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 2001/09/28 『千と千尋の神隠し』 宮崎駿監督

ついに興行成績の記録を更新した宮崎駿の最新作を、近くにできたシネマ・コンプレックスのレイトショーで、やっと見ることがかなった。ところが、である。かつて、『風の谷のナウシカ』を見たときのような感動や『紅の豚』を見たときのような満足感が得られないのは、何故だろうか。ベストセラーというのは、ふだん本など読まない人が読む本のことだという説を聞いたことがあるが、『千と千尋の神隠し』もまた、その種の作品なのだろうか。

蓮實重彦が、何年か前に『小説から遠く離れて』の中で、村上春樹、井上ひさし、丸谷才一、大江健三郎他の錚々たる顔ぶれの作家の新作を並べて、みな一つの物語を語っている、とやっつけたことがあったが、その真似をしようというのではない。第一、ありふれた発見を大仰にひけらかして読ませるだけの文才が備わっていない。ただ、あまりにも教科書通りの語り口に、果たしてこれがあの宮崎駿なのだろうかという疑問を感じたまでである。

ウラジミール・プロップが、『民話の形態学』その他で行った民話の「機能」分析は、既に多くの人の知るところだと思うが、話の都合上、少し紹介したい。彼によれば、魔法民話の古い核は原始社会のならわしである入門儀式にあり、民話は、その退化した形式である。ロシア民話を中心に、彼が行った構造分析によると、およそ民話の機能の数は31に集約される。

試みに、20までの機能を挙げてみよう。
1.留守
2.禁止
3.違反
4.捜索
5.密告
6.謀略
7.黙認
8.加害(または欠如)
9.調停
10.主人公の同意
11.主人公の出発
12.魔法の授与者に試される主人公
13.主人公の反応
14.魔法の手段の提供
15.主人公の移動
16.主人公と敵対者の闘争
17.狙われる主人公
18.敵対者に対する勝利
19.発端の不幸または欠如の解消
20.主人公の帰還
あとは省略するが、ここまでのところを『千と千尋の神隠し』と照合すれば、見た人には何がどれにあたるのかはすぐに分かるはずである。その順序さえまったく同じなのだから。

誤解されないように言っておけば、この符合を責めているわけではない。多かれ少なかれ、物語は、このプロップの機能に集約されてしまうのは、蓮實氏の先例にある通りである。ただ、あまりにも藝のないなぞりように鼻白む思いがしたことと、幹はどうあれ、枝葉のつけようでどうにもなるはずの肝心の枝葉に宮崎氏らしいこだわりが見られなかったことを憾みに思うばかりである。

異界を象徴する「油屋」は、会社の慰安旅行で行く北陸あたりの温泉街めいていて、監督自身の言う中年男の妄想というのは理解できないでもないが、お得意の飛行機械が、『果てしない物語』の二番煎じであったり、八百万の神々の造形があまりにも貧相なのが不満である。今時の子である千尋の行儀に対する説教臭いのも鼻につく。銀河鉄道を思わせる列車など、先行する映画や、民話、童話から再創造するのは、すぐれた映画作家なら誰でも行うことで、観客としては楽しみでもあるが、多くのアイデアが整理されないままに濫費され、消化不良を起こしている感じがする。

物語としても、今ひとつこちらに迫るものがないのは、敵対者がないことにある。民話でお馴染みの「双子」を使いながらせっかくの機能を使い切れていない。どちらも、真の敵対者になり得ず、緊張感が高まらない。「名前」の喪失と奪回という機能についてもそうだが、約束事はきっちり守られていて、民話や神話のおさらいをさせてもらった気がする。そういう意味では、極めて教育的な作品であるといえよう。ただ現代の子どもは、これほどまでに周囲の手助けを得なくては「生きる力」を持てないのだと作者が考えているとしたら、その方がよほど危機的な状況といえるだろう。

