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 2008/8/19 『証人たち』 ジョルジュ・シムノン 河出書房新社

メグレ警視もので知られるジョルジュ・シムノンだが、当然ながらメグレが登場しない小説も書いている。そして、小説好きには案外そちらの方が評判がいい。『証人たち』もその一冊に入るかもしれない。

グザヴィエ・ローモンは、パリ近郊の町で重罪裁判所の判事をしている初老の男。ランベール事件の裁判を明日に控え、下調べをしていると、いつものように妻が呼び鈴を鳴らす。妻は何年も前からベッドに寝たきりで、昼は家政婦が用を務めるのだが、夜は夫が薬を与え、脈を計るのがならいになっている。

夫が仕事に取りかかると呼び鈴が鳴る。ローモンには、それが妻の嫌がらせのように感じられる。発作を抑える薬はストリキニーネが調合されている。コップの水にきっかり12滴。夫はわざと妻の前で声に出して数える。会話は他人行儀なくらい丁寧だが、二人の関係は冷え切っている。妻は看護を名目にして夫を縛りつけているのだろうか。

小説は、ランベール事件で裁判長を務めるローモンの視点で語られる。妻殺しの嫌疑をかけられている被告の裁判が進むにつれ、証人や傍聴席に座る人々がローモンに、過去の様々な出来事を思い起こさせる。証言の合間や休廷中、流感に罹っているローモンの熱に浮かされた頭には、映画のカットバックのように過去に関係のあった女性や亡き父の晩年の姿が事件の状況と絡まり合いながら、浮かび上がっては消えるのだった。

被告の妻には夫の他に何人もの男がいた。夫はそれを知りながら放置し、自分は他の女に言い寄っていた。証人たちや警察等事件の関係者は、事故死に見せかけて夫が殺害したという見解でほぼ一致しているが、ふだんは冷静な裁判長が、検察側証人の陳述に執拗に口を挟む。裁判長はいったいどうしてしまったのだろう。

実は誰も知らないことだが、被告の置かれている立場は裁判長であるローモンにとって、他人事ではなかったのだ。ローモンの結婚は遅かった。財産目当てではなかったが、資産家の娘を妻にしたら、そう思われても仕方なかった。子どもができなかったことも災いした。二人の関係は冷えたものとなり、妻は別の男を愛するようになったが、相手の結婚を知った妻は絶望し自殺を図る。自殺に失敗した妻はそれ以後ベッドから出ようとしない。

誠実に妻の介護をし続けるローモンだったが、それが重荷になっているのも事実だった。彼にも今では心を許した相手がいる。職業柄、妻が薬の飲み過ぎで死んだ場合、自分が疑われることを知っている。妻が故意に飲み過ぎたか、夫がわざと多く飲ませたのか、それが誰に分かるだろう。裁判の場で、次々と証人たちが述べる陳述に苛立ちさえ覚えるのは、事実を知っているのは、当事者であって我々ではないからだ。

長く一緒に暮らしてきた妻の心さえ、自分には理解できていなかった。過去に不幸な事件があったとしても、いつかは二人で笑い会える時が来るだろうという自分の気持ちだって、妻には理解できなかった。ローモンの胸に去来するのは、「人間が他の人間を理解するのは不可能であるという認識」である。裁判に携わるものとして、この認識はいかにも苦い。ロ−モンは、この裁きをどうつけるつもりなのだろうか。

男と女の心理の綾を描くのはフランス文学の得意とするところだが、そこはシムノン。推理小説にありがちな類型的な人物像とはひと味も二味もちがうリアルな人間を描き出している。サスペンスに満ちた裁判劇を縦糸に、老いを迎えつつある中年の男女の愛憎を横糸にして、証人たちはもとより、登場する様々な階層の老若男女の人間模様を、雪もよいのフランスの小都市を背景に織り上げて燻銀の味わいを見せる。パトリス・ルコント監督、ダニエル・オートイュ主演で誰か映画化してくれないだろうか。

