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 2009/6/28 『世界の多様性』 エマニュエル・トッド 藤原書店

『帝国以後』で、世界的に知られるようになった人類学者エマニュエル・トッドが、30才台で世に問うた衝撃の問題作『第三惑星』と、その続編ともいえる『世界の幼少期』を併せて一冊にまとめたものである。『帝国以後』におけるアメリカ分析の鮮やかさには舌を巻いたが、家族類型や識字率、出生率といった人類学的データを世界を読み解く解析格子に用いる独特の手法は、すでに当時においてほぼ完成していたことが改めてよく分かる。

しかし、序文に自ら語っている通り『第三惑星』は、一部の評者からは好意的に受けとめられたものの、若さゆえの性急さから、順当な手続きを欠いた論証や過激な論調が仲間の人類学者や言論界からはかなり手厳しい評がかえってきたという。しかし、その着眼点は画期的なもので、それまで誰によっても唱えられたことのないものであった。

たとえば、「なぜ共産主義が革命プロセスのはてにロシア、中国、ユーゴスラヴィア、ベトナム、キューバにおいて勝利したのか」、あるいはその他の地域ではなぜそれが失敗したのかという問いに、あなたならどう答えられるだろうか。当時ロシアも中国もマルクスの言う資本主義が高度に発達した国家ではなかった。そもそも工業国ですらなかったのだ。

トッドが、目をつけたのは家族だった。結婚した子が親と同居するか、家を出るか。親の遺産は長子あるいは末子が相続するのか、それとも平等に分割相続するのか、といった観点から、二つの相対立する価値(自由/権威。平等/不平等)を使って、四つのカテゴリーからなる類型パターンを創り出した。自由、平等を価値とするフランスの平等主義家族。子どもたちの独立を要求するが平等は求めないイングランドの絶対核家族。父への服従と遺産の不分割の上に確立され、規律は重んじるが平等は無視するドイツの権威主義家族。平等と規律を併せ持ち、兄弟たちの父への服従を特徴とするロシアの共同体家族。ヨーロッパだけならこれで分類可能だった。しかし、これではイスラムをはじめ、世界中に存在する家族形態をすべて網羅することはできない。そこで、構造主義人類学ではおなじみのインセスト・タブーによる婚姻形態(配偶者を家族集団内部で選択する内婚制か、外部に求める外婚制か)を導入することによって、七つの家族モデルを創り上げた。

トッドの着眼の鋭さは、この婚姻形態の発見にある。それまでにも家族類型を提唱した学者はいたが、ヨーロッパ文化はすべて外婚制であるために、外婚制と内婚制の区別を見逃していた。つまり、自分たちの制度以外にあるものを外部として見ないふりを決め込んでいたために、世界にある多様性を発見することができなかったのだ。「現在まで、ヨーロッパのであれ、それ以外の地域のものであれ、すべての政治形態を正常であり、理論的に有意義なものとして認めることを拒否してきたが故に、コミュニズムが何であるかをいまだに理解できていないのであり、その結果、コミュニズムの「対立項」であるリベラリズムが何であるかも理解できないでいるのだ」と、若き人類学者は先輩たちに苦言を呈している。この世界の多様性に対する眼差しが、他の学者と著者の最も大きなちがいである。

そこで、先の問いに戻る。著者によれば、共産主義とは「外婚制共同体家族の道徳的性格と調整メカニズムの国家への移譲」ということになる。外婚制共同体家族は本来平等主義的な共同体に外部から他者を迎えるという性格上、常に緊張を孕む。それを調整するのが権威ある親の仕事だが、共産主義国家では政治機構がその代わりを果たす。そこでは個人は権利上平等であるが結果的には政治機構に押しつぶされてしまう。イデオロギーのような上部構造が、家族形態や婚姻形態といった、いわば無意識の下部構造によって支配されているというのだから、当時の人々が驚いたのも無理はない。

ちなみに、日本は、権威主義家族でドイツと類型をともにしている。その他の地域を列挙すると、ユダヤ、バスク、アイルランド、カタルニャ、フランス系カナダ、とまだまだあるのだが、共通して浮かび上がってくるものが分かるだろうか。そう、民族紛争である。権威主義家族の国は差異に敏感で同化よりも分裂への志向性が強いという。ドイツと日本については、第二次世界大戦の敗戦国、戦後の復興という共通項以外にも、自民族の優越性を主張するための差異の創出等、多くの共通点が指摘されている。ただ、ひとつ気になるのは、家族類型をもとにした分布地図はともかく、そこから共通する性格や行動様式を読むというのは、どこまでが科学的な裏づけがあるもので、どこからが筆者独自の解釈かが判然としないということだ。発表当時の批判も、その点に対する疑念があったのだろう。

続編の「世界の幼少期」では、識字率や出生率、女性の権威という複数の解析格子を重ね合わせ、数値化されたデータも収集し、日本や韓国、南インドほかの成長ぶりを論証していく。日本の急成長に脅威を感じる欧米人に、江戸時代の出生率や識字率を示し、日本はヨーロッパと同じ時期にテイク・オフしているのだから、これから先の成長に脅威を感じる理由はないと説くあたり、「第三惑星」と比べ、説得力を感じる。A5版で700頁という量である。とてもすべての内容を紹介しきれるものではない。是非、本を手にとって読んでみられることをお薦めする。訳文は平易で読みやすいが、明らかに誤植と思われる箇所がある。版を改める際には訂正してほしい。




