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 2004/10/31 『文学校』 赤瀬川原平・大平健 岩波書店

副題が「精神科医の質問による文章読本」。早い話が文章読本である。谷崎にも三島にも「文章読本」があるが、正直どれもつまらない。文章の好き嫌いは人それぞれ。その評価も時代や読者によって変わってくる。赤瀬川原平ともあろう人が、そんなありきたりな本をどうしてまた書こうと思ったのかと不思議に思ったくらいだ。ところが、読んでみると、これはなかなかよくできている。文章の書き方はこうだと大上段に構えるのでなく、赤瀬川の書いた四冊の本を教材にして、精神科医でもある大平健が、著者である赤瀬川氏にお教えを乞うという私塾形式になっている。「文学校」というタイトルのつく所以だ。

上手下手を別にして、こうして書いている拙文もまた文章である。書いてみれば分かることだが、書きたいことと、書かれたこととの間にはずいぶん距離がある。ものを書こうと思う人なら誰もが皆その間を縮めようと努力するのだが、そこがいちばん難しい。言葉でものをとらえるということは、はたで見ているほど簡単なことではないのだ。どう書けば達意の名文になるのか。名文と言えるほどの文章でなくてもいい。少なくとも読んで面白い文章を書く秘訣はあるのか、もしあればめっけ物くらいの思いで読み始めた。

知ってのとおり、赤瀬川氏はただの物書きではない。千円札事件で世間を騒がせた前衛芸術家でもあり、「トマソン」で有名な路上観察学界の創始者のひとりでもある。最近ではライカ同盟という集団を立ち上げ、展覧会を開く写真家でもある。小説家としては尾辻克彦の筆名で、芥川賞も受賞している。一筋縄ではいかない曲者である。ところが、その曲者が書く文章はどれも読みやすくて面白い。しかも、面白いだけでなく筋が通っているというか発想が非凡で、こちらが見落としている勘所をきちっと押さえて教えてくれる。編集者というのはさすがにプロである。こういう人を先生にして文章術を語らせるというのは考えたものだ。

では、赤瀬川流の文章術とはいかなるものか。まずは自分が面白くなくてはならない。しかし、面白いだけでは駄目、栄養がないといけない。笑いに走らず、ほんとうの面白さを追求する。お得意の比喩ひとつとっても同じだ。表面的な類似に頼らず構造の本質に達するものを選ぶ。そういうとなんだか難しそうだが、読者に最短距離で伝わるものを選ぶから、実際に書かれたものは、なあんだというくらい腑に落ちるものになっている。

利休について語るところに真骨頂がある。利休は前衛である。ところが、茶道というものになるとそこに型ができ誰もが同じようにできるために言語化される必要がある。弟子の山上宗二が必要になる所以である。厳密に言語で説明できる部分と、言うに言えない沈黙でしか表すことのできない二つの焦点を持った楕円という構造がそこに生まれる。

かつて前衛であった赤瀬川は、マラソンでいえば先頭を切って走っていたトップランナーである。そのトップランナーが、次の集団の位置に身を置けるようになったことで、見えてきたのが楕円の構造だ。ものには型がある。文章でも視覚芸術でもそれは同じである。型をマスターした上でそれを毀して新しいものを生むことが大事なのだ。かつての前衛が危機感を持つのは、オウム事件のように市民社会に現れる突発的な事件が、前衛のコピーのように思われるからだ。

流行語大賞を受賞した「老人力」という一語からも分かるように、洒脱な脱力感のある文章が特徴的な赤瀬川氏に、前衛的な意識がいまだに濃厚であることが新鮮だった。利休でいながら山上宗二でもあるという二つの焦点を持つ存在。トップランナーとして走る前衛の意識と、その背中を次走者の集団の中からしっかり把握する批評的な視点とが複眼的なバランス感覚をもたらしているのである。

新聞小説として連載された『ゼロ発信』を、生徒の大平氏が読み取ってゆく「実実皮膜という虚構」の章は、エッセイ風の文章を書きながら、いつか小説を書きたいと思っている人には、うってつけの指南書になっている。構想メモをもとにしながら小説を書くことなんかできないという人にも、こんな小説なら書けるかもしれないという気にさせてくれるからだ。名づけて「非線形小説」。理科系で文章好きの人にもおすすめしたい。

