HOME | INFO | LIBRARY | JOURNEY | NIKE | WEEKEND | UPDATE | BLOG | LINK
LIBRARY / REVIEW | COLUMN | ESSAY | WORDS | NOTES  UPDATING | DOMESTIC | OVERSEAS | CLASS | INDEX
Home > Library > Review > 80

 2009/8/20 『われらのジョイス』 ユーリック・オコナー編著 みすず書房

ダブリン時代からパリやトリエステ、スイスとジョイスが移り住んだ土地で直接彼と会い、話すことができた五人のアイルランド人が語る素顔のジョイス。エルマンの「ジェイムズ・ジョイス伝」ですでに紹介されているエピソードもあるが、当人が書いた書物からの直接の引用であるため、伝記では端折られていた枝葉のような事実から、生身のジョイスが立ち現れる愉しさがある。

学生時代のジョイスは、超然としていて冷静で落ち着いていたかと思うと教師や学監をからかっては楽しんでいたという。語学に堪能で、文学的才能に恵まれていることは明らかだったが、家は貧乏で始終引っ越しを繰り返し、一日の食事にも事欠くという有り様。昼になると担当教官や校長がジョイスを校長室に呼んで一緒に食事をさせたり、友人の母親が気をきかせて夕食に招いたりと、周囲にはずいぶん世話になっていたようだ。

多感な時代のことである。人より優れた知性を持ちながら、人の世話にならざるを得ない自分に卑屈にならないためには、必要以上に胸を張り、態度も大きく見せなければならなかったのだろう。友人が語るジョイスの姿は高慢で慇懃無礼そのものだ。当時ジョイスの書いた文章の中に「楯の硬化」という言葉があるという。『ユリシーズ』のマリガンのモデルとして知られるゴガティと組んで、変わり者めいた人格を拵え、それを「楯」として敵対する世界と本来の自分の間に置いたのではないか。

ジョイスはヨーロッパ各地を転々としながら最後までダブリンに帰ろうとはしなかった。帰れば傷つけられるという意味のことを話してもいる。しかし、友人たちは口々に、会うたびにジョイスがダブリンの町や人々の近況を知りたがった、と証言する。そればかりではない。ジョイスの部屋の絨毯にはダブリンを流れるリフィ川の流れが表されていたというではないか。

ある人がジョイスに、コスモポリタンのような顔をしているくせに考えることも書くこともダブリンのことばかりなのはどういうことか、と訊いたことがある。それに対してジョイスの返答がふるっている。「イギリスに、私が死んだときに心臓にはカレーという語が書かれているでしょう、と言った女王がいました。私の心臓には“ダブリン”という語が書かれているでしょう」。芝居がかった口調がいかにもジョイスらしいが、ダブリンに対する感情に嘘はなかったろう。ジョイスは望郷の人だったのだ。

ジョイスはなぜダブリンに帰ろうとしなかったのか。当時のダブリンは「放置された直轄植民地の朽ちつつある首都であった」。富裕な人々は英国や郊外に退き、目抜き通りは空き屋となり、その後にアイルランドの中産階級が入りこんでいるという状況。崩れそうな家に住む賃金労働者やそれ以下の人々が住むスラムも広がっていた。ジョイスは苦々しい思いを込めてそこを「麻痺の中心」と評していた。『ダブリナーズ』には、そういう目で見たダブリンの町や人々の姿が描かれている。

インスピレーションを得るため『ケルズの書』をいつも手許に置いていたと語るジョイスは、本来あるべき姿のアイルランドやダブリンをその視力を失いつつある目で見ていたのだろう。ところが現実のダブリンの人々は日々の生活を送るのに手一杯で、アイルランド人であるという自覚はないように見える。愛するが故に憎い、というアンビヴァレンツな心理がジョイスにはあったのだろう。故郷を遠く離れているからこそ、アイルランドやダブリンを思う存分に愛せる。帰りたいが、帰れないというのはジョイス生涯のジレンマではなかったか。