 2001/09/23 『ロンドンで本を読む』 丸谷才一編著 マガジンハウス

イギリス書評のアンソロジーである。それも長い物が多く、ほとんど評論と言っていい。訳者は粒揃い。取り上げられた本も、古典から村上春樹までバランスよく配置されている。肝心の書評家はサルマン・ラシュディやデイヴィッド・ロッジのような顔なじみばかりではないが、編著者お墨付きの芸達者揃い。しかも、全編について、丸谷才一の解説付き。おまけに、書評という藝についての蘊蓄満載とくれば、書評に関心を持つ向きは何はさておき手許に置いて繙かねばなるまい。

巻頭に掲げられた「イギリス書評の藝と風格について」で、丸谷は、まず、イギリス書評の持つ魅力について触れている。小説家の書いた書評にジャーナリスト批評家の物にはない趣向があることについて述べた後、イギリス書評の特徴を挙げている。

その一。書評は、まず本の内容の紹介である。それを読めば問題の新著を読まなくても社交上の会話が成立する程に。その際、著者や彼の主題の背景を手際よく説明することが不可欠である。

その二。紹介の次に大事なのは評価である。掲載紙の格式、傾向をもとに読者が書評を参考に、当の本を読むかどうかを決めるからである。そのため、主任書評家はスター扱いを受けている。

その三。文章に魅力がなくてはならない。流暢、優雅、個性の三つの美質を兼ね備えない書評家はいない。たとえ、毒舌を売り物にする書評家であっても、である。

その四。先に述べたものより高い次元の機能として、批評性が挙げられる。当の新刊本を契機にし、「見識と趣味を披露し、知性を刺激し、あはよくばいきる力を更新する」という働きである。

その五。長文の書評が多い。イギリス書評は紙数を充分に与えられていて、長文の評論を書くことができる。書評はそのまま評論に通じる仕組みになっている。

一つ一つの作品が、イギリス書評の名人藝の見本帳となっていて、それにつけた丸谷の解説を読みながら本編に入る仕掛けになっている。たとえば、書評は書き出しが大事、と述べた後で、「わたしにとって、この世でもっとも魅惑にみちた主題は性と十八世紀である」という書き出しを持つブリジッド・ブローフィーの『ファニー・ヒル』についての書評を取り上げて見せる。そこから、丸谷にある、こういう軟文学を好んで取り上げる傾向は、イギリス書評界に影響を受けたものであったのか、などということも分かるのである。

イギリス書評という、「ほとんど未紹介の読物」をネタにして、我が国の書評の未成熟な部分、書評文化の貧しさを背面から撃とうという試みが、成功したかどうかは今後の動向を見るしかない。書評というジャンルに関心を持つ一人としては、イギリス書評の持つ大人の余裕、ヒューモアの感覚など、お手本にしたい「藝」を堪能させてもらったことを丸谷氏に素直に感謝したい。

 2001/09/20 『冬物語』 W・シェイクスピア 小田島雄志訳 平幹二郎演出

『冬物語』の前半は悲劇。シチリア王リオンティーズは、兄とも慕う親友のボヘミア王の帰国を引き延ばそうとして、王妃のハーマイオニに説得を頼む。しかし、説得が功を奏し、ボヘミア王ポリクシニーズが帰国を延期すると、リオンティーズは、王妃と親友の仲を疑いはじめる。嫉妬に狂った、王の行為によって王妃も王子も死に、親友は帰国し忠臣カミローもまたボヘミアに去ってしまう。神託により王妃の無実を知らされた王は深く悔いる。ここまでが前半である。

後半はうってかわって喜劇的な明るい色調の中で劇は始まる。16年後、私生児と疑われ、ボヘミアに捨てられたリオンティーズとハーマイオニの子パーディタは羊飼いに育てられ美しい娘に育っている。今では、ボヘミア王の子であるフロリゼル王子と恋仲である。毛刈り祭りの最中、父王に身分違いの恋を責められ、二人はカミローの計略でシチリア王のもとに身を寄せる。それを追ってボヘミア王もシチリアに渡るが、パーディタの出生の秘密が判明し、二人の恋は認められる。

結末は、死んだとばかり思っていたハーマイオニが侍女の計略で生かされており、石像に化けた王妃に前非を悔いる王を王妃が許し大団円に至る。エリザベス朝演劇ならではの予定調和の悲喜劇の構成はまるで歌舞伎を見るようだが、死んでいたはずの王妃の復活が若い二人の恋の成就を祝福し、物語はハッピーエンドを迎える。

