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 『したくないことはしない−植草甚一の青春』 津野海太郎 新潮社

僕が植草甚一を知ったのは、この本の中にも出てくる『平凡パンチ』だったように記憶している。柳生弦一郎のイラストも見たような気がするからきっとそうだ。本で埋まったような家の中で、氷を入れて使うようになっていた昔の冷蔵庫を改造してターンテーブルを載せたプレーヤーでジャズを聴いたり、外国のカタログ雑誌のイラストを切り抜いてコラージュを作ったりする小柄な老人。LPのライナーノーツも書けば、ミステリーの書評もする、散歩と買い物の達人。僕に限らず、当時の若者は、そのいかにも自由で洒落たライフスタイルに憧れを感じていたものだ。

爆発的な人気で、突然若者たちに教祖扱いをされるようになった植草甚一だが、この「ふしぎな老人」は、はじめから「ふしぎな老人」だったわけではない。どんなふうにして僕らが知っている植草甚一がこの世に現れることになったのか。彼が亡くなって、今年は没後三十年になるという。編集者として、植草甚一と様々な仕事をともにしてきた著者が、自身もよくは知らなかった少年時代から青年時代にかけての植草を、多くの資料や友人知人の証言をもとに構成した、これは「傑作」評伝である。

そういうと、なんだか偉人伝でも読まされるような気がするかもしれないが、それはちがう。むしろ、一見すると言葉は悪いが「贔屓の引きたおし」のような作業に近い。なにしろ、この本の眼目は、植草甚一の抱く「コンプレックス」の解明にあるからだ。あの好き放題に生きたエピキュリアンのどこにコンプレックスが、と思うのも当然だが、この言葉は自伝の冒頭に出てくる。

植草甚一のコンプレックス、その第一は、没落した商家の跡取り息子としての「下町コンプレックス」である。日本橋小網町生まれで、実家は「松甚」という太物商。父の代に関東大震災で焼尽し、その後落ち目になる。自身は、商業学校に進み学年で一番の成績を取るも、一高を受験し、失敗。それも、コンプレックスになっている。

植草の著書に『雨降りだからミステリーでも勉強しよう』というのがある。この「勉強」がキーワードである。植草少年は、勉強中毒だった。学校から帰ってくると机に張り付いていたという。習ったことはその日のうちに暗記しなくてはならず、寝る前に「神様一番をとらせてください」と呟いていたというから生なかではない。一つのことにのめり込む性格は、ジャズの勉強のため一年で600時間はレコードを聴いたという後の植草の姿にそのままつながる。

古本へののめり込みも同じで、タクシー二台を準備し、一台には自分が、もう一台には買った本を乗せて帰ったという伝説さえある。あれだけ売れていたのに、持ち家は最後の数年だけの年中借家暮らし。ほしいものがあれば、我慢できずに突っ走ってしまう、甘やかされた我が儘な坊ちゃんが大きくなったような人だというのが夫人の亭主評。

ずいぶん前に読んだので、誰が書いたどんな本だったかは忘れてしまっていたのだけれど、この本を読んで、その中に出てきた植草甚一自身の言葉を思いだした。たしか、「そのころの僕は、ヤなやつだったのですよ」というものだ。その本の著者は、その言葉を額面通りには受けとめていない書きぶりだったが、この評伝を読むかぎり、話はどうやら本当だったようだ。

津野は、編集者として植草甚一と十三年間つきあった。その当時は、すでに売れっ子になっていて、おだやかな老紳士然としていたようだが、同じ映画評論家で、長年の友人淀川長治の話によると、植草甚一を嫌う人は少なくなかったようだ。人の好き嫌いが激しく、嫌いな人とは話したくもない。飲み会で一人はぐれ、座布団の下の畳をむしっている姿を淀川に目撃されている。突然怒り出したり、テーブルをひっくり返したり、今でいうキレることも多かったらしい。

当時、淀川や植草のような映画会社の宣伝マン出身というのは映画批評家としては一段落ちる存在と見られていた。それも鬱屈の原因の一つだが、その映画にしても、「イメージのつながり」を重視する見方で見るから筋の面白さは二の次になる。趣味が前衛的で先走っているので、批評する映画が一般ウケしないのだ。本にしても誰よりも早く外国の小説を読み、その面白いところを書くのだが、周囲の誰もその面白さを分かってくれない。そんな中で、早いうちから「植草甚一とは何か。それは小説の読者である」と、本人の素質を見抜いていたのが、あの丸谷才一である。

二度目の病気入院で、太っていた体がすっかり痩せ、あの白い顎髭に今風のファッションで決め込んだ植草甚一スタイルが身についた。少年時代のコンプレックスから生まれた勉強中毒や、かつては銀座をしのぐ盛り場であった日本橋育ちらしい買い物道楽を武器に、大活躍する晩年のことは皆さんご承知のことだからあっさりと書いている。

生い立ちの似ていることもあり、仲のよかった淀川長治の植草評はいちいち胸に迫る。その他、水練(なつかしい!)に行った先で買った大福を売る和菓子屋が小林信彦の生家だったとか、書店で先に見つけたグレアム・グリーンの新着原書を請われて譲ったのが若き日の丸谷才一だったとか、植草をめぐる人々の作るネットワークが、大震災や東宝争議等当時の日本の状況を浮かび上がらせ、単なる評伝に終わらせていないところが、名編集者たる津野の腕の見せ所である。著者独特の話し言葉のまじった文体は実に読みやすい。植草甚一に影響を受けたかつての若者、それに最近植草を知った若者、どちらにもお薦めの一冊。

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 2009/11/09 『若い藝術家の肖像』 ジェイムズ・ジョイス 集英社

