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DAYS OF COPEN

 2006/1/30 湯の口温泉

イヴァン・イリイチが「貧困の現代化」という言葉で言い表しているが、便利さに慣れると今まで平気だったものが不便に感じられてならない。カー・ナヴィゲーションもETCもその一つである。一度ナビ付きの車に乗ってしまうとナビのない車はいかにも不便に感じられる。布目ダムで迷子になりかけたのに懲りたからか、ETCの次はコペンにナビをつけたいと妻が言い出した。

もとより異論はない。他県の人とオフ会に行く妻の方がナビの恩恵を被ることは格段に多いだろう。優柔不断な亭主とちがい、決めたら行動に移すのは早い。先週カー用品の大手専門店に下見に行ったと思ったら、今週末には取りつける手はずになっている。予約でいっぱいの中に無理矢理突っ込んだから、仕事の合間合間で作業をするので、一日がかりになるという。機種はP社の人気商品、楽ナビ。運よく在庫があってその日の夕刻には取りつけが完了した。

ナビ搭載完了ともなれば試走しない手はない。よく晴れた日曜日の朝、さっそくテストドライブと相成った。土曜日、コペンにナビを取りつけている間、147で長島にあるジャズドリームまで走っているので、北はやめ、南に走ることにした。ナビで温泉を検索すると県内の主だったところはほぼ行き尽くした感がある。距離の近い方からリストアップしていくと最後の方に湯の口温泉がひっかかった。熊野市から川沿いに遡行した山の中、距離にして片道160キロ、4時間余の行程である。日帰りには少々厳しいものがある。行けるところまで行き、だめだったら引っ返そうという気持ちで走り出した。

風がなく雲一つない小春日和。英国でいうインディアン・サマー。気持ちのいい日差しについついトップを開ける気になった。久しぶりのオープン走行。アルファの乗り心地に不満はないが、オープンの気持ちよさは特別である。42号線まではログハウス作りで何度も通った道、ナビがどの道を指定するか興味津々である。案の定、一区間だけの高速に乗せようとするあたりルート探索は機械的な気がする。しかし、それ以外はまあまあ妥当な道を選んでいるので安心した。

42号線に入るとほぼ一本道。道なりに走るばかりでナビの出番は少ない。CDを聴くことにした。最近のナビはミュージック・キャッチャーという機能があり、CDを再生すると自動的にハード・ディスクに録音される。二回目からはCDを用意する必要がない優れものの機能である。記念すべき一曲目はラフマニノフのピアノ協奏曲2番、妻の大好きな曲だ。しかし、オープン走行では嫋々たる出だしはほとんど聴取不可能。信号で止まって初めて曲が聞こえた。やはりオープン時はジャズの方が無難だ。コルトレーンに変えた。すでに発売済みのCDなら曲名、演奏者は自動的に書き込んでいくから、ディスコグラフィーが簡単に作成できる。便利になったものだ。

荷坂峠を越えると、空の高みに水平線が浮かんで見えた。折り重なる山並みの彼方に光る海。いつものことながら神秘的な光景だ。下界におりてくると、海は午前の光を帯びてきらきら輝いている。民家の低い甍がその光をはね返してよこす。小津や木下の映画で見たような懐かしい日本の風景がそこかしこに残っている。

紀伊長島に着いたのが正午。道の駅に車を止めた。奧の方に入り江に面して小さな食堂がある。このあたりの名物はおむすびを高菜で巻いためはり寿司だが、御飯が多いわりに中に具が入っていないので、食べあぐねる。妻が買ってきた食券はさんま寿司がついたうどんのセットと海鮮丼。鮪にハマチ、海老にイカの刺身を胡麻をふりかけた菜飯の上に置いた海鮮丼は、ネタがいいのか上々の味。味噌汁と香の物付きで850円だった。

