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2001/12/30 「この三冊」 朝日新聞社・毎日新聞社
年末になると新聞の書評欄に『この三冊』が特集される。各紙の書評子達が専門分野や、好みに応じて選んだ一年間のベスト3である。日曜日が来る度に朝日と毎日の二紙の書評を楽しみにしているが、今年は毎日が先週、朝日が今週と「この三冊」の特集だった。毎日が30人、朝日が20人、合わせて50人の選んだ三冊を見て思うのは、意外に重ならないものだなということである。
人は顔がちがうように思うこともちがうとはいうものの、年間のベストなら、もう少し重なってもいいような気もするのだが。もちろん重なっているものもある。両紙を通してジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』が4人、西村肇、岡本達明の『水俣病の科学』が3人に選ばれている。その一方で、毎日では三浦雅士の『青春の終焉』を選んだ評者が8人もいるのに、朝日には一人も見あたらない。三浦が毎日の書評を担当しているからそういうことになるのだろうか。朝日の書評を担当している堀江敏幸の『いつか王子駅で』や川上弘美の『センセイの鞄』は毎日の方では選ばれているのだが。わずかに津野海太郎が、毎日の書評子でもある清水徹の『書物について』を挙げている。さすがに出版、編集に携わったことのある津野としては、この一冊は外せなかったのだろう。
総じて、朝日の書評は教養主義的というか、読書に対して知識や情報を得ることを期待するむきがあるように感じられる。それに比べると、毎日の方は、読書自体を楽しみととらえる傾向が強いようだ。ただ、これは現在の書評子のメンバー構成にもよるのだろう。毎日から丸谷才一とそのグループ(鹿島茂、三浦雅士)が抜けたら、少し変わるかもしれない。残念ながら朝日には、丸谷のようにサロンを作れるような顔が見あたらない。日本を代表する新聞としては惜しいことだと思う。
数多ある出版物の中から何かを選び、それについてコメントを寄せるということは、大きく言えば世界をどう見ているかを表明することである。しかも書評子は自分の名前を出して論じている。どういう人物を書評子として契約しているのかは、その新聞社の姿勢を見るいい指標になるだろう。まだまだ書評というものの占める位置が、日本の場合成熟していないのだろうか、書評に与えられるスペースにもそれが現れている。朝日に比べると、毎日の方が長文の書評が読めるが、それでも、イギリスに比べるとかなり短いのは丸谷の『ロンドンで本を読む』に詳しい。
さて、私自身の2001年の「この三冊」だが、以前に出版されていても今年読んだものはその中に入れて考えると、やはりガルシア・マルケスの『百年の孤独』は外せない。久々に小説の面白さを堪能させてくれた作品である。フェルナンド・ペソアの『不穏の書、断章』は、出た年に読んでいるのだが、書評を書くために再読、三読した。気質に密着して離れ難い作品である。三本も書いている堀江敏幸については、どれも捨てがたいのだが、虚構としての完成度の高さから『熊の敷石』を採りたい。三冊とも「本」というものから離れられないという共通点を持っている。そういう意味からは、清水の『書物について』や丸谷の『ロンドンで本を読む』も挙げておきたいところだ。今年出た本と限るなら、前二作に替えてこの二冊である。
2001/12/28 『シェイクスピアを観る』 大場建治著 岩波新書
シェイクスピアというのは不思議な作家である。本人の姿そのものが伝説に包まれていて、いまだにはっきりしない。しかし、その戯曲に関しては、現在も世界中で演じ続けられている。16世紀に書かれた戯曲が、なぜ現代の観客を魅了せずにはおかないのか、著者は、演劇映画を区別することなく、実際に目で確かめることのできるもの、たとえば、舞台なら日本で演じられたもの、映画ならビデオ化されたものを用い、その秘密に迫っていく。