 2004/10/24 『最後の晩餐の作り方』 ジョン・ランチェスター 新潮社

最後まで読むと分かるが、あまり感心しない邦題だ。原題はThe Debt to Pleasure。「快楽への負債」では、たしかに意味が通りにくいが、「最後の晩餐」は固有名詞化しており、キリスト教やレオナルド・ダ・ヴィンチへのミス・ディレクションを誘う。それと、もう一つ。ミステリ仕立ての本という体裁をとっている以上、結末を暗示させるようなタイトルは避けるのが賢明だろう。

ミステリ仕立てと書いたが、裏表紙に附された書評子の評にそうあるからで、本文だけを読んでいれば、これは主人公の言う通り、料理百科事典と告白録、両方の特徴を兼ねそなえた書物としか読めない。かの有名なブリア=サヴァランの「料理学的哲学的自伝的著作」『美味礼賛』がヒントになっていることは、「序」に明らかにされている。

少しややこしいのではじめに整理しておくが、「序」を書いているのは、作者ジョン・ランチェスターではない。劇中劇ならぬ本の中の書物を書いているのは、タークィン・ウィノットというイギリス人である。つまり、この本自体が架空の作者によって書かれた「料理学的哲学的自伝的著作」という体裁をとっているのだ。

自伝風の回想部分から分かるのは、作者には芸術家の兄がいて、どうやら世間的には兄の方が有名であるらしいこと。兄は寄宿学校で学んだが、弟の方は「あまりに繊細で感受性が強すぎる」ので家庭教師に教育されたこと。ギリシャ・ラテンは言うに及ばず、西欧の文学・芸術からの衒学的な引用から分かる博識ぶり。さらには、イギリス人らしい諧謔の裏に仄見える一筋縄ではとらえきれないねじ曲がった性格。

とりわけ、料理に関する蘊蓄の深さは並大抵のものではない。やたらとルビ付きで紹介されるフランス語の多さからも分かるように、大のフランス贔屓らしい。冬からはじまって四季それぞれの特選メニューが目次代わりに巻頭に掲げられているほどだ。詳細なレシピ付きで語られる世界各地の美味、珍味、食材についての講義はそれだけ読んでも楽しい。もっとも、話は常に逸脱し、少年時の回想、隣人の噂話、兄の近況と、料理に纏わる逸話が次々と繰り出され、いつの間にかもとの話はなんだったか忘れさせられてしまう。

そうして読者を煙に巻きながらも、話のあちらこちらにさりげなく、終末に至るための目印が記されていく。すべてを読み終わったあとで、ああ、あそこに書かれていたのはこういうことを意味していたのかという感懐を抱かされるのが良質のミステリの条件だとしたら、その資格は充たしていると言ってもいいだろう。中でも、芸術家を自認する作者の、曰く「画家なら破棄した真っ白なキャンバスによって、作曲家なら沈黙の長さと深さによって」「芸術家は成さないことによって評価されねばならない」という芸術論が秀逸。

処女作にして、こういう作品を書くのはいったいどんな人物かと興味を抱いたが、訳者あとがきにある本当の作者、ジョン・ランチェスターの閲歴を見て納得した。『デイリー・テレグラフ』紙で死亡記事、『オブザーヴァー』紙で三年にわたりレストラン批評を連載、書評紙『ロンドン・レビュー・オブ・ブックス』の編集委員を務めているという。一時期ブームになった南仏プロヴァンスの風光明媚な景色を背景に料理、文学、その他の蘊蓄満載の一風変わった「小説」。ペダンティックな作風が好みの貴方なら必読。


 2004/10/19 『町角ものがたり』 池内 紀 白水社

題名どおり、ヴェローナからはじまり、ミュンヘンに終わるヨーロッパの町角を舞台に、薬局や時計屋といったどこにでもある店や、教会その他を素材に、淡彩画の趣きで、ささっとスケッチしたような短い文章が27編。各編のタイトルは「ローマのゲーテ館」や「ブダペストの鍛冶屋」のように、都市の名前と町角にある建物や店、広場の名前をあわせてつけられている。かつて訪れたことのある思い出の街を探して、そこから読み始めるもよし、一度は訪ねてみたい念願の土地から読むもよし。どこを選んでも、何か旅のヒントが得られるように書かれている。

押しつけがましさのない、さりげない書きぶりは、旅行ガイドにはない個人的な旅の記憶が影を落としている。どんな風にしてここに書かれたような旅をしたかが、あとがきに書かれている。「はじまりはカレンダーにしるしをつけること。年頭にあたり、十二か月分をめくっていく。三月・五月・六月・九月・十月・十二月。それぞれの月の二週間を赤いワクで囲む。旅程を先取りするわけで、早春、初夏、秋、年の瀬といろどりがいい。」

