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DAYS OF COPEN

 2006/12/2 新大仏寺

天気予報では、今日は晴れ、明日は曇りとなっていた。朝からの晴れ間に心は躍り、オープンで紅葉見物ときめた。防寒対策に怠りなく、M-1フライトジャケットにロンドンで買った濃紺のマフラー、それに膝掛けとドライビンググローブを手に運転席に乗り込んだ。大きな仕事が終わったばかりで休息気分の妻は、今日は助手席がいいというので、久しぶりの運転席だ。

高速道路の両側には葉を落としはじめた木々が目につく。ネット上では奈良公園が見頃とあったので、行きつけの店で食事をした後、奈良奥山ドライブウェイを走る予定である。春日山原始林の中を抜ける道は未舗装区間もあるとか。楽しみなことだ。

いつものことだが、名阪国道にはいると雲行きが怪しくなってきた。サイドウィンドウを上げてあるので、寒さはどうってことないのだが、せっかくの紅葉の色が気になる。天理からは一般道だが、いつものように混んでいる。ナビが「新しいルートを発見しました。」と言い出した。一度、この新ルートに乗って往生したことがある。ゆめゆめ安心はならないが、奈良なら少しは土地勘がはたらく。乗ってみることにした。

帯解(おびとけ)という粋な名前の近くで交差点を右折し山沿いの道を走ること数分で、高畑へ出るいつもの通りに抜けられた。奈良公園は、あいにくの曇り空の下ではあったが、たしかに紅葉していた。しかし、黒い雲が日の光をさえぎっているため、いつもの陽気さが感じられない。天気の回復を待つ間、食事をとることにした。

行きつけの店には大きな駐車場があるが、これほど車でふさがっているのを見たことがない。結婚式でもあるのかと貸し切りを心配したが、営業中の看板が出ていた。二人用の席に通され、いつも通り芋粥膳を注文すると、品切れだった。昼限定メニューなので、時々こういうことがある。姫御膳とかぐや姫膳にした。妻は、前々から気になっていたこの店のすしを食べてみる気らしい。

店の窓は全面総硝子で、その向こうに日本式回遊庭園が広がっている。折しも岩の上の楓が色づき、奥山の秋の風景を演出している。空はどんどん曇ってきて、晩秋というより初冬の気配が漂っている。料理が運ばれてきた。刺身や天麩羅がならぶ膳を見ていたら、あったかい酒が飲みたくなった。帰りの運転は妻が引き受けてくれたので、今回はお言葉に甘えて呑ませていただくことにした。

竹取の翁の家を模して竹の皮でつくった屋根形の蓋を取ると、家の中には海老や卵焼き、小芋その他の料理が色合いも鮮やかに細々と詰まっていた。この店が気に入っているのは、この手の細々したもののひとつひとつがどれも手を抜かず、丁寧につくられているところだ。味は勿論、見栄えも好ましい。妻の頼んだ寿司も美味しかったが、この上にまだ、上、特上、厳選素材の寿司があるという。どんな味なのか気になった。

席を立って窓の近くに寄ったら、楓の葉が浮かぶ池の面にいくつもの小さな環が生まれては消えていく。いつのまにか雨が降っていたのだ。雨の未舗装道路というのは、ちょっとつらいものがある。ドライブは断念して温泉に浸かって帰ることにした。往きと同じ道を通って天理に出た。そこから名阪国道で大山田まで走り、さるびの温泉を目指した。

温泉のほど近くに新大仏寺という寺がある。東大寺の重源上人を開山とする由緒ある寺だそうだ。東大寺大仏像の原型とされる丈六の大仏があるとも聞いていたが、行ってみたことはなかった。今回は、いつもと逆のコースを辿るので、寺の前を通ることになる。せっかくなので寄ってみることにした。

駐車場に車を止めると大門の前に季節外れの桜が咲いていた。裏山は紅葉の盛りである。見渡せば花も紅葉もあるというのでは、洒落にならない。山門を通り越して寺域にはいる。紅葉を散り敷いた参道は訪れる人もなくひっそり閑としていた。大仏は、今は宝蔵館に移され、鍵がかけられている。拝観するには、社務所に声をかけねばならないという由が記されていた。雨の中をもう一度戻るの億劫で、大仏拝観はまたの機会にした。

もとの大仏殿には、今は十一面観音像が祀られていた。微かな灯明の明かりの中で拝むお顔は厳めしそうに見えた。その裏手に崖の石を穿ってつくられた岩屋があり、コンクリート製と思われる不動明王の像が立っていた。脇の二童子が眉目秀麗であるのに驚いた。不動ももとは石造であったのかも知れない。

雨の寺は寂寞としてもの寂しい極みだが、この寂しさにはまた別種のあじわいがある。山中に庵して、一日を風の音、雨の音の中で暮らす隠者の生活に心惹かれるようになったのはいつの頃からか。許されるものなら、退職後は、こういうところで心静かに余生を送りたいものだ、と温泉の湯に浸かりながら思ってみたことであった。

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