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 2001/03/31 『光の教会 安藤忠雄の現場』 平松 剛 建築資料研究社

安藤忠雄は、今や日本を代表する建築家の一人と言っていい。独学、ボクサー経験者という経歴故か、マスコミもよく採り上げるのでその風貌は多くの人の知るところである。京都の三条木屋町にあるビルはかつて見たことがある。高瀬川の水を建築の一部に入り込ませるという発想が新鮮だった。その外部と内部の通底というコンセプトは、大阪府茨木市に建てた通称「光の教会」でも共通している。教会を建てたいが金はないという施主に「それならいい物ができるかもしれない」という建築家の言葉は驚きを通り越して奇怪でさえある。金がないからこそ贅肉を削ぎ落としたシンプルな物が作れるというのが安藤の考えだ。安藤の頭の中にはシトー派教会の質素な佇まいが生きていた。しかし、建築は一人でできる物ではない。設計・施工と一口でいうが、図面で書いた物を具体化するには多くの人間の意志や情熱、それに労苦を必要とする。いいものをつくりたいという建築家の思いに引っ張られるように、赤字覚悟で動く人々がいなければ、この教会はできなかった。当然できあがった建築物は建築家の作品として扱われるのだが、この本を読んだ後では、単にそうは思えなくなる。丁寧な聞き取りを重ねた上で、複数の関係者の視点から書かれているためか、ドキュメンタリーなのだがよくできた小説を読んでいるような気にさせられる。一つの建築が、どのような過程を経て本当の建築物になるのかを教えてくれる。こんな本が今までなかったのが不思議である。

 2001/03/29 『ランボー、砂漠を行く』 鈴村和成 岩波書店

『地獄の季節』『イリュミナシオン』の詩人ランボーは、ある日突然詩を放棄し、交易商人となって、アラビア、アフリカに行ってしまう。その後エチオピアのハラルを拠点にして書かれた所謂「アフリカ書簡」を残すのみで、詩と考えられるものは一切書いていない。この謎は多くの人を虜にした。著者は、従来軽視されてきた「アフリカ書簡」を「詩」と同等のテクストとして読むという作業を試みている。もちろん、従来の詩の概念は放棄せざるを得ない。錯乱するイマージュと言葉に溢れた試作品と比べるまでもなく書簡は索漠とした商用文の体裁をとっているからだ。書簡に散見される言葉やランボーのその後の行動を詩作品と対応する作業を通じて現れてくるのは、その詩の持つ驚くべき予見性である。テクストがすべてであるなら、ランボーは既に詩によってその人生を生きてしまっている。著者の意図はともかく、この書からはアフリカにおけるランボーの姿が浮かび上がってくる。その存在の苛烈さは見る者をして言葉を失わせる。世界は言葉によって定着されるが、そこに映し出されたものは既に「物語」と化している。ランボーがアフリカで目にしたものを言葉に表さなかったのは正しい。書くことで存在は風景と化し、事件は物語と化す。ランボーをアフリカに留まらせたものは自己を人間(西欧人)の物語の中からすくい出し、単なる存在として扱うという過酷なまでの意志だったのではないだろうか。

 2001/03/26 「『少年』のふろく」 串間努 光文社

マンガが現在のような週刊誌が中心になる前、「少年」は1950年から60年代の人気月刊誌であった。当時は、十大付録というのが売りで、人気マンガは本誌だけでなく別冊になって何冊も付いていた。その付録の中でも子どもたちが何より楽しみにしていたのは「組み立て付録」であった。厚紙に入れられた刃型の通りに台紙から材料を切り離し、切り込み線に凸型突起をはめ込んでいくと航空母艦やロケット発射台ができあがる。しかも、輪ゴムと割ピンのようなちゃちな仕組みで、ともかくも動くのだ。プラモデルはおろか、満足な玩具の手に入らない時代、毎月付いてくる付録の魅力は他のものと比べようがなかった。当時の製作に当たった人々に直接聞いた苦労話や懐かしい写真など、同世代の読者にとっては興趣がつきない。欲を言えば、付録として復刻版「組み立て付録」をつけるか、それが無理なら縮小コピーをつけてほしいところ。もう一度組み立ててみたいと思うのは私だけではあるまい。

