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 2009/1/31 『僕の読書感想文』 近田春夫 国書刊行会

図書館の新刊コーナーに入っていた。知っている人もいるだろうが、近田春夫はミュージシャンである。少しえらの張った風貌はテレビ向きで、タレント活動もしていたようだ。近頃は歌謡曲評論家としても知られている。演奏も一度か二度聴いたことがあるが、知的な印象を受けた。

「僕の読書感想文」という小学生の宿題風のタイトルがみょうに気になって、手にとってみた。一つの文章が四百字詰原稿用紙三枚というから、ちょうど「青少年読書感想文コンクール」の規定枚数である。採りあげられている本はヴァラエティにとんでいて、まさに何でもあり。SFが好きなようで、フィリップ・K・ディックは二冊採りあげている。

98年から2008年まで、月刊誌「家庭画報」に連載してきたものをまとめた本だ。表紙カバーの折り込みに刷られた著者略歴によると、近田氏とは同い年。サイケデリックだとか、ヒッピー、ヘイト・アシュベリーなどという言葉の踊る本文に、すっかり同窓会気分に浸ってしまった。

東京生まれで、高校生のときに「女性版平凡パンチ」にイカレて、履歴書代わりの感想を書いて出版社に売り込みに行ったというから、当時からいいものを見抜く感性にすぐれていたのだろう。「女性版平凡パンチ」つまり後の「アンアン」である。その雑誌を編集していたのがアート・ディレクターの堀内誠一。後にその編集室に出入りを許されているというから、本物である。

書評家としての力量だが、本人は謙遜しているが、上のエピソードからも分かるとおり、この人の身上はセンスのいいところだ。イラストレーターの小林泰彦が雑誌に描いていたイラストにヨット部の先輩が紹介されていたのを発見したコメントが「やっぱり泰彦さんは先輩を選んだな、と思った。子供は生意気にも「この人は判ってる!」と思ったのだった」なのだ。

五十の坂をこえてからは、さすがにノスタルジックになるらしく、しきりに昭和を恋しがっている。特に日本語の変化が気になるようだ。読書感想文というタイトル通り、気張らず素直に読んでいるところが好感が持てる。みんなでわいわいがやがやするのが苦手で、食事も本を片手に一人でとるのが好きだとか。そんな時の相手になる軽めの本も紹介されているのは勿論のこと。

文章の最後に、キメの一言が来る。これがけっこういける。一つだけ紹介して筆を置こう。筒井康隆の『巨船ベラス・レトラス』の書評の最後である。「この本を読み、一つだけ作者にしてみたい質問が生じた。とるに足らぬ話でもやたらと味わいのある小説というものがある。この味わいというものだけがこの作品に希薄なのは何故なのだろうか……。」

見た目はパッとしないが、いざ使ってみると切れ味の鋭いナイフのような、近頃めずらしいめっけ物である。同年配の諸兄にお薦めしたい。

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 2009/1/24 『橋本治と内田樹』 筑摩書房

読む人を選ぶ本である。五十歳代の男性なら、共感できるところが多いだろう。対談集だが、どちらかと言えば、橋本治が主で、内田樹が控えに回っているところが面白い。内田樹といえば、今や飛ぶ鳥を落とす勢いで、次々と本を出しまくっている超売れっ子である。

一方、橋本治はといえば、「背中の銀杏が泣いている。止めてくれるなおっかさん。」のポスターで売り出したことを知っている人が今どれだけいるだろうか。それよりも、『桃尻娘』や、その桃尻語で訳した『枕草子』に始まる日本の古典の現代語訳シリーズのほうが今では有名かも知れない。美術、歌舞伎にも造詣が深いマルチ・タレントとして異彩を放つ。

ではあるが、橋本の本はまともに書評されたことがないのだそうな。「小説現代」でデビューした橋本は文芸二に属していて、「文学界」や「群像」のような所謂文芸一との間には、一本の線が引かれているらしく、文二のほうは中間小説と呼ばれ、文一の「純文学」とは同じ扱いをされないのだという。この文一、文二という分類の仕方が可笑しい(橋本と内田はともに東大卒)。