レトリックを駆使したシェイクスピアの戯曲は、役者の科白術が、劇を生かしも殺しもする。平幹二朗は、終始、王の威厳と、それに共存する人間的弱さを演じきり、好演といえる。科白回しも堂に入ったもので、その声には色気さえ感じる。前田美波里も張りのある声で、力演ではあったが、貞淑な妻として、夫の横暴をひたすら耐える王妃という役にはエロキューションに課題が残るような気がする。松橋登のオートリカスは、舌先三寸で世渡りをしていく、本来なら狂言回しを引き受けるべき現世的人物なのだが、本人の貴族的な雰囲気が災いして、猥雑ではあるが魅力的な人物には成り得ていなかったのが惜しまれる。

オートリカスの歌が演歌的であったのは蜷川から学んだものでもあろうが、情念の奔出する近松物ならいざ知らず、道化的人物に演歌はそぐわない。その他の曲も通俗的で喜劇的なるものを誤解しているとしか思えない。大衆へのおもねりを模倣したとするなら、その意図は果たされていただろうが、できれば、ここは古楽器を用いるなどして、エリザベス朝に徹してほしかった気がする。

王侯貴族の集まる場所で見せるなら、皮肉も嫌味もよく効いて、幸福な結末で終わるあたり、見事な作劇術だと思うのだが、シェイクスピアのような古典的な作品を現代で演じる意味は、どこにあるのだろうか。『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』のように、庶民の役を演じる羊飼いの親子や小悪党のオートリカスをもっと生かす工夫があれば、現代に生きるシェイクスピアを見ることもできるような気がするのだが。

エリザベス朝の舞台を意識したものと思われるシンプルな装置は、一段高い円形の舞台と紗幕を使うことで、限られた狭い空間をどう生かすかという課題をかなりの部分で解決していたと思う。余分な装飾を廃した壁面は、悲劇的な冬を表すには極めて効果的であった。しかし、後半の祝祭的な場面の表現には、物足りなさを感じたのも事実である。劇的などんでん返しを支える舞台装置を見たかったな、と思う。

 2001/09/16 『ココアの一匙』 石川啄木

マンハッタン島の世界貿易センタービルと、ペンタゴンがハイジャックされた旅客機に激突されるという傷ましい事件以来、世界は騒然となっている。特に当事者であるアメリカでは、当日に報道された同時多発テロという表現が一日を経ずして、「戦争」という見出しに変わり新聞紙上に躍るという劇的な展開を見せている。いうまでもなく、テロと戦争はまったく異なる概念を持つ。

この事件が新世紀の戦争であるかどうかは今後の検討を待つとして、所謂「戦争」とは、いままでのところ、国家間の外交の最終的な手段としてあったし、これからもそうであろうと思う。今回の事件は、アラブ系の犯人であることは明らかだとしても、国家と国家の問題とはちがう。宗教やイデオロギーのちがいによるテロ行為と見るのが妥当である。

しかし、アメリカは、これを宣戦布告ととらえて曰く「自由と民主主義に対する挑戦」とし、報復攻撃に出ることを早々と決め、先進諸国もこれに同調している。しかし、合衆国政府も認めているが、テロの標的の一つがブッシュ大統領自身であるとしたら、原因は大国であることをかさに着た大統領の強権的な外交政策が引き金になっていることは明らかである。

もちろん、テロ行為は許されるものではない。しかし、世界中が、「自由と民主主義に対する挑戦」というアメリカ政府の表現をそのまま鵜呑みにすることは早計の誹りを免れない。アメリカ人が自国を自由と民主主義の国と考えるのは自由だが、世界の中には、それを到底肯んじ得ない人々もまた存在するのだ。彼らの声は充分に私たちのもとに届いていると言えるのだろうか。多くの無辜の人の生命を犠牲にしたという点では非戦闘員に対して原子爆弾を投下した過去を持つアメリカに、それを言う権利があるかどうか疑わしい。

かつて盛岡を旅したとき手に入れた一冊のノートがある。啄木自筆のノートを復刻したものである。晩年の『呼子と口笛』の諸編が端正な文字で横書きの大学ノートに書かれている。今試みにその一編を引く。

