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 2002/3/31 「写実・レアリスム絵画の現在」 奈良県立美術館

70年代、京都の河原町通りを四条から少し上ったあたりに京都書院という書店があった。一階に一般書籍や雑誌を、二階に文学、三階に洋書と美術書というような、人文関係の書物を中心とした品揃えで、読みたい本が書棚に犇いていた。特に通ったのは二階で、澁澤龍彦やユイスマンス、コクトオなどの箱入り美装本を、アルバイトをしては少しずつ買い集めていた。大判の画集や古い西洋建築の意匠などを集めた洋書は高額で手が出なかったが、あまり人のいないのを幸いによく立ち読みをさせてもらったものだ。

そんなある日、階段の掲示板に「アンドリュー・ワイエス展」のポスターが張ってあるのが目に留まった。デビー・クロケットと同じ帽子をかぶった少年が、草原の中からこちらを見ている画だった。すずしいが、それでいて強い孤独感の漂う印象的な瞳に魂を奪われたかのように、名さえ知らなかったその画家の展覧会を訪れたのだった。テンペラという古い技法を駆使して描かれた絵画が与えた印象は、第一印象を裏切らなかった。寂寥感に満ちた風景、意志的で感情を表面に表さない人々、安易な叙情性を拒否する透徹した画家の世界がそこにはあった。

奈良県立美術館で開かれている「写実・レアリスム絵画の現在」展のチケットを飾る磯江毅の「深い眠り」は、そのワイエスの「ヘルガ」シリーズを思い浮かばせた。「横たわる男」もそうだが、死を暗示する横たわる人物という主題はワイエスに多い。それだけではない。「かかし―鳥よけ」は二羽の鴉を吊したモチーフそのものがワイエスの「薪小屋」から採られているのはまちがいない。

磯江だけではない。他の画家達にも多かれ少なかれワイエスの影響が見てとれる。年代から見て、おそらく夢中になって絵を描いている頃に彼らもワイエスに触れているではないかと想像される。いや、そもそもワイエスがいなければ、彼らがこれほどまでに写実に固執するような事態が果たしてありえたかどうか。写真という技術の発明以来、見たものをできるだけ忠実に写し取るという技術の価値は下落した。絵を描こうと思うほどの者なら、周囲の誰よりも写実の技術に優れているはず。それが現代において評価されないのは画家にとって逆説以外の何物でもない。

ワイエスの登場は、写実の持つ価値がまだ死んでいないということを世界に知らしめた。腕に覚えの若者が写実の技術の習得に夢中になっただろうことは展示された作品から十分に窺い知ることができる。確かに優れた描写力である。しかし、絵を見る悦びは、作者の腕前を賛嘆するためにあるのではない。見る者の前にどんな世界を開示して見せるのかという点を忘れては如何に優れた技量も宝の持ち腐れである。

絵の中に物語を持ち込めというのではない。そんなことなら確かにこの展覧会にも見えなくもない。そうではなく、対象に描くべき必然性が果たしてあるのかどうかという直截的な問題を言っているのである。ワイエスの描くバケツは、単なるバケツというものを超えて迫ってくるものを持っている。それを存在感というなら、人間と何も変わらない。静謐な画面が非情なものや酷薄なものを感じさせるのは、描かれる対象がのっぴきならないものであることから来ている。

対象との関係のとり方にそこまでの必然性を感じられないことが、画面構成に恣意性を感じさせ、緊張感を欠いているのだ。残念ながらワイエスにとってのメイン州やチャッズフォードの人物や風景と同じような具象性を彼らの絵から感じることはできない。写実的に描かれた人や器物はあまりにも抽象的な存在としてとどまっているように思える。彼らの言う写実とは、物の表層のことを指すのであろうか。作家にとってレアルとは、己の中にあるものを指すのだと思っていた。それを他者の前に己に見えるのと同じように差し出してみせることがレアリスムなのではないか。ワイエスをよく見てみるがいい。写実的に見える彼の絵の細部が如何に抽象的な描線や彩色によっているのかを。展示作品の中では磯江毅と小川泰弘の作品に期待が感じられたことを付け加えておきたい。

 2002/3/29 『映画美術に賭けた男』 中村公彦 草思社

どうして映画作りについて書かれた本はこんなに面白いのだろう。著者の言葉を確かめるために、川島雄三監督の『幕末太陽傳』を棚から取り出し、ビデオで見てみた。結局はじめから最後までもう一度見直す羽目になってしまったが、結果は大満足である。品川の土蔵相模のセットのスケールの大きさ、オープンセットで作られた品川宿の佇まい、どれも映画撮影所が元気だったころの輝きに満ちている。あれだけの舞台を作られては、役者も監督もその気にならずにはいられまい。

著者は、ムーラン・ルージュの舞台装置の仕事から映画界に入り、木下惠介や川島雄三、それに今村昌平などの監督による数々の名作を担当してきた美術監督の草分け的存在である。なにしろ名匠巨匠揃いである。さぞかし面白いこぼれ話が聞けるだろうと思いきや、その種の話は少ない。美術監督という仕事は忙しく、昼間は監督のロケ・ハンにつき合い、夜は徹夜で図面を引く。できた図面を持って撮影所に来たらすぐセット作りの打ち合わせ。午後はまたロケ・ハンというスケジュールでは、監督や役者とつき合っている暇はないのだ。

語られるのは、専ら美術監督の仕事を通して見た映画作りについての打ち明け話である。そんな中で、こと美術に関してはそれぞれの監督ならではと思える逸話が語られる。たとえば、木下惠介監督の『女の園』撮影時の話である。庭から差し込む光が窓枠の下部にあたる膳板を白く光らせる写真がほしいのだが、いくら照明を当ててもうまくいかない。木下監督は、その部分を白チョークで塗らせたという。結果的にはいい写真が撮れたのだが、これは嘘である。外からの光が差し込んでいるのなら、その部分は硝子窓の最下部の板の影になるはずである。

しかし、映画では効果的な場面になっている。著者は「嘘の本当ですね」と言っているが、これこそ映画である。白いものをただ撮れば白という色が感じられるのではない。マルセル・カルネの『北ホテル』で美術監督をやったアレクサンドル・トローネは壁を白く見せるためにピンクか何かのペンキで塗らせたという。また、有名なヒッチコックの『断崖』では、ケーリー・グラントがミルクの入ったコップを持って階段を上るシーンで、撮影のハリー・ストラドリングは、ミルクの白さを際立たせるためにコップの中に豆電球を忍ばせたともいう。

それでは、うまく嘘をつけばいい映画が取れるのかというとそれは違う。『二十四の瞳』は、オールロケだと思われているが、ほとんどがセット撮影であった。大抵の人は気がつかないが、日活の美術監督をしていた小池一美は小豆島の瓦ではないと後に日活に移った著者に指摘したという。『二十四の瞳』は、数々の賞を取りながら、オールロケだと思われたために、美術賞を逃している。著者は、それを名誉なことだと言う。それだけセットがドラマに溶け込んでいたのだからと。それだけに、映画を見た人が、あれは美術の仕事だと分かる仕事はしたくなかったのだろう。

映画は総合芸術だといわれる。一本の映画のかげに何百人というスタッフが動いているからだ。優れた才能がなくては確かにいい映画は作れないだろうが、優れた才能だけでもまた映画はできない。そのセンスやアイデアを形にしていくために多くのスタッフがいる。そして、そのスタッフが受け持つひとつひとつの仕事にもまた専門的な技術が隠されている。撮影所システムというものが確立していてこそ、それらの技術が継承されていく。優れた才能は、これからも日本映画界に登場するかもしれない。しかし、その才能を具現化する技術は果たして残っているだろうか。日本映画の黄金期を支えた美術監督の話を聞きながらそう思った。(岩本賢児・佐伯智紀編)

