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 2002/7/28 『パウル・クレー展』 三重県立美術館

展覧会の副題に「旅のシンフォニー」とある。「旅」をテーマとしてクレーの展覧会を構成するというのは思いつきである。すでに伝説となったチュニジア旅行における色彩の発見はいうに及ばず、旅先の光景に触発されたと想像される絵はクレーに多い。今回の展覧会では、クレーの旅を六期に分け、時代別に展示するという構成をとっている。それぞれに主題が呈示されているのは、交響曲をなぞったものだろう。ちなみに、第一楽章は「海が呼んだ旅のはじまり」と題され、1913年までのベルン周辺、イタリア、パリへの旅を中心に構成されている。

クレーは日本人に愛されている画家の一人だといわれているが、日本人は、いったいクレーのどういうところを愛しているのだろうか。それというのも、クレーという画家はゴッホのように偶然といって悪ければ「自然」に対象に向かって絵をかくような画家とはちがい、常に方法論を意識し、対象との間に距離を保ち、決して画家本人の「物語」を語るようなタイプの画家ではないからだ。

たとえば「線描と色彩の魔術師」と称されるクレーがいる。今回の展覧会でも、多くの鉛筆によるスケッチ画が展示されているが、一筆書きのように一本の線で描かれた海岸線の入り組んだ風景が、より単純化され、抽象的な弧や直線と化し、分割再構成され、独特の階調を持った色彩を施された上で、まったく別の作品に変貌していく過程を追うとき、その方法論を知らぬ此方から見れば、その技はまさしく魔術師のそれに同じい。

技術的な問題として考えるなら『造形思考』の著者としても知られ、バウハウスで教鞭を執っていたこともあるクレーである。その技法は決して魔術でもなんでもなく、厳密な理論的裏付けがあるにちがいない。ただ、その空間分割の方法が、数学的に割り出されたものを援用しながらも、常にそれを逸脱していくように、分割(divide)されながら、分割できない(individual・個人の、独特の)ものに収斂していくところにクレーの持つ魅力があるといえるだろう。

対象を線や色彩によって、これ以上単純化し得ないところまで抽象化を推し進めていくとき、そこに現れる世界が、子どもや、太古の人々が描くものに限りなく近づいていくことは自明である。それはまた絵を見る者をして、自己の内的世界を遡行することを強いる。クレーの絵の透明な美しさの裏にある、ある種の「暗さ」や「不気味さ」は、我々の意識しない自己の内部にある識閾下の暗部を照らし出さずにはおかない。

我々がクレーの絵の中に見つけるのは、自分がまだ見たこともない世界を旅した人が見せてくれる不思議な美しさに充ちた静謐な世界である。それは、クレーが訪れた土地の地霊により呼び起こされた「魂の風景」ででもあろうか。我々はクレーというシャーマンを通じて、言語やイデオロギー、宗教のちがいのような介在物を一気に飛び越し、世界の秘密に触れる。それは、ある時にはこの上もなく秩序だって我々の前に現れる。しかしまたあるときには、原初の混沌のままに姿を現す。その振幅の中にこそ我々はクレーの「旅のシンフォニー」を聴くことになるのである。

 2002/7/8 『緑の資本論』 中沢新一 集英社

この奇特な宗教学者の書くものには、他のニュー・アカデミズムの論者に対するのとは別種の興味を抱きながら、新しい本が出る度にその文章を読むことを楽しみにしていた。その理由の一つに、文章が平易であり著者の思考によどみがないことがあげられる。さらには、引用された言葉が借り物でなく自己の思考の中に血肉化されていることで、著者の輪郭が明らかにされながらも貧弱にならないという長所を持っていることがある。多くの論者がレオパルディの鴉のように、他の鳥の羽根を拾って節操もなく自分を飾り立てるか、さもなくば自前の貧相な尾羽の色を晒している中にあり、何を語っても著者には独自の羽根の色が備わっていると言えるだろう。

9月11日に崩壊するタワービルの映像を見ながら、著者はそこにわたしたちの生きている世界を正確に映しだす透明な鏡を見たという。それ以来「私はもう思考の主人でいられなくなった。私が思考するのではなく、思考の方が私を駆り立てて、言葉に向かわせるのである」と、序文に書きつける。こうして短期間に書かれた三編の文章に、「緑の資本論」を補強する意味でつけ加えられた以前に書かれた一編を添えて編まれたのがこの一巻である。

この本を読んでいてモロッコのスークで買い物をした時のことを思い出した。土産物の短剣の値が、もとの値というものがあるのかと疑いたくなるほど、商談中にどんどん変わるのである。売り手と買い手の間に納得がいったとき、はじめてその商品の値が決まるイスラムの商法には原価だの利潤だのというものがない。イスラムの世界にあっては一木一草悉皆アッラーの神の顕現である。お金についてもそれは同じで、金から金が生まれる資本の自己増殖は「魔術的」であるとして許されない。だから、当然のことに銀行には利子というものがない。

古代の人間にとって、作物を繁殖させ、獲物を贈与してくれる大地や森は「魔術的」な存在であった。ところが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の母胎となる唯一神の誕生は、そうした「魔術的」な生成する神を認めないメタレヴェルの神の誕生を意味した。現実世界と神とは鏡像のような関係としてあり、現実世界に属する「モノ」が勝手に増殖することなどあってはならないのだ。だから、ユダヤ教は同胞には利子を取って金を貸すことを認めていないし、キリスト教もまた高利での貸しを認めない。利子こそ自己増殖するモノの典型と考えられるからだ。

ところが、資本主義が発展してきたキリスト教社会では、利子という存在を放置することができなくなった。スコラ哲学の「三位一体論」のパラドクスは、父(神)と子であるキリスト(現実世界)をつなぐ「聖霊」という存在を配置することで、余剰分である利子という概念を正当化しようとした、というのが中沢の説である。マルクスを援用して説き明かすこのあたりの論理展開はスリリングかつ精密で、下手な推理小説を読むよりずっと面白い。

