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 2009/3/21 『ダブリナーズ』 ジェイムズ・ジョイス 新潮文庫

『読んでいない本について堂々と語る方法』の著者ピエール・バイヤールによれば、ジョイスの『ユリシーズ』は、大学教授でも読み通していない類の本である。そのジョイスが書いた『フィネガンズ・ウェイク』は、『ユリシーズ』を上回る難解さで知られている。原語で読んでも難解な本をなんと日本語に翻訳してしまったのが、今回の新訳を担当した柳瀬尚紀その人である。

新訳ブームで、かつて名訳と謳われていた現代の古典ともいうべき作品が装いも新たに続々と登場するのは、読者にとって喜ばしいかぎりである。言葉というのは生もので、時代が変われば古びもし、味わいが失せもする。そのかぎりにおいて、同時代の言葉で読むことのできる新訳は、若い読者に古典的名作に近づく機会を与えてくれる。近頃ほとんど話題にも上ることのなかった『カラマーゾフの兄弟』が多くの読者を惹きつけたのがその例だ。

さて、ジョイスの『ダブリン市民』である。同じ新潮文庫の旧訳者安藤一郎氏の解説には次のように紹介されている。「『ダブリン市民』は、十五編の短編から成り、ことごとくダブリンとダブリン人を題材にして、幼年、思春期、成人もしくは老年の人間によって、愛欲・宗教・文化・社会にわたる「無気力」(麻痺)の状況を鋭敏に描いたものである。」

これに続いてジョイス独特の文学形式である「エピファニー(顕現)」の解説があるが、今となっては、特にそれを知らなくても本を読む上で別に変わりはないように思う。おそらく、当時の読者にとってもジョイスは決して分かりやすい作家ではなかったことから、訳者はジョイス文学について概説的な解説の必要を感じたのであろう。

翻って現代において、文学上の実験はほとんど出つくした感がある。いわば何でもありの状況下、あえてジョイスについて説明する必要を感じないのだろう、新訳の解説の中で、柳瀬氏は、ジョイスがダブリンを「中風」に喩えたことに続けてこう書いている。「しかしそれについて語り出すと長くなるし、訳者の解説を披露してみたところで読者の楽しみを殺ぐことになるだろうから、ここでは控える。訳者の役割は、あくまでもジョイスの原文を可能な限り日本語として演奏することであって、翻訳を終えた今、むしろそのことについて語りたい。」

つまり、ジョイスを読むことが「ジョイ(楽しみ)ス」になったのである。『ユリシーズ』もそうだが、数々の謎をはらみ、パズルのように組み立てられ、言語実験とも言語遊戯とも言える「言葉遊び」の横溢するジョイス文学の知的遊戯的側面が表面に浮かび上がってきたのが今世紀のジョイス理解である。

あらためて『ダブリン市民』が『ダブリナーズ』になった経緯についてふれてみたい。「ニューヨーカー」という言葉や「パリジャン」という言葉があるが、都市名に接尾辞をつけて、そこの出生者や居住者であることを表すことは、英語ではきわめて稀で「ダブリナー」は、数少ない例の一つだそうだ。著者の意を強く感じて『ダブリナーズ』というひびきを残したのであって、「横文字をそのままカタカナ語にして事足れりとする昨今の風潮に流されたのではない」とあえて書いている。

ジョイスには屈折した郷土愛があったと見える。ニューヨーカーやパリジャンと肩を並べるように題名に選んだ『ダブリナーズ』だが、登場する街はともかく、人物はニューヨーカーやパリジャンに比肩しうるとはとても思えない。安酒場で商売女から金を巻き上げる遊び人だとか、娘を孕ませた下宿人になんとか責任をとらせようとする下宿屋の女主人だとか、ダブリンの猥雑な巷間に住まいする庶民か、でなければ欲の皮の突っ張った小市民や道学者ぶったエセ紳士ばかり。どうにか感情移入できるのは、少年たちくらい。