四つの章で四つの作品を取り上げ、作品解釈の変遷や、演出意図のちがいを論じていくのだが、各章が独立してシェイクスピア作品鑑賞の手引きにもなっている。選ばれているのは、『十二夜』、『ハムレット』、『冬物語』、『ヘンリー5世』で、それぞれ、喜劇、悲劇、ロマンス劇、歴史劇を代表している。たとえば、第一章では、自然主義リアリズムから社会主義リアリズムへと向かう日本演劇界のシェイクスピア受容について触れながら、「主筋と副筋の間然するところのないみごとな綯い合わせ」というシェイクスピアの作劇術の一つの到達点を示すものとして『十二夜』を取り上げてみせる。
第二章の『ハムレット』が暴くシェイクスピアの秘密はテクストの複数性である。作者の複数性と言ってもよい。もともと、ハムレットには「原ハムレット」とも言うべき種本が存在する。それをもとにシェイクスピアが書いたのが正規の版。しかし、『シェイクスピアを盗め!』でも書かれているような事情で正規の版が出される前に海賊版が先に流布している。さらに後に編集された全集版と、それらを合成した完全版、といくつものテキストを持つのが『ハムレット』なのである。それらのどのテキストを選ぶかで、ハムレットという芝居はかなり変わる。しかも、時代の要求により、また演出者の意図によりハムレット像は変化せざるを得ない。『ハムレット』を上演することはテキストと対決することを避けられない。その緊張感こそ『ハムレット』に限らずシェイクスピア作品を永遠に古びさせない秘密である。
三つ目の鍵は、近頃評判の「メタシアター」という自己言及的な枠組みをいち早く取り入れていることである。言うなれば、劇自体をもう一つ大きな物語枠であらかじめ包んでおくことで、観客に作劇上の不自然さを感じさせないための用意といってもいい。「きわめて物語的な誤解のもとに離れ離れになっていた夫と妻、親と子が、波瀾万丈の経過を経て再会する」といったテーマを持つのがロマンス劇だが、時間的にも、空間的にも大きく広がる超自然的な世界の特性を生かすことで、死んだはずのヒロインを生き返らせるなどというトリッキーな手法が成功するのである。もちろん入れ子細工のつなぎ目を不自然に見えなくする工夫が演出家の腕の見せ所でもある。
歴史劇を取り上げた『ヘンリー5世』の章では、ローレンス・オリヴィエとオーソン・ウェルズ、そして今最も注目を集めるケネス・ブラナーの作品を通じて主に映画を論じている。ヨーロッパ演劇はもともと中世以来聖書の物語を劇化した宗教劇から発展してきた。一日がかりのページェントとしての劇は長い間に自国の歴史の劇化を呼び込むことになる。しかし、戦場のスペクタクルに関しては、舞台上で演じるには限りがある。映画は作者が想像できた以上にシェイクスピアの作品を観客の前に展開してみせた。歴史劇に限らず、映画化してみたくなる素材が、彼の作品にはあふれている。シェイクスピア劇が、いつまでも愛され続ける原因の一つだろう。
「作者の複数性」、「メタシアター」等に見られるのは、シェイクスピアがきわめて現代的なファクターを持っているということである。その一方で、双子や男女のとり違えなどの古くから物語に使われてきた要素を多用するなど観客の心理の古層に通底した作劇術の巧みさも持つ。シェイクスピアが古くて新しい秘密はこのあたりにあるのかもしれない。
2001/12/26 『敵国日本』 ヒュー・バイアス著 内山秀夫/増田修代訳 刀水社
夜郎自大という言葉がある。漢の武帝が南方にある夜郎国を帰属させようとして、使者を派遣したところ、夜郎国の王が「夜郎国と漢とはどちらが大きいか」と使者に尋ねたという。漢の郡にも及ばない国土しか持たない王が、自国を大国と思い込んでいる愚かさを嘲笑して言ったことに始まる故事成語である。
日本という国について考えるとき、苦々しくも情けない気持ちとともに、この言葉をいつも思い出す。日本人ほど、日本人論や日本論が好きな国民はないといわれるが、自分の国や民族について語ったり読んだりすることは好きでも、世界の中に、日本や日本人を置いてみることは、あまり好きではないようだ。教科書問題が起きるたびに、あらためて世界の反発を受け、そのたび驚きながら、いっこうに認識を改めようとはしない。
『敵国日本』は、太平洋戦争が始まるや1942年にアメリカで出版され、数十万部の売れ行きを示した本である。著者は「ニューヨーク・タイムズ」、「タイムズ」二紙の特派員として、28年間も日本に住み、米英に日本を紹介していた当時としては数少ない知日派の記者であった。日本に長く住み、第三者の目から日本という国を観察してきたその視線は、戦時下においても冷静かつ客観的であり、現在の時点で読んでもみごとな日本人論になっている。
