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From Russia with lag

エルミタージュ美術館

 HERMITAGE MUSEUM

 エルミタージュ美術館

今回の旅行にめあてらしいものがあるとすれば、その一つがエルミタージュ美術館であることはまちがいない。美術館詣でを揶揄するのに皮肉屋がよく吐く科白がある。ルーブル美術館でもそうだが、展示されているのは、所蔵品のほんの一部。収蔵品の大半は倉庫の中で眠っているというのがそれだ。まあ、それはそれでいい。そのすべてを見せてもらう必要はないのだ。

『ミュージアムの思想』によれば、権力者が世界を支配していることの象徴として、驚異の品々や価値ある財宝、稀少な美術品を財力に任せて収集し、それを見せびらかすのがミュージアムが本来果たす役割だったという。エルミタージュ美術館クラスのミュージアムになると、収蔵品のスケールと量が半端じゃない。一点につき5秒の割合で見ていっても300万点の収蔵品を見終わるには一か月はかかる計算だ。

パヴィリオンの間、天井とシャンデリア英語のスペルからも分かるように、エルミタージュには、ハーミット(隠者)が隠れている。ずいぶん大きな隠れ家もあったものだが、所蔵品が増えるに連れ、ギャラリーとして使われる部分が拡大していったのだ。現在では歴代ツァーリの住まいであった「冬の宮殿」と四つの建物が廊下でつながれ、部屋数1050、階段だけでも120という巨大博物館を構成している。帝政ロシアの威信にかけて贅を凝らして造られた内外装の豪華さは、後発国ロシアの西欧コンプレックスの裏返しでもあったわけだが、革命後、皇帝の膨大なコレクションは大宮殿とともに国家の所有となった。その中には資産家が所有していたマティス、ピカソの有名なコレクションも含まれている。博物館と権力の帰趨とが切っても切れない関係にあるのはこのことからも分かる。

美術館が、絵画と出会う最良の場所とも思えないが、現在のところ本物に出会えるのはそこしかない。画集でしか見たことのない偏愛の画家の絵をこの眼で見る機会があるなら、ルーブルであれ、エルミタージュであれ、出かけていくだろう。エルミタージュ美術館には、ここでしか会えない名画が数多く所蔵されている。実際それは、見るというより会うという方が近いのかもしれない。じっくり見ることなどできなくともよい。ひと目この眼で見ることがかなうなら、後はずっとその時の印象を反芻して生きていける。

実は、これまで「エルミタージュ美術館展」なるものに三度、「エルミタージュ美術館秘蔵レンブラント展」に一度、その他の展覧会でもエルミタージュの所蔵品とは何度も顔を合わしている。帝政ロシア時代とちがい、経済状態を反映して外貨獲得のため、エルミタージュの美術品は外国に貸し出すことが多かった。日本経済が調子のよかった頃は、庶民もその恩恵を被ってわざわざロシアまで出かけなくても、名画を見ることができたのだ。かつて見た作品と再会するのも楽しいが、未見の作品に出会えるのはいちだんと胸躍ることだ。10時半の開館を待って行列の後尾に着いた。

絢爛豪華な大使の階段は、写真を撮る人や、立ち止まって眺める人で、混雑していた。エルミタージュ美術館と呼んでいるが、「ミュージアム」とは、博物館のことだ。一階には、古代エジプトからギリシア、ローマ、オリエントの遺物、その他が展示されている。西欧絵画が美術品の中で特別な位置を占めるようになったのは、博物館が美術館に変化していく流れと呼応している。階段が混むのは、西欧絵画が二階、三階に展示されているからである。

モザイクの床とシャンデリアが美しい「パヴィリオンの間」には、水曜日の午後5時にしか発条を捲かない「孔雀」時計がガラスケースに収まっている。絡繰り仕掛けになっていて、時間になると、鶏や梟とともに孔雀は黄金色の尾羽を開くのだそうだ。いつまで待ってもぴくりとも動かない孔雀のケース前に多くの人が、ガラスに額を擦りつけるようにしているのがおかしかった。

 花を持つ聖母

花を持つ聖母パヴィリオンの間を抜けるといよいよイタリア絵画が現れる。グイド・レエニやボッティチェッリ、フィリッポ・リッピといったルネサンス期の画家の絵が並んでいる。しかし、人々が行列をつくっているのは、やはり、レオナルドとラファエロの絵の前だった。レオナルドの絵を所蔵しているかどうかは、美術館の値打ちを決めるようなもので、エルミタージュとしては何としてでも、手に入れたかったにちがいない。「リッタの聖母」と「花を持つ聖母」の二枚を収める。写真は、「花を持つ聖母」。マリアの表情には、モナ・リザにも似通うレオナルドならではの微笑が浮かぶ。イエスが凝視めているのは、マリアの手になる花だが、母の手にそっと添えた左手が愛らしい。しかし、右手にはその将来を暗示するかのように十字架が握られている。無心に花を見詰めるイエスと、その姿を慈愛に満ちた表情で見遣るマリア。見るものの視線は、母から子へ、そして、画面中心の花、十字架へと導かれ、右奧の窓から空へと誘われる。1478年というから、まだ若い頃の作品だが、その天分の豊かさはすでに花開いている。

