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 2010/2/28 『邪悪なものの鎮め方』 内田 樹 バジリコ

ブログに書きつづった雑多な内容の文章の中から、一つの主題としてまとめられそうなものを編集者が選び出し一冊に編んだもの。著者の数あるコンピ本の中でも読み応えのある一冊に仕上がっている。もっとも、題名は、凄い!の一語に尽きるけれど。

「邪悪なもの」とは何か。とりあえず「どうしたらいいか分からないけど、何かしないと大変なことになる状況」との遭遇とでも考えておけばいいだろう。自殺でも地震でもなんでもいい。個人レベルでも国家レベルでもそういう状況というのは常に存在する。著者は、このところずっと、そういう事態に直面したとき、適切にふるまうことができる手立てについて考え続けてきたという。

何に一番感心したかというと、いささか個人的な感想で恐縮だが、「自分自身にかけた呪い」は恐ろしい、ということである。呪いといっても、丑の刻参りに出てくるわら人形の類の話ではない。誰もが知らない裡に自分の生き方にしてしまっているものだ。当然、忌まわしいものでも何でもない。評者の場合、年少の頃より馴染んできた「個人主義」という考え方と、職業に就いてから知らず知らず身についた労働者意識というのが、それだった。それのどこが呪いだというのだろうか。

仕事の中には、担当が決まっている仕事と、誰かがやればいい仕事というものがある。誰かがやればいいのだから、自分がやってもいいことは分かっているのだけれど、自分の仕事でないことも分かっている。お節介を焼くのも焼かれるのも嫌いな性分で、そういうとき、自分の仕事以外には手を出さないことを原則として生きてきた。また、システムに不具合が生じたとき、責任の所在をはっきりするように発言してきた。それを曖昧なままにしておくと同じことが起きると思うからだ。

内田によれば「システム」に対して、「被害者・受苦者」のポジションを無意識的に先取するものを「子ども」と呼ぶ。世の中は不条理なもので、それらを統べる秩序などない。何の罪もない赤子が死ぬし、生きていること自体が他者の迷惑になるような人物がのさばっている。それなのに、何かが起きたとき、システムをコントロールしている「父」の存在を要請せずにはいられないのは、その人が「子ども」だからだ。

「父」が呼び出されることにより、事態に合理的な解釈が下され、混乱は回避されるが、事あるたびに「父」を呼び出すことは、「父=システム」の増殖を生む。世界はそうして偏在化した父によって支配されることになる。何が起きても、それを「父」との関わりに基づいて説明しようとするのは、一つの「トラウマ」である。

精神科医の春日武彦氏によれば「こだわり・プライド・被害者意識」というのは、統合失調症の前駆症状なのだそうだ。病というのはある状態に居着くことをいうが、これらの三つはどれもある状態に居着くこと(定型性)を意味している。

「人間の精神の健康は『過去の出来事をはっきり記憶している』能力によってではなく、『そのつど都合で絶えず過去を書き換えることができる』能力によって担保されている」と内田は言う。私たちは、過去の記憶を手がかりに現在を生きていくように思っているが、実際は、今の現実に合わせて過去を書き換えているのだ。過去の一点にこだわり、常にそこへ戻る「トラウマ」というのは、書き換え拒否の病態を指す。

一般的に原則を持つ人というのは、しっかりした人のようにいわれている。こだわりがあるというのは誉め言葉として使われる場合の方が多い。目からウロコとは、このことだ。「定型性」に固執する状態というのは、どうやら健康的でないらしい。

しかし、考えるまでもなく問題が起きるたびに「責任者出てこい」と言うばかりで自分は何も行動を起こそうとしなかったり、落ちているゴミを拾うのは自分の仕事ではないと見過ごしたりする人ばかりが周りにいたら、その世界はずいぶん住みにくいことだろう。そういう人たちは、そうすることで、システムの不具合を証明しているわけで、突きつめればシステムクラッシュが起きることで自分の正しさを証明しようとしているのだ。そう言われると、心の奥底にそんな気分があったことを認めたくなる。これが、自分自身にかけていた呪いだったのか。

自分が自分に課していた原則の妥当性が揺らぐことで、世界を見る目も自分を見る目も少し変わってくる。この経験は何やら晴れやかな気分だ。中禅寺秋彦に「憑き物」落としをしてもらったような気分である。なるほどタイトルは嘘ではなかったなと、あらためて感じ入った次第である。


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 2010/2/11 『黒いいたずら』 イーヴリン・ウォー 白水社