富の集中が産み出す世界のひずみは資本主義の発展を抜きにしては語れないだろう。その資本主義に免罪符を与えたのがキリスト教であるとしたら、同じ神から生まれながら、いまだに自己増殖するモノを認めない唯一の一神教であるイスラム教を信じる者の眼には、資本主義の体現者たるアメリカの姿はどのように映っているのだろうか。私たちは一度でもそういう眼を自分のものとして世界を見たことがあるだろうか。

9月11日以来、世界は貿易センタービルの崩壊について実に様々な言葉で語ってきた。しかし、このような言葉であの事件の底にあるものを語った例を寡聞にして知らない。著者は、システム化された情報や交通により安全で清潔な球体と化した「富んだ世界」と、直接的にモノや神に接している単純な「貧困な世界」との間にある関係を指してこの世界が「非対称」であると言う。

「『貧困な世界』は自分に対して圧倒的に非対称な関係に立つ『富んだ世界』から脅かされ、誇りや価値をおかされているように感じている。(略)圧倒的な非対称が、両者の間につくりだされるべき理解を生み出す一切の交通を阻んでしまっているために、愛であれ憎しみであれ、そこに交通の風穴を開けるためには、交易や結婚や交流や対話によるのではなく、テロによる死の接吻ないし破壊だけが残された手段となってしまうのである」。しかし、テロによる非対称の破壊もまた不毛であると、中沢は言う。

宮沢賢治の『氷河鼠の毛皮』という作品を引きながら、人間が非対称の非を悟り、対称性を回復していく努力を行うことにより世界に交通と流動が取り戻されるだろうと語る中沢の言葉は荒れ野に呼ばわる預言者の言葉のようだ。誰もが、自分の中から紡ぎだした思考ではない、流行りの言説をさも自らのものであるかのように滔々と論じて恥じない中で、自分の言葉で、しかも自分を安全圏に置くのでなく、時には危険なまでに対象に寄り添って語る著者の言葉は孤独であるがゆえに美しく響く。

表層的には圧倒的に非対称な世界の「富んだ」側に立つと思われる今の日本では、著者のあまりにもナイーブに聞こえる提言は冷笑もて遇されるかも知れない。しかし、イスラムの国のように強固な信仰に支えられてもおらず、キリスト教のように巧緻な理論も構築し得ず、薄い地面の一枚皮を剥いだ下には、「魔術的」な世界が口を開けているのがこの国の真の姿である。対称性の回復という願いを託すにはもっとも相応しい心性を保ち得ているのかも知れない。久しぶりに遠い未来にではあるが展望の持てる言葉を聞いた気がする。

 2002/6/24 『ゴーシュの肖像』 辻 征夫 書肆山田

辻征夫の名を知ったのは詩ではなかった。『僕たちの(爼のような)拳銃』という鮮烈な少年小説(といった言葉があるなら)を、別の本を探していた図書館の書棚で見つけ、なにげなしに手にとり、ぱらぱらと頁を繰りながら、いつの間にか夢中になってしまっていた。児童文学というものが好きではない。大人になら面と向かっては言わないだろうことを躊躇うこともなく書いてしまうような弛緩したところがあるものが多いからだ。

辻のそれは、ちがっていた。対象が大人であれ、子どもであれ、読めば分かる。子どもだから純粋な世界が現出した訳ではない。純な心を持った人間がいて、たまたま子ども時代を舞台にした小説を書いた。そんな印象であった。作者は詩人として知られているらしいが、現代詩にうとい所為で、今まで知らなかった。どんな詩を書くのかと思い詩集を探して読んでみたが、詩の方は小説ほどこちらの胸に響いては来なかった。

『ゴーシュの肖像』は、辻が、いろいろな機会に発表した短文を集めたもので、詩や俳句について軽いスタイルで語っているものが多い。文は人なりなどという古い文章観は持っていないが、一読後、飾らぬ人柄が滲み出てくるといった感じが残るのはどうしようもない。大言壮語を嫌い、自分の持ち味というものをよく知っている人の姿が紙背から浮かび上がってくるのだ。

詩人になろうと決めたきっかけが、学生時代に教師が切ったガリ版刷りの自作教材に載っていた幾篇かの詩であったという。詩との出会いは、誰も似たようなものなのだろうか。高校時代の教科書にあった四人の詩人の詩を思い出した。中原中也の『北の海』、萩原朔太郎の『青樹の梢をあふぎて』、西脇順三郎の『雨』、三好達治の『甃の上』だった。どれも不思議に心に残った。詩を書いてみたいと思ったのは、確かにこれがきっかけだった。

しかし、そこからがちがう。辻は、本当に詩人になろうと思い、ついになってしまう。自分でも言っているように、詩で飯は食えない。それでも詩人になろうというのはただごとではない。しかも書きたい詩は時代状況(60年安保)には無関係の抒情詩ときている。周囲からの批判や無理解にもめげず、よく初志貫徹できたものだという感心が先に立つ。

現代詩が隘路にはまって身動きがとれない状態であるというようなことが言われて久しい。この国の所謂「現代詩」なるものの持つ不思議な性格、つまり韻を踏むでもなくシラブルを数えるでもない、誰かが「行分け散文」と揶揄した口語自由詩の在り方は、一見自由なようでいて却って自己の存在規定を曖昧にしている。そのため、特に戦後は俳句や短歌的な部分を切り捨てることで自己のアイデンティティーを確立してきた。