お昼をすませて道に戻った。尾鷲の町を過ぎたあたりでナビが「新ルートを発見しました。」と話し出した。面白そうなので、その新ルートとやらに乗ってみたのだったが。幹線道路を離れ奈良県北山村に向かう道を示している。以前この辺を走ったことがあるので覚えているが秘境大台ヶ原へのルートではないか。嫌な予感が脳裏をかすめた。子どもが小さい頃山の中で燃料が乏しくなりひやひやもので尾鷲まで下りてきたのを思い出したのだ。

昔ながらの看板が懐かしい煙草屋のある小さな集落を通り抜け、ほとんど車の走らない川沿いの道を走りながら、しだいに山に近づいていた。橋を渡り細い林道をどこまでも辿るうち、七色ダムという標識に出会った。ナビはその堰堤を渡れというのだ。途中まで走ると予感が的中してダンプがやってきた。とても対向はできない。細い堰堤をバックする。ステアリングを握る妻は「私バック苦手なのよ。」と顔が引きつっている。どうにか、すれ違えるところまで戻り、ダンプをかわした。

悪いことは続くもので、次の山道は延々と続く工事中の未舗装路。タイヤが小石を巻き上げる音が時折タイヤハウスにこだましてカランカランと響く。こんなところにも集落があるのかと思うほど山の中の村を抜けると、ようやく紀和町に着いた。妻によれば標識にある板屋は、妻の父祖の地だそうな。不思議な巡り合わせを感じる。ここから目指す湯の口温泉まではあと少し。

湯元山荘湯の口温泉は山道の奥まったところにひっそりと建っていた。素朴な山小屋風の造りが湯治場の雰囲気を残している。入湯料はなんと300円。脱衣場で服を脱ぐと中に入った。高い天井は黒ずみ、いかにも山の出湯らしい雰囲気が伝わってくる。遠路はるばるやってきて、真新しい建物に出会ったりするとがっかりする。その意味でもこの佇まいはうれしい。

石造りの内湯は45度の源泉かけ流し。飲むと少し塩辛いらしいが、匂いも色もなく、さらっとした肌触りである。しかし、その効能は評価が高く、プロスポーツ選手も訪れる人気の温泉として知られている。川に面した露天には先客がいた。話し好きらしく、いろいろ教えてもらった。尾鷲の人で毎週来ているそうだ。去年できたばかりの屋根が不満らしい。たしかに雪の舞う中で入る風流さがなくなったと思う。目隠しの壁も男湯には必要ないという意見も納得できる。ただ、川の向こうが公園になっている。目隠しはそちらの都合だろう。

湯に浸かって老人たちの話を聞いていると、どうしてこんなに心がほどけてくるのだろう。それが自分でも不思議だった。小さい頃は家に風呂がなく銭湯に通っていた。自分の家を建ててはじめて一人用の浴槽に入るようになったのだが、体を洗う用は果たせても、心をほぐすには何かが足りないのかも知れない。身を飾るものも隠すものもない中で見も知らぬ他人に混じって湯に浸かる。不用心といえば不用心だが、お互い様だ。世知辛い世の中でここだけは別世界。できれば長逗留を楽しみたいところだが、今はまだ無理。退職後には日がな一日ゆっくりと湯に浸かっていたいものだと、今から楽しみにしている。

受付近くの売店で雉肉を見つけた。200グラム1300円は高価だが、滅多に食べることもない。話の物種に買って帰ることにした。夕暮れの山道は剣呑だ。帰り道は来た道ではなく熊野に出る道を選んだ。何のことはない。広い道が七里御浜の松林の見える国道に続いていた。子どもが小さかった頃、この砂浜でお昼を食べていて、大波を頭からかぶって下着までびしょぬれになったのを思い出した。旅に出ると「来なければよかった」を繰り返す憂鬱質の長男だけが素早く逃げて難を逃れたのが、思い出しても可笑しくて二人して笑った。海に目を遣ると、日の暮れかけた空に獅子岩が怪異な横顔を突き出していた。その下で熊野の海は静かにやすらっているように見えた。

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