日本の議会が形ばかりで、本来の機能を発揮しないでいることや、軍部の力が強大化するに至った経緯、またヒトラーとは異なる天皇という権力者の独特な位相について、著者の論理は明晰である。日本の無条件降伏、武装解除、リベラル派による新しい政権樹立と、敗戦後を予想したかのような記述は、著者の読みの方向性の確かさを明らかにしている。
実は開戦当時、この本は日本に入ってきていた。天皇の側近は内容を重く見て、急ぎ訳し謄写版刷りの抄本を回覧していたという。それが、憲兵の知るところとなり、没収され、日の目を見ることがなくなってしまったのはいかにも惜しい。相手国が自国のことをこれほど理解していることを、関係者が知っていれば、その後の事態の推移に影響を与えることができたかもしれないものを。
敵も知らず、己についてもよく知ることのなかった日本が敗れるのは理の当然であった、と今さらながらに思う。それでは、戦後の日本は著者が願うような方向で世界の中に名誉ある位置を得たかと言えば、否と言わざるを得ない。武力で敗れた後は経済力で、世界の中に躍り出たのも束の間。今は、すっかり自信をなくしてしまっている。そして、悪夢のように繰り返される自国中心史観のむし返し。
本の中で日本人は巣箱の中のミツバチと評されている。個人の意志よりも強い巣箱の精神に従うからだ。現内閣の実力に不釣り合いな人気の高さを見るにつけ、巣箱に縛りつけられる同胞の多さに戦前戦後を貫く棒の如きものを見る思いが強い。夜郎自大の誹りを受けたくなければ、くもりのない眼で、世界と自分たちを凝視するよりほかはない。そのとき、この本は明るい視界を得るための手助けをしてくれることだろう。
2001/12/24 『批評という鬱』 三浦雅士 岩波書店
三浦雅士の批評は何よりも本格推理小説を思い出させる。精緻な研究に裏打ちされた絢爛たる引用、アクロバティックに飛翔する論理、そして、それまでの展開をすべて裏切ってしまうかのような鮮やかなどんでん返し。人は、つまらぬミステリーなぞ読むより、三浦雅士の批評の前に垂涎して跪拝すればよいのだ。などと言ってみたくなるような、いつもながら読ませてくれる批評ばかりが並ぶ論文集である。
たとえば、近代という頭脳が、過去という身体を恥じらってみせたのが桑原武夫の第二芸術論だと切って捨て、啄木、太宰、寺山修司に身体の復権を見る「短歌と近代」。独歩の『春の鳥』という小品に描かれた白痴の少年の死を題材に、現世人類は、身体を媒介にして動物に同調することによって社会を発見し、自己自身を発見したのだと告げる「舞踊の身体のための素描」。さらには、インカ帝国が圧倒的に有利な大軍を持っていながら、なぜ少数のスペイン軍に敗れたかという謎を解き明かしながら、近代的自我という観念の持つ幻想性を引き剥がしていく「近代的自我の神話」等々。
しかし、集中の白眉は書名にもなっている「批評という鬱」であろう。副題が「吉本隆明ノート」とされているのを見ても分かるとおり、吉本論の形をとってはいるが、なかなか、吉本論どころではない。紫式部や実朝、さらには樋口一葉、北村透谷と並べてみれば分かるように、日本文学を総ざらいする勢いで書かれた意欲作である。
筆者はまず、吉本の基本的見解として『言語にとって美とは何か』から「自己表出」と「指示表出」という言語の持つ二つの側面を取り出してみせる。前者は自己自身への関係を、後者は自己の外界への関係を示すものである。さらに、「文学のような書き言葉は自己表出につかえるように進み、話し言葉は指示表出につかえるように進む」と言う吉本の言葉を取り出し、『初期歌謡論』『源実朝』に話を進める。吉本の持つ「暗い詩心」というものが、実朝に引き寄せられていく過程を初期論文を引きながら実証していくのである。
圧巻は、『初期歌謡論』の一節と、三島の『豊饒の海』の一節を並べて引用し、その論理構造と語調の不思議なまでに酷似する様子をさばいてみせる手並みである。そして、「文芸批評の流れに立ってみれば、自己表出という概念は、近代的自我、主体性の延長上に構想されたということになるが、むしろその淵源は説明のつかない底知れぬ悲哀に、すなわち鬱にあったと言わなければならない。」という最後の審判が下される。日本近代文学とはすべて鬱のなせる技であったか。