ジャンルを軽々と飛び越え、編み物の本も書けば、ちくまプリマー新書(このシリーズを企画したのも橋本)のように教科書風の本も書くという橋本のような書き手は、批評家としても批評しにくい相手にちがいない。そういう意味では、この対談集は内田による「橋本治」解剖という狙いがあるのではないだろうか。そう考えると、誰にでも喧嘩を売ると豪語する内田のここでの低姿勢ぶりが理解できる。

実際、東大の先輩にあたる橋本に対し、内田は以前から秘かに尊敬の念をあたためていたらしい。評者などは読んだこともない「アストロモモンガ」だとか「シネマほらセット」などというばかげたタイトルの本や「デビッド100コラム」や「ロバート本」などという巫山戯たものまで読破しているらしい。頒価が1100円だったところから『ナポレオン・ソロ』を洒落てみたというが、分かる人がどれだけいたことか。

『窯変源氏物語』九千枚を書く中で、夕霧中将が漢詩を書くのだが、紫式部も実際の漢詩までは書いていないのを平仄から勉強して漢詩を作ってしまったというから、橋本治、並みの凝り性ではない。また、それをごく自然にやってしまうというあたりにずば抜けた才能を感じるのだが、評者などから見れば対談相手の内田樹もそんじょそこらのインテリとは頭の良さがちがうと常々感じていたのに、橋本相手だと内田がただの優等生にしか見えないほど、橋本のパーソナリティはブッ飛んでいる。

橋本の放つ言葉に、「はあはあ」とか「ふーむ」と返事をするばかりの内田に、ファンはいつもとちがう焦れったさを感じてしまうにちがいない。「ひさしを貸して母屋を取られる。」ということわざがあるが、今売り出しの内田センセイが、どこかの知らないご隠居に説教されているような雰囲気が濃厚なのである。

しかし、そこは賢明な内田センセイのことだ。はじめから、そういう狙いでこの対談を受けたにちがいない。素晴らしい才能が世間にまともに評価されていないことに業を煮やし、自らヨイショに出たのだろう。狙いは当たったのではないか。ヨイショに気をよくしたわけでもないだろうが橋本治が結構素顔を見せている。

啓蒙家的な素質を持つ橋本治と大学教授でもある内田樹の対談である。若者や教育について卓見が光る。また、身体論、古典芸能への傾倒ぶりもある年齢を迎えた読者には興趣が深いものがある。喫茶店の隅で、煙草でも吸いながら、頭のいい二人の話を聞いているようで実に愉しい。特に近頃どこでも肩身の狭い思いをしている愛煙家にはお薦め。溜飲の下がる思いのすることうけあいである。

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 2009/1/21 『彼方なる歌に耳を澄ませよ』 アリステア・マクラウド 新潮社

ベネディクト・アンダーソンは国家を「想像の共同体」と呼んだ。ルーマニアの哲学者シオランも言っている。「私たちは、ある国に住むのではない。ある国語に住むのだ。祖国とは国語だ。」同じ言葉を話す人々の間には想像ではない共同体が営まれる。国を追われても、同じ言葉を話す者は一つに結ばれているものらしい。

置かれている状況も異なれば、暮らしぶりさえちがうのに、アリステア・マクラウドの小説に、かくまでにひきつけられるのはなぜだろう。情報網の発達の陰で、見も知らぬ人々との関係が結ばれるのとひきかえに、かつては確かにあったが、今では薄くなってしまった人と人との切っても切れない絆への、郷愁にも似た思いが募るからだろうか。

時代が変わり、人と人とのつきあい方が変われば、好むと好まざるに関わらず共同体意識も変化する。血を分けた家族の間でさえ、殺したり殺されたりするのが昨今の日本。新聞を開くたびに暗澹とした思いに胸塞ぐ事件を目にしない日がない。家族はともかく氏族となれば、儀礼的なつきあいにとどめておくのが今風というものだろう。