新訳は訳者も書いているようにジョイスの原文に漂う音楽性をいかに日本語に移しかえるかという点に専ら意を注いでいるようだ。自身テノール歌手であったこともあるジョイスはオペラの歌詞を作品に引用するのは日常茶飯。ダブリン市民は歌好きなようで、集中にもよく歌声がひびく。ルビを多用したり、太字で強調したり、駄洒落で対応したりと、柳瀬氏ならではの奮闘ぶりが楽しい新訳。ただ、それ以外では、特に現代的な訳には改変されていない。漢字、漢語も多く硬質な印象さえ受ける。二十代のジョイスがいかに名文を操ることができたかというあたりを意識したのかどうか。

掉尾を飾る「死せるものたち」は、「意識の流れ」の手法を採り入れたほとんど中篇といってよい作品。人当たりのいい教養人をもって任じている主人公が叔母たちの主催する晩餐会で感じるスノビズムを冷静な筆致で暴く一方で、愛する妻の中に消えずにいた昔の恋人の存在に衝撃を受けながらも受け容れていく過程を、詩情溢れる筆で描ききった佳編である。

とかくジョイスといえば難解さ故に敬遠されがちな作家だが、若書きの『ダブリナーズ』には、初々しさとアイロニカルなユーモア、それにダブリンの街とそこに暮らす人々に寄せる裏返された愛があふれている。新訳をきっかけにぜひジョイスにふれてみてほしい。


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 2009/3/15 『パワー』 U・K・ル=グウィン 河出書房新社

『ゲド戦記』のル=グウィンが、新たな構想の下に書き下ろした「西のはての年代記」三部作。『パワー』はその完結編にあたる。第一部『ギフト』の主人公オレックは、今では有名な詩人として知られるようになっている。第三部は、表紙裏の地図によれば『ギフト』の舞台となっていたスコットランドを思わせる高地地方と『ヴォイス』の舞台であった海峡に面した都市アンサルに挿まれた中央部の都市国家群を舞台にしている。

当時、都市国家群では群小国家が覇を競い合い、戦争に明け暮れていた。戦時下では人手はいくらあっても足りない。足りない分を補うため、奴隷狩りが横行する一方で、自由を求めて逃亡する奴隷も後を絶たなかった。そうした逃亡奴隷たちの中には森の中に自分たちだけの都市を持つものまでいた。

主人公のガヴは水郷地帯生まれだが、幼い頃、姉とともに奴隷狩りに遭い、今では都市国家エトナの元老院議員の館で奴隷として暮らしている。ローマ風の政治体制を持つエトナでは、奴隷も教育を受けることができる。人並み外れた記憶力を持つガヴは教師の手伝いができるほどの優等生だが、それを妬ましく思う一部の者からは執拗ないじめを受けていた。

この物語も他の多くの物と同じで、特別な力を持つ不遇な少年が、諸国を彷徨い様々な出来事を経て成長し、自分の居場所を見つけるところまでを描いた物語と一応は括ることができるだろう。しかし、主人公が自分の持つ特別な力で、次々と押し寄せる敵を倒し難問を解決していくという約束通りのストーリー展開を期待すると裏切られる。なにしろ作者があのル=グウィンである。『ゲド戦記』全巻を読み通した人にはお分かりのはず。

少年は二種類の力を持っている。それは「見たり聞いたりしたことを鮮明に思い出すこと」と「ときどき、これから見たり聞いたりすることを<思い出す>こと」ができる力である。一つ目の力は覚えた詩や物語を朗誦することに使え、聴衆を楽しませることができる。二つ目の力の方は、見たことや聞いたことがいつ起きるのか分からないので、それらを正しく読む力を持つ者の助けがなければ何の役にも立たない。