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 2008/8/16 『東京暮らし』 川本三郎 潮出版社

いい題名だが、題名から受ける印象と中身は少しちがう。著者は東京に住んでいるが、猫と荷風絡みの話を別にすると、東京のことを書いた話は意外に少ない。というより、映画のロケ地を訪ねたり、懐かしい町並みを探して訪れた東京近郊を舞台にした話が多い印象を受けた。

いろいろなところに頼まれて書いた短い文章をまとめたもので、中には、酒を飲みながら書いたことを明かしているものもあるくらいだから気軽に読める。川本三郎も還暦を過ぎたというから、いよいよ肩の力が抜けてきて、軽みが増しているようだ。行った先が重複していたり、同じ逸話がダブってたりしているのも愛嬌としておこう。話題は、荷風以外にも、猫、映画、町歩き、と自分の好きな物ばかり。歳を取ったことをいいことに、気儘に書き散らしているようにも見える。

しかし、「禁止事項を作る」のなかで、こう書いている。

批評の対象は、あくまでも自分が好きになった映画や本にする。敬愛する作家や監督について書く。否定より肯定を批評の基本にしている。だからといって「甘口」なのではない。自分の好みについてはかなり頑固なつもりである。

町歩きの後、駅前の居酒屋(なければ大衆食堂)に立ち寄って、その日の最初のビールというのが、何度でも出てくる。好きなことばかり肯定的に書くのだから、重複は避けられないが、こだわりはある。チャラチャラした現代的な街や店は嫌い。「単なるノスタルジー」のどこが悪いかと開き直り、昔の面影を残す町を訪ね歩く。

何かというと、新しいものを好むのがこの国の習い性になっているが、荷風はフランスに渡った時、この大都会が古い街並みを残しているのに驚き、「西洋と云う処は非情に昔臭い国だ」という名言を残しているそうだ。文明開化の時代なら、いざ知らず、そろそろ日本も古い物の価値に目覚めてもいい頃だという川本の指摘に、肯いてしまうのは、こちらもよく似た年頃のせいか。

同じく「禁止事項を作る」の中で、流行語をなるべく使わない、「僕」という主語を使わない、近頃では「私」も要らないと思うようになったと書いている。これも同感。たしか、三島由紀夫の『文章讀本』に同じ事が書いてあった。学生時分に読んだから、それが染みついてしまって、いまだに「私」が使えない。著者は「五十代になってそれに気がつい」たと書いているから、これは当方のほうがうんと早い。

読書ノートを作っていて、もう三十冊になるという。「印象に残った文章をいくつか書き留めているだけ。一種の引用である」。映画ノートというのもあって、「心動かされた場面とセリフを記しておく」こともしているらしい。引用が好きだと言う。フランス文学者の野崎歓も同じらしくて、その著書の中から「引用と注釈。結局のところそれがいちばんの基礎だと思うんです」という部分を引用している。

世代が近いこともあり、共感するところが多いが、年配者の夏の短パンTシャツ姿に苦言を呈しているところで、ギクリとした。暑さに負けてついその姿で外出することが多い。筋肉の衰えが見えて見苦しいという。著者のスタイリストぶりが窺えて愉しい。猫についての文章も、猫好きにはうれしい。

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 2008/8/15 『トールキンのガウン』 リック・ゲコスキー 早川書房

新聞等に載る書評には、よく目を通しているつもりだったが、どうやら見落としていたらしい(毎日に丸谷氏の書評あり)。本のストックが切れ、図書館の書棚漁りをしていたら、運良く目に留まったからよかったようなものの、これを読まずにすますところだったとは、考えただけでも恐ろしい。二十世紀英米文学や古書蒐集に興味のある本好きなら、何を置いても読まずにはいられないはずだ。

書名『トールキンのガウン』から、あの『指輪物語』の巨匠に関する評伝と勘違いする読者もいるといけないので先に注意しておくと、この本は古書を売買する競(せ)取り屋でもある著者が古書蒐集にまつわる興味津々のやりとりを描いたエッセイ集である。