それが証拠に、パリ在住の頃、ジョイスは何度もラグビーの国際試合を見にスタジアムに出かけたと語っている。「グリーンのジャージー姿の選手を見ずにいられなくてね」と。『フィネガンズ・ウェイク』には、その時の試合の様子が織り込んであるともいう。もっとも、最後の頃は、眼病が進行していて、選手の見分けがつかなかったというのは切ないかぎりだ。ジョイスがラグビーを好み、たびたび試合場に足を運んだというのは初耳だった。

ラグビー以外にも、『若い芸術家の肖像』、『ダブリナーズ』、それに『ユリシーズ』や『フィネガンズ・ウェイク』の中に出てくる人物や挿話のもとになった話が、当事者自身の口から語られる。ただでさえ謎の多いジョイスの作品群。読書の手がかりになる証言も多い。内容のあらましについては編者による丁寧な序文が参考になる。ジョイス読みにも、これから読んでみようかと思う人にも役に立つ本だと思う。


pagetop >

 2009/8/15 『ガルシア・マルケスひとつ話』 書肆マコンド エディマン

意外なようだが、これまでガルシア・マルケスだけを扱った本というのは日本にはなかったらしい。それならいっそ作ってしまおうというので出来上がったのがこの本。ガルシア・マルケスの一ファンによる、これ一冊でガルシア・マルケスのことならなんでも分かるという愛読者にとっては大変ありがたい本である。

書肆マコンドというのは、著者がサラリーマンと二足のわらじを履いて営むラテン・アメリカ関係(特にガルシア・マルケス関連)の文学書を扱う古本屋の名前だ。ちなみにマコンドというのは、『百年の孤独』を初めとするマルケス作品の主な舞台となる架空の地名で、作家の生地アラカタカがモデルだとされている。マルケスはカフカの『変身』を読んで文学に目覚めたというが、著者は『百年の孤独』を読んでガルシア・マルケスにいかれてしまったらしい。表紙のコピーを引用すれば「目が覚めて新聞でマルケスの広告をチェックし、雨の日は日がなマルケスの作品を書き写す」(原文)という毎日。

まことに、ここまで一途に惚れ込むというのは、なかなかできないことである。それまで書きためたものを、ウェブ上に「ガルシア・マルケス活用事典」という形で発表したところ、本にまとめてみませんかという誘いがあり、今回このような形で日の目を見たというわけ。ただ、単なるファンサイトを活字化したものとはちがう。この人、文章が実にいい。エッセイ仕立ての文章が80ほどもあるのだが、どれも読ませるのだ。

そこへもってきて、研究者も顔負けする読み込みの質と量がすごい。スペイン語で書かれた原作を書き写すという方法はシンプルだが、文章について学ぶにはいちばんの近道かもしれない。そうやって見つけた翻訳の疑問点もいくつか上げられている。原文と英訳による『百年の孤独』の書き出しの比較は、文法上の違いで語順が異なることを別にすれば、いかに原文に忠実な訳かが分かる。同じ翻訳者による日本語訳の新旧の比較も紹介されている。こちらは改訳と新訳が、どう違うのかが一目で分かる仕掛けだ。有り体にいえば、改訳というのは日本語としての精度を上げたり、時代に合わせたりすることを目的としてなされているのであって、翻訳をやり直すというのではないらしい。

本書の内容だが、6部構成で、年譜、邦訳作品、参考文献、索引を付す。
第1部「ガルシア・マルケス作品のひとつ話」は、マルケス世界への導入部。
第2部「ガルシア・マルケスが手繰る人々」は、主要7作品に登場する人物事典。
第3部「ガルシア・マルケス表現辞典」は、時間や夢等の作家独自の表現の解説。
第4部「ガルシア・マルケスものはづくし」作品を彩るものごとの羅列の引用集。
第5部「マコンドひとつ話」は、自動ピアノ等、作品に登場するものごとの博物誌。
第6部「ガルシア・マルケスひとつ話」は、作家その人や友人たちとの逸話集。
折り込み付録として豪華版「架空都市マコンド絵地図」がついているのが嬉しい。

