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From Russia with lag

モスクワ大学

 Москва

モスクワは雨だった。ホテルは市の北東部にあるイズマエロヴォ・ガンマ・デルタ。モスクワオリンピックの年に建てられた大型ホテルだ。22階の窓からは、モスクワ市街が一望できる。明け方目が覚めた。午前四時、外は仄暗かった。眠い目を擦りながらカーテンを少し開くと、地平線に一筋亀裂が走った。瞬く間に光の帯となり、雲を切り裂いて太陽が顔を出した。壮麗な朝焼けだった。それが、再び目を覚ましたときには、どんよりした雲が空を一面に被っていた。

ペテルブルグでも降られたが、すぐに晴れたので、高を括っていた。ところが、朝食を済ませ、出かける準備をしているうちに雨粒が窓硝子に当たりはじめた。どうやら本降りらしい。テレビのニュース番組を探すのだが、天気予報が見つからない。オリンピックのハイライト集に日本の柔道や水泳の選手が映る。なんだかよく分かるぞ、と思ったらユーロ圏向けの英語放送だった。しばらくして、天気予報がはじまる。ヨーロッパからロシア西部にかけて広い範囲で雨が降っている。この調子では、二、三日雨が続きそうだ。少し憂鬱になった。

 ヴァラビョーヴィ丘

ホテルを出て、しばらくすると次第に大きな建物が見えてくる。広い通りから充分に距離を置いて建てられた建築物は胸を張って大きさを誇示するように見える。サンクト・ペテルブルグの建築が肩と肩をくっつけ合って窮屈そうに立っていたのとは対照的だ。近代的な様式の建築自体は、ヨーロッパ一の大都会にふさわしいが、どことなくよそよそしくも見える。

大きな鉄道の駅に架かる跨線橋を渡るとクレムリンを中心に円を描くように走る環状線に入った。やがて、車は下の道におりた。左手に大きな川が見えてきた。モスクワ川だ。街の真ん中を蛇行して走っている。とっつきにくい感じだったモスクワの街が、河に出たことで、少し印象を変える。右手にさっきから続いている高い壁が、あの有名なクレムリンの壁だ。雨のせいで、風景の彩度が落ち、ただでさえ重苦しい響きのあるクレムリンを余計に沈鬱に見せている。

反対側の川沿いに、ピヨトール大帝像や科学アカデミーの建物が、見えてきた。ヴァラビョーヴィ丘はもうすぐそこだ。「雀が丘」というような意味らしい。モスクワで一番高い場所で、風景を一望するには最適と、ガイドブックにはあったが、こんな雨の日に、景色がどこまで見えるのだろうか。坂道の周囲は林檎その他の果樹がどこまでも続いている。坂を上り終えると、だだっ広い平地に出た。展望台だった。

反対側には、見まちがえようのない覚えたばかりのスターリン・クラシック様式が、他に並び立つ建物とてない高台にひとり凝然とそびえ立っていた。塔の先端には鎌と星、懐かしい旧ソ連の旗を思い出した。風を遮るもののない丘の上である。雨は、傘の下から舞いこむように足下から腰にかけて少しずつまとわりつく感じを増してくる。予想通り、展望台からの視界は悪い。雨をおして眺める気も失せ、車に戻った。

 ノヴォデヴィッチ修道院

ノヴォデヴィッチ修道院モスクワ大学の周囲を一回りして、もと来た道と反対側の坂を下りた。少しも走らないうちに車が止まった。洋服はまだ湿ったままだ。外に出ると風はさっきよりも冷たさを増して感じられた。何のことはない、秋を通りこして冬が一足先にやってきたような冷え方ではないか。あらためて、ここはロシアだったのだと気がついた。だらだら坂を少し下ると、きれいな池が見えた。繊細な葉が枝先を埋めつくし、池畔に覆い被さるように枝垂れている。その葉越しに対岸に並ぶ尖塔が目に留まった。

ノヴォデヴィッチ修道院は、もともとクレムリンの出城として建てられた。金色のクーポルを持つスモレンスキー聖堂の下に当時の儘の城壁が厳めしい姿をさらしている。16世紀にはタタール軍を、17世紀にはリトアニア軍の侵入をこの城壁がくいとめたのだ。葡萄茶と白のコントラストも美しい瀟洒な修道院の建物からは、そんな過去は窺い知ることもできない。それよりも、モスクワのガイドをしてくれたリュービさんの話の方が心に残った。この女子修道院は、歴代皇帝の妃が後半生を過ごした場所だという。好んで入った訳ではない。皇帝に新しい相手ができると、先妻は修道院送りにし、新しい妃を迎えたのだ。物柔らかな風景と裏腹な非情さに冷え冷えとした気持ちになったのは、降り止まぬ雨のせいばかりではなかった。ただ、池に映る木々と白壁、尖塔の並び立つ様は、本当に美しく、チャイコフスキーが度々ここを訪れ『白鳥の湖』の想を練ったというのも強ち噂ばかりではないような気がした。

 ロマの少年

もと来た道を今度はモスクワ川を右手に見ながら走る。なんだか眠くなってくる。暖かいと思ったら、車に暖房が入ったのだ。しかし、今年になってはじめて使ったからか、しばらくすると、へんな臭いがしだし、おまけに煙まで出てきた。運転手があわてて様子を見に来る。首を傾げながら帰ってゆく様子に、トルコのバスを思い出し、妻と笑った。少なくとも、この車は止まりはしない。煙臭いのは閉口だが、暖かいのはありがたい。そうこうするうち、車は止まった。

地下道の中に少年が二人、座っていた。通路に雨は振り込まないが、ひっきりなしに行き交う人の持つ傘や靴が運び込んだ水分で濡れてきている。小さい方の子は、まだ就学前かもしれない。朝のうちだからか、それとも一日中こんな声が出るのか、大きな声で物乞いをしている。もちろん、ロシア語は分かるはずもないが、物乞い自体は世界共通である。あまり哀れを誘わない元気な声に救われる気がした。

年かさの子は、小学生くらいだろうか。バンドネオンほどの大きさのアコーディオンを巧みに操り、先刻から何かの曲を演奏している。黒目がちのつぶらな瞳は、年少の子よりは醒めていて、あまり感情を表に出さない。裡に秘めた自尊心がそうさせるのだろう。黙って指を動かし続けている。ひとりの男が、冷やかしめいた声をかけるが、冷たくあしらっている。出口近くにいた、黒いスカーフを被った老婆が哀れっぽい声で「セニョール」と、声をかけてきた。ロマの人たちだろうか。雨が降っては、外で演奏する訳にもいかない。仕方なくこんな所で弾いているのか。

どこへ行ってもいい評判を聞かないジプシー(ロマ)の人たちだが、その音楽は他の追随を許さない。アコーディオンを弾く少年の技量だってたいしたものだ。きれいな服を着て、ホールで演奏させれば、きっと聴衆はチケットを買って聴くだろう。前に置いた空き缶に今日はいくら入っただろうか。子どもの姿に憐れみを感じて金を与えると、その稼ぎは陰に隠れている大人が横取りしていくとも聞いている。金銭ではなく、きちんと聴く姿を少年に見てもらいたいと思った。


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