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 2008/11/16 『図書館 愛書家の楽園』 アルベルト・マングェル 白水社

本には余白というものがとられている。稀に、ぎりぎり一杯まで印字されたものを見ることがあるが、本の体裁として美しくないだけでなく実用性に乏しい。モンテーニュは、本を読みながら気づいたこと、考えたことなどを余白部分に克明に書き込んでいる。『エセー』は、その賜物である。

満員電車の吊革につかまってでも本は読むことができる。現実的には通勤時間が読書の時間、電車が移動書斎という人も多いだろう。情報を読み取るためだけの読書なら、それでもよかろう。しかし、モンテーニュのように、本と自分との対話を愉しんだり、関連する本を手当たり次第に手にとり、本の世界を遍く渉猟したいと思っている愛書家は少なくない。

そうなると、必要な書物を収める書庫が欲しくなる。本が今の形になるまでは巻物であった。それを保管するために壁に設けられた窪みがビブリオテーケー(書架)の語源である。巻物を広げるには大きな机も必要だろう。火の気と湿気は本の大敵である。分厚い石材でできた壁には窓もほしい。

冒頭に著者が長年夢み続けやっと実現した書斎が紹介されている。フランスの丘陵地帯にあるもとは司祭館の納屋であった場所に残る石壁を生かして作られたそれには、二つのモデルとした書斎(図書館)があった。一つは、ヴァージニア・ウルフの友人であの『オーランドー』のモデルでもあるヴィタ・サックヴィル=ウェストの邸宅シッシングハーストのロングホール・ライブラリーであり、もうひとつは著者の母校であるブエノスアイレス国立大学図書室である。写真で見ると、著者がその二つの書斎の持つ長所を如何に取り入れているかがよく分かる。

とはいえ、ここに紹介されているのは、現実の図書館や書斎だけではない。むしろ、古今東西の歴史に残る図書館は勿論のこと、神話や言い伝えにしか残らない図書館、果ては空想上の図書館に至るまで、著者の繰り広げる図書館に関する蘊蓄は、そのとどまるところを知らない。それもそのはず、著者マングェルは、あのホルヘ・ルイス・ボルヘスの朗読者を務めていたのだ。

著者によれば、個人の書斎、公共図書館、オンライン図書館の三者に共通するのは、「私たちの知識と想像力に調和を与え、情報を分類して区分けし、この世界に住むすべての人に共通する経験を一か所に集め大勢の読者が獲得したものを、吝嗇、無知、無能、恐怖などから遠ざけようとする明らかな意志である」。

この世界自体に目的も意味もないことは自明である。それを秩序立てようとするこの試みは初めから不可能であることを運命づけられている。空間と時間を征服しようとする二つの不可能性を象徴するものは、バベルの塔とアレクサンドリア図書館である。前者は神の怒りに触れ崩壊し、世界は多言語化される。後者は火を放たれて燃え落ち、総ては灰燼と帰す。

本を収集し、それを区分けする事に情熱を燃やした先人たちのエピソードの間に挟まれる著者の愛する作家や賢人たちの警句が、文章にアクセントを添えている。その一つ。「わが蔵書は無学なコレクションではない。たとえ、その持ち主が無学であろうとも。」(ペトラルカ)。日々、僅かな時間と貯金をはたいて蔵書の拡充に努めている御同輩に一読をお薦めする。ミケランジェロが設計し、この世の図書館の中で特に美しいとされるフィレンツェはラウレンツィアーナ図書館の写真を見ながら、ため息などつくのも一興ではないか。

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 2008/11/9 『ちびの聖者』 ジョルジュ・シムノン 河出書房新社

原題は“Le Petit Saint”。たしかにプチは小さいという意味だから「ちび」でもまちがいはないだろうが、同じような題名でも聖者が王子に代わると『星の王子様』になる。「小さな聖者」あたりが穏当な訳ではないだろうか。もっとも、背丈が足りなかったせいで懲役免除になるくらいだから「ちび」と訳した訳者を責めるつもりはない。

『メグレ警視』シリーズで有名な、シムノンのこれはミステリではない本格小説。貧しい生まれの少年が後に有名な画家になるというストーリーは自伝的な要素を感じさせる。作者偏愛の一篇と言われている。パリの旧市場レ・アルで働く下層階級の暮らしを、吹きだまりのようなムフタール通り界隈を舞台に詩情豊かに描きあげた滋味あふれる佳編である。

主人公はルイ・キュシャ。市場で手押し車に載せた野菜を売る母親の稼ぎで一家が食べねばならない貧しい家に生まれる。父親のちがう兄姉たちと狭い部屋で秣の匂いのする藁布団を並べて寝る生活。間仕切り用のカーテン代わりに掛けられたシーツ一枚で隔てられた向こうのベッドでは母親が男と寝ている。シーツの破れから覗き見た母と男の情交が後に画家となるルイの見た原光景となる。

ルイは無口な子で、人から何を聞かれても「知らない」と答えるので、祖母は知的障害ではないかと疑うほどだったが、学校に通うようになると主席をとる。しかし、学業には関心がなく、朝早くから母の手助けをして市場に通うことを好む。苛められても先生に告げ口をしない性格から「ちびの聖者」というあだ名がつくのはこの頃だ。

やがて第一次世界大戦が勃発し、兄たちは兵役にとられ姉は結婚。ルイ一人が母親との暮らしを続ける。仕事帰りに通る街角のショーウィンドウに飾られた絵の具と運命的な出会いから、ルイは絵を描くようになる。絵の具を売ってくれたシュアール氏は後に画商となり、ルイの絵を売り出すようになる。

一人の少年が有名画家になるまでの歩みを描いたストーリーには特に事件が起きるわけでもなく、画家仲間の逸話に溢れているわけでもない。淡々とした筆致は、ルイという人間の他人とあまり関わりを持とうとしない性格からきている。かといって人嫌いでもない。部屋の窓や出かけた先でルイは人間を含むあらゆるものを飽かず眺める。ルイは「見る人」なのだ。

シーツの破れから母と情人との姿を窃視する冒頭のシーンが象徴するように、主人公は薄皮一枚を隔てて現実と接している。彼が穏やかに見えるのは、他人に直接触れないからだ。薄皮一枚が彼と世界を隔てている。彼は現実を見たままに描くこともできるが、そうはしない。彼が描きたいものは「空間のきらめき」であり、それは彼の中にしかない世界である。

終末にいたり、主人公の長兄は麻薬売買の親玉となって服役中。家出した双子の一人はベドウィンの娘と恋仲になり、アフリカで囚人部隊に入り戦死。もう一人はガラパゴス島に渡り、蝶を追い続ける。物語としては彼らの軌跡を辿る方がよほど面白いはずだが、作家は、兄弟の命を奪った戦争も兵隊の服や旗の色として捉えてしまう画家を主人公に据える。

色や匂いに充たされた外の世界が如何にきらめきに満ちていようと、作家にとってそれは描きたいものの素材でしかないのだろうか。パリの下町に暮らす人々の生活臭漂う描写を堪能し、主人公の家族、特に奔放で自由に生を謳歌する母親の姿に上質の小説ならではの愉楽を覚えながらも、作家自身が投影されているだろう主人公にはどこか内心を覗くことを拒絶されているような気がしてならない。

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