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 2010/1/31 『書かれる手』 堀江敏幸 平凡社

いつもの堀江敏幸と思って読むと裏切られる。巻頭に置かれた表題作「書かれる手−マルグリット・ユルスナール論」からは、読者を緩やかに作品世界に誘うやさしさのようなものがまったくと言っていいほど感じられない。生硬で観念的な漢語の多い文体に意表をつかれる読者もいるだろう。それもそのはず。この文章が雑誌に発表されたのは1987年。大学に提出した卒業論文に手を入れたもので、事実上の処女作である。そうと知った上で読むと、この作家の早熟ぶりがよく分かる。これが卒論とは。

「手持ちの音や言葉が消失し、見たことも聞いたこともない向こう側(4字に傍点)から得体の知れない何かが勝手に降下し、日常を揺り動かす。震度が増し、立っていられなくなったら、歓喜してそれに身を委ねればよい。問われるのは、その揺れに遭遇するまでいかに身を持し、高次へ高次へと、なけなしの自分を支え続けていくことだ」

自分の手が、まるで自分の物でないかのように見える不思議な経験を著した文章がヴァレリーやリルケの書いた物の中に残っている。それを援用しつつ、芸術、或いは芸術家というものの奇蹟的な領域について論じたのが「書かれる手−マルグリット・ユルスナール論」である。ヴァレリ−やリルケ、ユルスナール、それにソンタグまで引用した上で、作家が書きとめておきたかったのは、彼らのではなく、自らが芸術の世界に参入することへの意思表明ではなかったか。

ある種の音楽家や詩人には忘我の裡に優れた芸術表現を成し遂げる瞬間が去来することがある。自分というものが消え去り、自分の手が書くのではなく、いわば何ものかによって「書かれる」瞬間の訪れである。「自意識とは、自分が自分に対して一瞬だけずれを持つということである」という。つまり、真の芸術が生まれる瞬間というのは、そのずれが消え、自分が自分とぴったり重なって何のずれもない幸福な状態を指している。

この自分が書くのではなく、「書かれる自分」という、いわば極北ともいうべき視座を、物書きになる前に既に獲得しているということは、文学に携わる者にとってある意味不幸なことではないのか。解説の中で三浦雅士が「堀江敏幸は、不幸の縁に、こまかい砂粒のような幸福の輝きをまぶしてゆく、いや見出してゆくのである」と書くのは、そうした堀江の資質を見抜いてのことであろう。

「私の関心は、おのれを語ることの困難と闘い、「はざま」への、隘路へ、言葉と言葉、他者と他者とのあいだをすり抜けていくか細い線への、つまり本質に触れそうで触れない漸近線への憧憬を失わない書き手に、一貫して向けられていたことがぼんやりと見えてくる。」(あとがき)

須賀敦子、長谷川四郎、島尾敏雄、田中小実昌、山川方夫…。発表年代も場所も異なる十二の作家論は、時間軸を入れ替え、ある意図を持って並べられている。作家はこれを自らの診療記録と呼ぶ。ずれの存在を自覚しながら自分に迫ろうというのは、あらかじめ失われたものを追い求めるような試みである。もしそう呼んでよければ一種の疾病のようなものかもしれない。「ずれ」を意識しながら、ずれのない完璧な瞬間という奇蹟を、書くという行為を継続することで待ちつづける、その過程の記録である。私淑する作家について語ることが、そのまま自己を語ることに繋がっていく。読者は手際よく布置された十二の作家論を読むことで、河の流れさながらに一貫しつつ変化してゆく作家の軌跡を見取ることができる。

本書は、2000年に出版された同名の単行本の文庫版である。文庫には解説が付くというのがこの国の慣わし。解説は先にも書いた通り三浦雅士。この気鋭の批評家と堀江敏幸との幸福な出会いについて読むことができるのは、何よりもうれしい文庫版の特典である。堀江敏幸の卒論にも驚いたが、三浦雅士の早熟の天才ぶりにも驚かされること請け合い。二人の愛読者はもとより、単行本で既に読まれた読者にも、文庫版の作者あとがきと解説を併せ読むという幸運を取り逃すことのなきよう、ひとこと言い添えておきたい。


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 2010/1/17 『本の読み方』 草森紳一 河出書房新社

また、ストレートなタイトルではないか。ただし、「本の読み方」と言っても三色ボールペン片手に読むといった、よくあるハウツー本ではない。文字通り、人は本を読むとき、どんなふうにして読んでいるかを、古今東西の錚々たる読み手の書いたものから抜き出し、それに少々辛口のコメントをまぶして随筆仕立てにした読書をめぐるエッセイ集である。

