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garage147

 2007/8/27 白駒池

夏も終わりに近づいていた。これといったこともなく季節を逝かせることに寂しい思いをしていたのだろうか。「どこかにでかけない?」と妻が言い出した。異論はないが、問題はどこに行くかだ。
「麦草峠なんか、どうかしら。山の中に池があったじゃない?そう、白駒池。」
子どもたちが小さい頃、夏は山歩き、冬はスキーと、よく行ったのが八ヶ岳だった。そういえば、しばらく行ってない。久しぶりに訪ねてみるか。

白駒池というのは、八ヶ岳をめぐる山岳道路を茅野から八千穂に抜ける際に越える麦草峠近くにある。標高二千メートルを超す高さにある池としては国内で最も広い。冬には自然に結氷し、スケートをすることもできるという、トウヒやコメツガ、シラビソといった針葉樹の原生林に周りを取り囲まれ、ひっそりと横たわる神秘的な池である。

麦草峠のあたりは九十九折りのアップダウンが楽しめるドライブコースなので、コペンでオープン走行を楽しむという手もあるのだが、片道300キロメートルを超すロング・ツーリング。しかも一気に標高二千メートルまで登りつめる山岳道路である。いくらスポーツ・カーといっても軽自動車のコペンに大人二人では、ちと苦しかろう。ここは無理せず147で行くことにした。

午前7時半に家を出た。もう少し早く出かけることもできるのだが、無理はしない。そのまま高速道路に乗って、名古屋まで。一宮を過ぎたあたりで東名から中央道に抜ける。久しぶりの中央道である。内津峠を過ぎ、松川を越えると、周りの景色も変わってくる。遠く、近くに山々が顔を見せ始めると、胸が高鳴るのを覚える。車の量はさほど多くなく、快調に走れたが、盆が終わったからか、工事による片側通行が連続し、その度に渋滞するのが気になった。

 かぼちゃのほうとう

諏訪インターで、高速を降り、一般国道に出た。そろそろ正午になろうかという時刻。この近くにたしか、ほうとうを食べさせる店があったはず。俗に「うまいものだよ、かぼちゃのほうとう」と囃されるほうとうは、甲州の郷土料理だ。味噌仕立ての汁に平たい饂飩状の麺を入れ、かぼちゃ、人参、馬鈴薯等の野菜をふんだんにつかったほうとうは、この近くに来ると必ず食べる我が家の定番メニューである。

店は記憶どおりの場所にあった。いつもは貸別荘に近い清里店で食べるのだが、国道沿いの店も昼どきということもあってけっこう人が入っていた。清里店は、古い民家を生かした田舎屋風の店構えに石油ランプその他の古道具が店一杯所狭しと置かれた雰囲気のある造りだが、諏訪インター店は、囲炉裏も切ってはあるものの、全体に明るく小ぎれいになっている点は仕方がないところか。かぼちゃのほうとうと好物の麦とろのセットを注文した。

諏訪から茅野を抜け、八ヶ岳方面に向かう道路は誰が名づけたのかメルヘン街道という。ちゃんと標識にもあるので、道案内にはいいのかもしれないが、他に気の利いた名前がなかったのか首をかしげたくなる。おそらく命名権者は行政の首長あたりだろうが、ネーミング・センスは行政能力とは別物らしい。平成の大合併で旧町村名が新しくなったところも多いが、古くから伝わる名前にもう少し敬意の念があってもいい。けばけばしいペンションには似合っても、なだらかな高原から急峻な山岳道に続く風光明媚な土地にもっと似合った街道名がなかったものかしら。

蓼科に入ると、夏の賑わいがまだ残っていた。別荘やペンションが建ち並ぶ山麓では、避暑客らしい人々があちこちを散策する姿が目についた。急にベンツやBMWが目立つようになるのも可笑しかった。白樺が目立つようになった山道を147は苦もなく登っていく。コーナーがタイトになり、急カーブが連続しはじめると、前を行く車が何台も道を譲ってくれる。さほど減速しなくても思ったように行き先に鼻を向けるのが、この車のいいところだ。ワインディングロードを堪能するように作られている。