われは知る、テロリストのかなしき心を−
言葉とおこなひとを分かちがたき
ただひとつの心を、
奪われたる言葉のかはりに
おこなひをもて語らむとする心を、
われとわがからだを敵に擲げつくる心を−
しかして、そは眞面目にして熱心なる人の常に有つかなしみなり。
気になるのは、これをきっかけに先進諸国の間にイスラムを危険視する風潮が広がることである。ワシントン大聖堂におけるミサに集まる歴代大統領の姿に、この戦争を対イスラム宗教戦争化しようとする意図が透けて見える。今ひとつは、中東の一部勢力が、株価の変動を予め知ることによって巨額の利益を得ているという報道である。「真面目にして熱心なる人」の心を利用し、権力や資本を手に入れようとする動きに対してこそ、世界は注目して行かねばなるまい。

 2001/09/10 『おぱらばん』 堀江敏幸

エッセイという言葉がモンテーニュの『エセー』から来ているのは誰でも知っている。しかし、この国で専ら気ままに書き散らされた雑文を意味するエッセイと、モンテーニュの「エセー」がまったく別種のものであることは案外知られていないのではないだろうか。「エセー」とは「試み」という意味である。若くして隠遁を決め込んだモンテーニュは、城館に閉じこもり万巻の書物を読むことを日課とした。読書中に気になった言葉があると書き写し、それに自分なりの考えを摺り合わせ、自分の考えの妥当性を試してみた。その結果を書きとめたものが『エセー』である。

読書を好む者が、欄外や行間に注解などを書き込むのは、古くから行われてきた習慣である。しかし、書き込みの方が長くなれば、それはもう立派な本人の作品と言わねばなるまい。「エセー」とは、自分の生理や心理、思考と接点を持つ言葉を手掛かりに、自分独自の考察を試みるものだとするなら、堀江敏幸の作品こそは、「エセー」そのものと言えるだろう。

三島賞を受賞した『おぱらばん』も、短編小説の体裁を整えてはいるが、基本的には「エセー」の趣を強く漂わせている。すべての作品は、(ある時は、タブローであったり、絵葉書であったりもするが)何かの書物や言葉から始まる。そして、その言葉(書物)が、人物を引き寄せる磁場となり、「私」は、言葉(書物)を介して他者と遭遇することになる。モンテーニュの「エセー」が、思考力や判断力を「試みる」場となっているのだとすれば、堀江敏幸のそれは、共同体を離れた一個の他者が、異郷にあって別個の他者と新たな関係性を持つという営みに関する「試み」と言えよう。

モンテーニュが、円形の塔の三階に閉じ籠もったように、堀江は、パリ郊外を自分のテリトリーと定め、中国人や、ユダヤ系ロシア人、リトアニア人といった異郷の人々との触れあいを通して何かを「試み」ようとしている。「私」が他者との間に開く通路はいつも過去に向かって開かれている。それは、死者の記憶であったり、廃屋であったり、忘れ去られた詩人であったりする。一歩誤ればノスタルジーに堕してしまいそうなきわどい地点を堀江敏幸はあえて歩こうとしているかのようだ。彼をそこから救っているのは、美しかった過去を偏愛するのでなく、今、滅びようとするものに向けられた視線の穏やかさにあるのかも知れない。

 2001/09/09 『仮名手本忠臣蔵 七段目』 松竹大歌舞伎

松竹が、全国の公立文化施設を小屋主にして、毎年巡業公演を打っている。なかなか本物の歌舞伎を間近に見ることがかなわない我々地方の愛好者にはありがたい企画である。今年は「七段目」「娘道成寺」という、お馴染みの演目の間に「お目見得口上」が入るという、初めて歌舞伎を見る人が見ても楽しめる演し物が並んでいた。

幕が開くと、舞台の上は祇園一力茶屋の場である。はじめの方を端折って、伴内と九太夫が由良之助の差し料を確かめる場面から始まった。道化役の鷺坂伴内の客席に直接語りかける軽妙な演技で、観客を自然に芝居の中に入り込ませていく。いつもながらあざとさを感じるほどの演出。伝統芸能といっても、歌舞伎の敷居は低いのだ。