 聖家族

聖家族別に「聖母と髭無しのヨセフ」という名を持つラファエロのやはり若い頃の作品。聖母の上衣は赤、腰から膝にかけて青いマントが見える。キリスト教の図像学では、赤は天の聖愛を示し、青は天の真実を象徴する。聖母の衣服は常にこの二つの色の組み合わせと決められている。ラファエロは、伝統を忠実に踏まえながらも、新しい試みも忘れない。顎髭を剃ったヨセフというのは、かなりめずらしいのではないだろうか。その結果、この家族はマリアとイエスの頭上に光る円環さえなければ、どこにでもいる夫婦と子どものようにも見える。伏し目がちな父親が、なにがしかの想念にとらわれていることは見て取れるにしても。天上を見詰めるイエスと反対に、ヨセフは地に目を落としている。マリアの眼差しはそのどちらでもなく画面の外に向けられている。マリアのなだらかな肩から流れるラインが、その左手、イエスの脚、そしてヨセフへと円を描いている。調和のとれた静謐な画面構成。イエスを間に置いたヨセフの前掛けの緑とマリアの赤の補色対比と、色彩のバランスも計算されつくしている。

 ダナエ

ダナエギリシア神話でよく知られたダナエをテーマにして描かれた5枚のうちの一枚。晩年のティツィアーノはこうした神話に因んだモティーフを好んで描いた。アルゴスの王アクリシウスの娘ダナエは、娘の息子によって殺されるという神託を信じた王によって青銅の塔に幽閉される。ダナエに魅せられたゼウスは黄金の雨となって塔の中に侵入する。横たわる裸婦というモティーフを描くのに都合のいいテーマとしてダナエはよく選ばれる。天蓋付き寝台に寝そべったダナエはどこか放恣さを感じさせるが、処女懐胎という意味で、受胎告知の先駆的表現と見なされるダナエという主題が、おそらくは当時のヴェネティア女性をモデルにしたと思わせる官能的な女性像を描く免罪符となっていたのだろう。

 リュート奏者

リュート奏者誰もこの絵の前にはいなかった。レオナルドもラファエロも素晴らしいが、それぞれ傑作とされる作品は他の美術館にある。しかし、カラヴァッジョの、「リュート奏者」に限っていえば、同じテーマで描かれたもう一つの作品(人物はほとんどいっしょで、静物に異同がある)ニュー・ヨークのメトロポリタン美術館所蔵の物よりこちらの方が優れている。ニュー・ヨークの方はおそらく、この絵をほしがったコレクターのために再度同じ絵を描いたものだろう。ウフィツイ美術館の「バッカス」と共通する美少年の半ば開いた唇といい、物憂げな視線といい、官能的な表情は紛れもなくこちらがオリジナルであることを証明している。「エマオの晩餐」ほどではないが、リュートの糸巻き部分がこちらに突き出して見える遠近感の強調、キアロスクーロを用いたコントラストの強い画面と、バロックの画家らしいカラヴァッジョの特徴が遺憾なく発揮された名品である。花瓶に挿した花や机の上の西洋梨ほかの果実は、リュートや楽譜が仄めかす音楽という技芸とともに、美の儚さ、生の移ろいやすさを象徴しているのでもあろうか。

 聖家族

聖家族この絵には思い出がある。長男が生まれた年に、日本で開かれた「エルミタージュ美術館所蔵レンブラント展」に出品されていた作品で、母親に揺り籠を揺らしてもらいながら、眠りにつく子どもの姿に生まれたばかりの我が子の姿を重ね合わせ、特別な感慨を持ったのだった。ほんとうに画面左上部に天使が描かれていなかったら、この絵が聖家族を描いたものだと分かる人がどれだけいるだろうか。ヨセフはほとんど陰の中に隠れているが、ドリルらしき工具が壁に掛けられ、職業が大工であることを暗示している。レンブラントには、聖書の物語を題材にした作品は数多くあるが、それまでの神性を帯びたマリアの表現に飽きたらないものを感じたのだろう、オランダ絵画らしい市民生活をモチーフに、聖家族を描くという大胆な表現を可能にしている。天上の光が左上方から降下し、マリアの額を照らし、手にした本の上に落ち、イエスの寝顔を浮かび上がらせるという稲妻型の光線の軌跡が、画家独特の光と陰の効果をいやが上にも高めている。この外にも、「ダナエ」「放蕩息子の帰還」と、未見のレンブラントの傑作が並んでいる。部屋の一角にフランクフルト、シュテーデル美術館所蔵の大作「目を潰されるサムソン」まで、並んでいるのには驚いてしまった。参考作品として借り出されているのだろう。京都で開かれた「大レンブラント展」に行っていない人には何よりの幸運だったにちがいない。