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 2009/6/21 『理想の書物』 W・モリス/W・S・ピータースン編 筑摩書房 

「理想の書物」とは、大仰なタイトルだと思われる向きもあろうかと思う。ここで言う書物とは、主にその内容面からではなく、形態面から見ての、つまり物としての本を指している。書かれたのは英国ヴィクトリア朝期だから19世紀末、ずいぶん昔のそれも異国の本の話である。原著者のエッセイや講演を編者が編んだもので、著者はウィリアム・モリス。詩人であり、デザイナーであり、社会主義者、そして、書物について語ることがあれば、まずは何を置いても触れられることになる、ケルムスコット・プレスを起こした人である。今風に言うならマルチタレントの異才。近代デザインを語るとき、この人を抜きにしては語れない。

そのモリスが、何故自ら印刷製本業に手を染めることになったかと言えば、それは、偏に当時のイギリスが、産業の近代化を迎え、すべてにおいて機械化が推し進められた結果、それ以前にあった手仕事の良さを見失った粗悪な製品が巷間に溢れたことによる。

モリスがそれらの粗悪な製品に対抗して自ら商会を作り、製作したのは壁紙やタペストリー、絨毯、ステンド・グラス、タイルといった室内装飾品が主であったが、それらは、後にアーツ・アンド・クラフツ運動としてヨーロッパ各地に発展していくことになる。モリス自身がその晩年に専ら力を入れたのは製本業であった。

中世彩色写本や古い木版画の挿絵入り本の蒐集家でもあったモリスは、当時出版されていた書物の醜さに腹を立てていた。醜く作るにも美しく作るのと同じくらいの労力がかけられている。やりようによっては、同程度の労力で美しい本が作れるはず。そう考えたモリスは、バーン=ジョーンズをはじめ多くの協力者の手を借り、自らタイポグラフィーをデザインし、挿絵入り、装飾頭文字、題扉、縁飾りでふんだんに装飾された本を創り出した。それがケルムスコット・プレス刊本である。

モリスによる同時代の本の批判は次のようなものだ。従来は方形であった活字が印刷スペースを稼ぐために縦に引き伸ばされた結果、線自体も細くなり、紙面から黒の効果が消えた。それなのに文字と文字の間、行と行の間隔が必要以上に広くとられているため、黒白の対比が弱まり、全体が灰色がかって見える。さらに大事なことは、一頁を単位に紙面をレイアウトしているので、印刷部分が中央に配置されることになり、見開きにした場合、必要以上にノドの部分が広くなって見苦しい。

紙やインクについても一家言あるのだが、参考資料として挿入されたケルムスコット・プレスの印刷物からはそこまでは分からない。しかし、それ以外は一目で分かる。数行分に及ぶ大きさで、特別にデザインされた飾り頭文字。古拙な雰囲気を持つ活字は「面(フェイス)」が、「胴(ボディ)」の広さ一杯をふさぐように作られ過度の白が出ないようになっている。字間、行間ともに詰められた印刷面以外の余白は、ノドがいちばん狭く、次に天、その次が小口、最後に地の順に広くなっている。一口に言えば、余白をたっぷり取った白い部分と活字でぎっしり埋まった黒い部分の対比が鮮明で見た目に心地よい。

これに、モリスの装飾家としての本領を発揮した縁飾り(ボーダー)、飾り字で書かれた題扉、盟友サー・エドワード・バーン=ジョーンズが描いた挿絵の木口木版で飾られた巻頭頁が来る。一度見たら忘れられない書物である。

モリスがモダン・デザインの父と呼ばれながら、その一方で手工業を擁護し、中世的な職人ギルド的な作業形態を良しとしたのは、産業化が進むあまり、人の生活から美的なものが失われることをおそれたからである。何がなんでも機械化に反対したわけではない。納得できるものであれば、機械化も認めていた。自身のタイポグラフィーにも写真の拡大縮小技術を駆使していたほどである。

バーナード・ショーが、社会主義活動家であったモリスの晩年の散文ロマンスを中世趣味が高じた末の退行のように批判しているが、これらの作品が書かれたのは、モリスがケルムスコット・プレスに夢中になっていた頃と時を同じくしている。書物の形態と内容は無関係ではあり得ない。分かち書きで綴られる英文の宿命として、行中に空白が数段続く「川」と呼ばれる無意味な空白部分が出ることがある。それを避けるために本来不要な前置詞を置くような真似をしたモリスである。形態に最も相応しい内容の文章を必要としたまでであろう。

ちなみに、ケルムスコット・プレス刊本は、2009年6月現在愛知県美術館で開かれている「アーツ・アンド・クラフツ展」で目にすることができる。何かと住みにくさを感じることの多い現代。自分の家から書物まで、自分の手で作った美しいもので一杯にした先人の足跡をのぞいてみるのも楽しいのではないだろうか。


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