松緑が折り紙をつけたという富十郎の口跡の良さは健在。特に後半、斧九太夫を打擲するところ、それまで内に秘めて、誰にも見せようとしなかった本心を堰が切れたかのように滔々と語り出す場面では、語るほどに次第に感情が高まっていく様子を、その口跡の良さを駆使して聞かせる。前半の郭遊びに耽る男の色気や、大事の前には遊女の命を奪うことさえ憚らない実務家の姿と打って変わった真摯な人間像の表出に観客は思わず息を呑む。

芝雀のお軽は初々しく可愛い妹ぶりだが、夫勘平の死を知るや表情は一変する。年老いた父の死は別として、勘平の死は若すぎると嘆くその姿には、夫の無念を思い遣る女房の気持ちがにじみ出る。お軽の役について、六段目の女房は腰元のつもりで、七段目の遊女は女房のつもりで勤めると役が通ると言われているのはこのことか。信二郎の平右衛門も悪い出来ではないのだが、以前に見た孝夫、それに吉右衛門の平右衛門の印象が強いため、単純素朴な人柄だけが浮かび上がり、妹への愛惜、軽輩者故の口惜しさなどが、もう少し伝わってこない憾みがある。

丸谷才一も言っているが、『忠臣蔵』には、上は将軍の弟から、下は農民の猟師という社会の多層性が表されている。お軽の父はその最下層の農民で、娘の夫が敵討ちに連なる資金を得るため、可愛い娘を身売りさせる。その金を奪われた上、父は殺され、夫はその舅を殺したと思い込み切腹して果てる。お軽自身も密書を盗み見たために今、兄の手にかかって死のうとする。足軽の身ゆえ敵討ちのための東下りにも供を許されない平右衛門は、妹お軽の首を土産に供の許しを請おうとするのである。

不入りの時にも効くというので歌舞伎界では「独参湯」ともいわれる『忠臣蔵』だが、今年は討ち入り後三百年にあたり、今回の公演は三百年記念だそうである。その人気演目も戦後暫くは武士道を鼓吹するという理由から上演を許可されなかったという。しかし、庶民が感情移入したのは、階級差ゆえに忠義さえままならない軽輩者の悲しさや、下層階級からの脱出を仇討ちにかける男たちの野心の犠牲にされる女への共感ではなかったろうか。「七段目」では、座頭格が演じる由良之助にもまして、平右衛門とお軽の演技に期待がかかる所以である。

 2001/09/05 『小屋の力』 仙波喜代子 今井今朝春編 ワールドフォトプレス

小さい頃、自分の部屋がほしくて、廊下の端に畳を一枚敷いてもらった。壁際に机を置き、反対側をスチール書棚で仕切った。机の前の壁には、世界地図を貼った。地図の真ん中に赤く塗られたちっぽけな島がくるのはなんとなく嘘っぽかったので、太平洋で二つに切り、大西洋をつなぎ合わせた。天井からは糸で飛行機のソリッドモデルを何機も吊した。気分はコックピットだった。

母屋と納屋の間に以前鶏を飼っていた小屋があった。廃材を利用して改造し、基地にした。地面を掘って、半地下にし、燃料用の薪を床代わりに敷いた。学校から帰ると、気のあった仲間とそこにこもっては、別のグループとの戦いに備えて作戦を練った。ある日、何だか尻の辺りがもぞもぞするので、腰を上げたら、むかでのような虫がいた。おそるおそる床をめくると、いるわいるわ、背筋が寒くなった。湿気を含んだ薪にわいたのだ。基地を捨てて撤退したのは言うまでもない。

裏庭の櫟の木の上に縄と板切れを使って、見張り台を作ったこともあった。どうして、あの頃あんなに基地作りに熱中したのか、今となっては分からない。しかし、この本を読んでいると、あれが自分だけのことではなかったということがよく分かる。多かれ少なかれ少年は、みんな小さな自分だけの城を持ちたがるものなのだ。