著者はアメリカ人。オックスフォードで学位を得た後、英国の大学に職を得たが、古本屋で古書を買っては高値で転売する競取りという仕事に熱が入り、教師を辞め古書のディーラーとなってしまう。著者の扱うのは、出版に際し友人、知人に贈るサイン入り献呈本(初版)である。書誌学者で、出版も手がければ、ブッカー賞の審査員も務める評論家でもある。

題名の由来は、晩年のトールキンが住まう学寮に暮らしていた縁で、トールキンが処分してほしいと言ったガウンを手に入れ、それを古書の目録に載せ、高値で売り抜いた事による。面白いのはそこからで、作家のジュリアン・バーンズが、ジョイスのスモーキング・ジャケットだの、誰それの下着なら幾らになる、と皮肉混じりの電話をかけてきたらしい。その後、稀覯本のディーラーは、作家の古着まで売るのかという記事が「タイムズ文芸付録」に載ったという。

その題名だが、アメリカ版では『ナボコフの蝶』になっている。英国の読者ならトールキンだろうが、アメリカならナボコフと、出版社も考えている。20の挿話からなる集の第一話は『ロリータ』から始まる。ある時、ナボコフの署名入り『ロリータ』のイギリス版初版本に3250ポンドという値を付けて目録に載せたら、グレアム・グリーンから自分宛の献辞入りのパリ版なら幾らで買うかという手紙が送られてきた。勿論パリ版がオリジナルである。

発禁を恐れて、どの出版社でも断られた『ロリータ』が出版されるまでの経緯も詳しく語られているが、『ロリータ』が批評家の集中攻撃を受けていた時、一人それを擁護して論陣を張ったのがグリーンだった。ナボコフはそのことを感謝して献辞入り署名本を贈ったのだろう。グリーンが高すぎるというのを4千ポンド買い取った著者は、それをエルトン・ジョンの友人で作詞家のバーニー・トーピンに9千ポンドで売ってしまう。後に同じ本を1万3千ポンドで買い戻し、別の収集家に売るのだが、この本が2002年にクリスティ−ズにかかった時、競り値は26万4千ドルという高値に跳ね上がっていたという。

書名の由来を書いた第二話『ホビットの冒険』も、心あたたまるものだが、ゴールディングの書誌作りに携わった顛末を書いた『蠅の王』も興味深い。講演料の百ドル小切手を現金化して使ってしまった件で脱税を恐れているノーベル賞作家の人となりが、作家と傍近くにいた者だけが知る視線でユーモラスかつ辛辣に描写されている。この他にもサリンジャーとの裁判沙汰を書いた話をはじめ、小説好きにはたまらない逸話に溢れている。

評者自身には、精神を病む妻ヴァージニアに、夫であるレナード・ウルフがこれ以上は考えられないプレゼントを贈る話に始まる『詩集』が、心に残った(ヴァージニアの日記がいい)。神経衰弱の治療のためにホガース・ハウスを買い、印刷プレスを求め、そこで二人が起こしたのがホガース・プレスだった。組版と製本の仕事はヴァージニアを執筆活動から来るストレスから解放するのに役立った。

エリオットが詩集の出版の依頼に訪れたのは1918年のことだった。実は、その頃、もう一人の20世紀を代表する作家の原稿が、印刷してくれそうな所を探してこの家で埃をかぶっていた。ジョイスの『ユリシーズ』である。この本もいろいろな出版社に断られここに来ていたのである。印刷したくとも、ヴァージニアの組版の速さではその仕事をやり遂げる事は不可能だった。最終的には『ユリシーズ』は1922年シルヴィア・ビーチによって出版されることになる。その話はまた別の項に詳しい。


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 2008/8/12 『没後80年 佐伯祐三展』 三重県立美術館

寒々とした冬の巴里は、ただでさえ気を滅入らせる。その人通りも絶えた裏町の街路に画架を据えて、佐伯は何を思っていたのだろうか。30歳という若さで異国で客死するまでの間、二度に渡る滞仏期間で何百枚という絵を描いたという。早すぎる死を予感したように生き急いだ画家の人生は、その悲劇性もあって伝説的な逸話に事欠かない。