 2002/3/28 『青春の終焉』 三浦雅士 講談社

三浦雅士の文章は読みやすい。高いところから、「これでどうだ」という風に高説を垂れるという感じがない。一例をあげれば、誰もが感じるであろうことを言うときにはわざわざ「気が引けるのだが」と前置きをしてから語りだすというようなところに、著者の人柄が感じられ、身構えずに本に向かうことができる。500ページもある本書を息つく暇もなしに読み終えてしまった。

読み終えて、ふうっとため息をつき、「おれも青春していたのか」と、苦笑してしまった。何事にあれ、その渦中にいるものには事態は分明ではない。そこから離れ、距離をおくようになってはじめてそのものの姿は明らかになるのである。とはいえ、自分にとっての所謂「青春時代」が既に遠く過ぎ去ったことを言おうとしているのではない。日本近代文学の話である。文学だけではない、「芸術も思想も、いや学問さえもが若さに酔っていた」。世界中が「青春」を謳歌していたのだ。少なくとも60年代までは。

柄谷行人に『日本近代文学の起源』という著書がある。あとがきに倣っていうならそれは「日本」「近代」「文学」の「起源」についての考察であった。括弧をつけたのは、批評の対象がはたして自明であるかどうかを疑ってかからなければ「批評」など成立しようがないといった意味である。現象学的還元ともいうべき柄谷の姿勢は書かれてあった内容とともに鮮烈な印象を残した。『青春の終焉』にも、それに似た思いを感じさせられた。「青春」にもまた起源があったのだ。起源がある以上終焉もまたある。生まれたものは死なねばならない。それが自然の摂理というものである。

括弧を付されているのは青春だけではない。「故郷」も「教養」も、その起源を明らかにされていく。何ゆえ、起源を問うのか、という問いにはマルクスの「ラディカルということは、ものごとを根本からつかむということである」という言葉が用意されている。「ラディカルの語源は、ラテン語のラディクス、根、である」。急進的という意味はそこから派生してくる。そして、人間が人間らしくあるためには根源的にならなければならず、それは急進的にしかありえない、といういかにも青年好みのテーゼが、若きマルクスの声として響いてくる。

起源を問えば、それまでの権威は覆され、価値は転倒する。ここでも、多くの権威がひっくり返されている。「日本近代文学は青春という病の軌跡にほかならない」というのが、本書の主題であるが、その視点から眺め直したとき、これまで考えられていたようには明治維新はそれ以前と以後を切断していない。逍遥によって否定された馬琴や、子規によって無視されることになった香川景樹が精緻な分析のもとに新たな相貌を帯びて浮かび上がってくる。バフチンのドストエフスキー論を接点とし、小林秀雄と対比されることにより、太宰の「道化」が裏返しの意味を持って迫ってくる。

それにしても、だ。あれほど光り輝いていた「青春」という言葉の凋落ぶりはどうしたことだろう。著者は言う。根源的であるというのは、「失うものは何もない」という立場に立つことである、と。今あるものを土台から根こそぎ破壊し尽くした後に来る解放感への期待が、青年にその立場をとらせる。大江にまではあった、その意識や感情が村上春樹にはない。「失うものなど何もない」という意識が何の意味ももたない時代がきたのである。副題に「1960年代試論」とあるが、さすがに三浦雅士。常套的に60年代をノスタルジックに語ったりはしない。60年代に終わりを告げることになった「青春」という特異な時代の病理についての、文芸評論の形を借りた、これは優れた考察である。

 2002/3/17 『今昔続百鬼・雲』 京極夏彦 講談社

私事だが、『姑獲鳥の夏』に始まる京極夏彦の登場は、ずっと遠ざかっていた「探偵小説」の世界に再び足を踏み入れさせる画期的な出来事だった。絢爛たるペダントリー、晦渋詰屈な文章、難解な語彙の頻出は、『黒死館殺人事件』の小栗虫太郎を髣髴させ、ポオに由来するグロテスクのアラベスクを堪能させてくれそうな予感に満ちていた。

案に違わず、戦後混乱期の猥雑な世相を背景にしたシリーズは、魅力的な探偵を創出し得たこととも相俟って、それまでの推理小説愛好家にとどまらない広範な読者を獲得したことは今更言うまでもない。それがシリーズ物の持つ宿命とはいえ、七作目の『塗仏の宴・宴の始末』をもって完結したことは、一ファンとしてまことに寂しい思いをしたものである。

その後、著者偏愛の「妖怪」にまつわる中短編がいくつか書かれるものの、あの読み応えのある長編はついに書き継がれそうにない。豪華絢爛の晩餐が供されないとなれば、ささやかな午餐で我慢するしかない。「多々良先生行状記」という副題を持つ本書は、背表紙に「冒険小説」と銘打たれている。一読すれば分かるが、冒険を期待した向きは裏切られるだろう。

自称妖怪研究家の多々良勝五郎をホームズに、その弟子筋に当たる伝説探訪家の沼上青年をワトソンに擬した推理小説仕立ての「珍道中」物である。二人が伝説に纏わる寺社や古跡の探訪旅行の途中で巻き込まれる殺人事件の解決が一応話の本筋である。しかし、中禅寺秋彦の錯綜した謎を鮮やかに説き明かす明晰な論理のレトリックを期待してはならない。

京極堂店主をパラノ型とすれば、多々良先生は完全なスキゾ型。浅田彰『逃走論』に拠ればパラノ型が「過去のすべてを積分=統合化して、一歩でも先に進もう、少しでも多く蓄積しようと」するのに対して、スキゾ型は「そのつど時点ゼロにおいて微分=差異化し、競走に追いこまれたとしても、すぐにキョロキョロあたりを見回して、とんでもない方向に走り去ってしまう」という。

事実、多々良先生は犯人を自白に追いつめるのだが、本人にはまったくその自覚はない。妖怪に関する蘊蓄を語っている裡に偶然犯人を指摘しているだけのことである。むしろこのシリーズの副主題は、鳥山石燕の『画図百鬼夜行』の絵解きにあるのではないか。先生がいつも携行するこの画集に登場する妖怪たちの絵を読み解くために、民俗学をはじめとする作者お得意の衒学趣味がたっぷりと味わえる趣向である。

創始者ポオを引き合いに出すまでもなく、探偵小説の醍醐味は抽象論理のアクロバティックな構築にある。その知的遊戯性こそが他のジャンルにない快楽を保証してくれているのだ。その意味では、冒険小説と銘打たれた本シリーズも探偵小説と言えなくもない。ただ、その謎解きは現実世界に起こる殺人事件ではなく、「百鬼夜行図」に描かれた妖怪たちに対して行われている。現実の世界の真犯人を追い詰めるのは、やはり中禅寺秋彦を待たねばならない。黒衣の人物がこのシリーズに登場するのはご愛嬌だが、強ち作者のサービス精神の所為ばかりではないのであろう。

 2002/2/26 『小説、時にはそのほかの本も』 川本三郎 晶文社

「まえがき」にこうある。「批評とは、本を味わい楽しむことだと思う。本の良し悪しを、高いところから論じたり、辛口批評と評して本をあしざまに批判したりすることが批評の仕事とは、とても思えない。」自分でも、これではちょっとまずいと感じたのだろう。つけ加えて「といって、甘口だなどと思ってもらっては困る。どの本が好きかについては頑固な好みを持っている」と但し書きがつく。