写真満載のムックということもあり、随分厚い本だ。小屋というコンセプトに関する物なら、小は巣箱から大は芝居小屋まで、何でも網羅している。ツリーハウスや、ティーピーについての記述は、予想通りだが、見せ物小屋まで入っているとは思わなかった。建築家や写真家は言うに及ばず、小屋について一家言を持つ人が語るエッセイが読ませる。

日本各地の小屋を、まるで人間の顔写真を撮るように、真正面から撮影した写真がいい。見ていると、その地方独特の顔つきがお国自慢をしているようで、何だか楽しくなってくる。もちろん、世界各地の小屋も紹介されている。ヨーロッパの小屋とアメリカの小屋のちがいは、まるで、それぞれの国が作る映画の肌合いのちがいがそこに凝縮されているように思われるほどだ。

今度の休みには、少し重いが、この本を持って、自分の小屋に行こうと思う。ベランダに落ちる秋の日差しの中でゆっくりページを繰る楽しみを思って、週末までの仕事に精を出すとしよう。仕事や人間関係で少々疲れが来ている人にお薦めしたい。すぐに自分の小屋が持てなくても、少年時代に帰って、暫し心がやすまるのではないだろうか。

 2001/09/02 『猿の惑星』 ティム・バートン監督

一般に役者が役作りを行うのに、何から入るかというと、大きく分けて二種類ある。一つはリサーチを通じて、人物の性格や心理をつかんでいこうという方法で、多くの俳優がこの方法で役を作っている。一方、少し変わった方法ではあるが、名優アレック・ギネスは、メイクや衣装を手掛かりに役の中に入っていったという。

バットマンなら、マスクを脱いで素顔が見せられる。しかし、猿のマスクをつけ、猿を演じる役者は、どうやって、演技をすればいいのだろうか。しかも扮しているのは猿である。この場合猿のメイクはそのままで、人間として考えるという方法がある。多くの役者がその方法を採る中で、このハンデを逆手にとって、一人異彩を放つのがセード将軍役のティム・ロスである。アップを多用する映画という媒体で、自分の顔を特殊メイクで覆ってしまえば、残るのは、かろうじて動かせる目と口、そして体全体による演技しかない。彼はそれを最大限利用する。否、むしろ、それによって演技が引き出されているような印象をさえ受ける。先に挙げたアレック・ギネスの演技術のように。

ティム・ロスという役者には冷めた狂気のようなものがいつも漂っている。笑っているときもそうでないときも、心の底を覗かせない目の表情が印象的な役者だった。ところが、ここでは、うって変わって感情のボルテージを上げ、ぎらぎらした目や息づかいを見せる。顔だけではない。猿独特の跳躍による垂直移動を多用した動きは、他の役者の到底模倣できる動きではない。仮面を纏うことによって、ティム・ロスは遙か後方に退き、猿でも人間でもない狂気の独裁者が出現したのである。

監督が、役者に求めたのが、こうした演技であったろうことは、四つ足で走る兵たちの演技からも想像がつく。演技者が猿に近づけば近づくほど、逆転された世界の異様さがクローズアップされるのである。しかし、あのヘレナ・ボナム・カーターでさえ、中途半端な演技に終始してしまっているのは監督の誤算だったろう。私見だが、アリ役のヘレナに関してはメイクの中途半端加減が、演技の目測を見誤らせたのではないだろうか。もっと、猿に近いメイクにするべきだったのだ。

ジュラシックパークの恐竜でさえ演技らしきものを見せる。まして役者なら、猿を真似るのでなく、猿になってみせるくらいの演技が見たい。俳優たちは、演技訓練として、それぞれの種類の猿の動きについての特訓を受けたというが、原『猿の惑星』のロディ・マクドゥーウェルやキム・ハンターを越えていたのは、ティム・ロスただ一人と言っていい。

異形の者が自分たちと同じ振る舞いを見せることに対するおぞましさや苛立ちを充分に見せることができなくては、主人公が旧世界に帰ろうとする気持ちを説明できない。せっかく会えたペリクリーズを一人残して自分一人ポッドに乗り込む主人公には、猿に対する差別感がはっきり表明されていたのだ。監督ティム・バートンの軸足がどこにあるのかを、俳優たちは十分に理解していたのだろうか。