読書家として知られる草森だが、のっけから自分は読書家ではないと言う。本を読むのがやめられないのは、たえず中断につきまとわれるからだ、と。寺田寅彦が病床で読書中、ウグイスがガラス窓にぶつかって死んだことから、人の人生に思いを致し、「人間の行路にもやはりこの<ガラス戸>のようなものがある。失敗する人はみんな目の前の<ガラス>を見そこなって鼻柱を折る人である」という随筆が生まれたことを例にとり、「時にその中断により、寅彦がそうであった如く、本の内容とまったく別なところへ引きづりこまれ、うむと考え込んだりもする。快なる哉」と、書く。本を読んでいるのがむしろ常態で、中断の方に興が湧くというのだから、なるほど並大抵な読み手ではない。

そうなると、次はどんな格好で読むのが楽かという思案となる。坂口安吾が浴衣がけで仰向けに寝転がって本を読んでいる姿を兄がスケッチしたものが残っている。手が疲れそうだが、筆者も家で読む時は百パーセント寝転んで読んでいるという。齋藤緑雨もまた、「寝ながら読む、欠伸をしながら読む、酒でも飲みながら読む。今の小説とながらとは離るべからず」と書いている。一見不作法な読み方を称揚しているようだが、その実これは、「明窓浄机」という儒教の礼法を当時の小説に非を鳴らすためわざと裏返して見せただけ、というのが真正の「不良」をもって任じる筆者の見方。小説でなくたって寝ながら読める。論より証拠。六代目圓生は酒を飲みながら「論語」を読んだという逸話を息子の書いた『父、圓生』から引いて、緑雨に一矢報いている。

戸外での読書、車中の肩越しに人の読んでいるのを覗き見る読書、緑陰読書と、本の読み方にまつわる引用が次々と繰り出されるのだが、中国文学が専門だけあって、漢詩、漢文に関する蘊蓄が尋常でない。

その一つ。「読書の秋」というのは誰が言い出したのか、という話。秋は収穫の時であり、「食欲の秋」ともいう。食べれば眠気に襲われるからこの二つは相性が悪い。大槻盤渓の『雪夜読書』という詩の中に「峭寒(しょうかん)骨に逼(せま)るも三餘(さんよ)を惜しむ」という詩句がある。「三餘」とは、読書の時間に絡む熟語で、「冬」の時、「夜」の時、「雨」の時を指す。

これには典拠がある。本来は「董遇(とうぐう)三餘」といい、「読書百遍、義自ずから見(あらわ)る」という言葉をのこした、学者で高級官僚でもあった董遇が、本を読む暇がないという弟子に「冬という歳の余り、夜という一日の余り、雨という時間の余りがあるではないか、お前はなまけものだ」と叱ったという故事から来ている。

草森は、「三餘」は、農耕文化のものだと看破する。冬、雨、夜は農業にとってはお手上げの時だから「余り」なのだ。とすれば、巷間に流布する「読書の秋」というのは、虚業中心の都市文化、それに連なる「レジャー文化」の産物である。「三餘」が死語になるのは、季節感を失った二十世紀現代文明にふさわしいと言い捨てている。

副題の「墓場の書斎に閉じこもる」は、少年時の毛沢東が、野良仕事の合間を盗んでは墓場の木の下に座り込んで三国志や水滸伝に読み耽った話が出典。特大のベッドに本を山積みし、寝間着のまま読み続けていたという、この人が、文化大革命で「焚書」を命じたのであったか、という歴史の皮肉を思わないわけにはいかない。他にも、令息森雅之が見た、書斎の有島武郎の意外な姿や、 河上肇が獄中の便座に胡座して漢詩を読んだ話とか、博学多才にしてジャンルを博捜・横断したこの人ならではという、ここでしか読めない逸話に溢れた随筆集である。


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 2010/1/7 『ブライヅヘッドふたたび』 イーブリン・ウォー 筑摩書房

Quomodo sedet sola civitas.古昔(むかし)は人のみちみちたりし此都邑(このみやこ)いまは凄(さび)しき様にて坐し、…

「私が書いていることの主題をなすものは思い出であって、その大群が初めに述べた戦争中の或る灰色をした朝、私を取り巻いて舞った。/私の生活であるこの思い出の群は、―というのは、我々が確実に所有していると言えるのは過去の出来事だけだからであるが、―いつも私とともにあった。」

チャールス・ライダー大尉は、夜間行軍の果てにようやくたどり着いた小屋で一夜を明かす。明け方「ここは何という所なんだ」と聞いた大尉に、副隊長が伝えた名前には、馴染みがあった。その名前は、魔術のように、ここ数年の彼の中に巣くっていた妖怪を追い払い、彼は思い出の中に分け入ってゆく。

