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DAYS OF COPEN

 2006/3/26 名張・初瀬街道

オープン・カーは麻薬である。花粉症の症状が悪化することは分かっているのに、「どちらの車で行く?」と訊かれると、「こんな上天気だもの、もちろん、コペン!」と応えてしまう。見上げれば、雲ひとつない青空。昔の写真を見るとわかるが、開発当時の自動車はみな無蓋車。乗馬用コートに防塵マスクをつけて、颯爽と乗っていた。馬の代わりだから当たり前だ。現代日本では何がいいのかミニバンが主流。昔なら箱馬車である。乗馬の代わりにはならない。

仕事の区切りがついたので、この週末は温泉にでも入って、疲れをとる(といっても日帰りだが)予定だった。猪の倉温泉のつるつるのお湯に入って真っ昼間から露天三昧。お昼は自然薯とろろ飯と決めた。レモンイエローのオックスフォードシャツにバーバリーのニットベスト。チノの上に風よけのスウィングトップと、いかにも春らしい出で立ちである。

セブン乗りの知人も話していたが、オープン・カーは家から車を出すときが辛い。何も悪いことはしていないのだが、遊びに行くという雰囲気が全身をオーラのように包み込んでいるからだ。さらに、よくよく見ればセダンの中でもマスクをして運転している人が多い昨今。フル・オープンで走りに出かける二人をマスク姿の歩行者がエイリアンでも見たような顔で眺めていた。

23号線は相変わらずの交通量だが、165号にはいると、ぐっと走りやすくなる。排気ガスもなく、周囲の景色ものどかな田園風景に変わる。梅は盛りを過ぎたが早咲きの桜がちらほら見える中を気持ちよく走って温泉に着いた。まずは食事。妻は春旬菜弁当。筍御飯に天麩羅や刺身が付いている。山の中だが、刺身が美味かった。とろろの方は自然薯を晒した酢が少々きつかったのか、酸っぱさが残っていたのが残念。

土曜日だったが、お昼時でもあり、温泉はすいていた。サウナで汗を流したあと、庭園露天風呂にあるベンチで一休み。丸太を削った白木のベンチに寝ころぶと火照った体に風が心地よい。体についた水滴が乾くと日射しは思いの外強かった。何も身につけていない訳だから、ヌーディスト・ビーチで日光浴をしているようなものだ。少し冷えてきたので湯に浸かる。岩にもたれると、湯けむりの向こうに青山高原が借景となって広がっていた。

まだ日も高いので、名張まで走ることにした。以前一度行きながら探し当てることのできなかった江戸川乱歩誕生の地を見つけたいと思った。今度はナビという強い味方があるからだ。ところが、タッチパネルに、江戸川乱歩と打ちこんでもナビからはなんのデータも得ることができなかった。このナビ、あまり文学的ではないようだ。

とにかく市街地まで走り、「江戸川乱歩誕生の地」という看板のあるところを右折した。見覚えのある川沿いの道を走ると、風景が急に懐かしく感じられた。気のせいではない。川を挟んだ向こう岸は昔風の低い家並みが続いている。道沿いの修理工場で尋ねると、もう一つ向こうの橋を渡った辺りで訊いてくれとのこと。どうも、乱歩先生、あまり有名ではないらしい。

子どもの頃、探偵団員であることを示すBDバッジや少年探偵団手帖は今の言葉でいう必須アイテムだった。『少年探偵団』を連載中の雑誌に応募するともらえるのだが、物のない時代、鋳物のバッジや黒革まがいの表紙に天や小口に金を塗った手帖は輝いて見えた。「勇気凛々瑠璃の色」という少年探偵団の歌を口ずさんでは、よく町内を駆け回ったものだ。

『怪人二十面相』を書いた江戸川乱歩は、探偵小説の第一人者であるばかりでなく『パノラマ島奇譚』や『押し絵と旅する男』などの怪奇幻想小説作者でもあった。少年時代のアイドルに再び巡り会ったのは大学生時代。当時、怪奇幻想小説の一大ブームが起こったからだ。講談社から出版された全集を古本屋で買い求めたのだが、その挿絵を描いたのが当時売り出し中の横尾忠則だった。

