HOME | INFO | LIBRARY | JOURNEY | NIKE | WEEKEND | UPDATE | BBS | BLOG | LINK
LIBRARY / REVIEW | COLUMN | ESSAY | WORDS | NOTES  UPDATING | DOMESTIC | OVERSEAS | CLASS | INDEX
Home > Library > Review > 63

 2008/3/1 『ナイフ投げ師』 スティーヴン・ミルハウザー 白水社

自動人形、百貨店、遊園地、地下世界、月夜の散歩、飛行感覚、超絶技巧…。どれも、ミルハウザーの読者にはおなじみの設定であり舞台背景である。めずらしいものにあふれた世界なのに、めずらしいものなどないといっていい。同工異曲、千篇一律。ミルハウザーの紡ぎ出す綴れ織りには愛用の図柄しか持ち合わせがないようだ。

ミルハウザーを一手に引き受けて訳し続けている柴田元幸氏も久々の短編集の解説に「作者はあたかも、ほかに語るべき人間などまったくいないかのように、そしてあたかも、ほかに採るべき語り方などまったくないかのように書いている」と書かざるを得ない。普通なら、これだけ同じ話を書き続けていたらとっくに飽きられているはずなのだ。

ミルハウザーの小説には、飛び抜けた技量を持つ職人が、その技術の高さゆえに賞賛され、頂点まで登りつめるが、それで満足することなくなお研鑽を積んだあげく、周囲の理解を超えた地点にまで飛び出し、失速し、墜落する、といった類の話が多い。

苦しい修業の果てに「不射の射」という境地に達した弓の名人が、弓矢を見て、その道具が何に使われる道具なのか、思い出せなくなっていたという話が中島敦の『名人伝』にある。名人上手と神仙世界とが陸続きの中国ならではの捻りをきかせた展開だが、西洋の物書きであるミルハウザーには、そこまでの韜晦趣味はない。一線を越えてしまったアルチザンの持つ狂気にも似た一種異様な執念と、その世界を到底理解することのできない一般人との乖離が非情な結末を呼ぶばかりだ。

訳者も気づいているように、作者であるミルハウザーと主人公の芸術家には共通点がある。何か一つのテーマに固執し、飽きずにそればかりを追究しようとする偏執狂的な姿勢と、それを可能にする技術水準の高さである。

そこには、もしこのまま同じテーマで描き続けていくなら、早晩煮詰まってしまうだろうという危惧感が生じる。ナイフ投げ師の技術が高くなり、名人の呼び声も高くなれば、目隠しをしてナイフを投げても助手の女性に当たらないことは当たり前になる。観客にしてみれば、そこにはスリルがなくなるわけだ。

万に一つの狂いもないナイフ投げなど飽きられるのは当然。そこで、考えられたのが的になる女性の剥き出しの二の腕に、一筋の傷をつける技術。白い皮膚から滲み出た血が床に滴り落ちる演出である。しかし、「ナイフ投げ師」のこの技術、どこかに倒錯の匂いがしないだろうか。微妙な逸脱が、見世物に許される一線を越えて、禁断の地平に踏み出したような危険の感覚が…。

客を喜ばせようとする、この種のサービス精神は善意であるだけに抑制が効きにくい。コニー・アイランドで実際に起きたドリームランドの大火災をもとに、架空の遊園地の成長とその崩壊を描く「パラダイス・パーク」は、倒錯の予兆を匂わせるアミューズメント・パークの近未来図を想像力豊かに歌い上げるミルハウザー・ワールド全開の傑作である。

以前にも増してミルハウザー的な色が濃いと訳者も言う今回の作品集。ミルハウザーは作品世界の住人にも似て、自分の作品世界の可能性を高めるための努力を惜しまない。ミルハウザーの世界にはまってしまった読者には期待通りの満足感を、初めて読む者には、ミルハウザーの世界を実感させる待望の第三短編集である。

< prev pagetop next >
Copyright©2008.Abraxas.All rights reserved. since 2000.9.10