアイリッシュ・パブの前で円陣を組み、大声で囃し声をあげるなどしたい放題である。暴徒化するのを虞れ、警官隊が遠巻きで監視していた。

通りの真ん中を占拠した群集は、観光客が通るたび一斉に奇声を発して囃したてる。群集心理のなせる業だろうが、迷惑な話だ。階級社会を色濃く残すイギリスではサッカーはどちらかと言えば労働者が好むスポーツである。試合がある度に繰り返される騒ぎは強いストレスを発散させる意味もある。静かな散策を楽しむはずが、緊張感の高いものになってしまった。

それでも、聖霊教会近くまで入ってくると騒ぎ声も遠のき、ようやく歩行者天国らしい楽しげな雰囲気が伝わってきた。路上に店を広げる物売りや、全身を銀色に塗り、生ける彫像と化した大道芸人が見せるパフォーマンスが道行く人を楽しませていた。有名なロイヤルコペンハーゲンやジョージ・ジェンセンの店をのぞいたり、土産物店を物色したりしてると、あっという間に時間は過ぎてしまった。

妻が探していたCOPENHAGENというロゴ入りのTシャツも見つかった。コペン乗りとしては、同じスペルを持つコペンハーゲングッズは見逃せないらしい。ニケの相手をするために急遽呼び戻された二男にもデンマークのロゴ入りのTシャツを買った。自分用にはこれまで集めてきたのと同じ大きさの建築のミニチュアが見つかった。ニューハウンの街並みを象ったもののようだ。

夕食はチボリ公園でとる予定だった。もと来た道を引き返すと、サポーターたちは試合場に向かったのか後には空のコップが散乱しているばかりだった。仏頂面をした店員がほうき片手に後始末をするのを、警官隊が談笑しながら見守っていた。市庁舎前広場では夏の夜の定番、フィルム・フェスティバルの準備中だった。座椅子ほどの木の椅子を背にして、空の暗くなるのを待つ観衆が集まりかけていた。

 チボリ公園

チボリ内にあるレストランでの夕食は、サーモンのカルパッチョと仔牛のロースト。さんざ歩き回ったのでビールでも飲みたいところだが、北欧最後の夜ということで赤ワインで締めることにした。ラベルを見ると、カヴェルネ・ソーヴィニオン種のチリ産ワインだった。189Dkr。約20倍で円に換算できるからノルウェーよりは安い勘定だ。

デザートには甘いお菓子のつくことが多いのだが、この日は珈琲で終わり。左党にはこれで充分だが、甘い物も好きな妻には物足りなかったようだ。アイスクリームが食べたいというので、すっかり日が落ち、イルミネーションが輝きを増したチボリ内を歩き回った。宙返りコースターや垂直落下するゴールデン・タワーといった遊園地定番の乗り物から歓声がわき起こるが、客層は圧倒的に大人が中心。恋人たちのデートコースといった雰囲気である。

そういえば、ストロイエでは、まだ日も高いのに6時になるとさっさとシャッターを閉めて閉店してしまう店がほとんどだった。これといって夜遊ぶところのないデンマークでは、深夜まで開いているチボリ公園は格好のデートスポットということなのかも知れない。公園のベンチで寄り添うカップルの幸せそうな表情を見ていると、実に健康的な国だという気がしてくる。

税金は高いというが、医療費は無料。手術しようが入院しようがただである。高い税金に音を上げて、外国籍を取得するスポーツ選手や芸能人もいるが、数年もすると帰ってくるという。確かに、外国は税金は安いが、子どもの教育や安全、自分の老後の暮らしにかかる費用を秤にかけてみると、高い税金を取られても安心して暮らせる故国の方がいいということらしい。

自転車優先レーンをはじめ、弱者に目を向けた国作りは先進的な福祉国家として世界の注目を集めている。環境問題にも積極的に取り組み、自動車をこれ以上増やさないために、輸入車に高い関税をかけ、ガソリン税も増税するという、日本なら企業から不満の声が上がりそうな施策を次々と断行している。老後といわず、すぐにでも引っ越したくなってきた。

 ホテル ヒルトン

この日の宿泊は明日の出発のため空港近くのヒルトン。広々として、天井も高い、いい部屋だった。バスタブの他にシャワー室がついているのもさすがはヒルトンと思った。ところが、どこかが詰まっていたのかバスタブの栓を抜くとシャワー室の排水溝から水が逆流して浴室内を水浸しに。とんだ災難である。水はしばらくすると引いていったが、しばらくはトイレに立つたびに靴を履かなくてはならなかった。

朝は6時に目が覚めた。妻はまだ眠っている。空港は目の前だ。朝食は出発時間までにとればいい。荷物は自分で空港まで運ぶから荷物出しにせかされることもない。ゆっくり寝かせておいた。外は霧が出ていて仄暗い。空港のある方にオレンジ色の光がぼんやりともっている。

8時頃、朝食に下りていった。難民を受け入れている国らしく、有色人種のウェイトレスやギャルソンが目立つ。黒麺麭にハム、胡瓜、トマト、チーズをのせたオープンサンドに目玉焼きとベーコン。それに、メロン、桃などの果物、ヨーグルト、珈琲、ジュース。ふだんなら食べきれない量がすっと入るから旅行はおそろしい。これが後で効いてくるのだ。

ハイネは、靴の裏には祖国が貼りついていると言ったそうだ。どこにいようが自分の祖国はついて回る。北欧に来て、これまであまり考えてこなかった自分の国の在り方が、前よりも気になってきた。目先の快適さを追うあまり、見ないようにしてきたことはなかったか。霧に覆われたコペンハーゲンの街を見下ろし、薄日の射す方向に目を遣りながら、そんなことを考えていた。

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