 麦草峠

白樺がダケカンバに替わり、樹木の高さが低くなると空が明るくなってきた。標高最高地点を示す麦草峠の看板を越えると、目指す白駒池はすぐだった。広い駐車場には観光バスや乗用車がいっぱい並んでいた。夏山はどこも人でいっぱいだ。もういいかと思ったが、誰でも思うところは同じらしい。500円の駐車料金を払い、車を止めた。カメラを持ち、サングラスを普通の眼鏡にかけ替えた。

遊歩道の入り口に焼きとうもろこしの屋台があった。実は、妻のお目当ての一つがこれだった。前に来たとき、「焼きとうもろこしがあるよ。」という妻の声を無視して、すたすた歩きはじめた夫を長い間うらみに思っていたらしい。若い頃は何にでも一言あって、商売目当てでやたらとどこにでも店を出す輩を毛嫌いしていた。商売にならなかったら撤退するだろうから、相手にしないことに決めていたが、妻の目からはただのケチに見えていたらしい。今回は後で買うことを約束して先に進んだのだが、前回も帰りを楽しみにしていたら、帰りには売り切れていて悔し涙を飲んだ妻は、「帰りまであるかしら。一つ残しておいてもらおうか」などと本気で心配していた。

白駒池に続く道は、周囲の自然を壊さないように両側にロープが張られていた。通路近くまで、びっしりと生えた苔が原生林の保水力を物語っている。何かで倒れた倒木のあたりにだけわずかに緑の下草が広がって、そこだけに明るく日が差しているのが、暗い林の中ではみょうに心弾まされるものがある。岩を抱え込んだ両側の木は、根っこが地表面から出て蛸の足のようにうねって地を這っている。道は、すぐに分かれ道に出る。以前来たときは、子ども二人を連れて山の方に登ったものだ。栗鼠の餌場があって、人の近くまで栗鼠が寄ってくるのを長男は面白がっていた。二男は、駐車場で待っている母親が恋しくなったのか途中で山道を一人帰ってしまったのだった。昔話をしながら、池をめぐる周遊路の方に進んだ。

 白駒池

しばらくすると、足下の方に白い鏡のような水面が見えた。雲が映るのか、光の反射の関係か水の色が青くない。水際まで進むと透明度の高い水が静かに足下の岩を洗っていた。池を通ってくる風の冷たさに思わず身震いした。麓のガソリンスタンドで、話したとき「暑いですね」と挨拶したら、実直そうな店員はさかんに「すみません」と繰り返していたが、ここまで来ると別世界だ。後で、土産物屋の温度計で確かめると摂氏16度だった。池の畔ではもっと涼しかっただろう。熊除けか小ぶりのカウベルを鳴らして歩く山歩きの人々が後から後からやってくる。高齢者も多い。挨拶をする人と無言の人が半々くらいか。

ゆっくり池を回って小一時間くらい。体中が冷えたところで林を抜け、駐車場に帰ってきた。とうもろこしは待っていてくれた。小さい方を一本買って二人で食べた。ケチなわけではない。お昼に食べたほうとうでおなかがまだいっぱいだったからだ。しかし、焼きとうもろこしは美味かった。今まで食べたものの中でもいちばんかも知れない。これならもっと早くに食べておけばよかった。そう言ったら、
「あの頃あなたはケチだったから」と、また言われた。

帰り道、もと来た道は避けてぐるっと回るつもりで走り出したが、さすがに日も傾きはじめていた。八千穂高原に至る分かれ道まで来たところで考え直し、もと来た道を下りることにした。妻は、焼きとうもろこしに満足して思い残すところはないようだったが、せっかく来たのだから、温泉に入って帰ろうと思っていた。少し脇道を行けば渋川温泉や明治温泉といった岳人御用達の鄙びた温泉がいくらでもある。しかし、さすがに道は悪路で、4WDのレガシイならともかく車高の低い147では少し心配でもあった。