文筆業は零細企業。日程は注文とのかねあいである。先取りしても注文が入れば×をつける。×がふえると残りの赤ワクを青で囲む。絶対ゆずらないというしるし。かたく心に決めれば、段取りはわりと自由がきくのが個人営業のいいところ。あとは、格安チケットを探して小型トランク一つを提げて旅の空という。たいてい同じ町に三日なり一週間いて、あまり動かない。外国語が話せるから、町の中に入り込める。何気ない町角の風景が多いのは、名所旧跡よりも人々の暮らしの方に目が向くからか。

しかし、旅の空のこと。ヨーロッパの町や人々について書かれても、そこに長く暮らした須賀敦子の書く物のように深くは入り込まない。あくまでも旅人の視線はくずさない。その軽さがエッセイの風通しをよくしている。そうはいっても、ドイツ文学が専門のセンセイである。言葉のはしばしに蘊蓄がにじみ出る。パリのセーヌ左岸では、自分の訳したヨーゼフ・ロートの『聖なる酔っぱらいの伝説』で主人公が寝ぐらにしている橋はどれかと考え込んだりもする。映画も見たが、あれはどの橋だったのだろう。

「ドレスデンの聖母教会」では、鴎外の『独逸日記』や『文づかひ』から流麗な雅文体を引用したりもする。若い留学生の目が見た一世紀あまり前のドレスデンは『人目を眩まし、五彩爛熟たる』大都市だった。第二次世界大戦末期に起きた有名なドレスデン大空襲はその盛都を瓦礫の山にする。その瓦礫の一つ一つに番号をつけ、もとあった位置に収めていくという気の遠くなるような作業が、今ドレスデンで進められている。

ヨーロッパの町は、それぞれに固有の歴史を持っている。街角に立つ小さな店ひとつとっても、歴史の波に洗われてきている。そんな町角に暮らす人々のものがたりを、何気ない会話を糸口にして上手に聞き出し、ぽんとてのひらから取り出してみせる。とりたての野菜をそのままちぎって皿にのせたサラダのように、無雑作でいながら、食欲をそそられる語り口はあとを引く。カバーの絵や題字、各編の冒頭に添えられたイラストも筆者の手になる。洒脱なスタイルがエッセイによく似合っている。旅好きの人におすすめしたい。


 2004/10/11 『映画への不実なる誘い』 蓮実重彦 NTT出版

ただただ映画が好きという人がいる。暇を見つけては、せっせと映画館に通う知人を何人も知っている。そういう人には、この本は薦められない。なぜ「不実なる誘い」というタイトルがついたかといえば、「ただ映画が好きというだけの人たちに批判的な視線を向けなくてはいけない」と筆者が思っているからである。

東大総長に就任して以来映画について語ることを自ら封印していた蓮実が、久しぶりに口を開いた、これは三回にわたる連続講演の記録に手を入れたものである。定評のある蛞蝓がのたくった跡に揺曳する燐光のような独特の文体は影をひそめ、聴衆を相手に実際に何本かのフィルムを見せながら、お得意の誇張法や反語法のレトリックを縦横に駆使しつつ映画について語るプロフェッサーは実に楽しそうだ。

「批判的肯定」という言葉を、筆者は好んで使用する。たとえば、戦争の世紀とも国際紛争と大量虐殺の世紀とも呼べば呼んでしまえそうな二十世紀を、われわれはそれでも批判的に肯定すべきであると。事実、音楽にしろ絵画にしろコンサートホールや展覧会場でわれわれが耳にしたり目にしたりするのは、19世紀の物の方が圧倒的に多い。文学にしても事は同じである。そんな中で悪名高い二十世紀を代表する物こそ映画なのだと、蓮実は言う。

しかし、われわれは大量に映画を消費してはいても、二十世紀を分析・記述する対象として映画を見る視線を所有しているとはいえない。二十世紀を戦争の時代として済ませないためにも、すぐれて二十世紀的な媒体である映画をどう見たらいいのか。「国籍・演出・歴史」という三つの切り口で、プロフェッサーの講義が始まる。

「映画に国籍はない」とよく言われるが、モーパッサンの『脂肪の塊』を翻案した映画が地元フランスだけでなく、ロシア、アメリカ、日本を始め、お隣の中国にまであることにまず驚かされる。普仏戦争を西南の役に翻案した溝口の『マリヤのお雪』からはじめ、それぞれのフィルムを実際に見ながら、その差異を明らかにしてゆくのだが、必ずしも原作の書かれたフランスの映画がすぐれている訳ではない。