マルケスの作品は一度読むと病みつきになる。未読の作品があると探し出してでも読みたくなる。それはもうほとんど中毒症状のようなものだ。そういう意味で、邦訳作品や参考文献のリストというのは何よりも役に立つ。もっと早く出してもらいたかったくらいだ。しかし、第2部の人物事典や、第3部の表現辞典、第4部の「ものはづくし」には驚かされた。著者自身が愛読者だから分かるのだろうが、ファン心理というか、読者ならやってみたいと夢想する人物事典や表現辞典を含む、いうならば「マルケス百科事典」の実現が見事になされている。

マルケス読みには必読必携の書というべき。是非、一家に一冊常備された上でガルシア・マルケスの作品世界を堪能されることをお勧めする次第。マコンドの絵地図は切り取って額装などされたら、作品世界を数倍楽しむことができるのではないだろうか。

pagetop >

 2009/8/8 『ハザール事典』 ミロラド・パヴィチ 東京創元社

ハザールは、もと遊牧民の国家。カガンと呼ばれる君主をいただき、7世紀から10世紀、カスピ海と黒海にはさまれる地方一帯に定住したといわれている。 10世紀後半にルーシ(ロシアの古名)によって滅ぼされた一国家が歴史に名を残しているには理由がある。実はこのハザール、滅亡する直前に固有の古代信仰 を捨て、ユダヤ教に改宗している。ユダヤ民族でない国家がユダヤ教を奉ずるのは他に例がない。ユダヤ教改宗以前にイスラム教に改宗したという説もあり、改 宗に至る経緯が謎を呼び、現代に至るも論議がつきない。

そのハザール改宗という史実を素材にして『ハザール事典』という架空の書物を捏造 したのは、セルビア生まれの作家ミロラド・パヴィチ。実は『ハザール事典』という書物は17世紀に一度出版されている、とまえがきにある。初版一部は毒物 をしみ込ませたインクで印刷されていたので、読んだ者は次々と死に見舞われるという『薔薇の名前』を地でいく惨劇。世に出た版も教義問答を含むことから禁 書とした宗派もあり、原書は散逸してしまう。わずかに残されたテクストの断片を収集し、新たに項目を立て、事典の体裁で出版されたのがこの第二版『ハザー ル事典』というわけである。

それでは『ハザール事典』には何が書かれていたのかといえば、それが世に言う「ハザール論争」である。すべて は、君主カガンが見た一夜の夢にはじまる。不思議な夢の解釈に悩んだ君主は、夢を見事に解いてみせた学者の信じる宗教に国を挙げて改宗するという約定を発 し、夢占いに長けた学者三人を各地から呼び集めた。招聘に応じた学者はイスラムの行者、ユダヤ教のラビ、キリスト教の修道僧の三人である。

こ れには原典がある。林達夫によれば、ボッカチオの『デカメロン』、レッシングの『賢者ナータン』他幾つもの話のもとになった「三つの指環の物語」がそれ だ。カリフがユダヤ教のラビを困らせようと、三兄弟のうち誰の相続した指環が本物かを答えさせようとする。三人のうち誰と答えても、カリフの奸計に落ちる ところをラビは上手く言い抜けて助かるという話だ。無論三兄弟とは、同じ神を父と仰ぐ、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教を指している。

原 典は寓話らしくもっともな解釈が用意されているが、読者に「開かれた本」をモットーとするパヴィチにはそんなものはない。『ハザール事典』は、三つの宗教 の立場から書かれた三冊の書物を合本し、一冊にまとめたもの。当然のことながらキリスト教修道僧の話を書きとめた「赤色の書」は、キリスト教に有利な解釈 しか書かれていない。それはイスラム教の「緑色の書」、ユダヤ教の「黄色の書」とて同じ。いずれの宗教者がカガンを満足させたのか真相は『薮の中』という わけだ。芥川の原作を映画化した『羅生門』でもそうだったが、異なる世界を一つの平面で並べて吟味するためには、三つの世界を往還することのできる狂言回 し役が必要になる。言語も宗教も異なる三つの世界をつなぐのが<夢の狩人>である。