しかし、それも今となっては昔語り。すでに詩と短歌、俳句の垣根はずいぶん低いものとなり、それらを往還する人たちも増えた。作者も貨物船という俳号を持ち、句会を開いたりしている。どう見ても素人っぽい俳句が並ぶあたりがご愛敬だが、当人はかなり本気らしい。詩を書くことが仕事であるのが詩人なら、詩人にとっての詩作は楽しいことばかりではないだろう。「歳時記」をもっとよく知るためといいながら、いい気分転換になっていたのかも知れない。二年前に訃報を聞いた時、それほどよく知っていた人ではないのに心の中に風が吹いたような気がしたのが忘れられない。

 2002/6/23 『哲学者の密室』 笠井 潔 創元推理文庫

よくできたフィギュアをおまけにした本やら菓子やらが大人を対象にして売れているという記事を最近新聞で目にした。「付加価値」というやつだろう。ただの本や菓子には食傷気味の消費者であっても目先を変えることで、もう一度購買意欲を喚起することができる。笠井潔の「矢吹駆」シリーズには、おまけ付き菓子を思い出させるところがあると言ったら作者は気を悪くするだろうか。

新作『オイディプス症候群』が出たのに合わせたのかどうか、十年前に出た旧作の『哲学者の密室』が文庫版で再版された。まず新作を、その後旧作を読んだのだが、読後の印象としては、旧作『哲学者の密室』の方が印象が深い。おまけについているのは、新作の方が、ミッシェル・フーコー、旧作の方がマルティン・ハイデッガーである。どちらにしても思想家としては魅力的な対象であることはまちがいない。

笠井潔は中学生の頃からドストエフスキイの『悪霊』のような小説を書きたいと思っていたという。バフチンの指摘を待つまでもなく、ドストエフスキイの魅力は、登場人物間のポリフォニックな観念的な対話にある。矢吹駆連作で、笠井がやろうとしているのは、探偵小説という意匠を纏うことで可能になる現存する思想家たちとの仮想的な対話を通して、自分の抱いている観念を明らかにしようとする目論見でもあろうか。

かといって、探偵小説の方がおざなりになっている訳ではない。本格探偵小説の枠組みに則った上で、矢吹駆の言う「現象学的本質の直観」による謎の解決が図られるという点では、ミステリの常道を行くものである。本作では現代のパリに起きた密室殺人事件と三十年前、ナチス収容所内に起こった密室殺人事件の謎を解くという離れ業をやってのける矢吹駆はまちがいなく現代の名探偵の一人といえるだろう。

であるにせよ、笠井を読む魅力は、彼の原点とも言える連合赤軍に代表される左翼活動家であったことへのこだわりに発する問題意識が現代を代表する思想家達の思想との対決の中で、どのような論理を展開するのかというところにあると言ってもいいだろう。ニューアカデミズムと呼ばれる一群の若手言説家達の戯れるような軽さとは対称的に、愚直なまでに自己の問題にこだわりづける笠井の〈あり方〉には、ある種の共感を覚えずにはいられない。

作中でハイデッガーに擬せられた哲学者ハルバッハの「死の哲学」とは、日常性に埋没し、本来的な生を見失った結果頽落的な毎日を生きる「ひと」を批判し、「死」の側から現在の生をとらえ直すことで本来的な生き方を可能にさせるという考え方である。矢吹は、その考えを疑う。「死」を瞬間ととらえるのははたして真かどうか。死が、始めも終わりもない曖昧な過程だとしたら。無名の大量死の死者や収容所の生を受け容れざるを得なかった人々の生を彼は思う。

生きるということにどんな意味があるのか。若い頃なら誰もが一度は考える。しかし、日々の生活に紛れる裡に誰もがそんなことを考えたことさえ忘れてしまう。ひとは大震災のような大量死をもたらす災害や9.11のようなテロに遭遇したとき、はじめて本来的な生の相貌を垣間見るのだ。頽落的な日常に苛立つ人々がいる。有事法制もまた「死」の側から今の生を見直せと迫る「死の哲学」との類縁性を持っている。しかし、本当は駆の言葉通り「頽落した日常的な生のなかに死は、濃密に浸透している」のではないだろうか。我々は日々死につつある。そのことに目を瞑るのでなく、頽落的な日常の底に澱のように沈む死に目を向けることを忘れてはなるまい。

 2002/6/16 『世の途中から隠されていること』 木下直之 晶文社

我が家は尾根筋に建っているのだが、子どもの頃、探検と称して近くの山はほとんど渉猟した。その頃、谷一つ跨いだ反対側の丘の上に奇妙な塔のような建物があった。誰一人訪れる人もないままに周りは茂る草木に覆われ、今ではそんなものがあることを覚えている者などいないのかも知れない奇妙な塔屋は、当時「金の鵄」と呼ばれていた。白い石に覆われた塔の上にかつては金色に輝く鵄が付いていたのだろうか。

広島の平和塔の写真を見たとき、それを思い出した。日清戦争の凱旋碑として作られながら上に金の鵄をいただいたまま、今では「平和の塔」として市中に聳えているその塔が、子どもの頃見た物と瓜二つだったのだ。1947年に出された内務省警保局長通牒「忠霊塔、忠魂碑等の措置について」に、「軍国主義的または超国家主義的思想の鼓吹宣伝を目的とするものは撤去する」とある。全国に散らばるこの手の記念碑をどう処理するか、各自治体はあわてたにちがいない。

かくて、広島では碑文を削り、名を平和の塔に改めたが、金の鵄はそのままにし、我が市では金の鵄は取り去ったものの、山の頂にあったため塔はそのままに放置し、名のみ伝えられることになったのだろう。日本海開戦時の旗艦三笠が、水族館になったり、砲をつけたり外したりされたのもそうだが、かつて、ソヴィエト連邦の崩壊時、数多のレーニン像が台座から引きずり下ろされ、毀されたことを思うと、この国の時局の変化に対応する際のいい加減さがよく分かる例だと言えよう。