「あとがき」にはこうある。「小説の面白さは、我を忘れるか、身につまされるかだといったのは平野謙だったか。いずれにせよ、感動させてくれる小説、もっといってしまえば泣かせてくれる小説がいい」と。小泉首相でもあるまい。文芸批評家が「感動した」では、身も蓋もなかろう。何に感動するかは人によって様々である。小説を手にとる人が皆、泣きたいと思っている泣き虫ばかりではあるまい。人がなぜそこで感動するのか、それを知りたくて批評を読む者もいるのだ。

批評とは、どこまで行っても自分と本との間に成立する緊張感に充ちた出会いであるしかない。その意味では、批評の対象として自分の感動した作品を選ぶのはもっともなことだと思う。問題はそこからのことである。その作品に感動している自分を冷静に見つめる眼があれば、作品の評価は自ずと定まる。しかし、感動している自分の感情を敷衍し、自分が感動しているのだから誰しも感動するはず、などと考えるのは不遜の誹りを免れないだろう。

揚げ足取りをしたいわけではない。本の中で論じられている多くの作品についての文章は、平明でいて、著者ならではの目配りが感じられる。特に一章を割いた大江健三郎についての数編の批評は、近頃では語られることの少ない『芽むしり仔撃ち』等初期の作品について触れながら、大江の中にある「少年」性についての指摘が新鮮である。「寄り添って」読む批評家ならではの批評と言ってもよいだろう。

それだけに、対象との距離がない分、どこまでが作品から来る感興で、どこからが著者の中から出てきた感慨か不分明になる。黒子に徹し、「いっそ『私』という主語など消し去った文章を書いていきたい」という著者であるが、歌舞伎の黒子ではなく、文楽の人形遣いのように、作家と一体になって熱っぽく動く川本三郎の姿が、文章から見えてくるのである。

川本三郎には、そんな自分が見えているのだろうか。それとも、そんなことは考えもしないで、ひたすら自分の好きな本について語るだけなのだろうか。この本を読んでいると、どうやら後者のように思えてくる。「評論家は対象となる作品の黒子に徹したいと思う。」と、まえがきでは批評であったものがあとがきでは評論になっているほど自分の文章に対して無自覚なのだから。

作品や作家をだしにして自分を語る批評は小林秀雄で終わったものと思い込んでいた。いや、小林の場合自覚して自分を語っていたのだからこれは確信犯である。川本三郎には、どうやらその自覚はないらしい。「『泣かせる』とか『感動』を大事にしたいのは、これまで文芸批評と同時に映画批評を書いてきたからかも知れない」と書かれては、映画批評家でなくとも言葉を失ってしまう。

映画に限らず、やたらと感動を強調する風潮が広がっている。何気ない市井の生活の中にたゆたう、つつましやかな感情は、「感動」と呼ばれるものではないだろうし、「泣ける」ようなものでもないかもしれない。しかし、よく見る眼さえあれば、見えるし、感じる力があれば感じられるはずである。批評とは、そういう眼を育て、感じる力を養うのに役立つものであってほしい。川本三郎は、そういう眼を持っていると思う。安易に「感動」だの「泣かせる」だのという言葉で、自分の見つけてきたものを語らない方がいい。

 2002/2/25 『二つの退場』 吉田秀和 朝日新聞夕刊所収 「音楽展望」

吉田秀和が、音楽評論だけの人でないことはよく知っていた。知ってはいたが、まず、この人の音楽評を楽しみに、「音楽展望」を読むのを常としていた。音楽を聴くことは好きでも、それを批評することがいかに難しいか。ソムリエは、ワインの特徴を言い分けるのに果実やその他の香りに喩える。非常に多くの香りの種類は、そのままでは記憶できないので、何かに喩えて記憶するのだそうだ。音楽も同じである。指揮者や演奏家によって、あるいは同じ演奏家でも演奏した年により、微妙にちがう。その差異を言葉に置き換えることの難しさを思うとき、音楽が吉田秀和の言葉によって書きとめられることの喜びをたびたび感じたものだ。

音楽だけではない。『セザンヌは何を描いたか』を読んでから、セザンヌを見る眼が変わった。前々から好きではあったのだが、何がどういいのか、やはりうまく説明することができないもどかしさを覚えていたのだ。画面の真ん中におかれたテーブルクロスを隔てて、同じ机の縁が、右と左とで食い違っているような絵を何と言えばいいのか。吉田秀和は、それを、「これ以下では絵とはいえないといった危ういすれすれの線まで近づいていった」ものと言いきる。こんな見方にははじめて出会った。

批評とは何か。人によって様々な定義があろう。しかし、わたしにとって批評とは、自分では見ることのできなかった見方を示してくれるものである。大袈裟なようだが、それは新しい世界の啓示である。雲が割れて光が射し込んでくるときのように世界が新しい相を示すのだ。くたびれていた世界が新しい輝きを帯びて目の前に現れるとき、生きる歓びのようなものを感じることができる。すぐれた批評にはそうした力が宿っているものだ。

しかし、吉田秀和が音楽家と政治家を並べて批評し、その退場の持つ意味について論じている文章を読み、あらためてこの批評家の凄さを感じた。音楽家とは朝比奈隆であり、政治家とは、あの田中真紀子である。吉田氏は、二人を「小回りが利かないある種の不器用さという共通点」というもので括りながらも、それを肯定的に見ている。二人の差は、朝比奈氏のそれが自分の果たすべき仕事を成し遂げた上での退場であったのに比べ、田中氏のそれは道半ばの退場であったという点である。

田中氏の外相としての資質に疑問を感じ、更迭やむなしという論も巷にはある。しかし、吉田氏は「彼女にはやりたいことがあったので外務官僚との争いになったのだ」と言う。アーミテージには会わずにパウエルとは会ったことや、靖国神社に参拝しなかったこと、NGOの問題とつなげてみるとき、そこには「思考の核」とでもいうべきものが見える。「彼女の言動には従来の対米追随外交への危惧、転換への模索があった。ところが、それが外務官僚の神経を逆なでした」ことが今回の事態に至ったという解釈である。

マスコミによってワイドショー的扱いを受け、戯画化され、まともな論議もされることなく外相を更迭された田中氏であったが、見ている人はいるものだ。私自身は、田中氏の政治家としての資質よりも、その言動の粗雑さに馴染めないものを感じていた。だから、更迭はおかしいと思いながらも、彼女のそれまでの言動の中に「思考の核」を見ることはできなかった。私が粗雑と見たところを、吉田氏は「自分でもどうにもならないくらい根元から噴き上げてくるような内発性を持つ人」と見る。政治家も音楽家もない。確かなものを見る眼を持つ人がいるばかりだ。

 2002/2/24 『わたしは邪魔された』 ニコラス・レイ映画講義録  みすず書房

ニコラス・レイをご存じだろうか。映画史に残る才能を誇りながら極めて少数の作品史か残すことができなかった非業の映画監督を。『理由なき反抗』や『北京の55日』という映画の名前は知っていても、案外それらの映画を監督したのが、ニコラス・レイであることを知っている人は少ないだろう。むしろ、今となってはヴィム・ベンダースの『アメリカの友人』に出演した老俳優といった方が分かってもらえるのかも知れない。