静かな湖畔に臨み、ライムの木に囲まれて、牝鹿が雑草の中に伏せている格好をして建つ館。それがブライヅヘッド。マーチメーン侯爵のカントリー・ハウスである。チャ−ルスは、オクスフォード時代、侯爵の次男であるセヴァスチャンに連れられて何度もここを訪れている。二人の青年が、誰に煩わされることもなく一夏を過ごす、そこはまるで恋人同士が籠もる愛の巣のような場所であった。

マーチメーン侯爵は妻を故国に置いて愛人と外国暮らしを続けていた。敬虔なカトリック信者である妻は離婚に応じず、その魅力で周囲の者を支配していた。愚鈍な長男と信心深い次女は別にして、次男と長女ジュリアは、父と母の確執に心を傷めていた。魅力以外に何も持たないセヴァスチャンは、母に頼って生活するしかない自分を憎み、そうして自分を縛りつける母を憎みつつ酒に溺れていく。兄に似て社交界きっての美貌を誇りながら、父の醜聞故に妹は良縁に恵まれず、結局は野心家のレックスと結婚する。しかし、娘の死産をきっかけにその関係は冷えきったものとなる。

四年後、画家となったチャ−ルスは、妻と二人でアメリカから帰る船の上で、思いがけずジュリアに再会する。船酔いに苦しむ船客たちの目を逃れ、嵐に翻弄される船上で激しく燃え上がる二人の許されない愛。帰国後、二人は着実に愛を育み、苦難の果てにそれぞれが離婚にこぎ着けるのだが、このメロドラマは最後まで、ハッピー・エンドを許さない。

自分の衰えを感じた侯爵は、ブライヅヘッドに帰って死を迎える準備をする。老侯爵が臨終の間際に見せた十字を切る仕種が、ジュリアの信仰心を覚醒させる。カトリックは離婚を許さない。不可知論者のチャールスと結婚することはジュリアの棄教を意味する。ジュリアは神と愛する人の間に立って引き裂かれる思いでいた。それを知ったチャールスは、別離を受けいれ、入隊するのだった。

この作品が書かれたのは先の世界大戦の最中である。ウォーは、傷病兵として軍務を免除されていた期間を利用してこの小説を書いた。軍隊での生活は想像していたようなものではなかったようだ。初期の高揚が次第に冷め、やがて冷えきった義務的な関係になってゆくのを作家は結婚生活に喩えている。周囲にいる野卑な人間、貧しい文化的環境といったものが逆に作用して、ウォーにこの作品を書かせたといえよう。それというのも、この小説には、美しい物ばかりが登場するからだ。

耽美的と言っていいセヴァスチャンとチャールスのブライヅヘッドでの一夏は、栗の花の下で二人が味わう白葡萄酒と苺に象徴されている。車はロールス・ロイスやイスパノ・スイザ。舞台となるのはヴェネチアやモロッコのフェズ、ラヴェンナと異国情緒たっぷりの名所旧蹟。舞踏会に狩猟という上流貴族の生活。少々スノビズムに走りすぎているのは作者自身も承知の上である。

しかし、真の主題は恋愛と宗教の相剋にある。主人公が愛する貴族の兄妹はカトリック。小さい頃から母親の影響で、兄妹は自分の信仰に疑問を感じながらも、骨絡みのカトリック信者に育ってしまっていた。セヴァスチャンの不幸は、何不自由のない自分の境遇にあった。富者が天国に至るのは駱駝が針の穴を通るより難しいと聖書にある。自分を貶めることでしか天国に至ることのできないセヴァスチャンの姿は、下手くそな画家が描いた聖フランチェスコの戯画のようだ。

ジュリアもまた、チャールスを愛しながら、それを得れば、神の愛を失うというジレンマに追い込まれてしまっている。セヴァスチャンの富や魅力の代わりが、チャールスの愛だ。自分の最も大事な物を放擲しなければ、神の愛を得ることができないというのは、何という悲劇だろう。不可知論者には理解しがたいところだ。しかし、チャールスは、最後にはカトリックを受容する。末尾の礼拝堂にともる火が、その象徴となっている。この辺が、カトリックが少数派である英米では護教的であるとして批判されるところだろう。

吉田健一による翻訳は、原文の技巧を凝らした美文を流麗な日本語に置き換えることに成功している。何度でも繰り返し読みたくなる独特のリズムがある。歳をとり、何を見ても心躍るようなことがなくなった時に座右に置いて繙くに相応しい一冊。ページを開くたびに、芳しい花の香りが匂い立ち、黄金の時が甦るにちがいない。


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