今ひとつ例を引こう。日本には馴染みがないと思われている凱旋門の写真である。1895年5月30日、日清戦争に勝利を収めた明治天皇は、日比谷に作られたこの門を潜り、仮の首都であった広島から凱旋した。この門に限らず、日本にも凱旋門は当時たくさん建てられたという。それが、なぜ今に残っていないのだろう。実は、樋口一葉も見物したという、5階建てのビルの高さに相当する堂々とした凱旋門は、丸太を組み杉の葉で飾った当時の言葉でいう「緑門」つまりは仮設の門であった。

長年気になっていたことが一つ分かったような気がする。小学校の運動会のことだ。ベニヤか何かでハリボテにし、周りを杉葉などで飾った入(退)場門という物があった。あの門の原型はここいらあたりにあったのではないだろうか。筆者はこのハリボテを、「祭りの間だけ出現しては壊されながらも、次の祭礼にはまた出現する」造り物の伝統に結びつける。「ハリボテをハリボテととして眺め、いわばそのインチキを笑い楽しむ文化」というのが、筆者が見つけたこの国の文化の切り口である。

著者撮影による岐阜大仏殿の写真もまた味わい深いものがある。旧街道に面して他の甍の上に首を突き出すように三層の甍を今に残すこの建物の中には、奈良の大仏より1メートル低いだけという岐阜大仏が鎮座する。木材を骨格に、表面を竹で編んだ大仏を造り、その上に紙を貼り、漆を施し、最後に金箔を張ったものである。籠細工の大仏は、ここに限らず見せ物として江戸や大坂で何度も興業を打っているという。

美術研究者としての筆者の意図は、従来の美術史が見落としてきた物の中に日本人の美術観を探ろうとするものであろう。この本に登場する多くの物から窺うことができる「この国のかたち」には、かなり胡散臭いものがある。しかし、鹿爪らしい顔をしてそれらをあげつらうよりも、いっそこんなものだと笑い飛ばしてみたい気がしてくるのは、筆者の視線の持つ自由さからくるのだろうか。

 2002/6/6 『荷風好日』 川本三郎 岩波書店

世を挙げてのワールドカップ騒ぎに紛れて、有事法制などという店晒しの法案をまたぞろ蔵から出してくる政府の巫山戯たやり方には腹を立てるのも莫迦らしく、相手にしたくなくなるのだが、こちらのそんな反応も知った上での手口であることも分かっているから始末が悪い。竹林の七賢人ではないが、俗世間に背を向けて自分だけの世界に好きな本や音楽とともに隠棲しようと思っていたとき、この本に出会った。

世間の風向きが自分の思いと相容れぬ時、人のとる道はいくつかある。世の中の方を自分に合わせようとして動くというのが一つ。それとは逆に自分の方を世の中に合わせるというのもある。前者は困難な道であり後者は安易である。しかし、ここに第三の道がある。世間と縁を切ることで、自分の思いを守るという「世捨て人」の生き方である。荷風の採ったのはこの道であった。

生きていくには生活の場というものがいる。世間と折り合いをつけぬ以上、自分の属する世界と無縁の単独者としての生き方を見つける必要があった。偏奇館を根城にした下町や郊外の散策、さらには玉の井などの私娼窟探訪が、荷風が見つけた生活である。自分を知らぬ人々の中を彷徨い、やがて帰宅して日記を付ける。いわば「生活の虚構化」である。そうした生活の中から生まれたのが『断腸亭日乗』や『日和下駄』であった。

川本三郎は、荷風のこうした生き方を「やつし」と表現している。つまり真性の隠居ではなく一種の落剥趣味だというのだ。現に金利生活者としての荷風は己の資産運用にかけては細心の注意をはらっている。世捨て人は仮の姿であり、親の恒産の上に胡座をかいた高等遊民というのが真の姿である。それかあらぬか、空襲で焼け出され、寄寓先を転々とする中で、荷風は自分を見失い、作品の質は低下を辿る。虚構であるはずの身寄りのない孤独な老人が、自分の真の姿であることを知ったとき、反骨も倨傲も音立てて崩れていく。

金で買える女は後腐れがなかろうし、見て過ぎる路地裏の生活にはノスタルジックな詩情に溢れてもいよう。川本は荷風を「見る人」と位置づけているが、自分の姿をさらすことなく一方的に見ることのできる立場にある者をフーコーは「権力」と呼んだ。寄寓先で私生活を守ることもできない荷風は見られる側、つまり権力を持たぬ一般人の位置に堕ちることで、力を失ってしまう。

それを世間と言おうが世界と言おうが、人間は自分を取り巻く社会と断絶して存在できるものではない。我一人超俗を気取って、孤高の生活を送ろうなどというのは、世間知らずと言われても仕方があるまい。自分と世界は繋がっている。世界の嫌な部分は自分の嫌な部分である。自分を嫌になりたくなければ、否が応でも世界と関わっていかなければならない。好きな本を読み、好きな音楽を聴くという、ただそれだけのために払わなければならない犠牲というものがあるのだ。

 2002/5/27 『物語の旅』 和田誠 フレーベル館

自分によく似た読書傾向のある友だちとは話していても楽しい。学生時分には、夜を徹して語り明かしたこともあった。職に就いてからも仕事関係の友人と話はするものの、さすがに、当時のように夢中になって本の話をすることはなくなった。だいいち、みんなどんな本を読んでいるのか、あまりよく知らない。書店には新刊書や雑誌が山と積まれ溢れるほどだが、本を読む楽しみを語る人はあまりいない。本もまた「情報」の一つと考えられているのだろうか。