時代というものがある。1950年代のハリウッドには「赤狩り」の嵐が吹き荒れていた。ニコラス・レイの親友でもあり、その才能を誰よりも認めていた『エデンの東』の監督、エリア・カザンが、自分の友人達の名前を証言することで、ハリウッドに残り映画を撮り続けることができたのは誰もが知っている話である。蓮實重彦の『映画はいかにして死ぬか』で読んで以来、故国を遠く離れマドリッド郊外で『北京の55日』を長期にわたって撮らされ、酒浸りになり、最後には癌で死ぬニコラス・レイのことを、50年代ハリウッドの犠牲になった悲劇の監督と思い込んできた。

しかし、事態はそんなセンチメンタルなものではなかった。この本を通じて見えてくるニコラス・レイは、徹頭徹尾自分というものに自信を持ち、映画作りを最後まであきらめることなく、いわば自分自身を映画のミューズに捧げ尽くした男である。「裏切り者」、「転向者」という目で見られがちなエリア・カザンに対する友人としての態度は終始誠実で、それは生涯変わることがなかった。ニコラス・レイは、自己憐憫などとは最も遠いところにいる人間であった。

副題にもあるように、この本の大半は、彼が、大学の映画学科で、学生相手に映画について語った講義が収められている。それは、講義というより、討論であり、映画というより、俳優のアクションや演出についての詳細な授業である。映画監督の仕事というものについて漠然としか知らないものにとって、ニコラス・レイの講義は、たまらなく新鮮である。スタニスラフスキーの演技理論に基づき、一人一人の学生にアクションというものを教えていくニコラス・レイの姿はこの本の編者でもある40才年下の妻スーザンの「ニックにとって、教えることと生きることは同じだった」という言葉通り真剣で熱の入ったもので、これが老監督の余技でなかったことを物語っている。

最近の様子を見るまでもなく、アメリカという国は、自国の過ちに対しては目を瞑り、過去に冷遇した才能を再評価することに極めて冷淡な国である。ニコラス・レイが脚光を浴びたのは、ゴダールやビクトル・エリセ、それにヴェンダースなどのヨーロッパの監督達による絶大な支持があったからである。晩年の彼は、若い才能に囲まれ、意気軒昂なところを見せているものの、癌との格闘、若い妻への愛、懐かしい役者についての思い出などにさすがに人生に対する愛惜の感が滲む。手記から窺うことのできるのは有り余る天賦の才能を持ちながら、十分に発揮することがかなわなかった悲劇の人の像なのだが、彼の倨傲の精神は、そう見られることを許さないだろう。

 2002/2/17 『シェイクスピアを代筆せよ!』 ゲアリー・ブラックウッド 白水社

題名からも分かる通り、前作『シェイクスピアを盗め!』の続編である。シェイクスピアの『ハムレット』の台本を盗むため宮内大臣一座に潜り込んだ孤児のウィッジが、しだいに芝居の面白さにのめり込み、ついに一座の徒弟になるという前作の魅力については以前の評を読んでいただくとして、問題は柳の下に二匹目の泥鰌はいたのかということである。

結論から言えば、泥鰌はいた。それもなかなかの大物が。だいたい続編というのは本編ほどの面白さはないというのが定評のあるところ。登場人物は決まっているし、新しい趣向が前のものより面白くなければ読者はそっぽを向いてしまう。かといって、まったく趣の変わったものでは、続編を期待した向きに答えられないわけだから、作者としては話の持っていきように苦しむ。この辺の作者の胸中は作中で、『恋の骨折り損』の執筆に苦しむシェイクスピアさんの姿に投影している。

前作が、「依頼と代行」「宝探し」「権力の譲渡」「二重性」という主題群で構成された物語だとすれば、今回は「自分探し」が主たるテーマとなっている。その主題を際立たせるために、顔なじみの一座の面々に、ライヴァルとしてサレイシェル・ペイヴィという少年役者と、ウィッジの父親としてジェイミー・レッドショーという自称軍人が新しく登場する。「世界」は変わらないが「趣向」は変わる。1602年、一座はペストの猖獗を恐れるロンドンを離れ、旅回りに出ることになる。

ふつう人は「自分」というものについてあまり考えたりしない。ずっと前から自明のものとしてそこにあったように思い込んでいるからだ。果たしてそうか。事実は、今ある「自分」は、多くの事件や他者との出会いや別れを通して、その他者の一部やある時は大部を自分のなかに取り込み、今の「自分」を形作ってきたのではないだろうか。その他者とは、親や友人とばかりは限らない。時には嫌いな相手であったり劇中の人物であったりもするのだ。

ウィッジは孤児で自分の出生について何も知らず、一座を離れては行くところさえない。前作でやっと居心地のいい仲間集団に出会えた彼は、自分のアイデンティティーを一座に帰属してしまい、独り立ちできない自我の弱い少年として登場する。ところが、親友のサンダーをペストが蔓延するロンドンに残し、旅回りに出たウィッジは新入りのペイヴィーという少年に次々と自分の役を奪われて、さらには、木戸銭の持ち逃げを疑われた父をかばって仲間と対立してしまう羽目になる。

それらの事件を通じて、ウィッジは、成長を遂げる。「ぼくはこの数ヶ月の苦労のおかげで、自分がだれなのか、なにができるのか、少しはわかってきた」と言えるほどに。仲間を失いたくないために闘いを避けてきた彼だが、最後には敢然とライヴァルに挑戦して立つ。彼を決心させたものは、右手を骨折したシェイクスピアさんの口述筆記を手伝ううちに、いつか幾つかの大事なセリフを考え出すまでに育っていた自分と同じ境遇のヘレナの強い意志であったかもしれない。

ペイヴィとの対決の中でウィッジは自分に自信を取り戻し、役の中に自分を入れ込むことができるようになる。それは、役者ウィッジの誕生であるとともに、「親がだれだかわからないんで、自分がだれだか、半分もわからないんだ。自分がなにで‥‥なんでできているか知らんってかんじなんだ」と言っていたウィッジが一人の実在する人間として誕生する瞬間でもあった。

アイデンティティーの不安に悩むウィッジにアーミンさんが言う「自分がなんでできているかより、自分をどう作っていくかのほうが大切」という言葉からも分かるように、この物語は、これから自分を形作っていこうとする人たちに向けて書かれた一種の「人格形成小説(ビルドゥンクスロマン)」である。魔法を自在に操る主人公が人気の昨今だが、空飛ぶ箒がなくとも人は自分を思うように動かすことができる。それは自分が自分の主人になることだ。この本は、それを教えてくれる。

 2002/2/13 『ポンペイ展』 愛知県美術館

数々の歌に歌われる風光明媚の地ナポリ湾を臨むポンペイは、ヴェスヴィオ山の麓に広がる古代ローマの都市であった。この通商と農業で栄える小さな街を火山の噴火が襲ったのが西暦79年、火砕流は一気に街を一飲みし、人々は通りで口に手を当てたまま、あるいは公衆浴場の中で、火山灰の下に埋もれてしまった。18世紀に至るまで、ポンペイは、その火山灰の下で眠っていたのである。

やがて発掘が始まり、ポンペイ遺跡の全容が明らかになると、人々は遺跡の保存状態の良さに驚くことになる。火山灰は、床に敷かれたモザイクの一片たりとも欠くことなく、家々の壁画に至るまで、そっくりそのまま時による風化からこの街を守っていたのである。遺跡その物はポンペイの街を訪れなければ眼にすることはできない。今回の展示はナポリ国立考古学博物館所蔵の美術品、日用品、復元模型等から、古代ローマ人の生活ぶりを探るという意図で企画されている。