それにひきかえ、このスコットランド系カナダ人の間に残る紐帯の強さは何か。上官の命令に逆らってまで同族の傷兵を救助する先祖の戦士にはじまり、同じ炭鉱に働く一人が命を落とすと、上司が引き止めるにもかかわらず氏族みんなが帰郷するという現代の立坑掘りにまで連綿と続く。

かつて、ともに戦った将軍に、「彼らが倒れても、たいした損失ではない(原題“No Great Mischief”)」と言わしめた少数部族が生き残るためには、互いに助け合わねばならなかった。戦いに敗れたために故国を捨てるという苦渋の選択を強いられたスコットランド系カナダ移民。マイノリティではあるが、自分たちの氏族(クラン)に誇りを持つ人々たちの物語である。

タータン チェックという柄がある。シャツや膝掛けを彩るあの格子柄は正しくはクラン・タータンと呼ばれ、その氏族にだけ許された由緒ある図柄なのだ。マクドナルドの一族は王子から「わが希望は常に汝にあり、クラン・ドナルド」と言われたほどの名家だが、裏切りに合い衰退する。一族の末裔は、カナダに行けば土地が持てるという話にすがり、現在のノヴァスコシア州ケープ・ブレトン島に渡る。

代々そこで暮らす人々は、最初に移住を決意した赤毛のキャラムの子孫という意味でクロウン・キャラム・ルーアの子供たちと呼ばれる。後から来た者の常として、移民には厳しい労働が待っていた。一族は互いに強い絆で結ばれ、いざという時には助け合うことで苦しい生活を乗り切って今にいたる。一族の紐帯は現代にあってもそのまま生きているのだ。

主人公 は、多くの親族が漁民や坑夫として働くなか、オンタリオ州南西部で歯科医として働く変り種である。幼い頃、両親と末の兄を事故で失い、祖父母のもとで育てられたことが、兄たちとの命運を分けることになる。長兄のキャラムは、一族を率い、ウラニウム採掘の立抗掘りのリーダーを努めていたが、他のグループとの諍いで刑務所暮らしを余儀なくされた。今は出所しているが酒びたりで余命が危ぶまれる。

物語は、主人公が九月の黄金色の風景の中を兄のいるトロントに向けて車を走らせるところから始まる。兄を見舞うのは土曜ごとの習慣となっている。車を走らせる彼の目に映るのは他国から出稼ぎにきている季節労働者の姿。それは兄たちの姿に重なり、彼は一族の歴史を回想するのであった。

現在の情景と回想シーンが交互にカットバック風に入れ替わるのがこの作品の特徴。誇り高いハイランダー戦士の末裔であるという意識。両親の死に至る顛末とその後の子どもたちの生活。「情が深くて、がんばりすぎる」と言われる犬や馬との結びつき。繰り返し描かれるキャラムと主人公のいきさつや二人の父方の祖父母と母方の祖父の対照的なキャラクター描写。長編ならではの息の長いリズムで差し挟まれるいくつもの挿話が、次第にクライマックスに向かっていき、やがて訪れる悲劇。

強者が一人勝ちする現代社会にあって、哀愁を帯びたゲール語の歌を共有する血族で団結し、自分たちの文化を守り、誠実に誇らかに生きる男たちの姿。そして世界各地に散らばった自分たちの生地でない場所で、汗にまみれ、泥に汚れながらも生きていく故郷喪失者たちの現実を、嘆くのではない、訴えるのでもない、しかし、それが生きるよすがともいえる静かな怒りが伝わってくる、13年という歳月をかけて書きつがれたアリステア・マクラウド唯一の長編小説である。心して読まれたい。


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 2009/1/12 『冬の犬』 アリステア・マクラウド 新潮社