一方的にこちらだけが知っているだけだから、友だちとは呼べないが、本を読むたびに、「そうなんだよなあ。」と、つい相槌を打ってしまう文章を書く人がいる。和田誠氏である。『物語の旅』は、氏が愛する54冊の本にまつわる思い出やエピソードに書き下ろしの挿絵を添えたもの。読んだ順に書かれているため、おおよその読書傾向がうかがえるのも楽しい。一頁をまるまる使ったカラー挿絵の色を生かすためか、紙質にも注意が払われ大人向きの絵本のようでもある。

映画監督としても評価の高い氏のことだから、当然映画にまつわる話も多い。「快盗ルビイ・マーチンスン」を原作にした映画「快盗ルビイ」を撮っていた頃、同じ原作を芝居にしたので見に来てはくれまいかという手紙をもらったことがあるという。忙しくて行けないので試写の招待状を送ったところ、その人が来てくれた。それが、当時は小劇場通の間でのみ有名だった三谷幸喜氏だったなどというのは「ちょっといい話」である。

本の中でも触れられている瀬戸川猛資氏などの書く物と比べると、和田氏の書く物は博引旁証を誇るでもなく、奇抜な着想をひけらかすのでもない。自分が面白いと思った物を淡々と紹介するだけである。けれど、『お楽しみはこれからだ』でも知られるように、映画の中から名セリフやジーンとくる場面をピックアップする力量は抜群で、それは今回のように物語を語らせても見事に生きている。たとえば、村上春樹の「結婚以来六年の歳月が流れていた。六年の間に三匹の猫を埋葬した」のような表現を彼は好むが、この種の文ははっきりと好みの分かれるタイプの文章である。

チャンドラーの『長いお別れ』の原題は『ロング・グッバイ』であるが、邦題は原題に比べて湿っているという指摘にはうならされた。乾いている方がハードボイルドには合う。ただし、マーロウものは乾いてばかりもいない。特にこの作品の彼はセンチメンタルであると言われると、チャンドラー好きのこちらの性格を指摘されているような気にさせられる。しかし、同じ作品を好む和田誠にもよく似たところがあるのだと分かると、なんだかうれしくなる。

前書きに「個人的なこと」を記すので読書案内にはならないだろうと書かれているが、採り上げられた作品はよく知られた作品ばかり。読書好きの人なら大半は読んでいるはず。多感な時代、人生について深い思索を試みるような類の本に食指が伸びず、ミステリーやSFを読み漁っていた人なら、ほぼよく似た本を挙げるのではなかろうか。それだけに、読書案内にはならないかもしれないが、見てきた後でその映画について話すのが楽しいように、少年時代から読んできた本について作者と話しているような楽しみが味わえる本であるといえるだろう。

 2002/5/5 『指輪物語』 J・R・R・トールキン 瀬田貞二・田中明子訳 評論社 

この間、映画を見てきたこともあり、久しぶりに『指輪物語』を読んでみた。さすがに連休ということでもなければ、この長い物語を一気に読み通すことはできなかっただろう。特に、映画になった第一部「旅の仲間」の出だしは悠揚として長閑、牧歌的ですらある。何もすることがなく退屈な時間が続くが、無聊を慰めるものとて他になしといった気分にでもならなければ、読み続けるのが憚られるようなリズムである。名前につられて読み始めた人が途中で投げ出してしまうのも無理はない。

しかし、それが曲者。最後の章を読み終えて、本を机の上に置いたとき、しみじみとよみがえるのが冒頭のホビット庄の平和な佇まいである。この特に秀でたところのない、パイプ草と日に六度の食事を愛する「小さな人々」の生活を愛することができない人々は、この壮大な叙事詩にも比せられる冒険世界に立ち入る資格がないのだ、と作者は最初に警告を発しているのかもしれない。

「この本は、主としてホビットのことを語っている。」これが、この長大な物語の序章に置かれた最初の言葉である。再読して思うのは「なるほど確かにそうであるわい」という感想なのだが、初めて読んだときは読みとばしていたのだろう。全く記憶に残っていない。それというのも、この作品が「ファンタジー文学の金字塔」などと呼ばれ、あまりにもその魅力が喧伝されることから、つい地味なホビットのことなど脇に押しやって、伝説の王家の末裔アラゴルンや魔法使い灰色のガンダルフの活躍に目を奪われてしまうからである。

たしかに、オークやトロル、バルログという怪物の跳梁跋扈に加え、妖精物語や英雄伝説を踏まえるのは勿論の事、上古の言い伝えまで掘り起こし、壮大な戦闘場面までが用意されるに至っては王侯騎士諸侯の華やかな出で立ち、名乗りに、往古の騎士道物語を思い出し、胸躍らせ、手に汗握るのも無理はない。裂け谷やロスロリアン、モリアの坑道、ゴンドールの都と、挿絵画家なら舌なめずりしたくなるほどの舞台装置、さらに、この世のものとも思えない美しさを誇るエルフや王女達が色を添えるとあっては、ドワーフよりも小さく、彼らほど頑丈でも強靭でもないホビットの出る幕はない。

ところが、である。読み進めるうちに、読者はそのホビットたちを好きにならずにいられない。メリー、ピピン、中でも主人公フロドに付き随うサム・ギャムジーのことを。指輪の魔力は、それを所持する者に働きかけ、力を与える代わりに力の虜にしてしまう。権力欲には最も遠いはずのホビットのフロドにさえその力は及ぶ。指輪を破壊するという旅の使命を行使するには、サムという従者が欠かせない。サムこそが、典型的なホビットだからなのだ。

「力」を持つものは強い。しかし、強いが故に逆に力に魅入られてしまい、力を奮う快感から逃れられなくなる。知力でも、権力でも、技術力でも同じである。力の行使が制御できなくなったとき力は腐敗する。真の賢者はそのことをよく知っている。だから、力から一歩身を引こうとする。しかし、それでは、世界は力に魅入られた者達のために破壊されよう。耕作と平和を愛するホビットたちこそが、力の虜になることなく、力を破棄することができる。