実は、この夏ポンペイを訪れている。その際すれ違いになってしまった『パン屋の夫婦』や、『庭園の風景』に会いたくて、わざわざ出かけてきたのだ。ほんとうは弁護士夫妻らしいが、二人は相変わらずの黒目がちな瞳をこちらに向けて待っていた。縮れた髪や浅黒い皮膚の色から大陸との交通を想像させるエキゾティックな顔立ちの二人だが、視線が交わらないのが気になる。愚直そうな表情で夫は真っ直ぐこちらを見ているのに、妻の目は何か別の方を見ているのだ。画家はどういうつもりでこのように描いたのだろうか。その謎も灰の下に埋もれてしまう運命ではあったのだが。

ローマ人は室内を絵で飾るのが好きだった。それも壁全体を大きなフレスコ画で飾るのだ。襖に絵を描き四壁に囲まれた空間を一つの仮装空間と見なす日本人の感覚に近いものを持っていたのかもしれない。『庭園の風景』は現実の写生ではない。ローマ人の愛でた植物や鳥を幻想の庭園内に配置し、室内を架空庭園にしようとする遊び心に満ちたものである。木々の上には抜けるような青空が広がり、色とりどりの鳥が舞う。おそらくアトリウムの壁を飾っていたのだろう。天窓からの光に映えるその様はさぞ見事なものだったろうと想像させられる。

ローマ人のすぐれていたのは美術だけではなかった。都市建設に伴う建築、上下水道や道路など、健康で文化的な生活を支える技術の発達は、現代のレベルを凌駕していると言っても過言ではない。事実ヨーロッパを旅して感じるのはローマ人の遺した物が今に至るまで人々の生活を支えているということである。特に辺境の地にあっては、遺跡と人々の暮らしぶりの対比が、時間の流れは人を野蛮の方に追いやったのではないかと、歴史の皮肉を感じさせないではおかない。

今回の展示では、自動走行距離計の復元模型や医療器具などの展示から、当時の科学の水準の高さにも驚かされた。世界は21世紀を迎えたが、我々現代人の文化や文明は、ローマ人のそれを果たして超えたと言えるのだろうか。展示された品々を見ながら暗澹とした思いに襲われたのは私だけだっただろうか。(2002年2月8日から4月7日まで)

 2002/2/12 『石神井書林日録』 内堀弘 晶文社

一気に読み終えた。内容といって、何が起きるわけでもない。石神井に店を構えてはいるが、目録を頼りに古書を売る古書店主の日録である。日々の古書探し以外にこれといって事件が起きようはずがない。では、面白くないかといえば、文句なく面白い。いったい何が面白いのか。探している本や、出会う本の作者はほとんど門外漢には見知らぬ名ばかりである。しいて言えば、著者の熱狂振りである。近頃こんなに熱い語り手を見出したことがない。

古書店主には元何々というのが多い。しかし、元古書店主というのは見あたらない。どうやらここが行き止まりらしい。そういう私にしてからが、あまり熱心に職探しをした経験がなく、古本屋なんかもいいなあ、と漠然と夢想していたくらいだから、最後に古書店主という志願者は案外多いのかもしれない。ところが、どっこい、どうやらそんなに甘い職業ではないらしい。

登場する古書店主は、みなそれぞれの専門を持っている。建築書専門の港や書店とか、詩集専門の石神井書林のように。昨今、古書業界もご多分にもれず二極化しているらしい。ディスカウントの大型古書店と、得意な分野専門の古書店というふうに。著者は後者に属する。自分の好きな本をこつこつと探しては目録を作り買い手を待つ。要は、どんな品揃えをするかということである。

いろいろな仕事に就いた人が最後に行き着くのが古書店主だとするなら、一体そこにはほかの職種にないどんな魅力があるのだろう。誰しもそう考える。言ってみれば、それは美術館の学芸員のような、雑誌の編集者のような仕事である。自分の着想を頼りに数多ある才能を、一つのテーマの下に集めて披露する喜びである。それだけではない。掘り当てた作品は、他の業者との競争が待っている。競り落とすというスリルがつきまとうのだ。どんなに欲しいと思っても、付けた値が相手より低ければ自分の物にはならない。著者は、それを自分の欲しいと思う気持ちに値を付ける行為だという。

敵討ちと古書探しは出会い頭という言葉があるそうだ。滅多にない古書との出会いを逃すと一生悔やむ。たかが古本と思ってはいけない。新車一台くらいの値がかかっているのだ。A型の著者は、躊躇逡巡を繰り返す。ここら辺り、同じ血液型を持つ者として身につまされる。しかし、最後には、気合いを入れて入札、という一文が来る。力の入るところだ。

著者の周りには、同じ心意気を持つ古書店主が集まり、一つの共同体を構成している。それはいわば幸福なサロンである。「東京外骨語大学」という巫山戯たネーミングはもちろん宮武外骨から来ている。山口昌男を初めとして、月の輪書林の高橋徹、今やメジャーとなった坪内祐三などを構成員とするその集まりは、淡島寒月の周りに集まる趣味人のサークルを髣髴させる。

自分の好きなことをやって生きていくのは大変なことである。同業者の一人が雑誌の取材で、夢を聞かれて、古書店主を続けていられること、と答えたというのが身につまされる。本を身の回りに集めることをやめて久しい。著者達の情熱にはどことなくトレーディングカードに熱狂する子どもたちの口吻がまとわりつくような気もする。しかし、こういう人たちによって日の目を見る本もあるのだと思う。本に寄せるこの情熱が正直羨ましいとも思うのである。

 2002/2/10 『カラヴァッジョ展』 岡崎市美術博物館

16世紀に吹き荒れた宗教改革の嵐は、一人の若者を画壇の寵児とした。それまでイタリアでは、ヴェネチアとフローレンスが絵画の中心地であったが、反宗教改革の砦であったローマでは、民衆にカトリックの威光を示すため、聖堂建築が盛んであった。それには祭壇画を描く画家が不可欠であり、仕事のあるローマが画家達の脚光を浴びることになったのだ。

あらゆる様式化された芸術に付き物の反自然性ゆえに生気を失い民衆に飽きられていたマニエリスムに変わり、より直截に民衆に訴えかけられる力を持った表現が求められていた。カラヴァッジョは、それまでにない革命的なまでに新しい表現を携えて登場した。マニエリスムから継承した動的な画面構成と静物画を思わせる精緻な自然描写。そして、キアロスクーロと呼ばれる光と影の対比による色彩効果のもたらす劇的緊張感がそれである。

カラヴァッジョなくしては、レンブラントもフェルメールも出なかったと言われるほどの画壇の革新者でありながら剣を振り回しての喧嘩沙汰が災いしてか作品数が少なく、日本に紹介されることも稀であった。今回もカラヴァッジョ自身の作品は僅か数点ながら、カラヴァッジェスキと呼ばれるカラバッジョ派の作品が出品されていて彼の与えた影響の強さを窺わせてくれる。

暗い会場内で最初に目に入ってくるのは、ポスターや図録の顔となっている「果物かごを持つ少年」である。半開きになった唇や半ば放心したように見える少年の眼の表現は同性愛的指向を取り沙汰される画家の挑発的な身振りを感じさせずにはおかない。今年の夏、ウフィツイ美術館で見た「バッカス」を思い出させる少年と果物籠の取り合わせは、うつろいやすさを意味する「ヴァニタス」が象徴されているのだろう。籠に盛られた葡萄や柘榴はすっかり熟し、葡萄の葉は既に朽ち葉の様相を呈しているではないか。