その昔ハザールには<夢の狩人>と呼ばれる異能の者が いて、他人の夢に入り込んではその夢を見ることができたという。星の観察から天文学が生まれたように、そうして見た夢の観察記録を網羅した大辞典を創造し ようというのがハザールの古代宗教であった。夢の収集を通じてアダム以前のアダムに至るというハザールの思考には人間の無意識の世界を発掘したフロイト博 士の影が落ちている。

旧ユーゴスラビアからセルビアへと国家体制が変わるたびに、そこに住む人々は人種や宗教、イデオロギーの対立に翻弄 され続けて来た。夢を見ることは誰にもできるが、夢から覚めたら現実が待っている。現実が夢より良いものとは限らない。だったら、その現実からはどうした ら覚めることができるのだろう。それには意識のある状態のままの覚醒しかない。一見読み物としての面白さに徹したように見えるこの作品に隠された、意外に それが作者のメッセージなのかもしれない。

事典形式を採用することで、読者は初めから終わりに向かって一直線に進むリニアな読書法を強制 されることがない。関連する項目をたどりながら、時間も空間も異にする世界を往ったり来たりさせられる裡に、どうやらシェヘラザードの罠に落ちたハルン・ アル・ラシッドよろしく物語の世界から出られなくなってしまうという次第。エキゾチズムに溢れた千夜一夜物語を想わせる入れ子状の構造を駆使し、カガンや 王女アテー、そして<夢の狩人>の系譜を引くハザール学の権威たちが、悪魔と狡知を競いながら、論争当時、初版『ハザール事典』が出版された17世紀、そ して現代という三つの時代を「生まれかわり」や「夢のお告げ」によって自在に往き来する多重構造の物語世界。先行作品を換骨奪胎し、自家薬療中のものとす る作者の構想力には舌を巻く。

歴史上に実在する人物や事跡と虚構のそれとを綯い交ぜにすることで、『ハザール事典』という「偽書」をまる で現実に存在する書物のように仕立て上げた手腕は並々ならぬものがある。世界を「一冊の本」として創造することは、マラルメをはじめ多くの先達が夢みてき た。この第二版『ハザール事典』一巻は、その夢の神殿に捧げる新たな貢ぎ物としての資格を十二分に持っている。ボルヘスやウンベルト・エーコが創造した知 的迷宮の伽藍を彷徨い歩くことが好きな読者には何をおいてもお勧めする究極の一冊。ただし、『ハザール事典』には「男性版」と「女性版」があり、その内容 は一部異なる。作者はそれぞれの版を読んだ男女が語り合う姿を夢想している。読書という孤独な作業がそれによって報いられるように、と。

pagetop >

 2009/8/2 『帝都最後の恋』 ミロラド・パヴィッチ 松籟社

ミロラド・パヴィッチは、セルビアの作家、詩人、文学史家で大学教授の肩書きを併せ持つ。それまでほとんど無名の存在であったが、1984年に上梓した『ハザール事典』で一躍世界的に知られることになる。その作品の特徴は、本はたとえ小説であったとしても、かならずしも初めから終わりまで読まねばならぬものではないことを明確に謳っていることだ。『ハザール事典』は事典形式で書かれ、好きな項目だけ拾い読みすることが可能だ。また、『風の裏側−ヘーローとレアンドロスの物語』は表と裏の両側から読み進め、真ん中で終わるという一風変わった形式を持っている。