作者も言うようにこれは寓話ではない。ここから教訓を引き出すなどというのは最も作者のよしとしない読み方であろう。しかし、何度読んでも読み返すたびに心の中に力とあたたかさが戻るような気がする。ちょうど、腹の足しにはならないが食べると元気が回復する、エルフの焼菓子レンバスのように。

 2002/4/30 『仕事場対談』 和田誠と27人のイラストレーター 河出書房新社

対談集にもピンからキリまである。書くという行為に比べて、話すという行為は自己抑制が働かない嫌いがあるのか、組み合わせによっては勝手な口吻ばかりが目について、読んでいて鼻持ちならない気がしてくる物もある。その反対に、相手との間合いの取り方がうまく、自然に話者の持ち味を引き出すのに長けた人もいる。和田誠は差し詰め後者の代表である。

相手の仕事場を訪ねての対談はインタビューに近く、同業者ということもあり、対談者も気を許して和田との対話を楽しんでいる様子がよく伝わってくる。使っている紙や筆記用具の種類、エッチングやリトグラフの手法、絵の具の種類や色指定の方法についての話などは、実際にイラストレーターを志している人にとっては、有益な情報となるものかもしれない。

対談の中にも出てくるのだが、不思議なのは、そういった技法についても隠すことなく開けっぴろげに話し合える関係である。みな、仲が好いのだ。一番よくけんかするのが双子の兄弟である田島征三と征彦兄弟だというのが面白い。番外の座談会で宇野亜喜良が言っている。「芸術家だと思想があるわけでしょ。そうするとおまえの絵は何だという論理的な展開で難しいことを言い合ったりするんだけど、我々はお互いを容認する、社会が仕事をさせているんだからみんな同じだみたいなところがある」。いい意味での職人気質なんだろう。互いに相手の仕事振りが気に入っているのだ。手を動かし続けてきた人達の持つ共同体意識のようなものもあるのかもしれない。

60年代、横尾忠則が、あの独特の絵柄と色遣いで人気が出てきた頃、イラストレーターは時代の花形だった。新宿で石を投げるとイラストレータにあたるとさえ言われたほどだった。その頃、京都で開かれた横尾の展覧会に行ったことがある。皮のジャケットを着た横尾はテレビで見るのと少しも変わらず、シャイで繊細に見えた。当時は憧れの職業だったのだ。

柳生弦一郎のように画風がまったく変わってしまった人もいるが、峰岸達やスズキコージのように、あの頃の画風を今も伝えている人もいる。イラストレーターと言うものの、絵本作家やグラフィックアーティストといった方が通りのいい人もいる。27人もいれば、まったく知らない人がいても不思議はないのだが、名前は知らなくても、どの人の絵もどこかで見たような気がするのが不思議だ。

新聞や週刊誌の表紙、単行本の装丁、挿画、あるいは絵本、漫画と、彼らの出番は多い。読者は知らず知らずのうちにそこに描かれた絵を導き手として、本の世界に入りこんでいるに違いない。一時期と比べて、イラストレーターという言葉にかつてほどのインパクトを覚えなくなった。それだけ彼らの仕事がスタンダード化しているということだろう。ちょっと名が売れるとアーティストと呼ばれたがる人種の多い中で、イラストレーションという仕事にこだわる人達の心意気が憎い。

 2002/4/21 『蒼穹のアトラスT』 フランソワ・プラス著 寺岡 襄訳 BL出版

これを絵本というと誤解を招きそうだが、水彩と思われる透明度の高い彩色と精緻な描写は安野光雅の『旅の絵本』シリーズを思い出させる。大きく異なるのは『旅の絵本』が主にヨーロッパの都邑を写実的に描いていたのに対し、こちらは、欧州から見て、辺境に位置する異郷の人々の暮らす土地を描いているという点である。しかもこれ以上は望めないほどの写実的な筆致で既視感に溢れながらも現実には有り得ない仮想の領土や異形の人々、動物を。

前書きに拠れば今はなきオルベという神秘の島国にはそうそうたる地理学者がそろっていた。彼らが地球上を旅して作り上げた地誌体系も今となっては跡形もない。ただ一つ我々に遺されたのが、この『蒼穹のアトラス』ということになる。副題に「アルファベット二十六国誌」とあるように、AからはじまりZで終わる頭文字を国名に持つ26国に纏わる話を収集した形を取る。Tには、そのうち「アマゾーヌ郷からインディゴ双ツ島まで」が収められている。

フライ師の言う通り、この作品もすでに先行する物語や、歴史書、探検の記録、さらには地図、図版、絵画などから想を得たと思われる引用から成る。作者はめったに外に出ず、書斎に閉じこもっては、書物や古地図に埋もれながら仮想の領地を渉猟しているらしい。そうして踏破した氷壁の地や断崖絶壁を自らペンを執り、精緻細密な絵に仕上げ、然る後に本文に取り掛かるのだという。

世に視覚型の作家は多い。言葉を駆使して、自分の頭に浮かび上がる都市や密林、砂漠を描き上げることに魅力を感じ、描写の限りを尽くす。読者にもまた、それら言葉によって構築される世界を読み、自分の中で再構成することを喜ぶ向きがある。そういう時、下手な挿絵はむしろ邪魔になる。しかし、例外がないわけでもない。ドレの描いた『大鴉』や『神曲』のように、文と照応して、より劇的な効果をあげる場合も稀にある。