パノラマ島のモデルのS島は、鳥羽市にある坂手島。祖母はその島の出身だった。鳥羽にある造船所で働いていた乱歩は坂手島の女性と結婚したらしい。その人が祖母の友人だったと、子どもの頃聞いたことがある。何艘も並べた舟の下を潜ったり、遊動円木から落ちたりした武勇伝をもつお転婆の祖母は、乱歩のお眼鏡に適わなかったのだろう。

生誕の地まで0.8キロという看板はあるのだが、肝心のその場所に行き当たらないのは以前と同じ。ふと思いついて市役所を検索した。すると郷土資料室というのが見つかった。そこに行けば何か分かるだろうとナビに案内されるまま道を走ると、見覚えのある家並みが続く。前にも走っている。着いたところは小高い丘の上。高い木の梢越しに細かな光を浮かべた名張川が銀の蛇のように横たわっていた。途中で気がついたのだがこの日は土曜日。市役所の管轄である郷土資料室は閉まっていた。

それでは、と隣の図書館を訪ねると、思った通り江戸川乱歩コーナーがあった。壁に貼った絵地図には、生誕の地の碑は病院の中庭にあると書いてある。それでは見つからないはずだ。パンフレットでもないかと訊くと図書館にはないそうで、どうやらこれも市の観光課の管轄らしい。乱歩コーナーまであるのにと思いながら、図書館を後にした。妻が地図にあった栄林寺で検索してみたら、これが大当たり。川に沿った細い裏通りを抜けると、「目的地周辺なのでガイドを終わります。」とナビが言った。

後ろから車が来たので、傍らの空き地に入ろうとハンドルを切ったとたん、車体の前部でガギッという嫌な音がした。「やっちゃった!」と、妻が青い顔をしてつぶやいた。車を降りて確認すると、ボディに損傷はないもよう。牽引フックがこすったらしい。盛り上がったコンクリートに見事な跡がついていた。147も低いがコペンの車高も低いことをあらためて思い知らされた。傷ついたのがフックだけと分かるとケロッとして妻は言った。
「どうせ牽引は無理という車だから、気にしない。」

町内の案内板に従って車を進めると、初瀬街道と書かれた旧道には、怪人二十面相のイラストが至る所に描かれていた。一度、通り抜け、広い道の路肩に車を停め、歩き出した。軒の低い昔ながらの家屋が軒を連ねている。一軒の店の前に鈎型の矢印のついた看板が立っていた。露地に入り、もう一度折れたところに生誕地の碑があるようだ。猫が昼寝をする駐車場を過ぎ、自転車しか通れないだろう細道を十メートルも歩くと、道沿いの家の庭にそれはあった。

道をはさんで建つ二軒の家が町病院らしく、通り道のためか半透明のトタン屋根が道の上に架かっていた。石造りの立派な碑だが、なるほどこれでは車からは見つからない。市民が場所を知らなくても仕方がない。旧街道の裏手にひっそりと建つ碑を見ながら、昼なお暗い土蔵の中、蝋燭を点して小説を書いたと噂される乱歩のことを思った。頼まれると断れず、意に染まぬ少年物を書きとばしたことから厭人癖がつのり、土蔵に籠もったようだ。語り口調を生かした独特の文体は、子ども心にも、ずいぶん魅力的なものだったのだが。

車が擦れ違うのがやっとという道幅の旧街道には、細川家という旧家が現存するが、それ以外の家は、少しずつ手を入れたり、建て替えたりするのが目立つ。櫛の歯が抜け落ちるように古い街並みから旧家屋が消えていくのは何処も同じである。すっかり取り壊され、更地になった空き地に、土蔵だけがぽつんと立っている様子は何やらものさびしい眺めであった。

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