この最新刊は、副題に「占いのための手引き書」とある通り、タロットカード、大アルカナ22枚に対応する22章で構成されている。読者は巻末に附された三種の占いの方法に倣ってカードを並べ、決められた順にカードに対応する章をたどって読むことができる。無論タロットであるから、付属のカード(巻末に堅牢美麗な紙に印刷されたタロット・カード所収)を使って自分の運勢を占ってみることも可能である。

目次に、各章に対応するカードの解説がついている。たとえば「愚者」の場合。カードが正位置に出たなら「首尾一貫性のなさ、けれども幸福な結末。選択が与えられている。いくつかの道。あらたな体験」。逆位置に出たなら「たくらみ。頭突きに注意。周囲から憎しみを示される」とある。解釈のしようにもよるが、どうやら物語はカードの解説に対応しているようだ。何とも不思議な本だが、もちろん、ふつうの小説のようにはじめから読んでも無類に面白い。

物語の舞台は、ナポレオン戦争当時の東ヨーロッパ。トリエステの船主で、劇団の所有者でもあるフランス軍騎兵隊大尉ハラランピエ・オプイッチは、劇団に自分の「三つの死」の場面を上演させていた。それによると、第一の死は1789年の熊によるもの、第二の死は1797年のオーストリア軍大尉バホミエ・テネツキによるもの、そして第三の死は1813年、オーストリア軍少尉アヴクセンティエ・パピラによるものであった。

実は、ハラランピエは「第一の死」で死んでおり、その後は吸血鬼として現れていたことが、最初の人物紹介で明らかにされている。第二の死の相手テネツキは、芝居とは逆に吸血鬼のハラランピエに殺され、その息子パナ・テネツキは、復讐として父の敵の息子であるソフロニエを殺そうとする。パナに刺され、タロット・カードの「吊された男」そのままに戦場に遺棄されたソフロニエを救ったのは奇しくもパナの妹イェリセナであった。二人は後に結ばれることになる。

この両家の確執に加え、戦場でバホミエにつき従っていたラスティナが、その死後ハラランピエに鞍替えし、男の子を身ごもる。その後地元の豪商に嫁いだラスティナは娘を生む。この種違いの兄妹をはじめ、人間関係は麻の如くに入り乱れ、物語は展開するのだが、バロック的というか歌舞伎的というか敵同志が惹かれ合ったり、義理の娘が父を恋したり、実の母と子が愛し合ったりとその乱脈ぶりはただごとでない。おまけに例の如く魅力的な悪魔が登場するなど、ミロラド・パヴィッチならではの一筋縄ではいかない筋立てとなっている。

サーベルにランタンを吊しておき、暗闇で待ち伏せして、来かかった相手を斬り殺すという『ハザール事典』にも出てきた剣法が第三の死の場面で使われているように、サービス精神旺盛なパヴィチのことだ、自身の他の物語からの引用や言及も事欠かない。読む愉しさはふんだんに用意されている。

読者は好きな読み方で読むことができるが、どこから読んでも題名どおり「帝都」における「最後の恋」がすべてを収斂することになる。ちなみに「帝都」はセルビア語でツァーリグラード。ツァーリは「皇帝」、グラードは「町」なので、「帝都」と訳されているが、英訳ではコンスタンティノープル、つまり現在のイスタンブールのことである。

その「帝都」イスタンブールはアヤソフィアにの柱に掛けられた楯の穴に親指を入れ回転させることで、祈願は成就するのだが、何かを得る者は何かを失わねばならない。はたして、それは何なのか。最後のカードをめくって、その結末に至るとき、官能的なまでに入り組んだ波瀾万丈の物語が、まるで砂上の楼閣であったかのような不思議な眩惑感に襲われる。バロック的な恋愛物語とも愛と憎悪の渦巻く復讐譚とも、カードの並べ方しだいで幾重にも印象を変える。あなたには、どんな物語が待ち受けているだろうか。実に蠱惑的な意匠を身に纏った物語である。

< prev pagetop next >
Copyright©2009.Abraxas.All rights reserved. since 2000.9.10