人物も静物もあるが、野外で制作された風景画が中心。主たるモチーフは、建築物や街路、カフェなどの店先。名所ではなく、アトリエに近い小路などに画架を立てて描き続けた。同じく巴里風景を絵葉書をもとに描いたユトリロとはちがって、くすんだ色調、歪んだ線、ナイフで絵の具を削ぎ落としたり、引っ掻いたりした痕跡の残る、荒々しさと寂しさが混在した画面が印象的だ。

その一方で、壁に貼られた広告の文字や、街角のカフェに置かれた卓子と椅子のリズミカルな配置、建物の壁と看板や門扉に使われた色合いの配色の巧さ。粗い粒子を残した灰白色の壁面と硝子戸の奧や開け放された扉の奧の暗闇とのコントラスト。筆の先で撫でただけのように見える線が、画面から少し離れると今にも歩き出しそうな男や女になる不思議さ、と一人の佐伯の中にある重さと軽さ、暗さと明るさという矛盾が魅力の一つかも知れない。

一時帰国した際にアトリエとした下落合風景のように、日本の風景も描かれているが、どことなく散漫な印象を受ける。両側に高い建築が連なり、どこにいっても「どうだ、これを描けるか」と対象が目の前に立ち塞がる巴里の街路のように、モチーフが自ずから迫ってくる所でないと、佐伯は描けなかったのかもしれない。大阪の運河に浮かぶ「滞船」や蒲田の操車場を描いた絵には、船のマストやシグナルの腕木のように垂直に延びる線が見つかったせいか、佐伯らしいリズムの感じられる絵に仕上がっている。

風邪をこじらせて、街路でのスケッチができなくなる寸前に描いた「黄色いレストラン」と「扉」の二枚は、自分でも自信があったらしく、友人にこの二枚だけは大事にするように伝えている。そのどちらもが、対象を真正面に見据え、家なら入り口、扉なら扉だけという大胆な切り取り方をした絵である。

佐伯を有名にした書き文字だが、どちらかと言えば装飾が勝った意匠といえる。ヴラマンクに「アカデミック!」と叱責され、それまでのセザンヌ風の筆触と色彩を封印してから、その代わりとでもいうように多用するようになった大胆な黒い線にも、自身食傷していたのではないか。本来の自分の絵を求めて悪戦苦闘した佐伯が死の寸前に見出したのが、目の前に立ちはだかった壁のような平面であったことが印象的である。

どちらも基本となる一色を基調に据え、独特のデフォルメされた線で空間を分割した完成度の高い絵である。しかも、それまでの佐伯の絵に見られない清澄な明るささえ感じられる。もしかしたら自分の絵を見つけたのかも知れない。しかし、その新しい世界に達することの難しいことを感じていたのでもあろうか、レストランの入り口も建築の中庭に通じる大きな扉も閉ざされたままである。

人の一生は限られている。夭折者にはその短い時間の中でできることはすべてさせようとでもいうのだろうか、若くして死んだ才能には、早くからの芽生えや開花が許されているように思える。ただ、もっと生きられたなら、この才能はどのように熟し、どのように枯れていったのだろうか、見とどけたかった、という思いもまた残るのである。

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 2008/8/9 『高い城の男』 フィリップ・K・ディック ハヤカワ文庫

「歴史にイフ(もしも、〜だったら)はない」というのは、よく聞くセリフだ。とはいえ、架空戦記物に限らず、この種の話は巷に溢れている。「もしも、あの時こうなっていたら」や、「ああいうことをしなかったら」という思いは、日々誰もが経験していることだからだろう。そして、そうした願望や後悔は、白昼夢に似て儚く虚しい。好むと好まざるにかかわらず、「いま、ここ」にあるという現実に拠るしかないのが、我々に与えられた唯一の選択肢であるからだ。