たしかに主体は弾圧によって、それへの抵抗によってはじめて明らかになる。とすれば、不平士族の反乱が壊滅した後に「いまだかつて所有したことのない世界を断念した」市民によるメランコリックな文学の大量発生が生じたことは理解できる。しかし、紫式部や実朝は近代文学とは言えない。それら自己表出の文学はみな、鬱という病から来ているという見解は、人間が文字というものを持つことにより過去の自分や未来の自分と対話できるようになったこと、つまり歴史的存在と化したことがメランコリーを生んだということに等しい。
三浦雅士の見えすぎる目は、時代や空間をこえてすべてを明らかにしてみせねばすまない。ここまで来ると、鮮やかに霧が晴れていた景観がいつの間にか深い靄の中に包まれてしまっているように感じられてくる。証されたタネが平明すぎて、かえって誰にでもできる手品のように見えてくるのだ。真犯人が見つかっても、何も解決されていないという感じを受ける推理小説がある。ちょうどあれとよく似た感じを持ってしまうのは私だけだろうか。
高田渡をご存じだろうか。日本のフォークシンガーの草分けで、現在も日本各地で歌っている。もしかしたら、あなたの町にも行ったことがあるかもしれない。もし、まだ彼の歌を聞いたことがないなら、近くの町に来たときには、是非聴きに行かれることをおすすめする。本人の言葉だから、悪くとられると困るが、なにしろ後がない。酒と心中しかねない勢いで飲み続けているので、またの機会があるとは限らないのだ。
高田渡をはじめて見たのは、京都に行った最初の年、京都会館で行われた岡林信康のコンサート会場だった。誰もいない舞台に一人の小柄な男がパイプ椅子を持って現れた。スタッフの一人だろうと思っていると、次にはギターを持ってきて椅子に座り、歌い始めた。『ぶらぶら節』、『年輪・歯車』など、得意のレパートリーを歌い終わると、岡林にバトンタッチした。岡林信康がフォークの神様と言われていた頃のことだが、その日、岡林がどんな歌を歌ったか記憶にない。
その後、高田渡の出るコンサートには、必ず出かけた。立命館大学でやったときには楽屋にも入れてもらって、その時練習していた『アイスクリーム』のフィンガーピッキングの方法をたずねたりした。うどんをあてに、その頃はもうかなり飲んべえになっていた高田渡は、ウイスキーをちびりちびりとやりながら、気軽に教えてくれた。かなり年上だと思っていたが、この本によれば、何ほども違わない。旅と酒の暮らしが、風貌を大人びさせていたのだろうか。
最近のステージでは、皮肉ともウィットとも聞こえる独特の調子で曲の合間に話をするのだが、曲よりもそちらの方が面白いといったら叱られるだろうか。その調子を期待して読んだのだが、本の方は至って真面目に書かれていて、拍子抜けした。ファーストアルバムのジャケット写真にあった少し緊張した面持ちで生真面目な眼をした若者の顔を思い出した。詩人で共産党員でニコヨン(日雇い人足)だった父の話。引っ越しを繰り返した子ども時代の極貧生活。どれをとっても、暗そうな話なのに奇妙に明るく語られている。高田渡の歌の世界が、この時代の経験と切っても切り離せないものであることはうすうす知ってはいたが、あらためて、その感を強くした。
気取りや衒いを見せることなく、自分の好きな映画や本の話も語っている。素人離れをした腕前を見せる写真について触れた中で、こう言っている。
「実は写したいシーンというものは、確固たるものとして自分のなかに常にある。つまりこんな風景があったら写したいなというのが頭のなかにあって、それと同じシーンに出くわすのを待っているのである。」
彼にとって生きること自体もそれと同じではないのだろうか。こんなふうに生きてみたいなというシナリオが確固たるものとして自分のなかに常にあり、日々の中でそれと同じシーンに出くわすのを待っているのである。金子光晴や深沢七郎の思い出を語る高田渡は、まだ52才のはずなのに、彼らと同じ飄々とした老人の風采を既にして手に入れたように見える。高田渡は自分の人生を確固たるスタイルで演出し自演しているのである。