 昼食

昼になったが、一度外に出ると、もう一度チケットを買い、行列に並び直さなくてはならない。館内のカフェで軽い昼食をとることにした。入り口近くのミュージアムショップの隣に明るいカフェを見つけた。妻に席を取ってもらっておいて、カウンターに並んだ。これだけ大きい美術館にしては食事のできる場所が小さすぎる。カフェというより、ハンバーガーショップだ。席が空いていただけ幸運と思わねばならない。

ドイツ風のパンにハムとレタスをはさんだサンドイッチと麦酒を注文し、席に持ち帰る。英語が通じたのでほっとした。広い館内、歩き疲れても長椅子その他、ゆっくり座れるような設備がない。これで、やっと、椅子に座って、一息つくことができる。中庭に面した窓から、明るい外光が入ってくる。ゆっくりしていたいのが本当のところだが、席の空くのを待って、傍に立っている客の目が気になる。こういうとき、知らん顔のできる向こうの人がちょっと羨ましい。隣のテーブルの人など、相席を嫌って、勝手に椅子の背を倒している。世間の目を気にしていてはできないことだが、「世間」って、外国にもあるのだろうか。

午後は、印象派以後の作品を見てみようと思っていた。近現代西洋絵画は三階にあるはずだった。表で並んでいたとき、ガイドブックを売りに来た。何でも千円で売る例の商売である。日本語のもあったが、中に何かあるだろうと思って買わなかった。ところが、押すな押すなの混雑で、パンフレット類の有無も確認せず会場内に入ってしまったのがいけなかった。結局ガイドブックもなしに、広い美術館の中を歩くはめに陥ってしまったのだ。

二階は午前中に歩いたので、だいたいの見当がつくのだが、肝心の三階に行くための階段がなかなか見つからない。そういえば、ガイドブックにもそんなことが書いてあったぞ、とちらっと頭に浮かんだが、後の祭りである。ああでもない、こうでもないと迷路の中を走る鼠のように試行錯誤を繰り返し、さんざ迷った末に、ようやく階段を見つけたのだった。

 近現代絵画

一階から二階への階段とちがって、こんなところに、と思ってしまうようにひっそりとあるのだから、なるほど見つけにくいわけだ。それほど苦労して上がった割には、三階の展示室は素っ気ない造りになっている。19世紀までの西欧絵画が展示してある部屋は天井も高く、室内の調度品も豪華な部屋が多いのに、二十世紀の作品は、印象派、ポスト印象派をはじめ、フォービスムの作家、それに、ピカソ、マチスとかなりの作品を集めながら、天井も低く白っぽい壁の小部屋にぎっしり並べて掛けられていた。バルビゾン派から印象派と画布をアトリエの外に出して描くようになったことから、絵のサイズが小さくなったこともあるのだろう。それにしても、展示の仕方一つで、印象ががらりと変わってしまうものだ。セザンヌの「サント・ヴィクトワール山」まで、なんだかいつもより小さく見えた。

そんな中で、マチスのコーナーだけは、他を圧していた。個人のコレクションが、革命以後国家の物とされ、エルミタージュ入りをしたものだ。蒐集者の思いが伝わってくるような見事なコレクションだった。大作「ダンス」は、一階に移されていたが、奔放な色彩と開放的な空間構成が相俟って、そこだけ、別の空気が吹き通っているような浮き浮きした気分が漂っているのだ。

 赤い部屋

赤い部屋たとえば、「赤い部屋」だが、ゴッホの部屋から借りてきたような椅子の繊維を編んだ座面の黄色、壁紙の地色の赤、模様の青と、三原色を大胆に配置しつつ壁の赤と、窓外の緑の草地とを補色対比してみせる。「赤の調和」という副題が付いているが、原色をふんだんに使いながら、押しつけがましさのない軽やかな調和がとれている。額縁、窓枠、丘の上の家と、相似形を描いて遠ざかる視点の変化に「抜け」が意識されていて、赤い部屋の持つ圧迫感から解放されるのだ。壁紙の蔓草模様の曲線は、そのまま、窓の外の木の枝につながってリズムを生んでいる。矩形と曲線。色彩だけでなく形態もまた調和の醸成に参加している。青い服を着た女性は、まるで、壁紙の一部のように見える。果物の置かれたテーブルもまた敷物の模様と壁紙の模様の統一の所為で、壁の中に溶け込んでしまっているようだ。遠近感の表現のためにあれほど苦労し、工夫してきた画家たちが、マチスのこの絵を見たら何と言うだろう。午前中に見た二階の画家たちを思い出しながら、愉快な気持ちになっていた。マチスを見るという行為は、ひとえに愉楽なのだ。一日をまるごと一つの美術館で費やした体の疲労とは別に、愉快な気分で美術館を出た。

