HOME | INFO | LIBRARY | JOURNEY | NIKE | WEEKEND | UPDATE | BLOG | LINK
 JOURNEY / BORDER OF EUROPE / DAYS OF COPEN / GALLERY
Home > Journey > Days of Copen >Kamikawa
DAYS OF COPEN

 2006/4/2 神川の桜

毎年、この季節が来ると、そわそわと落ち着かなくなる。桜の開花時期と休日の天気がうまく合うかどうかが気になって、週間天気予報とのにらめっこが続く。満開とはいわないが七分咲きか、散りはじめの頃には間に合いたい。花見の宴席は騒々しくて苦手だが、山間のひっそりとした集落で、人知れず咲く山桜の一もとなりと眼におさめたいと思い、隠れた名所はないものかと探しはじめるのだ。

大手の検索サイトは、花見の名所を揃えて情報を流してくれるのだが、有名なところは人出が多く、花より人の方が多いので辟易する。あまり人の行かない名所を、というのは虫のよすぎる話だが、それがあったのだ。以前行った七色ダムの近くにある神川の里がそれである。地図で探すと、天川や十津川峡に近い山の中にあった。

地図上では近くとも、名にし負う大台山系である。稜線ひとつ隔てたら峠道でもあらばこそ、なければ川に沿った道を一度下り、別ルートから遡上しなくてはならない。大都市圏から遠く、交通網も整備されていないからこその隠れた名所である。小一時間も走れば鄙びた温泉地もある。今年の桜はここで、と早くから決めていた。

薄曇りながら、日中は持ちそうというのがこの日の予報。日曜日は雨だという。花粉が雨で流れて車は二台ともひどい有り様。出かけるなら洗ってからにしたい。一度コペンで走った道なので、147で走りたいところだが、裏の駐車場で洗車可能なコペンで行くことにした。結果的にはそれが正解。昨日までの寒の戻りが嘘のような陽気に、沿道には桜ばかりか、連翹、雪柳、木蓮と、春の花々が今を盛りと妍を競っていた。

いつもとは逆に、この前教えてもらった260号を南下して、紀伊長島で42号線に合流し、尾鷲を過ぎた小阪から309号で神川へというルートである。260号線は日本の道百選に選ばれているだけあって、海を眺め、山を遠望してという変化に富む眺望が売りだと思っていたが、今回走ってみて、この道に桜が多いのに気がついた。

東宮という由緒ありげな標識を横目に上り始めた山道の両側には、大きく枝を広げた桜がアーチをつくっていた。柔らかな陽差しが桜の花弁ごしに車の中に降ってくる。振り仰ぐと、桜のトンネルの中を通り抜けていくようで、オープン・カーならではの究極のドライブを味わったのだった。山と海に挟まれて延びる道の傍らには学校も多く、人気のない校庭の周りに植えられた桜がひときわ鮮やかに見えた。

紀伊長島に着いたのが正午。道の駅で昼食をとった。妻の注文したのは真鯛のあぶり丼。軽くあぶった鯛の皮についた焦げ目の黒い見た目とは裏腹に、厚めに切った身のむっちりとした歯応えと、その旨味に、淡泊な魚の代名詞とばかり思っていた鯛が、こんなにも濃厚な風味を持っていたことにあらためて気づかされた。青紫蘇と白胡麻を散らした白飯はうっすらと酢をきかせてあってこれも旨い。新しいものが嫌いで、無難な定食を選んだ自分の保守性を恨んだのであった。

ダム湖の周囲には、ちらほらと桜が見えはするものの、桜の名所というには少なすぎる。この前、対向で苦労したダムの堰堤を通る道は落石で通行止めになっていた。仕方なく、来た道をそのまま前に進むと、心なしか桜の花がふえてきた。坂道を下りきったところに小さな川がある。その対岸に、雲のようにたなびく桜の花を見つけたときには息をのんだ。

吉野熊野国立公園七色峡。整地された公園の方に、立派な看板が立っていた。七色ダムのすぐ下流、堰堤を見上げる位置にある支流に沿って、桜並木が続いている。芝生の広場を挟んだ山沿いも、懐かしい木造校舎のある学校まで、桜の木で埋まっている。まだ七分咲きといったところか、イベントのためのステージも組上がり、飾り付けを待つばかりの様子で、家族連れが三々五々、ベンチや芝生の上で弁当を広げていた。

大音量のカラオケも、屋台もない。小さな子が駆け回るはしゃぎ声だけがする、のどかな花見である。見馴れぬ人に吠える犬の鳴き声が周りの山にこだまして返ってくる。
「あの犬、きっと自分の吠え声はあんな風だと思い込んでいるのね。」と、妻がつぶやいた。
シートの上で、花見の宴を開いている客も、昼酒に酔ったか、手枕で寝ころんでいる。あたりは森閑として、まるで隠れ里の花見のようだ。

神上(こうのうえ)という集落を抜けて、熊野を目指した。道沿いの田は、石を組んで作った囲いが段々になって丘の上まで続いている。苔むした石組みに先人の営為が偲ばれて、厳粛な気持ちになった。旧道を抜けると、オープン・カーがめずらしいのか好奇心いっぱいの顔でのぞき込まれる。紀州犬を見つけて、かまっていたら、畑仕事をしていた農婦が笑顔で頭を下げてくれた。昔この国を訪れた外国人が、口を揃えて礼儀正しい人々だと褒め称えた日本人は、今でもこういうところに残っているのだ、となんだか安心した。

湯の口温泉は、相変わらずひっそりとしていたが、この日から自動券売機がお目見えした。目の前で買って、受付で渡すだけなのに、導入した理由が分かりかねた。なんでも新しい方がいいわけではないのは、こんな鄙びた里にわざわざ足を運ぶ物好きがいることでも証明される。これ以上の機械化は避けてもらいたいものである。

特に加熱していないという露天風呂は、かなりぬるめ。逆に内湯の温度は他の温泉と比べても高い目である。よく温まってから、露天に浸かった。目隠しの塀越しに対岸の公園に咲く桜が見頃である。満開の桜の隣には大きな銀杏の木が立っている。秋には金色に染まるだろう。その頃までにあと何回ここを訪れるだろうか。十津川や湯の峰にも行きたいな、と暮れかけてきた空にふうわりと浮かぶ桜を見ながら、ぼんやり考えていた。


Picasaに写真があります >
< prev pagetop next >
Copyright©2006.Abraxas.All rights reserved.since 2000.9.10