2001/12/16 『品定め』 杉本秀太郎著 展望社
著名なフランス文学者であり、翻訳家としてもみごとな文体を駆使する稀有な文人作家をつかまえてディレッタンティズムなどという言葉を思い出しては、お叱りを受けそうな気がするが、世界との距離の取り方に、自分を時代の流れの中に位置づけたくない意志が見え隠れするのを見つけると、何やらそういう言葉があったな、と思いだしてしまうのだから仕方がない。
『品定め』という標題の付け方自体が反時代的な趣味を表現しているではないか。殊更に和語めいたずいぶん古びた言葉を引っぱり出してくるのも、今の時代の言葉より、その言葉の方が自分にぴったり来るからだろう。仕事なら、時代の要請も無視できないが、半ば自分の趣味に引きずられて書くものなら、自分の世界にあり、手に泥んだものの方が心地よいに決まっている。
植物、蝶、美術品、古典、パリ、音楽と自分にとって気質に密着してはなれがたい物を選んで、思いついたことどもを、ある時は資料を渉猟してつまびらかに蘊蓄を傾けるかと見れば、またあるときはあっさりと軽妙洒脱な書きぶりで遊んでみる。掲載する雑誌やPR誌に合わせて、幾つもの文体を使い分ける様は、本人がカルティエの工房を見てつぶやいた「こういう職人仕事をしたかった」という言葉通り、アルチザンとしての風貌を見せる。
京の町屋として文化財扱いを受けている旧家に育った著者は、日本の文学者に多い野暮ったさと無縁の文人気質を知らず知らずの裡に身につけてしまったらしい。しかし、日常的に美的なものに接して生きるということは、何を見ても「品定め」をしなければ落ち着かない性向を背負い込むということでもあったろう。批評家の眼というものは、対象から離れて絶対的な位置からものを見ることができるという点につきる。そういう意味では、この人の手にかかるものは、その距離がない。「伊万里と付き合う」の中で、当代が、陳列ケースの中から茶碗を出すとき、「さ、チョット外気に当たって息継ぎして下さい。窮屈な思いをさせて相済みませんでした。」と言っているように思ったというような、対象に感情移入してしまう語り口に批評家でなく素人愛好家の顔が透けて見える。
そんな中で「司馬遼太郎一周忌に」という文章には、正当な批評がある。司馬の「形を把握する上で、感性と知性によるやり方があるという。さらにそこから本質を引き出すというのだが、私どもは、日常茶飯、無数にそのことをやっているのである」というギリシア哲学と日本文化とを比べた乱暴な議論に対する批判である。「この国のかたち」を考えるためには、死後愈高まる司馬人気に水を差しても、言わねばならぬことを言うというあたりに、著者の中にある反時代的な教養人としての自負が潜んでいるのを感じる。
2001/12/12 『やむにやまれず』 関川夏央著 講談社
世代論というのが嫌いである。そんなもので一括りにされてたまるかという気がする。その一方で、本を読んでて「分かるなあ、この気持ち」とつぶやいていたりすることがある。その時代の空気というものがあり、それを吸ったものでないと、到底分からない手ざわりのようなものがあるのだ。単に世代でくくるのでなく、人の性向、学歴、仕事等まで含めていけば、人のメンタリティーを形成することにおいてかなりの部分で共通するものがあるのかもしれない。
「団塊の世代」という言葉をよく目にする。戦後のベビーブームの時代に生まれた人たちを指していう言葉だが、世代というなら、同じ年代に生まれたすべての人を指しそうなものだ。しかし、文脈から見ると、大学を卒業し、サラリーマンになっている人たちを指して使われることが多いように思われる。ちょうどその年代が、大学進学がめずらしくなくなり、サラリーマンという職業が台頭してきた時代と重なっているのだろう。田舎で百姓をしていたり、親の後を継いで大工をしている人も同じ日月の恩恵を受けているはずだが、彼らを指して使われることの稀な言葉である。