見ていて最も感情移入ができたのは、再会し、すぐに見捨てられるペリグリーズ役のチンパンジーであったことが何より皮肉であった。所詮、人間は猿には勝てないのかも知れない。

 2001/08/31 『今日も映画日和』 和田誠・川本三郎・瀬戸川猛資 文藝春秋

映画を見ていて、何気なく挿まれた一カットが気になったりすることがある。あれにはどんな意味があるのだろう。以前見た映画によく似た場面があったぞ。この俳優は、どこかで見たことがある。こういうときに、ああ、あれね、と話し合える人が傍にいればいいが、なかなかそううまくはいかない。もし、そんな人がいたらいつまででも映画について話していたいと思う。

映画を見る事が好きな人は多いのだが、映画についての知識や意見をキャッチボールできる相手は少ない。まず第一に、お互いの興味や関心がずれていれば会話がはずまない。古い映画や評判にならなかった映画もある。どんなボールが飛んできても受けとめる守備範囲の広さも大事な条件である。趣味や考え方が似ていて、相手の意見に寛容な、相当の映画マニアなんて滅多にいるわけがない。ここにそんな貴重な話し相手を見つけた幸せな三人組がいる。

この三人について言えば、映画が大好きなことがまず伝わってくる。その上で、A級B級は言うに及ばず、どんなつまらない映画でも食指に乗せる。いわゆる名画やシネアストと呼ばれる監督の作品と、場末の三番館で見た作品を差別せず平等に論じるその精神の在り様が貴重だ。仲間同士の会話という気易さもあって、映画マニアの口吻が伝わってくるのが、また楽しい。自身映画監督でもある和田誠が終始ファンの立場を崩さないのが印象的である。

どんな映画も分け隔てせずに論じていても、そこにある種の傾向というものが出てくる。多くの映画に少し顔を出すだけの脇役や、悪役専門でアカデミー候補になりながらも受賞を逸した役者に肩入れし、彼らの路線を踏襲することで三度もアカデミー賞をもらうジャック・ニコルソンには厳しかったり、『十二人の怒れる男』に東部のインテリがプアホワイトを叩きのめす後味の悪さを見たりするのがそれである。

ティム・バートンがインタビューに対して答えた、殺される怪獣の側に共感して映画を見てしまうという言葉を引いていることからも分かるように一貫して(その時点における)弱者の側に立った視点が貫かれていることが、読後に爽やかなものを感じる原因かも知れない。古くからの洋画ファンで、近辺に映画の話をする相手のいない人に特にお薦めしたい。読みながら相槌を打ったり、「そうかなあ」と呟いたりすること請け合いである。

 2001/08/27 『天気待ち』 野上照代 文藝春秋

書名の「天気待ち」というのは映画の撮影時、思った画が撮れる天気になるまで撮影を中止することである。著者は、『赤西蠣太』を見て、伊丹万作にファンレターを送ったのが機縁となって、黒澤明の『羅生門』撮影にスクリプターとして加わることになる。最初に書かれたこのエピソードを読んだだけで、映画好きなら著者の幸運を羨みたくなろうというものだ。もっとも、『羅生門』の撮影は1950年だから、当方まだ生まれていない。

日本映画界に素晴らしい才能が綺羅星のごとく並んでいた頃の話である。スクリプターとして、黒澤明に付き、監督や役者を含む黒澤組のスタッフの素顔をスクリ−ンの裏側で見てきた人の話がおもしろくないはずがない。特に、たった4人しかいない日本人スタッフの一人として、シベリアロケを経験した著者の『デルス・ウザーラ』撮影秘話は、黒澤の苦労がどんなものだったかをよく伝えて興味深い。この映画は公開当時期待して見に行きながら、首を傾げて帰ってきたのを覚えている。黒澤が撮影中「今まで、俺が撮りたいと思った画は、ひとつも撮れたことがないんだ!」と怒ったという挿話が、この映画の出来を物語っている。