それを蓮実はモルフォロジーとテマティックという二つの言葉を使って鮮やかに解析する。モルフォロジーとは、物語の形態論的な一貫性を言う。『脂肪の塊』を例にとれば、「不幸な、しかし心の豊かな女性が、危機を逃れて、同国人と共に危険地帯を馬車でくぐりぬける」ということになる。テマティックとは主題論的な一貫性を指し、この場合、貧しい女性の自己犠牲が多くの人々を救うということになるだろう。たしかにこの二つを充たしながら、その細部を置き換えることでどこでも映画を撮ることができる。

構造は同じでありながら異なる力を波及させる映画のこの作用を二十世紀的なものとしてとらえてくるあたりが、いかにも構造主義の波を現場でくぐった蓮実らしい。D・W・グリフィスは、映画は「女と銃さえあればできる」と言ったそうだが、蓮実は「男と女と銃」と言い換える。この銃を他の何かに置き換えるだけで映画は作れる。「映画とはごく僅かなもので成立するものだ」という原則を、ヒッチコックの『汚名』を例に「男と女と階段」の映画だとして解析する二部も面白いのだが、紙数が尽きた。

「映画はキスだ」という持論や、バーグマンに向けられる屈折した視線など、講演ならではのくつろいだ話しぶりにふだんの映画批評からは想像し辛い筆者の闊達な横顔がうかがえるのも楽しい。「ただ映画が好きというだけの人」にこそ読んでもらいたい一冊。


 2004/10/5 『グランプリ』 ジョン・フランケンハイマー MGM

いつものようにニケに起こされて、深夜ならぬ朝方映画を見る。一目見て分かった。『グランプリ』。1966年のシネラマ映画だ。あの頃はシネマスコープやらシネラマやら、テレビには真似のできない大型画面の映画が多く作られた。映画界がテレビに危機感を感じていたからだ。ただで、動く映像が見られるのに、誰がわざわざ金を払って映画館に足を運ぶか、と映画界の人々が考えたとしても無理はない。事実、日本では映画産業は斜陽産業化していく。

大画面だけを売りにした映画はつまらない物も多かったが、この映画は、少しちがった。まず、その頃日本でもホンダのF1レース参戦が話題になり、自動車レースに人気が集まっていた。本場のサーキットで、実際に車載カメラでとらえた映像が、大画面いっぱいに映し出されるのだ。車どころか単車の免許もとれない子どもだったのに、映画館に足を運んだのを覚えている。

当時は、レースシーンに夢中で、レーサー同士のライヴァル意識や女性との恋愛などに、あまり関心がなかったらしい。今回見直して、なかなかよくできた映画だと、あらためて思った。特にイブ・モンタンが演じるフェラーリのドライバー、サルティのキャラクターが印象に残った。チームリーダーで、運転技術、人格とも傑出しているが、盛りを過ぎ、レース・ドライバーである自分に疑問を感じ始めている。そんな男だ。

いくら速く走っても、会社に雇われている身、自分の思うように生きられない。観客は勝者であるときは歓呼で迎えるが、事故現場にはハイエナのように群がってくる。虚しさのつのる日々。そんな自分を理解できない妻とは疎遠になり、新しい恋人、エヴァ・マリー・セイントと暮らしている。この二人の大人の恋がいい。モンタンはこの頃、絶好調だったのではないか。翳りのある男を演じて実に魅力的だ。

同じチームの若手ドライバーの恋人を演じているのが、当時の人気歌手、フランソワーズ・アルディー。アンニュイな雰囲気を身に纏った女の子で、まだ大人になりきっていない不安定なところが魅力的だ。あの頃は、この人しか目に入らなかった。今回は、主演のジェームズ・ガーナーとライヴァルのスコットとの間を行ったり来たりするスコットの妻の揺れ動く気持ちがとてもよく分かる。車のことしか考えられない自分を変えることはできない。それでも、他の男に走った妻を忘れられないスコットの気持ちも分かる。ずいぶん、大人になったものだ。

