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DAYS OF COPEN

 有久寺温泉

異常気象が今年ほど身近に感じられたことはなかった。師走の声を聞いて、はや十日。例年ならインディアンサマーと呼びたい暖かな日和も、こう毎日が温かくては小春日和と呼ぶ訳にもいくまい。風は少し強いものの雲ひとつない晴天である。妻はさっき洗ったばかりの愛車で出かけた。用事を済ませたらすぐ帰ってくる。それまでに行き先を決めておかなければならない。

前々から一度訪ねてみたいと思っていた有久寺(ありくじ温泉は、東熊野にあるひなびた一軒宿である。国道42号線を西に走り、南に下り、紀伊長島から少し山に入った辺りだ。もう少し走ると、川湯や勝浦、白浜といった有名な温泉地がある。それらの温泉地は子どもが小さい頃に何度か訪れたことがある。有久寺は泊まるにはあまりに近すぎて、いつも素通りしてしまっていた。山奥の一軒宿では子ども連れには寂しすぎることもあった。

家をあければニケが寂しがる。そう思ってここ何年か、子どもに留守を頼める夏の間をのぞいて、泊まりがけの温泉旅行にはご無沙汰をしている。ドライブの途中、立ち寄る「道の駅」にも最近では温泉つきの所もあって、入ってみようかと思うこともあるのだが、男とちがい、女性は風呂上がりに何かとケアがいるらしい。前もって準備してないのであきらめることが多かった。

フル・オープンで走るのだ。いくら温泉で温まった後といっても湯冷めの心配もある。どうかなと思って切り出すと意外にも妻はあっさり承知した。最小限必要なタオルや化粧品を小さな手提げにまとめ、今度は膝掛けも忘れずに持って家を出た。地図は持たなかった。温泉宿を紹介した本にも詳しい地図は載ってなかった。かつて道沿いに看板を見た記憶がある。行けば分かるだろう。

市街地を抜けると雲が出てきた。山小屋造りをしていた頃、週末ごとに通った道だ。真っ直ぐ走ると小屋のある山に続く別れ道を今日は左に折れた。紀州路に続く42号線である。空の上に長い橋が架かって、何台もの工事用車両が並んで停まっている。近畿自動車道の完成も間近に迫っているようだ。そこかしこに巨大な橋脚が立ち並ぶ様は長閑な田園風景と相容れない。完成後には自分も走ることになるのだろうが、あの高みを走るのかと思うとぞっとする。

南に向かって走ると、また陽差しが戻ってきた。思いなしか気温が高いような気がする。膝掛けの効き目は抜群で、寒さはまったく感じない。降りそそぐ陽を浴びて走る気分は格別である。信号で止まったのは山間の小駅だった。国鉄時代から変わらぬ赤茶けた石の土手には汽車を待つ人影もなく、時間が止まったような光景にしばらく見ほれていた。一時間あまり走っただけなのに、まるで旅に出たような気分だ。

荷坂峠の上で車を止めた。マンボウの丘と名づけられた展望台からは熊野灘が霞に煙って嶋影がまるで空に浮かんでいるように見える。ゆらゆらと照る日は南国の海を神話の国のように見せている。山城や大和の国からはるばる熊野古道を越え来て、この光景を見た古代の人たちが補陀落渡海を思い浮かべたのも分かるような気がする。

荷坂峠は名にし負う難所。急カーブの連続する下り坂を一気に走り下りる。遠心力で大腿部の外側が車体に押しつけられる。バケットシートにベルトで固定していなければ、上体ももっと揺れるところだ。ステアリングを切りながら小型車ならではのシャープなレスポンスに思わずにやりと笑みがこぼれる。この感じがたまらない。

紀伊長島に入ったところで昼食を摂った。臨海公園内の道の駅はかつてはテナントが並ぶただのドライブインだったところ。すっかり整備され、芝生の広場では子ども連れが折からの陽差しの中でくつろいでいた。年配の客もテラスのテーブルで食事をしたくなる暖かさだ。熊野に来たらめはり鮨と秋刀魚鮨だろう。それに地蛸稲荷とあおさ汁がセットになった定食を注文した。妻はめずらしくねぎとろ丼。お椀を一つ貰って半分ずつ食べた。海産物がたくさん並ぶ店内には、好物のからすみもあったが、地物にしてはいい値だった。鯔の卵巣を乾燥させた物だから左右対で一組になっている。片方だけのパックがあったら買いたいところだ。