寡作で知られるカナダの作家アリステア・マクラウドの全短編集の後半8編を収めた短編集(前半8編は『灰色の輝ける贈り物』に所収)。発表順に収められているので、作家の成長ぶりがうかがえて興味深い。もっとも、はじめから小説としての完成度は高い。己に課しているかのように限られた場所(カナダ東海岸)と登場人物(スコットランド高地地方からの移民)だけを使って描かれる作品は、限りなく真摯で、倫理的に生きる人々の姿を描いて静かな感動を呼ぶ。

特に読者を物語の中に引きずり込んでいくのに預かって力のあるのが土地に根づいた語り手の存在である。場所も人物も限られていれば、自由に動かせるのは時間しかない。後半の作品に明らかな特徴として、複数の話者による入れ子状の作品構造があげられる。回想形式を多用し、その中でさらに別の話者に語らせるという手法に加え、昔話や伝説、古くから伝わる言い伝えや詩歌も作品の中に繰り入れることで、物語に深みと広がりが増したようだ。

実際に作品を見てみよう。まず、表題にもなっている「冬の犬」。雪の中で妖精のような子どもたちと金色の犬が遊ぶ、洒落たクリスマス・ストーリーのようにはじまりながら、はらはらドキドキさせる少年時の回想シーンを挿んで、最後には運命の持つ皮肉さ、動物(特に犬)に寄せる思い、とアリステア・マクラウドならではの刻印がくっきりと浮かび上がるという見事な展開には舌を巻くしかない。しかも、上出来のストーリーに乗せられた後で、「将来いつかその時が来るまでは生き長らえる」しかないわれわれ人間(と犬)の生と死についてあらためて考えさせられるというおまけまでついている。

全短編集の表題になっている「島」は、他に誰一人住む者とてない孤島の灯台守の女の一生を描く。例にもれず孤独で苛酷な労働の挙げ句が、最後には「島の狂女」と呼ばれ、住む場所まで奪われる、一見救いのない話に思えるが、赤毛の男との一夜、サバ漁の漁師たちとの出来事に女のしたたかな力強さを感じる。荒々しい音調で奏でられてきた物語が最後のところで転調し、幻想的な調べに変わるのが圧巻。自分の土地というものを持たない「灯台守」に、住み慣れた地を追われた移民の姿が重なり、時の政治に翻弄されるしかない庶民の憤りが伝わってくる。

死んだ妻と建てた山上の家に独り暮らし「本物のゲール語民謡の最後の歌い手」と呼ばれる木こりが、町で開かれる歌謡フェスティバルのためにオーディションを受ける「完璧なる調和」は、他と少し味わいの異なる佳編。禁欲的で頑固な年寄りと、若くてエネルギーに満ち溢れるならず者との間に生まれる意外な心の交流が読み手の心を熱くする。ゲール語で歌われる民謡の歌詞はどれも亡くした恋人に寄せる悲痛な思いである。思いの対象は妻でもあり、故国でもあるのだろう。

ロブスター漁に出た青年が、船で父から聞かされた話を回想する「幻想」は、回想の中に回想が繰り込まれ、一家の血筋が語られるゴシック・ロマン風の味付けがなされた物語性の濃い力作。漂泊する一人の男をめぐって姉妹が争う『嵐が丘』にも似たロマンスや、「見えないものが見える能力」にまつわる伝説が、漁場をめぐる男たちの闘争の中に織り込まれ、重層的な物語を構成している。読み応えのある一篇。

動物の種付けの得意な男が助けた犬のせいで命を落とすことになる、人と犬との皮肉な運命を描いた「鳥が太陽を運んでくるように」は、昔話のようにはじまりながら、その「灰色の大きな犬」が、現代に生きる主人公たちにも影を落としているという怪談めいた話。それが単なる奇譚で終わらないのは、大きな体をして男に甘える犬と、それを受けとめる男の関係に読者の思いが残るからだろう。

カナダに入植した移民と息子との世代間の入植地に対する思いの食いちがいをほろ苦い筆致で描いた「クリアランス」にも犬が登場する。自らがトウヒの林を開拓した土地を手放さなければならなくなる主人公の耳に聞こえてくる「こいつらは最後まであんたといっしょだ」が、胸を打つ。マクラウドのルーツとも言える「ハイランド・クリアランス」(18〜19世紀に牧羊のためにスコットランドに住む人々を強制的に立ち退かせた)が、題名になっているあたりに、作者のこだわりが見てとれる。他に二篇を含む。「珠玉の」という形容に相応しい粒揃いの短編集である。