丸谷才一氏による新訳と銘打ってジョイスの『若い藝術家の肖像』が集英社から出版された。同社版『ユリシーズ』と同じ和田誠氏の装幀で、『抄訳フィネガンズ・ウェイク』など他のジョイス本と並ぶと壮観である。ついこの間、岩波文庫から大澤正佳氏による新訳が出たと思っていたところへ丸谷氏の新訳である。この時期にぶつけたのは、岩波文庫版に影響されてのことだろうか。旧訳の発表からずいぶん年月がたっている。どんな名訳でも、時代による経年劣化は避けられない。丸谷氏にはジョイス訳者としての矜持がある。改訳が遅れ、岩波の新訳が定本になる事態は避けたかったのではないだろうか。

ところで、『若い藝術家の肖像』だが、難解なことで知られるジョイスの作品としては比較的読みやすい。単純な時間配列でないし、文体が一通りでないところがジョイスらしいが、主人公スティーヴン・ディーダラスの少年時から青年時までを素材にした半自伝的作品である。イエズス会系の寄宿学校に通う少年スティーヴンが、周囲から将来は司祭にと嘱望されながらも、藝術家への希望をあきらめられず、親の期待に背く形でトリニティ・コレッジに進む。寄宿学校での友人との議論や、宗教や女性に対する内心の葛藤を、ジョイス一流の様々なタイプの文を挿入しつつ描いた一種のビルドゥングス・ロマンである。

ビルドゥングス・ロマンは「人格形成小説」とも呼ばれるように、形式的には主人公の内面の成長を描く。幼少年期から青年期にかけての人間の心理が素材となるわけで、家族との確執、友人との交流、初恋、性への目覚め、肉欲との葛藤と、当時も今も若者ならではの悩みは尽きない。現今の若者にはどう映るのかは分からないが、ここには一つの若い魂がある。そこはジョイスだから、単なるビルドゥングス・ロマンを書くはずもない。イエズス会司祭による偏執狂的な地獄の描写だとか、いかにもスコラ学臭芬々たる美学論だとか、逸脱する話題は尽きない。他にも頻出する「鳥」のイメジャリー、ダブリンの街のみずみずしい描写等々、採りあげたいことは多いが、本題に入ろう。

さて、丸谷氏による新旧訳の比較だが、全面改訳の名に恥じないように、一応全編にわたって手を加えていることが分かる。しかし、全体を通してみればそれほど大きな変更ではない。研究者でもなければ新たに新訳を買い求める必要があるかどうかは難しいところだ。そんな中で、第一部、子ども時代のスティーヴンが、悪友に突き落とされる場所が旧訳では便所であったのが、新訳では水たまり(溝)に代わっていて、ほっとした。旧訳ではさかんに「おしっこ」という文字がおどっていたが、新訳では「水」と、おとなしくなっている。スティーヴンが寄宿していたクロンゴーズ・ウッド・コレッジはもともと城で、家畜の侵入を防ぐために溝が四角に切ってあった。それをジョイスの同級生たちは “the square ditch”(四角い溝)と呼んでいたらしい。旧訳で丸谷氏はそれを便所と意訳したのだろう。新訳では欄外の注で新訳の根拠となった資料が示されている。経年劣化の一つの例でもあろうか。

もう一つ、気になることがある。原文では冒頭から“He”と、三人称で書かれている主語が、丸谷訳では「ぼく」という一人称になっている。旧訳では、それが寄宿学校に入った時点で、「彼は」になっているのだが、新訳では、寄宿学校に入ってからも一人称で記述されている。スティーヴンの成長に連れ、主語の「ぼく」が「自分」に、そして「スティーヴン」へと変わっていく。この過程は、スティーヴンが後に美学論で詳しく論じる藝術の進化の過程を踏んでいるのだろうと思うがどうだろうか。「藝術は必然的に、次々に進んでゆく三つの形式に分かれる、ということがわかってくる。その三つの形式というのはこうなのね。抒情的形式。これは藝術家が自分の映像を自分との直接的な関係で提示する形式。叙事的形式。これは藝術家が自分のイメージを、自分および他人に対する間接的関係において提示する形式。劇的形式。これは藝術家が自分の映像を、他人に対する直接的な関係において提示する形式。」

あと、目立つところではスティーヴンが恋人におくろうと考えた詩の第一行と第二行が新訳と旧訳では入れ替わっている。これは、第何聯何行目と第何聯何行目には同じ詩句が来るという厳密な約束を持つヴィラネルという定型詩であり、原文通りに訳す必要があることに思い至ったのであろう。当然新訳が正しい。

「もうミニを持っているなら、セカンドカーはロールスロイスがいいだろう」という有名な文句があった。ロールスロイスが他でもない英国製であるところが少しばかり気になるが、それにならうなら、「『若い藝術家の肖像』を読んだなら、その続きとして『ユリシーズ』読むのがいいだろう」と言いたい。紛れもなく『ユリシーズ』は、20世紀を代表する小説と言えるが、ファースト・カーとしては少々扱いづらい。冒頭のマーテロ塔でのマリガンとのやりとりも『肖像』を先に読んであれば、ずいぶん分かりやすくなる。父サイモンとの確執、聖体拝領拒否と母の死、と『ユリシーズ』におけるスティーヴンの鬱屈は、ここにはじまっていたのだ。小さいながらも旧ミニは運転の醍醐味を知るにはもってこいの車であった。それと同じように『肖像』は、ジョイス文学を味わう上でのエッセンスが詰まっている。『ユリシーズ』という名車を運転する前に、是非一度ハンドルを握ってみることをお薦めしたい。一言つけ加えておくなら、すでに『ユリシーズ』を読んだが、『肖像』はまだという読者にもこの機会に読んでみられることをお薦めする。ロールスロイスばかりが車でないことを知る、またとない機会ですぞ。


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