ずっと以前に見た映画をもう一度見るのは、楽しいものだ。本でも同じことが言えるだろう。当時は見ていながら、見えていなかったものが見えるようになる。ストーリーを追うのではなく、一人一人の役柄を楽しみながら、「うんうん。分かる分かるよ。その気持ち」と、一人うなずきながら見ていられる。おまけに、当時の自分の気持ちや、思い出が甦ってきたりする。何を見ても素直に感動できなくなってしまっている今日この頃。こういう体験は、なかなか貴重である。ついつい夜が明けるまで見てしまった。

 2004/10/3 『鶴/シベリヤ物語』 長谷川四郎 みすず書房

長谷川四郎というのは不思議な作家だ。簡潔でむだのない日本語を使って書いているのに、ちっとも日本の作家らしいところがない。それどころか、読んでいるうちに、そんなことを忘れさせてしまう。広大などこまで行っても果てのない平原や、凍てつくような寒気の中を寡黙に生きる男たちの姿は、その外在的な条件によって人間の中身までも変えられてしまっているのか、日本文学に出てくる大方の主人公とは、似ても似つかない。

シベリヤ抑留、酷寒の地での収容所生活という経験から想像される暗い色調や、悲惨な状況から必然的に引き起こされる陰惨な人間関係などというステロタイプ化された要素は微塵もない。長谷川四郎は、そのシベリア行きについて「その時のぼくは、シベリヤへ持っていかれたかった方なんだ。革命のロシアをちょっと見たい気もしたし」と、いろいろなところで語っている。皆が皆故郷に帰りたい一心でいたであろうその時に、シベリヤ行きを希望していたなどというのは、つくり話のようにも聞こえるが、『シベリヤ物語』の中に通奏低音のように響く音調は、それがむしろ事実に近かったであろうことを推測させる。

「わたしは戦争がなかったならば、小説みたいなものを書くハメにおちいらなかったろう」と後に回想しているとおり、長谷川四郎の作品には兵隊の生活をモチーフにしたものが多い。しかし、野間宏の『真空地帯』のように軍という非人間的な機構を告発するような作品は書かなかった。自分を棚に上げて他人を告発したり、またその逆に自分の非を懺悔してみたりするのは、戦争を描いた作品にはつきものである。そのどちらにも戦争に加担してしまった自分を自己弁護する精神が透けて見える。また、歴史的条件や個人の性向を抜きにした戦争という極限状態に置かれた人間一般という抽象論に陥ることもなかった。

四郎の眼は、日本や日本人のほうばかりに向けられてはいなかった。戦争といういわば非常時にあっても、多くの日本人の行動原理は平時とさほど変わらない。卑俗なものはとことん卑俗に、おべっかつかいはいっそうその度が増すにすぎない。それよりも彼の眼が見たのは、酷寒のシベリヤに生きる無名の異国の人々である。日本軍によって奴隷のようにこき使われる中国人の脱出行を描いた「張徳義」。怪我をして炭坑夫ができなくなった煉瓦工場の番人を語る「ラドシュキン」。力の用い方が日本人やロシア人とちがうため、乱暴に見られるが、ほんとうは「よい人間」である蒙古人「ナスンボ」と、彼の眼がとらえた男たちのスケッチは、日本の小説にはないくっきりとした輪郭を見せている。

いずれも、苛酷な運命を背負いながら、それに押しつぶされることがない屈強な男たちである。膂力もあれば、胆力もある。誠実で心やさしい人物が、皮肉な運命の前に傍目には悲惨とも滑稽とも見える人生を送らなければならない。作者は、共感は寄せながらも過度に彼らに寄りそわない。観察者の位置から彼らの悲劇的な人生を淡々と物語るだけだ。乾いた筆致に淡いペーソスが滲み、凍てついた空気の中に、時折ペチカの暖かみがまじりはするが。

作者の分身とも思える日本の兵士も登場する。この場合も人物の設定は大きくは変わらない。町の広場にあけた穴にたまった凍り付いた汚物を十字鍬で掘る作業を言いつかった「掃除人」の男も、ロシア人の嘲笑を浴びながらもノルマを百パーセント果たす気力と体力を持つ。ロシア語の能力を生かし、脱走を果たしながら、シベリア行きを目論んでのこのこ帰ってくる「選択の自由」の兵士も、どこか泰然自若とした風貌が日本人離れしている。

長谷川四郎は、林不忘、牧逸馬、谷譲次の三つの名前を使い分けた作家長谷川海太郎の四番目の弟である。アメリカでの無頼な生活を『テキサス無宿』に活写した兄と比べると、収容所の強制労働を主題にした四郎のそれは一見地味に見えるが、逆境の中、一本筋のとおった男の横顔を描くとき、血は争えぬものだという感懐を抱かされる。しかし、知名度とは逆に、弟のほうがクールで、その小説は今もって古さを感じさせない。近頃の小説に飽き足らないものを感じている人にお勧めしたい、読書子の渇を癒す短編集である。