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 2009/1/10 『灰色の輝ける贈り物』 アリステア・マクラウド 新潮社

31年間にわずか16篇。短編一篇に二年がかりという寡作ぶりに、ため息が出る。次回作を待つファンにはさぞつらいことだろう。しかし、一度その世界を知ってしまうと、どれだけ待たされても次の作品を読んでみたいと思わせる作家の一人であることはまちがいない。

『灰色の輝ける贈り物』は、2000年に出版された短篇集『Island』から発表年代順に前半8編を収める(後半8編は『冬の犬』という表題で同じ出版社から出ている)。主な作品の舞台となっているのは、作家が育ったカナダ東端のノヴァ・スコシア州ケープ・ブレトン島、もしくはその周辺で、スコットランド高地地方から追われるように新大陸に渡った移民が多く住むところである。

「世界で最も美しい眺め」ともいわれる景観を持つが、真冬には睫毛も凍りつく厳寒の地。炭坑で石炭を掘るか、海に出てロブスターやサバを獲るか、いずれにしても厳しい肉体労働が主な仕事である。マクラウド自身、抗夫や漁師、木こりとして働いた経験を持つだけでなく、そうした仕事が好きだったと語っている。

厳しい自然の中で苛酷な労働を強いられる暮らしの中では、家族の結束が必要となる。父と子、父と母、祖父母と孫、いっしょに住んでいるからこそ確執が生まれる。かといって離れて暮らせばそこには罪悪感が生じる。作品の核となるのは、血を分けた者同士の心の結びつきであり、その結びつきを壊そうとかかる外界からの働きかけである。かつては苦しくても島で生きるしかなかった。今は島を捨てるという選択肢がある。

文学を愛しながらも生活のために漁師の道を選んだ父のため、生きている間は一緒に海に出ると約束した息子は、父の死後島とそこで暮らす母を捨て、都会で文学を講じる道を選ぶ。回想形式で物語られる巻頭の「船」には、「自分本位の夢や好きなことを一生追いつづける人生より、本当はしたくないことをして過ごす人生のほうがはるかに勇敢だ」という作家の信条告白が読みとれる。

炭坑町で父や祖父のように朽ち果てていくことを厭って、町を出た青年が、ヒッチハイクの途中で立ち寄った故郷と同じような炭坑町で、自分が祖父母や父母の人生を理解していなかったことに気づく「広大な闇」。はじめてのビリヤードで得た掛け金を手に意気揚々と帰宅した息子が両親に相手に返してくるようにと叱られる表題作「灰色の輝ける贈り物」。

炭坑夫らしい粗野な父親と都会暮らしに馴染んだ妻との間で板挟みになる父親の姿を子どもの目を通して描く「帰郷」。自分の命を救い、子どもが愛してやまない馬を、食い扶持がかさむから売り飛ばせと妻にいわれ、言い返せない男の姿を描いて哀切極まりない「秋に」と、「本当はしたくないことをしなければならない男」の姿を、子どもの目を通して描くことで、はた目には格好の悪い男の生き様が哀惜を帯びて浮かび上がってくる。

家族の心配をしり目に独り岬の上に立つ家で暮らす年老いた祖母に、家族の中でいちばん愛されている孫が、老人ホームに入るよう説得に行かされる「ランキンズ岬への道」もまた、「本当はしたくないことをしなければならない男」というテーマを持っている。誕生日を祝う一族が集まる席上で、祖母は孫が一緒に暮らしてくれると家族に話すが、孫の帰郷には秘密があった。余韻の残る結末に短編作家としての成熟を見ることができる。