主人公の少年が他の物語のように大活躍できないのは、少年が持つ力が価値あるものとして遇されない世界にいるからだ。ファンタジーであれ、現実であれ、多くの世界は男性を中心に動いている。その点では、都市国家エトナも逃亡奴隷たちが共同生活を営む森の都市も同じだ。女は家事労働や男に(性的な)奉仕をする役割しか担わされていない。男村と女村に分かれ、ジェンダーによってするべき仕事も分かれている水郷地帯であっても、幻(ビジョン)を「見る力」は男のもので、女の見る幻(ビジョン)はたわごと扱いをされている。「詩を作るより田を作れ」という言葉がある。物語を語ったり、詩を朗唱したりする力は、男性中心主義の世界では、武器を操ったり、獲物を狩ったりする力と比べると一段低い能力と見なされることが多い。

しかし、主人公がそれまで当然のこととして受容していた世界に疑問を感じ始めるのは、オレックたちが書いた本を読んだからである。自分がいる世界を客観視するためには他者の視点が必要だ。「本」は持ち運びが可能な他者なのだ。文字のない世界や、本のない世界では詩や物語を語ることのできる人は「本」の代わり。主人公の少年は「本」の寓意である。「本」は戦わない。「本」は獲物を捕ることもなければ耕作もしない。では、「本」はほんとうに価値のないものなのか、という問いかけが三部作全編を通じて繰り返されている。

もちろん、「本」は素晴らしいものだ。その価値を知る世界では「本」は正当に遇される。それが、正当に遇されないのは、誰かがそうさせないからだ。少年の教師は「新しい」本を読むことを少年に禁じている。逃亡奴隷たちの首領は森の都市に学校を作ろうという主人公に同意しない。権威や権力を持つものは自分以外のものが見識を持つことを喜ばない。「知」の持つ力を恐れるからこそ、それを女、子どもが喜ぶものように言いなすことで、男をそこから遠ざけようとするのだ。

オレックと同じように、ガヴも「見たり聞いたりしたことを鮮明に思い出すこと」のできる力を母親からもらっている。「ギフト」は男と女をつなぐものだ。男と女が別々に暮らすのではなく、どちらか一方が服従するのでもない、互いに相補いあうことができるなら、今よりもっと豊かな実り多い暮らしが営まれるはず。そんなメッセージが「西のはての年代記」全編から響いてくる。その実現を言祝ぐかのように、祝祭的な明るさに満ちた終幕はオレックとその妻グライ、『ヴォイス』の主人公メマー、それにもちろんハーフ・ライオンのシタール(大好き!)も登場する。作者ル=グウィンの想いが本の外へ溢れ出してくるような力作である。

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 2009/3/7 『おかしな時代』 津野海太郎 本の雑誌社

タイトルの書き文字を見ただけで「あっ、平野甲賀」と分かった人は晶文社ファンにちがいない。著者の津野海太郎は、晶文社の編集者として知られ、平野甲賀はその友人。副題に「『ワンダーランド』と黒テントへの日々」とあれば、表紙を見ただけで、どんな本か分かるしくみになっている。ずっと本作りに携わってきた人たちが組んでつくった本らしい。うすい表紙にピンクのギンガムチェックのカバーが分厚い本を軽やかに見せている。じっさい読みはじめると、時間を忘れる。一晩で読みきった。

津野海太郎の名は、『季刊・本とコンピュータ』の編集長として記憶に残っていたから、彼があの佐藤信といっしょに黒テントをやっていたことにはびっくりしてしまった。もうひとつ驚いたのは、『新日本文学』の編集室にいたこと。なんと、花田清輝や長谷川四郎と同じ部屋にいて、長谷川四郎を「四郎さん」とファーストネームで呼んでいたなんて。

これは、1960年から73年にかけて、いいかえると「六〇年安保にはじまり、東京オリンピックをへて七〇年前後の大学紛争期に至る十年ちょっとの期間」、雑誌編集と芝居の演出をかけもちしたひとりの男の回想録である、というと語弊がある。ここにはふつうの回想録のように私的な記述はほとんどない。ここにあるのは津野という編集者=演出家を核にして離合集散する人間たちの行動の記録である。

