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DAYS OF COPEN

 燈台行

約束の日が来た。今日は、最近妻が加入したクラブの仲間とツーリングをする日だ。コースになっている海沿いの有料道路は片側一車線。後ろにぴったり付かれると、プレッシャーがかかる。つるんで走るなんてことは初めての経験なので、運転を仰せつかった。大荒れになるという天気予報は外れ、風こそ強いものの、雲ひとつない上天気になった。昨日より五度低いという予報に、いつもより念入りに身支度をして、愛用のDAKSの膝掛けも手に持った。

同じ型の車が縦列を組んで走るのをムカデ走りというそうだ。新しい車は人気車種で、同好の士がクラブを作っている。関西を中心にした集まりで、休日はほぼ毎週どこかでオフ会が開かれているようだ。悲しいかな、大阪近辺まで出かけて行って、向こうでムカデ走りを楽しみ、とんぼ返りをするほどの体力がない。そんな妻の気持ちを知って、わざわざこちらに出向いてくれるという話がまとまった。はじめは勤労感謝の日を予定していたのだが、都合で今日に変わったのだ。

約束の場所で待っているとほぼ定刻に、二台の白いコペンが現れた。クラブのBBS仲間のYさんとHさんだ。とは言っても、ネット上での話。顔を合わすのは今日がはじめてだ。新入りの妻の一番の話し相手になってくれたYさんは、ネット上では軽口を飛ばす愉快な人だが、実物は至って無口。友人のHさんが渉外担当を受け持ってくれている。ひとしきり車談義に花を咲かせたあとは、朝熊山スカイラインに向かった。

通行料が高いので、めったに通らない道路だが、それが幸い。どれだけ飛ばしても前の車でつまることがない。ワインディングロードを攻めるには絶好の道だ。途中、山頂近くの金剛証寺に参拝した。父の葬儀のあと、卒塔婆を納めに参拝して以来になる。この地方では近親者が死ぬと岳参りと称して、この寺の奥の院に続く道の辺に人の背丈の二倍ほどもあろうかという卒塔婆を納めるのが慣わしだ。大小様々な卒塔婆がびっしり並んだ道は昼なお暗く、幽暗な雰囲気を漂わせている。たださえ寒い山の上だ。観光気分に浸るようなところでもない。早々に退散した。

山を下りると鳥羽の町に出る。ここからは海沿いの集落を繋いで走るその名もパールロードという有料道路を使う。リアス式海岸の入り組んだ海岸線を縫って走るこのコースもワインディングロード。一部有料だが、それ以外はフリーで走れるので、多くのツーリング客で賑わっている。途中の展望レストランで昼食をとった。以前来た時には、めひびうどんが美味しかった記憶があるのだが、今では洒落たイタリアンレストランが出来ていた。うどん屋はと探すと、セルフサービス形式ながら、ちゃんと残っていた。めひびのとろっとした食感が、磯臭い匂いと相俟って海に来た、という気持ちにさせてくれる。Hさんは「麺は名古屋に近いので太い。つゆは関西風やな」と、いいながら食べていた。伊勢うどんの方を食べてもらえばよかったか、と後で思った。「溜まり」を使ったそのつゆの色は真っ黒で、はじめての人は「これはソース?」と一瞬食べるのを躊躇する。食べてみれば独特の柔らかい麺によくつゆがからんで、美味しいことは保証するのだが。

四人がけのテーブルには妻とHさんが向かい合って座っている。目の前のYさんは相変わらず無言でうどんをすすっている。Hさんはコペンを作った会社に勤めている。車の話題で話がはずんでいるようだ。
「二人とも出不精だったんですが、この車が来てからは毎週どこかに走りに行ってるんですよ。」
「人生変わったでしょう。」
まさか、人生が変わったりはしないが、生活スタイルに変化は出た。活動的になったといえばいいのかもしれない。本を読めないのは残念だが、智に働かないので角が立たない。おかげで人並みの会話が成立し、これはこれで精神的にもいい影響が出ている気はする。

次に向かったのが安乗岬。木下恵介監督の『喜びも悲しみも幾年月』のロケ地として有名な場所である。知人に書いてもらった手書きの地図で迷わずたどり着いたが、聞いてた通り灯台に近づくにつれどんどん道が細くなってゆく。最後には小さなコペンがやっとという細さ。映画で見覚えのある松林が見えるとほっとした。ここの灯台は円柱ではなく四角柱の珍しい形をしている。芝生の広場が開け、気持ちのいい空間になっていた。

6時には家に着いていなければいけないというHさんはここで離脱。Yさんとニ台で次の目的地である大王崎に向かって走り出した。海岸沿いの県道は交通量が少なくて気分よく走れるが、道幅はせまく対向車に出会うと一苦労だ。バスが来たので、道路脇に除けると、運転手がピースサインを送ってくれた。小さなオープンカーは、威圧感がないぶん笑顔を誘うらしく、どこでも好い出会いがある。

波切漁港に着いた。丘の上に灯台は見えるのだが、車では行けないらしい。有料駐車場の看板が見える。しかし、歩けばかなりの距離だ。
「わたし、ちょっと行って聞いてくる。」
そう言うなり駆けだしていた。
すぐに戻ってきた妻は言った。
「少し上に行ったところにも駐車場があるって、やさしいおばさんだったわ。」
小さな車は取り回しがしやすい。急斜面の坂道を上ると、なるほど駐車場があった。

切り通しの上に葦簀を掛けて、土産物店が軒を連ねている。季節外れの海辺に人は見えず、シャッターを閉めた店も多い。それでも、元気な老女達が客に声をかける。子どもの頃の海水浴場を思い出す貝殻を詰めた籠や、貝殻のネックレスが埃っぽい台の上に並んでいる。海女の絵を描いた等身大の看板は絵柄そのものが昔のままで、まるで時が止まったようだ。江戸川乱歩や朔太郎が描いた海浜風景が目の前にある不思議さに眩暈を覚えた。

大王は絵描きの町として知られる。灯台を描くための場所は公園になっていて、そこから見た灯台はたしかに一幅の絵のようだった。ただ、あまりに絵のようで、撮ってきた写真を後で比べて気がついたのだが、安乗も大王崎も、ひらがなの「て」の字の、左上に白い灯台を配し、左下に湾曲した断崖、右に海という全く同じ構図に収まってしまう。八の字を書けば誰でも富士山が描けると言った岡本太郎を思いだした。

大阪に帰るYさんが土産を物色しているのを見てて声をかけられた。
「お兄さんもどう?」
「いや、僕はこの辺だから、今日は案内。それより景気はどう?やっぱり夏だけかなあ。」
「いやあ、客は来るんだけど、なにも買ってくれなくなったねえ。」
「どこでも買える時代になったからかなあ。」
「時代が悪いよ。」
映画に出したいようないい顔をした老女だった。話をしているうちに、こちらもそんな世界に入り込んでしまっていた。何ほども品物の乗っていない台の上を片づけかけた老女をそこに残し、車の所に戻った。振り返ると陽を浴びた日除けのテントが風にあおられて大きくふくらんで、やがて静まった。さっきまでそこにいた老女の姿はかき消え、水を打ったような陰を敷いた坂道だけが灯台の方に続いて至るばかりだった。

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