思うに、百姓や大工という仕事は昔からあり、世代によって横につながるよりは、縦につながることの方が自然な職業である。第一、仕事がはっきり見える。それに比べると、かつては知的エリート層の専有物であった大学も、マスプロ化されることによって、その権威をなくし誰もが行けるところになっている。格別な修業は必要としないサラリーマンという職業もまた顔の見えない職業と言えるだろう。何かで差異を見つけようとすれば、世代くらいしかないのかもしれない。
ややもすれば上の世代からも下の世代からも揶揄されがちに使われる「団塊の世代」に属し、さらに悪いことには文学好きであった関川氏は、小説という「嘘話」を書くときにも、自分の年齢という自意識から自由になれない。18の短編の主人公はすべてと言っていいほど限りなく実年齢に近い男性に設定されている。それだけでなく、独身者であることまで著者と同じである。つまり、小説とは言うものの、ここに書かれた話は身辺雑記として読まれてもなんの不思議もないものである。
本来なら誰もわざわざ読もうとも書こうとも思わない、中年の独身男の優柔不断な生き方や、手前勝手な口上を、何ら事件らしい事件の起きない日常生活に紛らせて書くというこの手法は、意匠こそ現代風に装われてはいるものの「私小説」として知られるあまりにも日本的な小説作法と同じである。この臆面もない自己言及癖は、やはり「団塊の世代」につきもなのだろうか。それとも、北方の地方都市から上京し、私立大学の文系を目指すような人に共通する心性なのだろうか。
自分の世代にしか分からぬ気分というものを書いてみたいが気恥ずかしい。だから「やむにやまれず嘘をつく」(第18話)という次第でもあろうか。個人的見解ながら、小説として読もうとすると、各編で見られることだが結末の一文が余計に思える。腰砕けの感がするのである。蛇足というべきであろう。独特の切り口を見せるノンフィクションの方が著者の持ち味を活かせるように思う。
2001/12/08 『シェルター』 ロイド・カーン著 ワールドフォトプレス
どことなく懐かしい写真とぎっしり小さな活字が満載されたこの本を眺めていると、シアーズのカタログを思い出す。アメリカは広い。田舎に住んでいて、何かほしいものがあるのに近くでは手に入らない時、売ることのできる物なら、画鋲から住宅まで、何でも載っているシアーズ・ローバック社の通信販売のカタログはなくてはならないものの一つだったろう。70年代、日本のマスコミで紹介されたとき、その中に漂うアメリカン・テイストに憧れたものだった。特に道具や工具類の豊富さには、さすがセルフ・ビルドの国だとあらためて舌を巻いた。
馬車や馬の背にわずかな荷を積んで西部を目指した開拓者達は、何から何まで自分たちで始めねばならなかった。自分たちの手で家を作ってしまう人が今でもアメリカに多いのは、そういう歴史があるからだろうか。衣食住のことを英語では、<food,clothing
and shelter>と言う。シェルターと言えば核シェルターを思い出してしまうのは、こちらの核アレルギーのせいかも知れない。この本に登場するのは、カッパドキア遺跡に始まり、ドーム型住宅に至る、およそ人間が雨風やその他の危険から自分を守るために作った住居の原点のような建築ばかりである。
世界中から集められた民家のカタログのような本の中に、バックミンスター・フラーの理論によるドーム型住宅が混じるのは、事情を知らない者には少し違和感が残る。実は、この本、1973年に出版された物をそのまま翻訳出版したものである。当時は、ヒッピー・ムーブメントの盛んな頃、ドラッグや瞑想が自由に体験できる場所を求めてコミューンと呼ばれる共同体が、人里離れた荒野に数多く作られた。耐久性の悪さから、現在ではあまり評価されないけれど、当時としては、ドーム型住宅は画期的な大型セルフ・ビルド住宅だったのである。
著者達のグループが書いたドームに関する本は、彼らが関心を失ってからも数多くの人に読まれたという。著者は、その後次第に、土や木、石という自然の素材を活かし、その土地固有の風土性に根ざした建築に興味が移り、世界中を旅してここにある写真を撮り貯めた。また、同じ関心を共有するアーティストや建築家のインタビューや参考資料も収録した。そのため、この手の本にしては文章量も半端ではない。読者は、カタログのように興味のあるところから読むといいだろう。