「私じしんはふつうの人間だが、ふつうではない(かもしれない)人間とたてつづけにでくわす運があった。運も才能のうちとかんがえるなら、そういう才能が若い私にはあったのかもしれない」と、あとがきにあるが、出会って間もない小野二郎から晶文社に来ないかと口説かれるなんて、ただの運と言ってすませるわけにはいかない。が、本人が語らない以上、津野の魅力については他の人の書いたものから探るしかない。

じっさい本の中に出てくる人の数が多いだけでなく、その顔ぶれがすごい。名前だけ羅列しても一時代の日本文学史や演劇史がかけるくらいだ。しかも、その当人の風貌や口調をさり気なく生かしたエピソードの数々。宴会に並べられた豪華な料理のようで、どれを紹介したらいいか目移りがして困ってしまう。ぜひ自分で読んでみてほしい。

一つだけ紹介したい。無口で編集会議でもめったに口を開かない長谷川四郎の言葉。管理がきらいで芸術家ふうの風貌を持つ長谷川四郎が、なぜ編集方針にまで共産党が口を出す『新日本文学』にいるのかときいた著者に答えていわく「おれは政党の介入とか編集長の更迭とかには関心ないのだ。『新日本文学』の日本(傍点)にも文学(傍点)にも関心ない。関心があるのは新(傍点)だけだよ」。いいなあ。

演劇にはくわしくないが、犀のマークの晶文社の本はよく読んだ。大学時代に読んだ中原弓彦(小林信彦)の『日本の喜劇人』をはじめ、都筑道夫の『黄色い部屋はいかに改装されたか?』、植草甚一の『雨降りだからミステリーでも勉強しよう』等々。サブカルチャーというもののおもしろさを教えてくれたのが晶文社の本だった。

「アングラ」と呼ばれた新しい演劇運動の勃興期、トラック二台に乗せた黒テントの悪戦苦闘の旅興行の話や、日本版『ローリングストーン』誌が『ワンダーランド』をへて『宝島』に化けてゆく話など、この人でないと書けない裏話がいっぱい。今は亡き草野大悟や岸田森との交遊も含め、現在活躍中の役者の若い頃の姿を垣間見ることもできる。

北上次郎から回想録を書いてくれとたのまれたとき、最初はまだ早いと思ったという。その著者が『本の雑誌』に連載を始めたのは、あの時代が早くも「なんだか他愛なくまとまりのいいお話にされちまったな」という印象をもったからだ。後世による「過去の歴史化」に生来のジャーナリスト感覚が反応したのだろう。本を作るのは編集者だということがよく分かる例だ。

本の編集に関心のある人、演劇に興味のある人なら必読。あの時代を生きた人なら文句なしにおもしろい。テープ起こしで身につけた「漢字仮名混じり文」ならぬ「かな漢字まじり文」で書かれた文章は、話し口調が生かされた読みやすいもの。快作である。

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 2009/3/1 『昭和のエートス』 内田 樹 バジリコ

リフォーム中だったはす向かいの家に見学会の幟が立っている。曰く「今、甦る昭和の家」。黒板塀に見越しの松を配した平屋の家は、プレハブ建築が目立つ町内ではレトロな雰囲気を醸し出している。眺めているうちに、前の道がまだ舗装されていなかった頃、雨上がりの水たまりに青空が映っていた風景を思い出した。映画「ALWAYS三丁目の夕日」のヒットが示しているように、いつの頃からか「昭和」がひそかなブームになっているらしい。しかし、また何故、今「昭和」なのだろうか。

現在の世界同時不況は最早「恐慌」と言っていい。派遣切りに象徴される格差社会は職もなく住む家も持たない人々を排出し続けている。平和ボケと言われ、薄っぺらでのっぺりした時代を何ら危機意識を持つこともなしにぬくぬくと生きてきた現代人が、自分たちを取り巻く状況の息苦しさにようやく気づきはじめ、貧しくはあったが楽しかった「昭和」にノスタルジーを感じているというところだろうか。とはいえ、同じ昭和でも戦争中や戦前はそこには入らない。