 2004/10/3 『ヨーロッパとイスラーム』 内藤正典 岩波新書

アル・カイダのナンバー2と言われるザワヒリ氏が、日本への攻撃を示唆したというニュースが飛びこんできた。イラク攻撃の正当性を依然として訴え続ける米英はともかく、スペインを筆頭に他の国々は、米英二カ国に距離を置こうとしている。大量破壊兵器の存在が認められないというアメリカの発表は、イラク戦争の正当性について重大な疑義を自ら示したと言えるだろう。国連事務総長までもがアメリカに対してはっきり批判的な態度を表明した今となっても頑なにブッシュ大統領支持を訴え続ける小泉首相の態度は、反イスラム的態度ととられても言い訳できない。

郵政民営化でもそうだが、事態を冷静かつ客観的に見て取り、的確な判断を示すことより、自らの言い出したことに飽くまでも固執し、内実は捨てながら、名のみ残すことに拘泥する首相には、国を預かる資質があるのかどうか疑わしい。この人にとっては、国や国民より自分の方が大事なのではないだろうか。この難しい時代に、とんでもない人を国民は宰相に選んだものだ。

そもそも、イスラムに対する米英その他のヨーロッパ諸国と日本は同じ位相にはいない。ヨーロッパとイスラムには、日本などには窺い知れぬ長い確執がある。テロリズム対民主主義などという単純な図式で、イラク戦争の大義を訴えるブッシュ大統領の言葉を真に受け、名誉白人的な位置に自分を置こうとする日本という国に対して、アジアは言うに及ばず、ヨーロッパでもその行動に不可思議なものを感じているのではないだろうか。

筆者は、ヨーロッパにおけるムスリム社会でのフィールドワークの結果をもとに、移民に起きたイスラム復興の原因を明らかにし、ヨーロッパとイスラムの共生は可能かどうかという問題を設定する。ドイツ、オランダ、フランスの三国を中心に、それぞれの国におけるイスラム諸国からの移民の受容の違いを分析する部分は鮮やかで説得力を持つ。しかし、その分析の結果、明らかになるのは、二つの文化の共生は難しいということである。

イスラムは、まず民族を超越している。国家の法が神の教えと衝突する場合、国家や民族という概念より、ムスリムであることの方が優先する。国家や民族という枠組みの中で発展を遂げてきた近代ヨーロッパとは相容れないものがある。次に、個人と自由という規範性を尊重する西洋文明社会と、神の前にあっては個人の自由というものが存在しないイスラム的規範とがぶつかり合う。さらには、次々と新しい科学や技術を採り入れることを良しとする進歩主義的世界観を前提とする西洋文明と神の定めたものを絶対とし、その不変性、無謬性を疑わないイスラムの世界観とが衝突する。

キリスト教的な宗教観に基礎を置きながらも、政教分離により、それを相対化してきた西洋では、過去を否定することで人間は進化し、発達するものだという世界観を疑う者はいない。それに対し、イスラム世界では、神の定めた道が規範であって、人間が行った行為によって世界が進歩するなどという観念はもともと存在しない。女子学生のスカーフくらいがどうして大問題になるかといえば、このような人間観、世界観の違いが二つの世界にあるからだ。

イスラム世界と西洋文明社会との間に軋轢が生じたのは、西洋文明の側の傲りにより、世界が圧倒的なまでに非対称的なものとなったことに起因する。ヨーロッパが誇る哲学や自然科学などギリシア以来の知の大系は、もともとイスラム文明を経由した結果もたらされたものである。西洋世界が自らの世界観を絶対視せず、イスラム的世界を含めた世界を相対化することができれば、問題の解決も不可能ではない。テロの根絶などという硬直化した態度は事態を悪化させこそすれ、決して解決することはないだろう。

個人も自由も政教分離も、語の真の意味で、いまだ手にしたことのない日本は西洋的な価値観を伴にしているとは言い難い。かといって絶対的な神への帰依などという信仰心も持ち合わせてはいない。だからこそ、どちらの立場にも偏らない中立的な位置で問題の解決にあたれたものを、絶好の機会をみすみすふいにしてしまったのは返す返すも悔やまれてならない。

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