 バレエ

アレクサンドリンスキー劇場ホテルに帰り、夕食を手早くすませると、着替えて外に出た。今夜は、バレエの切符がとってある。有名なロシア・バレエである。本来の劇場シーズンは冬場だが、観光客がやってくる夏は、特別なプログラムが組まれている。今夜の会場は、なんと、チェーホフの『かもめ』が初演されたことで知られる、サンクト・ペテルブルグ最古のドラマ劇場、アレクサンドリンスキー劇場である。

1832年に有名な建築家ロッシによって設計され、皇帝ニコライ一世の妃の名に因んで名づけられた。クラシック様式の建築は正面を六本のコリント式の円柱で飾られ、屋根の上には詩神アポロが馬車を駆る勇壮な姿を見ることができる。開演時間が近づくにつれ、続々と客が集まってきていた。

切符を手に階段を上がっていくと、年配の女性が切符を確認していた。席を案内してくれるらしい。美術館でもそうだが、かなり年をとった女性を優先してこういう仕事に就かせているようだ。さすがかつての社会主義国、なかなかいいところがある。この日の席は、二階桟敷席。オペラグラスで、向かいの席をのぞき、お目当ての女性を観察したりする、映画でもお馴染みのあの席である。それも、何と一番前列。舞台のほとんど真上、オーケストラボックスが手に取るように見える。

プログラムは『白鳥の湖』。途中休憩を含む二幕四場で、二時間半の上演時間。有名な場面だけピックアップするハイライト集ではなく、通しての上演らしい。客席に目を遣る。観光客はカジュアルな服装の人も多いが、地元の人だろうか、ボウタイをした正装の客も見える。天井桟敷まで何階あるのだろうか、桟敷席の手摺りに灯りが煌めき、オーケストラのリハーサルが響き出すといやが上にも興奮が高まる。

第一場、王子ジークフリートの成人を祝う宴。王子の体型に驚く。日本のバレエ団による「白鳥の湖」は、何度か目にしているが、王子の脚の筋肉が目について、ファンタジーの世界に入り込めないところがあった。力仕事などしない王子にあんな脚は似つかわしくないのだ。何という脚の長さだろう。しかもほっそりとしているのに、軽々とリフトをこなす。踊りそのものより、その肉体の精妙さに目を奪われてしまった。

第二場は夜の湖の場面。有名な「四羽の白鳥の踊り」になると、さかんにフラッシュがたかれる。当然ながらフラッシュは禁止されている。第一場が、当時の風俗をしのばせる衣裳で演じられるのに対し、第二場は、所謂クラシック・チュチュ。これぞ、バレエという場面だから気持ちは分からないでもないが、わざわざ証明を落として幻想的な情景を演出しているのに、フラッシュの点滅はそれをぶち壊すことになる。せめて、カーテンコールまで待てないものか。

第三場は王子の妃を選ぶ舞踏会。悪魔ロットバルトや黒鳥オディールの登場である。ロットバルトは、ファウストの挿絵で見るメフィストによく似た造型。堕天使めいて翼をつけている。オディールは、よくオデット役者が二役で演じるが、今回は別の演者だった。

第四場はオデットと王子の再会。四つの場面を明と暗、現実と魔法の世界というふうに対比的に描く構成は分かりやすい。シーズンオフで、有名なバレエ団は海外公演等に出かけているだろうから、出演者も一流とは言えない顔ぶれだろうが、オデットだけはさすがに他のバレリーナとはちがっていた。長い四肢の指先まで意識を集中し、ある時は白鳥の首のように、また翼のように見せながら、形態の模写でなく感情の表現にまで高めていることに驚いた。科白のないバレエなのに、オデットの悲しみが伝わってくるのだ。ジャンプや回転の技術に舌を巻いたことは今までにもあるが、こういう感情を抱いたのははじめての経験である。

幕間は、ロビーに出てワインを楽しむ人々で賑わう。二階ロビーは、外に開かれていて、コリント式の円柱が並ぶテラスにも出ることができる。夏の宵はなかなか暮れようとせず、いつまでも明るい空の下、ようやくシルエットとなった建築や樹木の陰に、観客のたてるさざめきが吸い込まれてゆく。着飾った人々が手にするグラスの中で揺れる黄金色の液体が、シャンデリアの照明を受けてきらきらと輝き、ただでさえ高揚した気分が尚更に刺激される。劇を見に来ているはずなのに、自分がまるで劇の中に入ってしまっているような気さえしてくるのであった。


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