「一九五〇年代初めから一九六〇年代初めまでに日本社会に奇跡的に存在したあの暖かい、緩やかな気分を「昭和的なもの」として私は懐かしく回想する」と内田は言う。1950年代初めといえば、戦後の混乱期がようやく治まり、人々が平和の有り難味を享受しだした頃だ。そこから1960年代初め、つまり東京オリンピックのために東京が大改造を受ける頃までといえる。

なぜその時代がそうまで懐かしく感じられるのだろうか。その答えは「昭和人」にある。「昭和人」とは「昭和生まれの人間」のことではない。「昭和という時代を作り出し、生きた人」のことである。明治時代を作ったのが明治生まれの人間でないのと同じだ。手持ちの辞書によると「エートス」とは、「社会集団・民族などを特徴づける気風・慣習・習俗」を表している。「昭和のエートス」とはどのようなものであるか。

江戸時代に生まれた人間が明治維新という「断絶」を受けとめ、明治時代を作ったように、明治末期から昭和初期に生まれた「昭和人」は、敗戦という「断絶」を経験し新生日本を立ちあげなければならなかった。骨絡みに染みついた国家主義を半身に引き受けながら、それをメスで一つ一つ切り離すようにして、科学信仰と民主主義という戦後の価値観を残る半身に移植するという荒業をなしとげた「昭和人」に対して内田は敬意を示す。典型的な「昭和人」として内田が挙げているのは、吉本隆明、江藤淳、太宰治である。彼らは「断絶」を内に抱えながら「断絶以後」を生きることによって、「断絶」を知らないそれ以前の世代や以後の世代の持ち得なかった深い知性を持ち得たからである。

1952年に連載が開始された『鉄腕アトム』は「断絶とそこからの再生」の物語だと内田は言う。狂気の天才科学者天馬博士が作り出したアトムは知っての通り機関銃を装備した「兵士仕様」だった。成長しないことを理由に捨てられたアトムはアイデンティティの再構築を計る。その足場となったのが、お茶の水博士に代表される「正しい科学技術」とタマちゃんやヒゲオヤジが代表する「学校民主主義」である。あの『鉄腕アトム』が、捨てられた「兵士仕様の子どもたち」が科学と民主主義に支えられることによって存在理由を見出してゆく物語、と読み解かれるのである。目からウロコとはこのことである。

騙されて神懸かり的な国家主義に熱狂した記憶を持つ「昭和人」は、「科学志向」と「民主主義」を新しい指針とする一方で、加害に荷担したことを恥じ、自制する風儀を持っていた。「恥じ入ること、謙抑的であろうとすること」は戦後の一時期、ある年齢の人々の基本的なマナーであった。(戦争に負けたのだから)みんなそれぞれ好きにやればいいじゃないかと、人のやることにいちいち目くじらを立てないようなところがあり、それが世の中の風通しをよくしていた。そういう「昭和のエートス」が、東京オリンピックの頃を境に日本から消えていくようになる。

それは、オリンピックを国威発揚の機会ととらえ、伝統的な胡同(フートン)を前近代的な残滓としてあっさり破壊してしまう中国においても同じである。「北京オリンピックが失うもの」で内田はこう書いている。「貧しさ、弱さ、卑屈さ、だらしのなさ……そういうものは富や強さや傲慢や規律によって矯正すべき欠点ではない。そうではなくて、そのようなものを「込み」で、そのようなものと涼しく共生することのできるような手触りのやさしい共同体を立ちあげることの方がずっと大切である。」

日本には、もうあの緩やかな時代が戻ってくることはないだろう。しかし、あの時代の空気を肌で知る世代の一人として、ただ懐かしんでばかりはいられない。弱者が切り捨てられようとする時代であるからこそ、なおさらに「手触りのやさしい共同体」の再生が希求されるのである。国家論、教育論と硬質な話題が目立つが、アトムの例からも分かるように斬新な切り口は読者を魅了する。「日本人の社会と心理を知るための古典二〇冊」の中に愛読書を何冊見つけられるか、同世代は勿論のこと、若い世代の読者に是非読んでもらいたい好著である。


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