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DAYS OF COPEN

 走り初め

夜が明けきるまで、ニケに起こされることもなく眠ったのはしばらくぶりだった。前がいつだったのか覚えてないほどだ。起こしに来ないと来ないで、またそれが心配になる。階段を下りたらこども部屋からニケが出てきた。うれしそうに跳ねながら先に立って居間に入っていく。どうやら、帰省中の二男が相手をしていたようだ。

ニケに誘われて窓に来た。風もなく、すっかり晴れ上がった空には雲ひとつない。元旦は、朝から屠蘇代わりに永源寺で買ったシャルドネ種のワインを飲んだので、運転はやめておいた。寒い日だった。外に出たのは年賀状の返事を出しにポストまで歩いた時だけだった。ステアリングは握っていない。一夜明けた今日は、走りぞめにはもってこいの日だ。

去年の暮れに買ったばかりのツィードのハンチングをかぶって外に出た。黒革のジャケットは正月には少しスパルタン過ぎる。ボアつきのランチコートで揃えた。妻の帽子はツィード製の耳あて付きだ。行き先を決めずに出かけることにした。近くにある神社への参拝客で混み合うので、正月中は道路が通行規制されている。走れる道を探して行くしかない。

結局、初日の出は見られなかったが、海沿いの道を走ることにした。他府県ナンバーが目立つ。鮑、栄螺、伊勢海老と海の幸に恵まれた土地だ。両宮参拝をすませた観光客が足を伸ばすのだろう。大小二つの岩の間から日が昇るキッチュな絵柄で有名な夫婦岩も注連縄をかけ替えたばかりだ。ふだんは閑散とした観光名所だがこの時ばかりは賑わっている。

合併流行りの昨今、我が市も近隣の町村と今年の暮れには合併する。今はまだ隣町だが、ここも来年の正月には同じ市になるわけだ。芭蕉が「蛤のふたみに分かれゆく秋ぞ」と詠んだ地名は、何らかの形で残ることにはなるのだろうが、歌枕などというものには何の価値も認めないのか、全国の由緒ある地名が大合併の陰で消滅することになるのは何とも惜しい。

道は思ったよりも混んでいなかった。漁も休みか、内海には大小の漁船が穏やかな新春の陽を浴びて繋がれていた。どうやら定番のドライブコースになった海沿いの道。カーブの外側に来るとどこまでも続く空と海が視界に飛びこんでくる。ピラーがない分、景観がパノラマで見えるのがオープンの利点だとあらためて気づいた。展望台にはやはり人が集まってきていた。ふだんはあまり需要のない観光用のヘリコプターが次々と客を乗せて忙しそうに発着を繰り返していた。大人五千円という料金も、お屠蘇気分の観光客が財布の紐をゆるめるには丁度いい金額なのだろう。

景観道路の終点を示す赤い橋の手前で右折し、的矢湾の堤防沿いを走って帰ることにした。すっかり凪いだ海は午後の日を受けて眩しく光っていた。峠越えの山道に入ると、紅葉も終わって冬支度をすませた木々の細い枝の先ばかりに日が当たり、山陰の道はぐんと冷える。トンネルを抜けると、御裳裾川に架かる橋に出る。橋の上から参拝客の車で埋めつくされた河川敷が見えた。参拝はあきらめて帰ることにした。家に続く道は空いていたが、反対車線には車の列がずっと続いていた。

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