プラスのように、挿絵画家兼作家というのは、自分のイメージがそのまま、自分の手で視覚化されるという点で稀有な例といえる。原文を知らないので確かなことは言えないが、横長の画面いっぱいに描かれた絵は、いずれも文より多くを物語っているように思える。基本的には風景画家ではないか。絵の中に描かれた人間はいずれも小さく、表情もない。それに比して、人跡未踏の峨峨たる山稜や、黄漠たる砂漠を描くとき、画家の技量は冴える。

彼が描きたかったのは、現実には眼にすることのできない、今はない太古の自然や、オリエントやラテン・アメリカ、アジア等にあるテラ・インコグニタ(未知なる領域)の神秘的な風景であったろう。人物は、その世界を描き出すための点景でしかない。現代の作家にとって、世界はすでに既知の物としてある。誰も知らない世界の地誌を書こうと思えば、それを捏造するしかない。かくして、26の国々はいずれも何処かで見たような風景でありながら、どこか少しずれを含んだ奇妙な世界として現れるしかない。

かの『東方見聞録』に黄金の島ジパングとして描かれた極東の島国は、ここでは、「豊葦原瑞穂の国」の名に相応しく葦の大草原の向こうに端正な弧峰が聳えるインディゴ双ツ島として描かれている。北斎の浮世絵の構図を思い浮かばせる大胆な風景の中に描かれる家の形が東南アジア風の高床式住居であるのは、作者の悪戯だろうが、サイードでなくとも、この手の露骨なオリエンタリズムの発露にはいささか複雑な思いが残るのは如何ともしがたい。

 2002/4/15 『見えない都市』イタロ・カルヴィーノ 米川良夫訳 河出書房新社

『千夜一夜物語』のシェヘラザードをマルコ・ポーロに、ハルン・アル・ラシッドをフビライ・汗に、1001を55に、魔神や娼婦の物語を都市についての記憶に置き換えたのが、この物語といえるだろう。『アラビアンナイト』の中の物語が、入れ子状の迷宮世界を構成しているように、都市についての物語もまた、一度は散逸した書物を一枚一枚拾い集め、無造作に束ねたもののように、或はまた、夢の中の出来事のように、様々な事象が不連続に想起する不思議な構築物となっている。

蓮實重彦によれば「物語とは、語られるべき対象、つまり題材となった挿話の諸々の細部の総和である」。『見えない都市』を物語と呼ぶのはその意味であって、まちがっても冒険譚や不可思議譚を求めてはならない。いや、カルヴィーノの筆にかかると、『まっぷたつの子爵』にせよ『木登り男爵』にせよ、摩訶不思議な設定で語られているのに、それらあり得べからざる人物が逆に普通の人物以上に奇妙な現実感を与えられて読む者に迫ってくる。

凡百のファンタジーが、魔法やら妖精やらを描きながら、その筋立てたるや何度も繰り返された単なる冒険小説の焼き直しでしかないのと正反対である。使い古された形式が悪いのではない。ノースロップ・フライも言っている。「文学はその形式をひたすら自分自身から引き出す。文学において新しいものとは、古いものの鍛え直しである」と。要は、如何に古いものを鍛え直しているかだ。

「七十の銀の円屋根」や「玻璃づくりの道」といった、アラビアンナイトの世界を髣髴させる語彙を鏤めながら、カルヴィーノの描き出す都市群は次第に奇想を深めていく。エウサピアという都市では「生から死への跳躍をいくらかでも衝撃の少ないものにしよう」として、地下に地上の都市の完全な模型を作り、死者をそこに運び込む。しかし、死者が自分たちの街に改良を加えるため、地上では地下の模型を模倣し続けなければならない。生者が死者を模倣するという逆転現象をさりげなく語る語り口の巧さこそカルヴィーノの真骨頂である。

一歩まちがえれば寓話になってしまいそうな都市群像を描きながら、そうならないのは奇想の輪郭の鮮やかさゆえだろうか。ガウディが、サグラダ・ファミリアを設計したとき、錘をつけた網を幾つも板から吊し、それを鏡に映して教会の尖塔をデザインしたという。奇想に見えて、確かな放物線が形作られているからあの教会は美しい。カルヴィーノの描く都市もまた奔騰する奇想の陰に現実を見据えた冷徹なリアリストの眼差しが見え隠れする。

裏返された『東方見聞録』、メタフィジークな『千夜一夜譚』である。ピラネージの『牢獄』シリーズやボルヘスの怪異譚、稲垣足穂の『黄漠奇聞』等が好きな人にお薦めしたい。ルビ付きの漢字が頻出する本が好きな人にも。米川良夫の訳文は、流麗且つ憂愁を帯び、一代の覇者の倦怠を慰めるに相応しいリズムを持つ。再読、三読に値する一巻である。

 2002/4/13 『イタリア史T』 F・グイッチァルディーニ著 末吉孝州訳 太陽出版

南の日のあたる窓際にお気に入りの椅子を引き寄せ、二つ折りにした膝掛けを脚の上に置くと、おもむろに本を手に取った。よく晴れた休日の午前、たっぷりとした睡眠と軽い朝食の後、閑雅な一日を過ごすには、それに相応しい道連れがいる。フランチェスコ・グイッチァルディーニ。フィレンツェの名門に生まれ、法学博士、スペイン大使として、若くして政治の世界に入り、数々の要職に就きながら、晩年はトスカーナに隠棲、そこで精力的に執筆されたのが、全20巻に及ぶ『イタリア史』である。

「イタリア史」とは言いながら、舞台になるのは、彼が実際に体験した1492年から1534年に至る42年間の短い期間である。しかし、誰でも知っているように新大陸の発見に始まる大航海時代の幕開けは、中世的な都市国家の枠組みを破り、世界は激しく動き出そうとしていた。まさに疾風怒濤、動乱の時代。『イタリア史 T』はその第1・2巻を扱っている。中心になっているのは、シャルル8世のイタリア侵入から帰国に至るまでの顛末である。