 2001/03/22 『<声>の国民国家・日本』 兵藤裕己 NHKブックス

それを認めることは自分の属する階級を限定することになるような、趣味の善し悪しを問われるような問いというものがある。「浪花節」という言葉がそれだ。著者自身が「好きか」と問われれば「好きではない」と答えると言うほどに。しかし、庶民、大衆と呼ばれる人々にとって浪花節の果たしてきた役割は大きい。「日本」という国民国家が「想像上の共同体」と化すのに力を貸したのは、上からの統治政策などではなく桃中軒雲右衛門に代表される浪花節語りのメロディアスな<声>に乗せられた忠君愛国や、無宿渡世の義理人情の物語だった、と著者は言う。それまでの<文字>主体のいわば上層の意識についての言及からは忘れ去られてきた世界を、著者は浪花節という下層の<声>に耳を傾けることによってあざやかに浮かび上がらせる。浪花節の隆盛と国家主義的ファシズムの台頭する時代を複眼視することによって見えてくる、もう一つの日本論である。

 2001/03/20 『ワイルダーならどうする?』 キャメロン・クロウ著 キネマ旬報社

ジャック・レモンがテニスのラケットでスパゲティの湯を切る場面。マティーニのオリーブをカウンターに並べる場面。「アパートの鍵貸します」の印象的なシーンは忘れることができない。そのビリー・ワイルダーが同じ脚本家兼監督のキャメロン・クロウを相手に、いかにも楽しそうに、時には辛辣に映画について語っている(ハンフリー・ボガートとの確執と和解は胸を打つ)。脚本家出身であるワイルダーにとって、アクションや特撮に頼った映画は批評の対象にすらならない。凝ったショットもいらない。いい脚本と、それを生かす役者の演技さえあれば、おもしろい映画は作れるのだ。90年に出た『定本映画術ヒッチコック/トリュフォー』(晶文社)を意識したのか同サイズのしっかりした造本。しかも装幀は和田誠ときている。ワイルダー狂ならずとも、映画ファンならぜひ手にとってみたくなる一冊。(宮本高晴訳)

 2001/03/18 『遙かなるケンブリッジ』 藤原正彦 新潮文庫

同じケンブリッジ、オックスフォードを題材にしながらも、時によってはイギリス礼賛が鼻につく林望の随筆と比べると、著者の立つ位置がよく分かる。著者は、海外に出た邦人の例にもれず、にわか愛国者になってしまう自分を戯画化しながら、イギリス人というものを一歩距離を置きながら観察していく。はじめに感じた違和感が滞在期間が終わる頃にはイギリスに対する深い理解と敬愛の念に変わっていく様は感動的である。著者は言う、「イギリス人は何もかも見てしまった人々である」と。そして、ひるがえって日本に言い及ぶ。日本もまたイギリスの歩んだ道を歩こうとしているのだと。著者の言葉に共感しながらも、「美しい熟年」を送れるほど、日本が成熟した国だとは思えないのが哀しい。

 2001/03/13 『あなたの想い出』 高平哲郎 晶文社

ジャズのスタンダードナンバー、題名を聞いただけで口ずさんでしまいそうな有名な曲を各章のタイトルに持ってきて、故人のとっておきの思い出を語るという離れ業をやってのけたのがこの本。どの人の思い出も最後にタイトル曲にからめて終わるという芸を見せるのが心憎い。こういうスタイルは好む人と嫌う人の両タイプに分かれるのじゃないだろうか。心に残る話ばかりだが、個人的には成田三樹夫の裏面を垣間見せてくれた「茶色の小瓶」を推したい。こんな話はスクリーンのこちら側ではまずは窺い知ることができない。著者が小野二郎の義弟というのも今回はじめて知った。映画とジャズ、それに何よりも「雲の上団五郎一座」の笑いが忘れられない人にはお薦めの一冊。
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