自分でも小屋の一つでも建ててみようかと思っている人に、素晴らしい助言を紹介しよう。「その場所に行って、できるだけ長くそこに座っていることだと思う。そして瞑想する。太陽が昇る様子や沈む様子を見る。風がどこを吹いているかを確かめる。できれば1年間は何も建てずに観察を続ける。春はどんな様子か、夏は、冬は、どうか確かめる。そして、自分がそれぞれの季節にどう反応するかも見る。」あせらず取り組むことだ。そうすれば、きっと小屋作りは、自分を知るいい機会となってくれることだろう。
2001/12/02 『知らない町角』 和田誠著 白水社
和田誠は多才な人である。世の中には多くの才能に恵まれている人がいるものだが、彼もその一人であるのはまちがいない。ところで、多芸多才な人には、得てしてこれ見よがしなところがある。不必要に出しゃばる嫌いがあるのだ。和田誠の不思議なところは、これほど多方面に活躍していながら、そういった気配がまるでない。何をするときも、きわめて自然に事が運ばれて、まるではじめからそうなるように決まっていたかのようにおさまるべきところにおさまっている。『麻雀放浪記』を見終えて、これが映画初監督の仕事か、と心底驚いたものだが、完成度の高さが彼の仕事ぶりを自然体に見せているのである。
映画作りは、共同作業である。いい映画を作るには、監督一人がいくらがんばっても限界がある。初監督映画が傑作であり得たのは、監督になるまでの映画体験と持ち前の批評眼が生きていることは言うまでもないが、周りにいい仲間をたくさん持っている彼の人柄も無視できないだろう。真田広之とのコンビが目立つが、真田を買う理由に演技力や研究熱心な態度と共に人柄を挙げているのは興味深い。多くの人間が集まって一つの物を作り上げるときには、場の雰囲気を壊す役者は、いくら上手くても作品の出来にいい影響を与えることはできないというのがその理由だ。
『知らない町角』には、これまでに書かれた比較的短い文章が集められている。その内訳は、気になることや、これまでの仕事について、また、自分の仕事仲間のこと、音楽、映画のことなどに分かれている。和田誠と言えば、線描のイラストレーションをすぐに思い出すが、このスタイルに至るまでの筆記用具の変遷について触れた「仕事の道具」をはじめとして、どの文章にも、人との出会いがさりげなく書かれている。和田誠のイラストの良さは、洒落た都会的なセンスとどこからともなくにじみ出てくるヒューモアだと思うのだが、文章を読んでいてもそれが感じられるのが楽しい。
黒澤映画の中で最も好きな作品として『椿三十郎』を挙げているのだが、ほかの作品でなく、この作品を選んでいるところが、いかにも和田誠らしくてうれしくなった。実は私自身もこの作品に流れるおっとりとしたユーモア感覚をことのほか買う者だからである。一般に『椿三十郎』は『用心棒』の続編と考えられがちだが、この二作は別種の映画であるという和田の指摘は新鮮であった。何度見ても『椿三十郎』の方が楽しめると、常々感じていた者としては、我が意を得たりという気分である。自分の好きな作品を、これもまた自分が好きな人が好きだと言ってくれることは何よりうれしいものだ。
フランク・シナトラ主演の映画について触れた「ダニー・オーシャン」の中で、「ぼくはオーシャンの着こなしを真似しようとしたが、体形的に無理があった。しかし映画全体に流れるお洒落感覚は学んだと思う。もう一つは仲間を作ることの楽しさで、これには大いに影響を受けた。リーダーになろうとはしなかったけれど、デザイン界、イラストレーション界にこだわらず、いい仲間に恵まれた。その点でぼくはいつまでもオーシャンを引きずっているのである。」と書いている。
『オーシャンと11人の仲間』という映画自体は、たいした映画ではない。かつて見たことは覚えているが、『西部戦線異状なし』の名匠ルイス・マイルストンが監督していることさえ知らなかった。しかし、見る側の見方によって、後の自分を作ることになる二つの大事な要素を得ることもできるのだ。「お洒落感覚」と「仲間を作ることの楽しさ」、どちらもなかなか手に入れようとして手に入れることの難しいものである。人が映画を選ぶばかりではない。映画もまた、人を選んでいるのだ。 |
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