 渋川温泉

蓼科温泉郷の看板が出て来た。渋川温泉保科館という温泉なら、そう遠くないらしい。行ってみようということで、メルヘン街道から脇道に入った。ほんの1キロメートルも行ったあたりにそれらしい建物が見えた。旅館の玄関前に車を止めると、前に小さな瀧があった。案内によると渋川は縄文時代より古い史跡であるという。なんだか、儲けものをしたような気分のままフロントでお金を払い階段を下りた。

階段はずいぶん下の方まで続いていた。まだ下りるのか、と思ったところにようやく標示があった。右手が女湯、左が男湯である。脱衣籠に服を脱いで、貴重品入れに車のキイを入れた。これがないと帰れない。寂れた様子にもかかわらず、けっこう客がいるのに驚いた。後で調べたら、「信玄の隠し湯」とテレビでも紹介されたりしている、それなりに知られた温泉だった。男湯は内湯も露天も岩風呂で、お湯の色は茶褐色。65度の湯がかけ流しという贅沢なものだった。

露天風呂の前にはプールもあったが、今は使われていないようだ。目の前に山が迫り、水音に引かれて行ってみると瀧が真下を流れ落ちていた。やはり露天風呂は外気温の低いところで入るのが気持ちがいい。すっかり晴れた空にはうっすらと雲がかかり、高原は初秋の気配であった。長居したいのは山々だが、帰りの運転もある。頃合いを見て外に出た。

 帰り道

近くに尖石古墳がある。資料館が併設されているので、寄っていこうと原村方面に向かってハンドルを切った。高原野菜の畑が広がる長閑な風景は山とはちがった伸びやかさが感じられる。少し先の富士見高原には、子どもが小さい頃よくスキーに通ったものだ。上級から初心者用までシンプルながら二人乗りのリフトが完備され、子ども連れにはよくできたスキー場だった。

あいにく資料館は休館していたので、往きに見た道祖神に立ち寄ることにした。妻は石仏に目がなくて、一時はずいぶんいろいろなところを訪ねていたようだ。信州には、男女一対の双体道祖神が多く、今でも信仰を集めていると聞く。ここの道祖神は子宝に恵まれるとかで、先が二股に分かれた人参が備えられていた。おおらかな習俗が残っているものだ。

諏訪インターから高速に乗ったが、さすがに少し疲れが来ていた。早い目に諏訪のS.Aに入って休むことにした。ここは、温泉に入れるが、さすがに今入ってきたばかりなのでやめておく。そのかわり名物の縄文おやきを食べた。みなよく知っていて一番人気の野沢菜入りは売り切れ。妻は茄子を小生はしめじ野菜をいただく。売店で、カレンズという干しぶどう入りのパンと味噌をしその葉で棒状に巻いた一品を求めて帰途に着いた。

車に乗り込む前に飲んだ栄養ドリンクのおかげか、いつもなら眠くなる帰り道も目はぱっちりと冴えわたり、日の暮れかけた中央フリーウェイを快走した。途中で黒のアルファ159が後ろにくっついてきた。ライトを点けているので、抜きたいのかと思ったが、そうでもないらしい。左が空いても動かない。どうやら、右の追い越し車線しか走らないタイプらしい。試しに左によると、一気に追い抜いて走り去った。

東名と名神の分岐でナビのいう通り名神に入ったが、名古屋高速との分岐が、ナビと実際ではちがっていて結局一宮から名古屋高速に乗った。二年もたつと都会では道も変わっているのだろう。
朝、7時半に出て、家に着いたのが午後の8時半。一日の走行距離約760キロメートルというのは、今までの記録だろう。車がいいのか、少しも疲れなかった。秋になったら、全山紅葉の中を妻の運転するコペンで走ってみるのも楽しかろうと、考えているところである。

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