それにしてもなんという技術だろう。籠に盛られた林檎や葡萄の瑞々しさはどうだ。画家特有の画面の外から射す光線を左上部から浴びた葡萄の艶と陰になった葉の中で一部だけ光の当たっている葉柄の繊細な輝きの前では、さすがの美少年も一歩後ろに退かざるを得ない。わずかに片肌を脱いだ少年の右肩だけが、よく林檎の輝きに拮抗しているといえよう。見る者の視線は、まず画面右手の影から浮かび上がるように光を浴びた葡萄に注がれ、やがて他の果物の上を這い、赤い林檎と相似形を為す少年の右肩に移るだろう。そして肩越しに林檎の赤みを帯びた頬へと動き、誘いかけるように開かれた唇の上に留まる。心もち首を傾げた形は接吻を請うているようでもある。

写実の正確さを求めるあまり、マリアの死を描くにあたって溺死した女性をモデルにしたり、とかく聖職者の逆鱗に触れるような行為を問題にされ、せっかく描き上げた作品を拒否されたり、非難されたりで晩年のカラヴァッジョは不遇であった。おのが姿に見惚れる「ナルキッソス」の自己愛を官能的なまでに美しく描いた画家も、死刑宣告後の逃亡生活の中でしだいに変容を見せていく。

晩年の作品「執筆する聖ヒエロニムス」と「瞑想の聖フランチェスコ」はともに洞窟の中で瞑想に耽る聖者を描いている。どちらの画面にも骸骨が置かれ「メメント モリ(死を想え)」の主題が色濃い。かつての華やかなまでの色遣いは影を潜め、色調は統一され陰影は一層濃くなっている。マニエリスムを思い出す動的な画面は消え、安定した静謐な画面構成が沈潜した情調を湛えている。

そんな中でも、目の前に描く対象がなければ描こうとしなかったと言われるカラヴァッジョの写実性は失われることはない。左上からの光の中に浮かび出る聖フランチェスコの鼻と耳に差すかすかな赤みは聖痕を授かる前の人間的な肉体だけが感じる洞窟の寒さを見る者に実感させる。説明や寓意に拠らず、偏に描写によって劇的瞬間を描こうとするカラヴァッジョ。近代絵画の創始者と呼ばれる理由はそこにあった。
 

 2002/2/5 『大衆の侮蔑』 ペーター・スローターダイク 御茶の水書房

「主体的に」とか「主体性を持って」とか、はよく使われるセリフで、ふだん何気なく聞いているときには、比較的よい状態を示す言葉として我々は「主体」という言葉を意識しているのではないだろうか。ところが、これが曲者で、たとえば英語のsubject(名詞:主体=臣下/形容詞:〜に服従する、従属する)、フランス語のsujetの語源であるラテン語subjectumは下に(sub)投げ出されてあること(jectum)を意味する。

スローターダイクは、ホッブスの、人間を動かしているのは崇高な精神などでなく恐怖を避けたいという自己保存の原理であるという認識が、貴族も平民もない人間の「同一化」を導き出し、スピノザが、大衆(平民)の想像力の中に理性の代替物を認めたことが今日に至る大衆の持つ政治的意味を発見したのだと指摘する。

近代以前にあっては、大衆と呼ばれる存在は語義通りただただ従属する実体であった。その大衆が主(あるじ)たる者の形而上学的特権であった意志、知識、魂を持つようになったとき、確かに僕(しもべ)は新たな主の地位を得た。しかし、優れた資質によって得たのでなく、物質的な同質性を基盤に得た地位であるから、上下の「差異」を消去しようという指向性を持つようになる。ニーチェの言う高貴なものを憎悪するルサンチマンの心理が大衆社会には必然的に生じるのである。

上下の垂直的な「差異」を厭う心理は、必然的に水平的な自他の差異にも及ぶ。ハイデッガーは「他者による目立たない支配の下に生きている」「ヒト=das Man」としての私について言及している。「ヒト」として生きる私は本来的な自己に対して平民的な他者が優位に立っているために、「存在の貴族」として生きることはできなくなっている。大衆とは自分より高いものを侮蔑しつつ本来的な自己によって侮蔑されながら生きる両義的な存在であるといえるだろう。

かつてのような群衆化した大衆ではなく、マスメディアの発達により、「素粒子」化した存在と化しているだけで現代社会がスローターダイクの言う大衆化社会であるのは、だれにせよ認めざるを得まい。「侮蔑=非関心」が社会に蔓延していることが、現代の政治や文化の状況を決定していると言ってもよい。ではどうすればよいというのだろうか。自己自身の内なる大衆に反抗し、価値ある芸術に対する「賞賛」を実践せよというのが著者の結論である。

98年に出た『シニカル理性批判』を読んで以来、この著者の皮肉屋気質に好感を抱いていた。ニーチェやハイデッガーを引っぱり出すのも、反時代的な逆説的表現だと思って読んでいたのだ。そのスローターダイクともあろう人が出した結論のあまりのナイーブさに意表をつかれた。言ってることは分からないでもないが、このような説教をする知識階層に向けた大衆の「侮蔑」について語ってきたはずではなかったのか、と最後に一言訊ねたくなった。

 2002/1/31 『アクロイドを殺したのはだれか』 ピエール・バイヤール 筑摩書房

かつて推理小説を読み耽った時代があった。エラリー・クィーンから始まり、ヴァン・ダイン、ディクスン・カー等の作品はすべて読んだ。所謂本格派の黄金時代の作品である。そんな中でアガサ・クリスティーの作品にだけは、謎かけと謎解きの勝負をともに戦った者同士、買っても負けても最後に互いの健闘を讃え合って握手して分かれるといった爽快感を読後あまり感じなかった。殊に『アクロイド殺害事件』がそうだった。その後、クリスティーを読むのをやめてしまったほどに。

本格推理小説というのは、厳正なルールの上に成り立つ知的遊戯性を持つ。それゆえに、ヴァン・ダインの二十則が有名だが、たとえば、「謎を解くにあたって、読者は探偵と平等の機会を持たねばならない。すべての手がかりは、明白に記述されていなくてはならない」などのように作者と読者の間に暗黙の契約が成立している。読者が注意深く論理的に読むならば、犯人を捜し当てることができるように書かれているのが推理小説だったのだ。

クリスティーは特異な作家である。本格派の推理作家であるくせに、ルール違反すれすれの境界侵犯をわざとしてみることに快感を抱くようなところがある。「アクロイド殺し」の場合が、その最も顕著な例にあたる。作家はここで、ヴァン・ダインの二十則にも触れない新手を開発したのだ。有名な作品なので許されると思うが、もし未読で、犯人を知りたくない人は、ここまでで止め、原作を読んでから戻ってもらいたい。

アクロイド殺しの真犯人は、語り手である医師ということになっている。読者が話者に寄せる信頼という盲点をついた、この前代未聞の作品は賛否を二分した。私も正直言ってだまされた気がした。同じ思いをした人も多いのだろう。多くの人が、アクロイド殺しについて言及している。しかし、この本は、語り手=犯人という解決をアンフェアだと責めるそれまでの論調とはちがう。医師が犯人である妥当性を疑い、残された手がかりをもとに隠された真犯人をあらためて捜査するという画期的な作品である。

