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From Russia with lag

ホテルの窓から見たモスクワ市内

 Измайловский Парк

モスクワに帰り着くと、市内も晴れていた。ホテルのすぐ隣にある地下鉄イズマイロフスキー・パールク駅は、大きな荷物や袋を下げた乗客で賑わっていた。シェルターの代わりを務めるため地下深くにまで掘り下げられた中心部の地下鉄とはちがい、周辺部のこの辺りでは、入り口から電車の入ってくるのが見える。7駅も乗れば赤の広場まで行ける。広場の夕焼けを見てみたいという気も少しはあったのだが、さすがに疲れていて、今からまた地下鉄で中心部に出ていく気にはなれなかった。

24時間営業のスーパーマーケットで麦酒を買ってホテルに戻った。22階の窓からはモスクワ市街が一望できる。雨の中、展望台に行ったのは何だったのかというもっともな疑問が浮かんだ。ようやく晴れたモスクワを眺めていると、下の道をぞろぞろと行列がいつまでも続いている。行列の起点は、ホテルの左前方にある奇妙なテーマパーク風の建物らしい。してみると、あれが話に聞いた自由市場か。それで、地下鉄駅が大荷物を持った人でいっぱいだった理由も分かる。

中心部にあるグム百貨店などの店はブランド品を並べ、ヨーロッパや東京のデパートと変わらない品揃えを誇っている。しかし、値段は高く、一般的な市民にはちょっと手が届かない。それらは専ら、ニューロシアと呼ばれるエリート層御用達の店となっている。それでは市民はどこで日常的な衣料その他の買い物をするかというと、市内各地に特設されているオープン・マーケット(自由市場)を利用するのだそうだ。特に土曜日、日曜日には一週間分の買い物をしたり、季節の衣料品を買い揃えたりするために朝から夕刻まで行列ができるという。今、すでに市場の閉まる午後五時をとっくに過ぎている。それでも行列はまだ途切れようとしない。

想像していた割には、ホテルをはじめ街中でも、特に気になるような事態に出会いはしなかった。かつては物不足と言われていたロシアも資本主義化が成功して、すっかりヨーロッパ社会の仲間入りを果たしたかのようにも見える。しかし、どうやらそれは一面的な見方でしかないようだ。ラテン気質の国のように、陽気に騒ぐ給仕もやたら愛想のいい売り子もいない代わりに、黙々と真面目に働く人々がいた。停留所で、駅で電車やバスを待つ風景は、勤勉な国民性を垣間見せる。それなのに、日曜日、人々はせっせとダーチャで農作業に励み、渋滞の中を帰ってくる。市内に残った人は、行列を作って日用品の買い出しに一日を過ごす。余裕のある暮らしぶりとは言えそうにない。アメリカでもそうだが、自由競争の原理が必然的に招き寄せる二極化が進んでいる。富める者と貧しい者の差の激しさは日本の比ではない。明日は一度、この目で市場をのぞいてみようと思った。

 自由市場

ホテル、イズマイロヴォ・ガンマ−デルタ出発は午後の便だが、二時間前に空港に着いているためには、午前中にチェックアウトをすまさねばならない。朝食を済ませて、荷物を作り終えたら、十時には開くという自由市場に行こうと考えていた。

ホテルは三つ星。あまり格付けにこだわる方ではないが、朝食の混雑ぶりには閉口した。三日間、少しずつ早くしたり遅めにしたりして時間調節を試みたのだが、いつ行っても混み合っていた。イズマイロヴォのガンマ棟とデルタ棟は繋がっているのだが、基本的に海外からの旅行者はデルタ棟に宿泊することになっているらしい。三日間よく顔を合わせたのは、中国から来た団体だった。お国ぶりなのだろうが、相席してもこちらには挨拶もくれず、隣の席や頭越しに同郷の者同士大声で呼ばわる態度にはなじめないものを感じた。サッカーの反日的示威行動を思い出し、この無視も同根なのかといらぬ心配さえする始末だ。どうやら「郷に入らば郷に従え」という諺は、中国にはないらしく、朝から即席麺ご持参で、自国の風習を通すのは立派だった。筒型の保温水筒には茶葉が入っているらしく、この二点さえあれば、どこでもチャイナタウン化してしまう。華僑の強さを思い知らされた旅ではあった。

ホテルの前には川が流れ、その周りは遊歩道になっている。散歩がてら、そこを歩き、隣接する市場をのぞこうと外に出た。ウィークデーでも賑わいは変わらないのか、早朝というのに、荷物を運び入れる車と買い物に来る人で、車道も歩道も行列が始まっていた。しかし、川沿いの道は、まだ覚めやらないのか、ベーグルを売る店だけが起きていて、市場の人か、朝食をとっていた。河原には例の肥った雀が丈高い草に鈴なりになって、こちらも朝食を物色中だった。市場と川沿いの公園を仕切るフェンスに、入り口が開いていて、そこから市場の中に入った。広い駐車場には中古のバスやトラックがぎっしりと並べられていた。どうやら、一晩中停めてあったものらしい。遠くから、ここに店を出している人たちの乗ってきた車の群れだ。

市場の中に足を踏み入れて唖然とした。そこはもうロシアではなかった。ワープのためのトンネルをくぐったように、エジプトのハーン・ハリーリやトルコのバザールが口を開けていた。二人通れば肩を触れ合わないではいられない狭い通りの両側に、ある区画は革製の衣料、またある区画は傘や靴という風に、ありとあらゆる製品が天井近くから地面すれすれまで所狭しと並べられ、客を待っていた。売り子の顔も、所謂ロシア人とは異なったアラブ風の顔立ちや、シルクロードを思わせる顔立ちなど、人種の坩堝の様相を呈していた。それに従って、食べ物もトルコ風のケバブあり、中華風の屋台ありと、何でもござれ。なるほど、これだけいろいろな国の衣料やら食料品が揃うなら、一日中ここで過ごしても飽きないかも知れないと感心した。HONDAのN360をプアマンズミニ・クーパーと呼ぶのに倣って言うなら、ここはプアマンズ・テーマパークかも知れない。

バルセロナの百円ショップで買った化粧品のパレットがいたくお気に召した妻は、どこに行ってもがらくた同様に積み上げられた化粧品の山をのぞいてみなくては気がすまない。今度も、光沢のある葡萄茶のマニキュアをトイレチップ用に持っていた10ルーブルで買い求めて悦に入っていた。生憎、帰国を前にして手持ちのルーブルを昨夜のワインで使い切ってしまっていた。ドルが通用しないマーケットではそれくらいの物しか買うことができない。特にほしい物もなかったので、見るだけにしてホテルに帰った。

上から眺めているだけでは分からなかったが、中を歩くとよく分かった、テーマパークのように見える異国情緒たっぷりの建物の下は、長屋のように小分けされ、それぞれ鑑札を持った業者が店を出しているのだった。それでも増殖してくる売り手のために、広い敷地の中にビニールハウスのように透明なビニールで屋根と壁を覆ったアーケードが列を作って並んでいた。ホテルの窓からは、昨日と変わらぬ行列が、この日も続いていた。

早速マニキュアを試していた妻が「あっ」と声を上げた。振り返るとマニキュアの瓶を子細に眺める妻がいた。固く閉まっていた栓を強くねじって開けたとたん、瓶の口が欠けてしまったのだ。「一回10ルーブルだったわ。」と、妻が笑った。机の上には見慣れぬ異国風の色に染められた爪が色鮮やかに十本並んでいた。
<了>
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