この風景には見覚えがあるぞ、という既視感(デジャヴ)にも似た印象が読みすすむ裡に募ってきた。文明から遠く離れた人喰い人種の棲む島を統治する孤独な皇帝。密林の中を縫って敷かれたまま、いつしか列車も走らなくなってしまった鉄道。権力の中枢に食い込もうと権謀術策を恣にする将軍や大臣。新しい物好きの独裁者によって次々と繰り出される理不尽な布告。叛乱、裏切り、処刑等々。まるで、ガルシア=マルケスの世界を先取りしたようなこの作品が書かれたのは、なんと1932年だというから驚く。

イーヴリン・ウォーは、第一次世界大戦後のイギリスで人気を博した作家だが、その独特のヒューモア感覚が理解され難いのか、近頃はあまり読まれていないようだ。本作も黒いヒューモアという点では飛び切りの味わいを持つものの、物語の幕引き部分は、ここまでやるかといった体のもので、評価の分かれるところだろう。しかし、その代表作である『ブライヅヘッドふたたび』、それに本作と吉田健一が訳しているところから見て、この作家の実力が知れようというもの。原文は実に優雅なスタイルで書かれていると聞くが、日本語で読む読者にとっては翻訳に頼るほかはないわけで、その意味でも吉田健一訳というのは嬉しい。

時は大恐慌時代。金本位制に揺れる大英帝国議会をしり目に、父の跡継ぎとして議会入りを期待されているバシル・シールは自堕落な生活を続けていた。折しも新聞でアザニア帝国の紛争が報じられているのを見て、バシルはアザニア行きを決める。新皇帝セスは、オックスフォードの同級生だったからだ。

小説の舞台はアフリカにある架空の地アザニア帝国。かつてはアラビア人との交易で栄えた地だが、支配者の交代で今は混乱している。伝説的な皇帝アラムスの孫で英国留学中であったセスは、母である皇后の死去にともない帝位を継ぐため帰国するが、父セイドの叛乱に遭い苦戦中であった。未開の地を文明化しなければと思い定めたセスは、旧知のバシルを近代化相に任命する。同じく経済担当相に命じられたアルメニア人ユークーミアンとともに、セスに協力するバシルであったが、アザニアの保護領化を画策する各国大使の暗躍や盟友コノリー将軍との対立を契機に改革は停滞する。そこへ向けて近代化を焦るセスの脈絡を欠いた布告の濫発が重なり、ついに王座を追われたセスは密林の奥深くに逃げ込むことになる。

密偵の暗躍するサスペンス冒険活劇風の展開だが、そこはウォー。パーティーの座興で綴った文が、フランス公使夫人と将軍の不倫を暴いた暗号にまちがえられたり、裸足で行軍するのを日常としている兵士に履かせるため支給された大量の靴を、兵士が食料だと思って食べてしまったりという、ばかばかしくも可笑しいエピソードが満載。

ウォーの特徴の一つは、その人物造型の巧みさにある。自分の妻を「黒んぼの牝」といって憚らないアイルランド人のコノリー将軍は、現在なら人種差別主義者として非難の的にされるだろうが、妻を愛していることにかけては誰にも負けない。典型的な商人であるユークーミアンは危急存亡の際、脱出用ボートの妻の席を僅かな金で売るような男だが、争い事を好まぬ徹底した平和主義者として皆に愛されている。主人公のバシルにしてからが、人並み優れた才能を持ちながら、時代状況に適合できない困った人物として遇されている。

解説の中で吉田はこう書いている。「このウォーの創造物を前にして、われわれはその生気に感じ入るばかりである。こういうのを型破りというのであろうか。しかし型にはまったものなどというのは二流、三流の小説家の頭にしかないものである。道ばたの小石にも、二つと同じものはない。まして人間のような複雑な存在には型などというものを当てはめることはできない(中略)。同時にまた、型にはまった人物が出てくる外国の小説など誰が苦労して翻訳するだろうか。」

個性溢れる面々が入り乱れ、頓珍漢な会話が交わされる、極上とはいわないが得も言われぬ味わいがある。後味に少々苦味が残るかも知れないが、そういう風味を好む御仁には癖になる書き手だ。名うての文士が腕に縒りをかけた名訳である。古本屋の棚に埋もれさせたり、図書館の閉架書庫の隅に眠らせておいたりするには惜しい。サイードが目をむきそうな「オリエンタリズム」溢れる描写も、人種差別主義者も真っ青になる訳語も、全部分かった上で読める大人の読者なら年代物のワインを飲むような味わいを愉しむことができるだろう。翻訳者の気概溢れる解説は一読の要あり。


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