ミラノ大公国の簒奪を狙うロドヴィーコ・イル・モロの権謀術策が効を奏し、若いフランス国王シャルルを動かしたことから始まる、ローマ教皇、ヴェネツィア共和国、スペインを巻き込んでの戦争譚は、物語を読んでいるように面白い。面白さの一番の理由は、著者グイッチァルディーニの視線の皮肉さにある。外交の表舞台での活躍にも拘らず、晩年は失意の末の隠棲ということもあるのか、著者の人間観察眼はシニカルである。

臆病にして傲慢なロドヴィーコ・イル・モロをはじめとする諸侯の誰一人として、人格高潔にして高邁な君主というものは存在せず、大胆に見えるのは浅慮の所為であり、慎重というのは怯懦の別名、打算と野望、嫉妬と裏切りが渦巻く世界に善良な人間なんかいるものかといわんばかりにこれでもかこれでもかと辛辣な記述が続く様は圧巻である。

同じように政治の世界から隠遁し、城館の塔奥にこもって『エセー』を書いたモンテーニュが、「彼の好みがいくらか不徳に染まっていたのではないか、おそらく自分自身をもとにして他人を評価していたのではないかと心配になる」と書いている。グイッチァルディーニが、あらゆる人間の行為の「原因を何かの不徳な動機か利欲に帰していること」を評してのことだ。しかし、モンテーニュ自身がそうしているように、誰しも自分自身をもとにして他を評価するしかない。

自らの意志で権力闘争の世界から身を引いたモンテーニュとはちがい、グイッチァルディーニには、政治の世界に未練があった。「人間というのは善人より悪人の方が遥かに多いといえる。ことに財産や国家に関係してくるとなるとそうである」というグイッチァルディーニの言葉にはパワーポリティクスの世界に身を浸した者のみが知る実感が強く伝わってくる。

紙面に落ちていた日が翳った。ふと現実に立ち戻ってみれば、二度の世界大戦を経過してなお、世界は暴力と憎悪、飢餓と貧困から解放されるどころか、モンテーニュの頼りにする宗教や道徳、良心といったものに踊らされながら、いまだに混迷の中に呻吟しているではないか。グイッチァルディーニの書き付けた言葉の方が現実味を帯びて迫ってくるのを否定することは誰にもできまい。

 2002/4/7 『大塚久雄と丸山眞男』 中野敏男 青土社

大学時代に在日韓国人の友人がいた。キャンパス内にある学内寮に住んでいたのだが、たまに訪ねると、寮の係りに英語で応対されるので参ったことがある。一週間の中のある曜日は英語で話す日になっているのだそうだ。部屋に応じられてはじめて日本語が使える。異文化体験の一つであった。異文化といえば、その友人と話していて議論になったことがある。他でもない戦争責任についてである。

彼に言わせれば、私にも戦争責任があるという。日本のとった植民地主義政策が韓国朝鮮の人々に与えた被害の大きさはよく理解しているつもりだったが、まだ生まれてもいない時代の出来事にどう責任をとれというのだ、という気持ちがあったことも確かだ。そういう私に、彼は「今、日本人として生きているじゃないか」といって反論した。つまり、「自己同一性」の問題である。日本人というアイデンティティを疑問視せず、自明のものとして受け入れている限り、「日本人」の問題に無関係とは言えないという論理だ。

副題に「動員、主体、戦争責任」とある通り、本書は日本における戦時と戦後の問題を、「戦後啓蒙」の思想を主導した二人の著作の分析を通して考察しようとするものである。考察の主たる対象となるのは、戦時と戦後は果たして断絶しているのか、という疑問である。戦後の再出発にあたり、暗い時代を純粋な学問研究に沈潜することで切り抜け、明るい戦後を代表することになった丸山たちであるが、果たしてそれは本当だったのか。戦時から戦後にかけて彼らのテクストが見せる微妙な解釈のぶれ、力点の置き方の推移の中に、戦中戦後を通じて変わらないものを照射していく著者の分析は説得力を持っている。

例を丸山に絞れば、「何よりも近代的な『主体性』の確立を求める丸山の思想が、総力戦体制のもとでは下からの国民総動員の思想に、そして、敗戦後の状況のもとでは帝国主義的国民主義という記憶を抹消して『単一民族』的国民主義へとこぞって向かう思想に、それぞれ確実に寄与した」ことが、明らかにされている。そして、この「自己同一的主体」という理想は、当の丸山を批判した吉本隆明のような戦後的知性をも支配していると著者は言う。

自己を何かの集団にアイデンティファイすることで、自由で責任ある行動が取れるという考え方に立つのが「自己同一的な主体」である。丸山にはじまり、吉本、それに加藤典洋、あるいは「自由主義史観」派も含めて、「自己同一的な主体」の確立は日本の言説の戦後的地平とも言える。著者は、それについて「戦争責任は、『主体』の確立によってでなく、むしろその正反対に『主体』の分裂によって、もっと正確に言えば『主体』の中に抗争を持ち込みそれを政治化することによってしか果たされない」という。

話を元に戻せば、戦時の責任を私が引き受けるなら、私は自分を戦時、戦後と連続した「日本人」にアイデンティファイすることになる。私はそれを納得できない。しかし、それを否定するとなると、戦時と戦後の断絶を認めなければならないが、それは不可能である。著者は多元的な主体位置を含む「個人化のポテンシャル」という考え方をそこに配置する。他者との応答を通じて、「自己同一性」の外枠をはずし、自己変容を遂げる主体というあり方は魅力的であるが、自己の内部に不断の葛藤を意識し続けることが不可避となるだろう。有事法制化が進められている今こそ「戦後」的思想が担ってきたものについての吟味が必要ではないか、と真剣に考えさせられた。
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