思考実験というものがある。科学的な実験のように薬品や装置を使わず、論理的な推論を積み重ね、その結果を見てみるという方法だ。結果がどうあれ、爆発も大気汚染も引き起こさない。至極安全な実験と言えるだろう。しかし、それを言葉や文章にすれば、読んだ人の心理や思考経路に秘かに浸み入り、現実の世界を見る時にいくばくかの影響を与えずにはいない。

もともと、我々が日々生活しているこの世界自体が、白紙のように真っさらという訳にはいかない。意識的であるか無意識の裡にであるかは問わず、支配的なイデオロギーによって染め上げられ、我々は首までそれに浸かって暮らしているのである。自分では、日々の暮らしの中で行う選択は、自分が行っていると考えているが、そういう自分を構成しているものが何であるかを問いながら日々を生きている人はまずいない。そんなことをしていたら、早晩精神がまいってしまうだろう。

つまり、自分は自分で思っているほど自分ではないのだ。世界も同じである。大昔の人々が考えた世界は、亀や象の背中に支えられていたそうだが、それは今も変わらない。亀や象の替わりに、皮膚の色もちがえば、言語も信仰も異なる無数の人間が支えているのだ。グローバリズムというのは、みんなが支えている世界を一つのものにしようという考え方である。実際の世界はそんなに堅固なものでも、はっきりした輪郭を持ったものではない。不定形で可塑性の高いものである。

第二次世界大戦は、枢軸国の敗北という結果に終わったが、ナチスの行った、ユダヤ人をはじめ、彼らが劣等と見なす人々に対する弾圧や大量虐殺は、人は果たして信じるに値する存在なのかという、人間存在についての根本的な疑義を生じさせた。たまたま、ドイツや日本が敗れたから、世界は今のような形で存在しているが、もし、ドイツ軍が勝利を続けていたら、アメリカが日本に敗れていたら、世界はどうなっていたのだろうという疑問が浮かぶのは避けようがない。

フィリップ・K・ディックの『高い城の男』は、小説という形式で、その疑問を思考実験したものである。第二次世界大戦で日本とドイツが勝利した結果、世界は二分割され、ヨーロッパではドイツが第三帝国として君臨し、日本は太平洋共栄圏の理想を実現しているという、まあ、喩えが悪いのを承知しつつ言えば、世界は『猿の惑星』状態にある。

宇宙にまで進出したドイツの次の狙いは地球の完全な支配である。日本に核攻撃を仕掛けるタンポポ計画なる陰謀をめぐってドイツの指導部内での覇権争いが起きる。最悪のシナリオを阻止するために動くドイツ人と日本人、彼らと何らかの関係を持つアメリカ人の数人を中心に、短い場面ごとに視点人物が交代する映画的なストーリー展開。

興味深いのは、小説の中に日本とドイツが負けるという筋書きの小説が登場し、ベストセラーになっていることである。その小説家は「易経」をもとにそれを書き上げたらしい。そして、日本人に限らずユダヤ系アメリカ人も、その元妻もみな筮竹代わりにコインで卦を立てる。つまり、日々の行動原理はどうやら、あの「当たるも八卦、当たらぬも八卦」の八卦任せなのらしい。日本が実権を握った地域で、道教ゆかりの「易経」が流行るというのが、可笑しいが、ヒッピー・ムーブメント隆盛の頃、タオイズムに人気があったのは事実だ。作者はその洗礼を受けていたのだろう。かなり本格的な言及である。

人智では及びがたい原理というものが世界にはあり、それに従うことで世界は安定するという思想。一部の権力を握った人間の暴走がホロコーストを引き起こしたという苦い反省が、行動の決定を「八卦」という中国古来の思想に委ねるという解決法を見出させたのかもしれない。二項対立の思考法が西欧の原理で、それが災いの根源だとするなら、三項目を立てるジャンケンや三すくみの思考法も有効性を持つかもしれない。ならば、「八」卦なら、よりよいというものでもないだろうが、作家は煮詰まった西欧的思考に限界を見ていたのかも知れない。そして、それは9.11以降、ますます現実味を帯びてきているのではないだろうか。