他に三篇を含む。どれも美しくも厳しい自然の中、意のままにならぬ人生を黙々とたくましく生きる人々の姿を、感傷を排した筆致で描ききり、静謐な余韻を残す、傑作の名にふさわしい短編集である。

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 2009/1/4 『ナポリへの道』 片岡義男 東京書籍

学生時代よく食べたのがスパゲッティ・イタリアンだった。缶詰のマッシュルーム、パプリカ、細切りにしたハムを炒め、これによく茹でたスパゲッティを入れトマトソースで和えたものだ。独特の形状をしたグラスに注いだコカ・コーラが付いて百円をこえなかった記憶がある。

河原町界隈をぶらついて、洋服やら輸入盤のLPなどを漁り、寺町の本屋を何軒かはしごした後、御所を抜けて下宿に帰るのが、休みの日の日課だった。大学生の昼飯にしては軽すぎるメニューだが、片道を市電に乗らずに歩けば二回で昼食代が浮く計算だったからだ。

著者の説明によると、ナポリタンとイタリアンはほとんど同じ物で、関西ではナポリタンをイタリアンと呼んだのだそうだ。太さについては、関西人は細いと損をしたように感じるとかで太めを好んだとも。この本に出てくるナポリタンのレシピは、紛れもなく当時食べたイタリアンそのものである。

著者がこの本の構想を立てたのは何年も前のこと。当初は日本の町に残るナポリタンを探して食べ歩いた感想を「ナポリへの旅」と題して一冊にまとめる予定だった。戦後日本を体現する「和食」としてのスパゲッティ・ナポリタンが絶滅危惧種におちいっていると考えたからだ。

スパゲッティ・ナポリタンが日本に登場したのは、敗戦後占領軍が大勢の兵士の腹を満たすため、大量のスパゲティを持ち込んだことによる。茹でたスパゲッティに塩胡椒して、これもまた大量に用意したケチャップで和えただけの料理とも言えない料理だったが、これを今の形にして、スパゲッティ・ナポリタンと名づけたのは、当時マッカーサーの宿舎になっていた横浜ホテルニューグランドの総料理長だったという。

「一九四五年の敗戦の翌日から一九五三年までが古き佳き日本で、それ以後は悪しき様相が日ごとに更新され続ける、それまでとは全く異質の日本へと突進を始めた」というのが、片岡の考え。彼の原点はこのオキュパイド・ジャパンにあるといってもよい。スパゲッティ・ナポリタンは、戦後日本に登場した日本で作られた「和食」であるだけでなく、当時から現在に至るまでの日本を体現し続けている存在であることを、著者自身の回想を交えながら、エッセイ風に書きつづったのがこの本。

一九五三年当時、少年だった世代なら、どこかで出会っているにちがいないのが、スパゲッティ・ナポリタン。特別な日の料理から、やがておやつ感覚で食べる軽食に変わっていくが、今は、気軽にシェアするのが普通になったパスタも、スパゲッティ・ナポリタンだけはシェアできない、一人で全部食べたいというのが、その世代らしい。

高度経済成長期を経過し、一気に登りつめた挙げ句がバブルだった。飽食の時代の果てに来たグルメ・ブームに湧く日本では、「ナポリタンというスパゲッティ料理はナポリにはない。イタリア人も知らないという批判」が起きた。スタートした時点では完全に日本人が作った「和食」だったにもかかわらず、お洒落ではないという価値観によってスパゲッティ・ナポリタンは貶められてしまう。

それが、バブル崩壊とともに「沈んでいく日本、浮かび上がってくるナポリタンという構図」で、復権し始めているのだという。バブル崩壊で虚構の嵩上げが崩れ去り、日本人の意識が地上近くに下りるに連れて浮上してくるスパゲッティ・ナポリタン。戦後日本の指標ともいうべきスパゲッティ・ナポリタンだが、バブル崩壊後の日本は居住まいを正して一歩とはいわず、たとえ半歩でも「古き佳き日本」に近づけたのだろうか。読後ちょっぴり酸っぱい思いが残るのは、トマト・ソースのせいばかりではあるまい。

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