名探偵エルキュール・ポワロを相手に一歩もひけを取らないどころか、分析療法の実践家でもある著者は、恣意的な証拠集めをもとにしたポワロの推理を「妄想」と断じる。もともと、フロイトのエディプス・コンプレックスについての理論が、「オイディプス王」という推理小説風の謎解きドラマを援用することで成立したように、精神分析と推理小説は縁が深い。妄想と理論は通底しているのだ。

「受容理論」という文学理論がある。作品は読者に読まれることによってはじめて完成するという考えに立ち、読者のテクストへの参加を必須とする。バイヤールはどうやらこの考えに立つものらしい。推理小説はもともと読者の参画を期待して書かれている。ただ、読者の求めるのは唯一正しい解決の道筋であり、作者のミスディレクションもまた唯一の真理に読者がたどり着けなくさせるための努力である。真犯人は一人であり、その意味でテクストは閉じられている。

バイヤールの功績は、その推理小説の閉じられたテクスト性に忠実に動くことで、逆にテクストの綻びを暴き、クリスティー作品に隠されている読者の自由な読みを許す「開かれたテクスト」性を発見していくところである。著者の挙げた真犯人はなるほどと思わせる人物であり、そこに至る論拠も充分に説得力を持つ。その意味でこの書は一つのメタ推理小説として読むことも可能である。

バイヤールの方法を用いることで、このジャンルの保持していた「閉じられたテクスト」性は崩壊してしまうだろう。しかし、テクストと自由に戯れる知的遊戯に満ちた空間の現出は新しい文学的地平の登場を予感させもする。バイヤールにはクリスティーを論じた本書のほかに、プルーストやラクロ、モーパッサンを論じた作品があるという、邦訳が待たれる所以である。

 2002/1/27 『暴走する世界』 アンソニー・ギデンズ  ダイヤモンド社

「グローバリゼーションは何をどう変えるのか」と、副題にあるように、極めて今日的な課題である世界のグローバル化についての解析を試みるのが、この小冊子の目論見である。ギデンズは、5つの章を立て論点を簡潔に示している。西洋キリスト教社会に生きている訳ではない者にとっては納得できる部分もあるし、そうでない部分もあるが、著者の分析は概ね公平な視点に立っていると思われる。

第一章では、グローバリゼーションが経済だけに限られた現象でないことに注意を喚起する。通信技術の発展が必然的にもたらした世界のグローバル化は、共産主義社会の崩壊を招き、富の不平等化を引き寄せた。さらにそれは国や宗教が保持していた独自の文化をもゆさぶり、否応もなく我々は「様々な変化の相乗作用の結果として、無目的かつ無原則的にできあがる秩序である」新しい世界、グローバル・コスモポリタン社会に足を踏み入れている。すでに機能停止している旧制度を捨て新しい制度を創造することで、この新秩序に対応せよと、ギデンズは言う。

次には世界が直面している多様な「リスク」について、予防原則という手だての有効性を論じながらも、環境リスクを重要視するあまり、反科学、反合理主義に陥る愚を説き、リスクへの積極的な挑戦こそが経済を活性化し、社会を改革すると力説する。

第三章では、「伝統」について検討を加えている。コスモポリタニズムに対するファンダメンタリストの盾となる「伝統」には捏造されたものが多いことを、キルトの作られた歴史から説くところはイギリス人らしいユーモアに溢れている。その一方で、ギデンズは「伝統の存在は社会を存立させるための必要条件である」ともいう。伝統が稀薄化すれば、人はアイデンティティーを自己自身の物語作りに負わなければならなくなる。その意味で、フロイトの業績を「脱伝統文化の初期の段階で求められる、自己同一性を刷新するための処方箋を確立したことにある」とする見解は興味深い。

家族を扱う第四章の結論を一言で言うなら、従来的な家族観から抜け出し、新しい家族観を認めるべきだということになろう。子どもや女性の人権を守ること、同性愛者に対する差別の撤廃など、耳新しいことは何もないが、イスラム諸国の現実を考えあわせれば、ファンダメンタリストとの闘いは避けて通ることはできないであろう。

最終章でギデンズが取り上げるのは民主主義の有効性である。健全な民主主義を三本足の腰掛けになぞらえて、政府、市場、市民社会の三つが調和がとれていることの重要性を説く。アフガン支援でNGOの参加に圧力を加える政治家のいる国は三本目の足の長くなるのを恐れて鋸で切ろうとしているものでもあろうか。国民国家の枠を超え、グローバル化された民主主義が必要な所以である。

一読後感じるのは、概説的な書物の持つ宿命として、論議が抽象的になりがちだということである。一種の信仰表明のようなものであり、著者の立つ位置ははっきり示されているが、読者は何をすればよいかは示されることはない。ただ、試薬のようなものとしては有効で、自分の論を築く上で、確かな足場を提供してくれている。因みに、個人的見解として、1、3章には共感を、4、5章は今更ながらといった感じを、2章には疑問を感じたことを付け加えておきたい。

著者のギデンズは、トニー・ブレア英国首相のブレーンとして知られる社会学者であり、サッチャリズムでもなく、従来型の左翼の手法でもない所謂『第三の道』を標榜する理論的主導者でもある。紙面の背後に浮かび上がってくるのは、確かな現実認識があり、柔軟な思考のできる、知的に誠実な学者像である。自国の経済状況や他国からどう見られているかという内向きの問題に汲々としている日本の状況を思うとき、世界に対する責任を自覚した意見を発信できる学者を首相のブレーンとして持つことのできる国民がちょっと羨ましくなった。(佐和隆光訳)

 2002/1/14 『ロンドン』上・下 エドワード・ラザフォード 集英社

久しぶりに持ち重みのする本である。A5サイズ、上下二分冊、各巻二段組みで500頁をこえる。このクラスの本になると寝転びながら読むのは無理。書見台で読むには厚すぎて頁が押さえきれないから、片手で背を支え、もう一方の手でページを繰るという基本的な読書スタイルが様になる。肘掛け椅子に納まって膝掛けをし、スタンドを引き寄せると後はひたすら読んだ。

紀元前54年、カエサルの指揮するローマ帝国軍の侵攻から始まって1997年の現代に至るまでのロンドンの街に起きた歴史上有名な事件を、10組の家族、150人以上の登場人物の行動で織りなす一大大河ドラマである。リチャード獅子心王やヘンリー八世、エリザベス女王などの王侯貴族は言うに及ばず、ジェフリー・チョーサーやシェイクスピアなどの文人、クロムウェルやトマス・モアなど、イギリスの歴史に名を残す有名人が総出演するという豪華な顔触れに、何はともあれ、イギリス好き、歴史好きの人なら巻を措く能わずという勢いで読みふけること請け合いである。

狂言回しをつとめるのは前髪に一房の白髪が混じり、指の間に水掻きを持つという遺伝的特徴を持つダゲットの一族だが、歴史の大海の中で浮き沈みを繰り返す何組かの家族が、互いに縁を切ったり結んだりしながら2000年という時代を生き抜いていく。農奴から伯爵、ヴァイキングの子孫からユグノー教徒まで、階級も人種も宗教も異なる人々が、ロンドンという街を舞台に陰謀をたくらみ、裏切りにあい、使命感に燃え、王のため、信じる神のため、そして愛する人のために、ある時は大火の中をまた砲弾の嵐の中を懸命に生きていく。