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 2008/8/5 『ナボコフ自伝−記憶よ、語れ』 ウラジーミル・ナボコフ 晶文社

喪われて二度と戻らぬものだからこそだろうか、故郷喪失者(ハイマートロス)が故郷を回顧する視線や、年老いた者が子どもの頃を回想する文章には、ある種の物狂おしい熱情が感じられるものだ。

ナボコフは、帝政ロシアの上流貴族の長男として生まれ、幼少時をペテルブルグにある自宅と、そこから50マイル程離れた父の領地にある別荘で過ごす。父はリベラルな人で領民にも慕われていた。入れ替わり立ち替わり現れる家庭教師(ナボコフは、なかなか手の焼ける子どもだったらしい)のもとで、教育を受け、美しく優しい母親に愛されて何不自由なく育つ。

ネヴァ河の流れるペテルブルグは、運河が網の目のように広がり、北のベネティアと呼ばれる美しい街だ。また、ペテルブルグ近郊の田舎は樺の木や樅の林の続く美しい自然に恵まれている。短い滞在だったが、その光景は今でも評者の目に焼きついている。そんな中で、お気に入りの蝶を採集したり、詩を書いたりしていた少年が、革命によって故国を追われてしまうのだ。故郷と幼少年時代を懐旧するナボコフの筆が必要以上に熱を帯びるのも仕方がない。

スターリンはともかく、レーニンやボルシェビキに対するナボコフの呵責のない攻撃は、マルクス・レーニン主義の政治的実験が潰えてしまった今だからこそ、当たり前のように読めるものの、ナボコフがアメリカに亡命した時何かと骨を折ってくれたエドマンド・ウィルソン(『フィンランド駅へ』という革命家群像を書いた)のように、レーニン贔屓にとっては、ずいぶんと反動的な物言いのように思われたのではないだろうか。

「自伝」と訳されているが、もともとは、ニューヨーカーその他の雑誌に掲載された文章を集め、『記憶よ、語れ』という題名を新たに附されて出版されたものである。いくつかの挿話は、そのまま短編集の中の一篇に使われている。避暑地で会った女の子の犬の名前が、打ち寄せる波の光景とともに記憶に立ち戻ってくる印象を描いた「初恋」の一文などは、若島正氏が、その著書『英米短篇講義』の中で、「ナボコフが書き得た最も美しい文章の一つ」とさえ書いているほどだ。

その他にも、おそらく『賜物』の中で出会ったのではないだろうか、長男に甘い母親が、プレゼント用に文房具店の巨大な広告用鉛筆を馬車で買いに行く光景を、家にいるナボコフが幻視する場面などにも見覚えがある。ナボコフ自身、すでに小説の中に書いてしまったエピソードには、自分だけのものという思いが失せてしまうという後悔めいた告白をしているので、これ以外にも小説の中に採用している話は数多いのだろう。

記憶を辿り、過去を呼び戻す能力に長けていることは自らも認めているが、それにしてもナボコフの筆になるロシアの夏の暮らしの何と生き生きとして瑞々しいこと。夏休みに読むのに相応しい恰好の読み物かも知れない。上流貴族の子弟と比べるのも畏れ多いが、捕虫網を手にして、めずらしい蝶や蛾を追いかけるナボコフ少年の姿に幼い頃の自分を重ねる読者もいるだろう。ここには、民族や国の違いをこえた、夏の日の少年の姿が活写されている。

一話完結の文章をまとめた物らしく、それぞれの章の終わりに結びの一文が用意されているのだが、余韻をにじませる終わり方に、他の小説作品にはないナボコフの一面を見たような気がする。自己の小説作品にも言及するなど、肩肘張らないナボコフに触れることのできる作品である。蝶の他にも、言葉遊びやチェス・プローブレムというナボコフ偏愛のアイテムを主題にした章もあり、ファンにとっては、たまらない一冊と言えるだろう。

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