HOME | INFO | LIBRARY | JOURNEY | NIKE | WEEKEND | UPDATE | BBS | BLOG | LINK
LIBRARY / REVIEW | COLUMN | ESSAY | WORDS | NOTES  UPDATING | DOMESTIC | OVERSEAS | CLASS | INDEX
Home > Library > Review > 70

 2008/10/11 『見知らぬ場所』 ジュンパ・ラヒリ 新潮社

「人情の機微に触れる」という文句がある。ふだん誰もが何気なく経験しているような、ふとしたできごとにあらためて目を止め、しみじみと味わったときに口に出る言葉だ。ジュンパ・ラヒリの手にかかると、気づかずに通り過ぎていたあれこれの日々が、ページを繰るたびに紙の上に記された活字の中から、立ち上ってくるように感じられる。

コルコタ出身のベンガル人夫婦の子として生まれ、アメリカに暮らす移民二世を主人公とする8編の短編は、いずれも作家自身の経験からそう遠くは離れていないだろうと思わせるリアリティにあふれている。インドという国の躍進ぶりが話題になって久しいが、そのかげにはここに描かれたようなアメリカの大学で学位をとるために国を出た多くの俊才がいるのだろう。

移民とはいえ、かつては苦労した父親も今では大学教授になっている。ボストンやマサチューセッツ郊外の落ち着いた町に居を構え、息子や娘は大学に通っている。インドの暮らしに郷愁を感じるのは母親くらいで、移民も二世になれば、アメリカの若者と変わりはない。親に隠れてマリファナを吸ったり、酒を飲んだり、異性との関係も早いうちからできている。

人情の機微と書いたが、ここには親と子の情愛がある。妻に先立たれた夫と夫に先立たれた妻との愛がある。父の再婚相手と、死んだ母の思い出の間で悩む子どもの気持ちがある。突然家に転がり込んできた知人の家族との微妙にすれちがう日々の暮らしがある。小さいころに少しの間一つ屋根の下で暮らした男の子と女の子との思いもかけぬ再会がある。

「読者は知っているが、登場人物は知らない」というのが、読者の興味を引き続けながら最後まで引っ張ってゆくために物語が利用する構造である。一つのストーリーの中で、主人公二人のそれぞれに交互に話者の視点が移動するというのは、どうやらこの作家お気に入りの手法らしい。第一部巻頭に置かれた短編集の表題作「見知らぬ場所」と第二部を構成する「ヘーマとカウシク」の三部作では、特にその手法が功を奏し、互いを思いながらも微妙にすれちがうメロドラマ的な構造が、ある時はしみじみと、またある時はせつなく読者の胸を打つ。

「見知らぬ場所」は、アメリカ人と結婚した子持ちの娘の家を、妻に先立たれてひとり暮らしの父が突然訪れる話。同居を期待しているのかと案ずる娘と、パックのツアー旅行中に知り合った女性との交際をはじめた父の、少し距離を生じた関係が抑制を帯びた筆致で織り出され、この作家独特の世界に自然に導いてくれる。娘夫婦の新居の庭に植物を植える父と孫のやりとりがほのぼのと胸に迫る佳編である。

第二部は、親同士が知り合いで、たまたまある時期同じ家に住んでいた二人の男女の人生を、三つの短篇として描き分けるという意欲作。「一生に一度」は、ヘーマという女性の視点で二人が互いを意識しはじめた頃の思い出を描いている。「年の暮れ」は、大学生になったカウシクが再婚した父とその家族に会いに母の死を看取った家を再訪する話。「陸地へ」は、不倫に疲れたヘーマが別の男性と婚約中、研究のために訪れたローマでカウシクと再会するという三部作の結びにあたる作品。

時事的な話題を織り交ぜ、物語に今日的な主題を導入しつつ、いかにもメロドラマに相応しい舞台としてのイタリア風景を点綴し、愛の物語らしい設定に十分配慮した「陸地へ」は、これまでのジュンパ・ラヒリとはひと味ちがった世界を見せている。最後の場面、こうとしかありえなかったのであろう結末に、秘かに予告されてあったことを認めながらも、鼻の奥がつーんとし、目に熱いものが滲み出してくるのを不覚にも押さえられなかった。


< prev pagetop next >
Copyright©2008.Abraxas.All rights reserved. since 2000.9.10