漠然とアングロ・サクソンの国だと思い込んでいたイギリスだが、二千年の長きに及ぶ物語を読み終えて感じるのは、国家とか人種とかいうものの出自の出鱈目さである。変わらないのはテムズの流れと、大河のごとくすべての人種や宗教を呑み込んでしまうロンドンという土地のみ。そして、その土地に流れ込んでくる人間の、ある者は金を、またある者は家柄を頼みにするという違いはあれ、誰もが生きるということを疑わず、そのために悪戦苦闘する姿。なるほど、イギリス人というのは人間好きであるわい、とあらためて思った。

文章は平易で読み易く訳文もよくこなれている。厖大な登場人物も、各一族にはそれぞれ特徴的な性格づけがなされているので、感情移入もスムーズに行える。歴史的なエピソードにも工夫が凝らされていて飽きさせない。いうならば、大人が本を読む楽しみを知っている国の読み物である。傍らの小卓子にお気に入りの飲み物を用意し、暖炉はなくともストーブの一つも近くに置き、冬の夜のつれづれを慰めるにはもってこいの一冊。

 2002/1/11 『素粒子』 ミシェル・ウエルベック 筑摩書房

中世の時代、神は人間の上に君臨していた。その神の権威が消えた後、地上に君臨したのは人間であった。しかし、神の栄光がいつしか消えていったように、人間もまた、今ではかつての輝きを失ったかのように見える。ニーチェの「神は死んだ」という言葉を受けて、「人間は死んだ」という言葉が、フーコー本人が否定したにも関わらず一人歩きしはじめたのは、いかにも象徴的である。

ある意味では対称的な、またある意味では非常に似通った二人の主人公は異父兄弟である。対称的なのは、超一流の生物学者である弟のミシェルが、美しいフィアンセを愛することができない孤独な求道者的人物として描かれているのに対し、平凡な文学教師の兄のブリュノは、「エロティック=広告社会」に首まで浸かったセックス至上主義者として戯画化されていることである。

似通っているのは、二人とも奔放な男性遍歴を重ねる母に見捨てられ、祖母に育てられたために愛というものが理解できないことである。子どもの頃科学の本ばかりを相手にして育ったミシェルは、人を愛するということが分からない。ブリュノの場合、彼が求めているのは、自分を理解した上で愛してくれる女性なのだが、性的な願望に眩惑されているブリュノにはそれが理解できない。

一人は愛を知らず、一人は性による結びつきに愛を求めては裏切られ続ける。長い彷徨の果てに愛する相手を得たと思ったのもつかの間、二人ともその相手を喪失し、自分もまた毀れてしまう。「恋だの優しさだの人類愛だのといった感情はすでにおおかた消え失せて」「同時代人たちは互いの関係においてたいていは無関心、さらには冷酷さを示してい」る、プロローグに記されたそんな世界に二人は住んでいるのだ。

ミシェルの著したノートには「愛は結びつける。永遠に結びつける。善をなすことは結びつけることであり、悪をなすことは結びつきを解くことである。」という言葉が残されている。『ケルズの書』の絡み文様から触発されたこの言葉には、母との結びつきを解かれ、アナベルを癌によって喪ったミシェルの心の傷と、それにも増して愛を求める叫びがこだましている。愛を知ることのなかった頃は生きていられたミシェルだが、一度愛を知るや、愛のない人生に耐えられず自殺してしまう。

人は、生、老、病、死から逃れられない。われわれは、いわばそれを引き受けた上で生きているのだが、仏陀のような覚者でもない限り、心安んじて生きているとは言えない。問題は愛にある。母と子、男と女のように人が互いに分離されていることが愛を生じさせるのだ。人は愛するが故に迷い、執着するのである。人間が今のような存在として生きていく限り、いくら「分離は悪の別名」だとしても、いつかは愛するものとの結びつきを解かれざるを得ない。

プロローグとエピローグに挟まれるミシェルとブリュノの物語は、人間の生が苦しみでしかなかったことの実証である。プロローグでは、この物語が過去の回想であることを証している。エピローグでは、コペルニクス的回転でもって、「永遠に結びつける」愛がいかにして可能になったかを記述している。その解決策を受け容れられるかどうかは、読者の資質によるだろう。

 2002/1/4 『大江戸歌舞伎はこんなもの』 橋本治著 筑摩書房

歌舞伎座の正月狂言は『人情噺文七元結』だった。吉右衛門、玉三郎、染五郎と顔ぶれだけはにぎやかだったが、科白のまちがいがやたら耳について上出来とはいいかねる舞台だった。けれども、その前にこの本を読んでいたので、ははあん、なるほど、と思いながら楽しんでみることができた。それは、いったいどういうことかといえば、舞台上に組まれた屋台の高さについてである。

歌舞伎の大道具はだいたい決まっている。室内なら舞台の上に台を置いてそれを床にする。この高さが、同じ室内なのに場面によってちがうのが歌舞伎である。たとえば、幕が開くと左官長兵衛の家だが、ここは平舞台で台がない。次の場面は吉原の角海老というお店で、ここには常足という高さ一尺四寸(約42p)の台が置かれる。この謎を解き明かすのが第一章「歌舞伎の定式」。

答えをいえば、常足の上で演じられるのが自分たち町人と同じ一般人のドラマであることを意味し、平舞台はそれより下層民の生活であることを意味している。それだけではない。床への上り下りという動作を省略したことで平舞台はクローズ・アップの効果を持ち、よりリアルな表現がそこに生まれる。常足という高さを定式として持ち、それを破棄することで新しい表現が可能になる。このことを橋本は次のように言う。

「ルールに関しては必要最小限度にとどめておく――そうじゃなかったら、ルールによってがんじがらめになります。がんじがらめを避けるようにして出来たルールは融通がきくんです。そして、そうしておいて、今度はそのルールを守るんです。」橋本の軸足がどこにおかれているのかがよく分かる言葉である。

日本の近代というもののあり方に疑問を持ちながら、それが解明できず悶々としていた橋本は、江戸歌舞伎の荒唐無稽とも自由奔放とも見えるものの中に、自分と重なる「中途半端な説明を拒絶する徹底したスタイリストぶり」を発見する。それは、京、大坂という上方が持っている文化に対抗して新興の江戸が激しく欲した「様式」というものが必然的にもたらした「構造」であった。

江戸の歌舞伎がなぜ町人でなく武士の戦いの世界を描くのかについて触れながら、江戸の武士と町人の関係は、大人と子どものそれだと言い切った後、橋本は次のように書いている。「日本の文化というのは、どうもこういう構造をどこかで持っているようで、平安期の女流文学とか当今の若者文化とか、みんな結局は囲い者の文化、被扶養者の文化ですね。江戸の町人文化も、自分の頭で全体を考えないという点で、まったくおんなじです。」

連載時『歌舞伎の図像学』というタイトルがつけられていたとおり、これは凡百の歌舞伎の解説書とは異なる。「なんだかよく分からない」江戸歌舞伎の構造を読み解くことで、我々の中に今も残る江戸町民的心性を解明していく野心的な試みを秘めた書である。なあんだ、古臭い歌舞伎についての解説かなどと高を括って通り過ぎたり読み飛ばしたりする読者はあっさりとうっちゃりを食らうことになる。

名優の芸談や義理人情の世界ばかりを解説してきたこれまでの歌舞伎本はいったい何だったのかと「パラダイムの変換」が起きること請け合い。今まで何度も見ていながら分からなかった、江戸時代の男伊達花川戸の助六が、鎌倉時代の曾我の五郎である理由も、これを読むと目からうろこ。歌舞伎愛好者にも、そうでない人にも是非一読をお薦めする。
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