黒澤の映画では、仲代が主演した後期の大作より、三船敏郎が主演した頃の作品の方が好きだ。特に『椿三十郎』のようにユーモアが前面に出た作品を何より愛するものだが、黒澤の才能を早くから買っていた伊丹万作なら、何を推すだろうか。その三船だが、豪放磊落な風貌の裏に人一倍他人を気遣う繊細さがあったことをこの本で知った。生半可な気遣いぶりではない。シャイな性格ゆえ、みんなが寝静まってから泥酔して車を走らせ、ストレスを発散させていたという。そういう三船の持つ人間性を黒澤の映画は見せてくれる。他の映画では三船はただの木偶の坊である。

『ヨーロッパ退屈日記』以来の伊丹十三ファンだが、彼の自殺にはショックを受けた。最もそういう行為からは遠い人格だと思いこんでいたからだ。伊丹家との深いつながりもあって、著者は若い頃から伊丹(十三)を知っている。その伊丹が、父万作のことを我が子に伝える言葉に感銘を覚えた。「父の役割は、自分の父のことを子に伝えることだ」という伊丹の言葉は、二年後の事件を思うとき、彼の胸中にあった思いを想像させずにはおかない。

 2001/08/25 『海の上のピアニスト』 ジュゼッペ・トルナトーレ監督 

映画は、印象に残るエピソードをいくつも用意している。船酔いに苦しむトランペット吹きをピアノの椅子に座らせ、ストッパーを外すと、ピアニストは揺れる船に転がり出すピアノに向かって軽やかに音楽を奏でる。広いボウルルームを遊園地の珈琲カップのように回転しながらやがてそれは快楽と化してゆく。ロジェ・カイヨワの分類に従えば差詰め「目眩」に類する遊戯だろう。同年代の友人を持たなかった主人公が初めて友を見つける場面である。子ども同士の出会いには遊戯が必要だった。

ジャズの創始者を自認するジェリー・ロール・モートンとのピアノによる決闘も、極めて映画的な模倣を見せる。『アマデウス』のサリエリとモーツァルトのように、ジャズ(音楽)をできあがった概念として取り扱うジェリーに対して、生成するもの、今此処にあるものとして扱うことしか知らない1900のイノセンスの対比。相対的な世界に生きる者は絶対的な世界に生きる者の敵ではない。決闘に負けてもジェリーは船を下りることができる。

彼の孤絶した世界に一人だけ波風を立てる人物がいる。アコーディオン弾きは「海の呼び声」について語る。海は「世界は無限である」と叫ぶのだという。19世紀の世界では民衆は生涯生まれた土地に縛りつけられていた。しかし、20世紀には大量の民衆が世界を移動することになる。預言者のように男は語った。その声は陸からしか聞けないという。何年もしてからその男の娘と運命的に出会った主人公は、初めて船を下りようと思うようになる。

しかし、タラップを半分まで下りかけた所でニューヨークの摩天楼を目の当たりにして、彼は気づく。この風景には果てがない、ということに。ピアノのキイにも航海にも船にも限りがある。彼の世界は、点から点まで。その線上でなら天衣無縫に動けるが、それを外れては一歩も動くことはかなわない。生まれてから一度も陸に上がったことのない主人公にとって、世界とは自分の知悉したものでなければならない。それはちょうど前世紀の民衆の持つ世界観と同じだった。

この認識は彼を追いつめる。彼は死ぬまで船を下りることができない。親友のペット吹きのように自分の生きる世界を自明なものと見て、それに一度たりとも疑問を感じたりしない人間にとって、このドラマは天才ピアニストの一挿話でしかない。しかし、自分のいる世界が他者の住む世界とは違うということに気がついてしまった人間にとって、主人公の苦悩は他人事ではない。

ユークリッド幾何学の世界では点は位置を示すだけで質量を持たない。点が平面上を移動したときに線が生まれる。船に捨てられた年から1900(ナインティーンハンドレッド)と名づけられた男の生涯は、ちょうどこの点のようなものである。海図の上に引かれた線上を行ったり来たりするばかりで、奥行きのある世界に決して脚を踏み入れることができない。思えば名前が数字であるということが既に彼の住む世界を暗示していたのではなかったか。世界は20世紀に入って半ばも過ぎようかというのに、彼ばかりはいまだに1900のままというのは何という皮肉だろう。
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