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 2009/10/04 『ユリシーズ』註解 北村富治 洋泉社

世に『ユリシーズ』ファンは多いようだ。評者の住む地方都市の書店でも、文庫版の『ユリシーズ』は全巻常備されている。今ひとつつけ加えるなら、なんとマンガ版の『ユリシーズ』まであるのには驚いた。ちゃんと、ブルームが肉屋で豚の腎臓を買うところがマンガになっていた。ただ、何のまちがいか腎臓がレバーに変わっていたが。

さて、その『ユリシーズ』だが、二十世紀を代表する文学作品と呼ばれながらも、読破した人は少ないというのが本当のところ。難解を通り越してほとんど謎だらけという、いわくつきの小説である。なにしろ、あの丸谷才一が翻訳しているのに、その誤訳についての本が出されているくらいだ。著者が、その「誤訳の研究」を書いた本人である。『ユリシーズ』が読みたい一心で、ついに註解本を出すところまでいってしまった。

本の体裁は集英社版『ユリシーズ』と同じ版型で、厚さもほぼ同じ。洋書と同じ横書きであるところはちがうが、書棚に並べるとうまく収まる。あまり気にする人はいないかもしれないが、本好きにとってこうした配慮は嬉しいものだ。で、中身の方だが、相変わらず丸谷氏の訳については手厳しい。

『ユリシーズ』翻訳の何がそんなに難しいかといえば、一つはダブリンという街を描くのに、登場人物と同等かそれ以上に作者が情熱を注いでいる点だ。主たる登場人物三人のうち、スティーヴンとブルームの二人をはじめ、いずれも個性的な面々が、ある日のダブリンの街を、まるで電車のダイヤよろしく、あっちからこっち、こっちからあっちと、徒歩で、乗り合い馬車で、そして当時最新式のトラムを利用して動き回る。その動きに連れ、パブに新聞社、肉屋に教会、食堂からトルコ式浴場と、当時のダブリンの街がくまなく浮かび上がる仕掛けだ。ダブリンの街がまるごとこの世から消えても、この小説さえあれば再建が可能と作者をして豪語させたほどに。

ジョイスはダブリンに帰ることなく『ユリシーズ』を書き上げた。作者が参考にしたのが当時のダブリンの人々や住居を網羅したThom's1904という資料。丸谷訳の誤訳の原因の一つは、この資料にあたることなく、ギフォードなどの注釈をそのまま引用していることによるというのが著者の見解。Thom's1904にあたることなく『ユリシーズ』を翻訳するのは、「万葉代匠記」を読まずに万葉集を論じるようなものだという。しかし、研究者ではなく人気作家である丸谷氏が、たびたび現地の図書館に足を運ぶのは正直いって難しかろう。

著者は仕事で長年海外で暮らすうち、ダブリンにもたびたび足を運び、ジョイスゆかりの地を訪ね歩いている。それだけではない。ジョイスのいた当時のダブリンを知るためには、Thom's1904にあたることが大事と大英図書館に日参しては閲覧を繰り返した。あまり頻繁に来館してはメモを取る姿を見た図書館員の好意でマイクロ・フィッシュによる複写が許されたという。

さらに、ジョイスの文体の特徴である「意識の流れ」の問題がある。一般の小説では、主人公の心理は話者の視点を通して読者に伝わる。読者は話者の目を通して整理、統合された思考なり心理なりを知ることができる。しかし、よく考えれば、われわれの思考や心理状態というものは、そんなに整理されているわけではない。ふとした瞬間目にした風景から連想や追想がはじまり、あれこれと移りかわっているのが真実のところである。

「意識の流れ」の手法は、それをそのまま文章にしている。だから、突然何の脈絡もなくそれまで言及されていない事象がぽつんと現れる。そのまま読んだり訳したりしてもまさにちんぷんかんぷん。註解が不可欠となる所以である。聖書やシェイクスピアならまだしも、アイルランドの歴史にダブリンの地理、キリスト教のミサ典礼とくると、生半可な知識ではおぼつかない。作者ジョイスの生い立ちから交友関係を含むユダヤ系アイルランド人ジェイムズ・ジョイスその人の生きてきた軌跡そのものが参照されねばならないのだ。

『ユリシーズ註解』は、その渇を癒してくれるありがたい一巻である。実際、微に入り細を穿ち、かゆいところに手が届くその詳細な注は、『ユリシーズ』の世界を数層倍に広げてくれる。一例を挙げるなら、ブルームが肉屋から豚の腎臓を買う場面で、肉屋がそれを包むのに使っていた紙からユダヤ人のパレスチナ入植の歴史が説きおこされるところなどは圧巻としか言いようがない。アグダット・ネタイームという入植者が購入した土地に本人に変わって木を植える仕事をする会社の広告に記載されている住所を確かめるため、エルサレムにあるシオニスト中央文書館まで出向いているというから、筆者の気合いの入れ方は尋常ではない。

著者が丸谷訳の問題点としているのは、丸谷氏にはヨーロッパで暮らした経験がないということである。一例を挙げれば、丸谷氏は「ワイン半パイント」と訳しているが、パイントという単位で注文するのはビール。ワインをパイントで注文することはあり得ない、と著者は指摘する。その他、実に些細なことを採りあげてはヨーロッパ経験の乏しさから来る誤訳の例を挙げるのだが、正直なところこのあたりは酷な気がする。著者がこうまで書くのは改訳時に訂正されるべき点がそのままであったり、かえって誤った訳に変わっていたりする点にある。このあたりについては、丸谷氏の返答が聞きたいところである。

『ユリシーズ』原文はネット上でも閲覧可能である。著者の註解は実に丁寧で、英語に堪能な読者なら、この註解を頼りに原文で読み進めていけるはず。それでも分かりづらい点は、丸谷氏らの翻訳と照らし合わせて読めば、かなりのところ疑問点は明らかになるはずである。とにかくそのままではふつうの読者には歯が立たない『ユリシーズ』をなんとか日本語に翻訳しようという丸谷氏らの努力は認めなければなるまい。挑発的とも思われるほどに辛辣な問いかけを丸谷氏に対して投げかけている著者であるが、その態度は是々非々。正しく改訳されたところはちゃんと認めている。

読者としては、複数の注を参照しながら自分の読みを作っていく喜びがふえたという点で、この本の上梓を喜びたい。なお、『ユリシーズ註解』と題されているが、厳密には、集英社版の丸谷氏他訳の『ユリシーズ』三巻本のうち第一巻に対応している。つまり第1挿話「テレマコス」から、第10挿話「さまよう岩々」までである。あと二巻に対応する部分の註解が待たれてならない。


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