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From Russia with lag

ネフスキー大通り

 St.PETERSBURG

 入国まで

空港に着いたときは、午後十時を回っていた。それなのに、空はまだ夕暮れ時の明るさを保っている。そうか、ここは白夜の国だったのだ。フィンランド湾に面した湿地を埋め立てて人工的に造られたサンクトペテルブルグの街は、ロシアの中でも最も北に位置している。白夜であっても不思議ではない。

ロシアの入国管理は厳しいと聞かされていた。現在のところ、自由に旅行できる国とは言えないのが事実である。ビザの申請はもちろんのこと、滞在中の受け入れ先や移動手段の詳細を明らかにしたバウチャーと呼ばれる書類を持たなければ、入国が認められない。旅行会社を頼らざるを得ないのが現実だ。そうは言っても、入出国カードや、税関申告書のような個人情報に関わる記述は自分で記入しなければならない。

機内で渡されるカードは、お馴染みのキリル文字の下に申し訳程度に英語が書かれているのみである。日本人観光客のほとんどが、ガイドブックの説明と首っ引きで記入している。まるで、入試のような光景だ。その中に、「医薬品(drug)を所持しているか」という項目がある。YesかNoで答えるのだが、「地球の歩き方」を見ると「麻薬類の所持は?」という訳がついている。たしかに、drugは麻薬と訳した方がいい場面が多いだろうが、小説ではない。誰が、正直に麻薬所持を認めるものか。ここは医薬品と考えるべきだろう。

はじめは、Yesにチェックを入れたのだが、Yesと答えると、どんな薬でいくらくらいのものかを裏面に記入しなければならない。アメリカ人のようになんでもアスピリンですませる手合いはいいが、一応常備薬を何種類か携行している。ロシア語は当然無理としても、英語での記入が覚束ない。ええいっ、とチェックを二重線で消し、あらためてNoにチェックを入れた。何となく胡散臭い申告書になってしまった。海外で収監されてしまう旅行者を描いた映画の場面が目に浮かぶ。ああ、嫌だ。

心配は杞憂に終わり、あっけなく入国してしまった。後で聞いたら最近(2004年現在)はあまり厳しくないのだそうだ。こういう情報は生鮮食料品のようなもので、すぐに価値がなくなる。何か事件があれば、またすぐに変わるだろう。アメリカでは指紋まで採られるのだ。

 ホテル

ホテルまでバスに乗った。シルエットになった街路樹の向こうには暮れなずむ空が広がっていた。その下に目を凝らしても、見えるものと言えばただただ茫漠とした草原ばかり。少し走り続けると、ようやく建築物らしき陰が見えはじめた。そこがホテルだった。そういえば、ガイドブックにも、空港に最も近いと紹介されていた。

観光を目的にするなら、市の中心部に宿をとるにこしたことはない。しかし、旅行社に頼るとクレームを恐れるからか、ある程度の施設設備を備えたところを選んでくる。超高級ホテルに宿泊する気なら別だが、設備と価格の折り合いをつけると、中心から離れてしまうのは仕方がない。まして、ロシアである。選択の範囲ははじめから狭いと考えねばならない。

プルーコフスカヤは四つ星らしい落ち着いたホテルだった。到着時刻が遅かったので、空港で両替をする暇がなかった。1ルーブルは、約4.3円。とりあえず、当座入り用になると思われる分だけ、ホテルでルーブルに替えた。ロシアの場合は、まだ分からないが、近頃は米ドルなら、どこでも通用する。駄目だったら、また両替すればいいことだ。

部屋は、広くはないが、お湯も出れば空調も効く。聞いてた通りベッドは小ぶりで、大柄なアメリカ人なら足が出そうだ。窓は中庭に向いていて、眺めはもう一つだが、特に不足はない。トランクの荷物をほどき、衣類をクロゼットに仕舞った。明日もその次の日もこの部屋に帰るのだと思えば、衣類を入れ替えるのも面倒とは思わない。連泊のいいところだ。一通り終わったところで、持参したバーボンをペットボトルの水で割り、無事入国に乾杯した。


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