店の前にある大きな地図にも有久寺温泉の標示はなかった。記憶だけを頼りに道路脇の看板を探すことにした。駐車時に閉めたトップを開けていると、隣の車から老夫婦が笑ってこちらを見ていた。トランクに収納し終えたのを確認し、軽く会釈をして車を動かした。走り出してすぐ男性の方が車から出てきたのに気づいた。きっと、何か話したかったにちがいない。この車に乗るようになってから、そういう出会いが多い。

看板はあった。記憶通り、道路の右側に。ただ、もっと寂れた場所だったように覚えていた道は大きなガソリンスタンドができ、すっかり様変わりしていた。よく見つけたものだ。こういうとき、遠目のきく妻は頼りになる。右に入る道を探しながら走っていると、橋の入り口に看板があった。「有久寺温泉ここを右折」。あわててハンドルを切った。遠くから読める位置ではない。欄干と同じ高さに立っている。もう少し早めに出しておいてくれないかなあ、とぼやきながら川沿いの道を山に向かって進んだ。

集落を抜けたあたりから道はだんだん細くなり、杉落ち葉が轍をつくる杣道になりかけたころ、丸石を敷き詰めた急な坂道が見えた。一本道である。登り切ったところに小さなお堂があった。男の人が笑いながら話しかけてきた。どうやらここの客らしい。
「僕もロードスターを持ってるんですよ。」お仲間である。
小さな境内にはすでに車が二台止まっていた。目の前の社務所のような建物が目当ての有久寺荘なのか。写真で見た古びた木賃宿風の木造家屋とは見かけがちがうが。そんなことを考えていると、セーター姿の男の人が出てきた。
「温泉ですか。」
「入れますか?」と、妻。
「ちょっと待っていてください。車は大丈夫ですか。」
と、言いながら奥の方に入っていった。なるほど、別の車が来たら切り返しがきかない。さっきの人が出たあとにバックで入れ直した。

戻ってきた人は、「どうぞ」と言いながら、源泉らしき場所に案内してくれる。格子戸を潜るとそこはもう谷川だった。川の一部を堰き止め注連縄を張った小暗い一角に柄杓を入れると妻に差し出した。
「飲んでみてください。少し匂いがしますが、体にいいんですよ。」
先に飲んだ妻がこちらに柄杓を回す。口に近づけると硫黄の匂いがした。味は悪くないが、何ほども飲めない。柄杓を返すと番頭らしき人は、今度は川の水を汲んで渡した。
「大丈夫です。きれいなものです。こちらは味がしないでしょう。」
なるほど、無味無臭で美味くも不味くもない。ただの水である。
「志摩磯部にある天の岩戸、名水で有名ですよね。よく水を汲みに行くんですが、あちらの人はここに水を汲みに来るんですよ。ここの水は腐らないと言ってね。」
話し好きらしい。笑うと南伸坊そっくりである。
「で、温泉はどこに?」と訊いてみた。
「ああ、それはこちらです。」と、さっきの格子戸を潜り、境内に出て奥の方に行く。なんだ、結局こちらなんじゃないか、と思いながらあとをついてゆく。別棟の縁側に誰が食べたのかメロンの皮が二切れ、そこだけ妙に生活感がある。

崖をコンクリートで固め、谷川の上に張り出すように浴場ができていた。手前が男湯、向こうが女湯である。脱衣場で手早く服を脱ぐと、浴室の硝子戸を開けた。入り込んだ冷気で湯気が分かれ、薄暗い洗い場が見えた。天井まで石を貼り付けた洞窟状の岩風呂には、古ぼけたカバーが掛かった蛍光灯が一つきりで、他は湯船の向こうに切った窓から入る光だけだ。

湯に入ると、想像以上にぬるい。元湯は24度の冷泉である。沸かし直して入れているのだろう、壁から突き出たパイプからひっきりなしに湯が落ちている。近寄ってみるとそこは好い湯加減になっている。飛沫のかかるのを避けながら首まで湯に浸かると、手で湯を掬って二、三度顔にかけた。両の腕を撫でて手触りを見る。冷泉の中ではラジウムの含有量は日本一だそうだが、さらっとした感じで匂いもあまりない。

窓は湯船の縁より高さがあって、立たないと谷川は見えない。黄葉が窓の半ばを覆っている。隙間から見える空は、さすがに弱まった日射しが山間の冬の日らしい哀れさを漂わせている。静かだった。滴り落ちる湯の音より他に音というものがない。暗い湯船の中で手足を伸ばし、ぼんやりと硝子窓の黄ばんだ病葉をながめていると、日々の暮らしに倦んで、人里離れた湯治場に逃れ来ているような気がしてくる。それも悪くない、と思った。そんな時が来たらまたやってくることにしよう。

上着を着終えたところに、表で人声がした。どうやら次の客が来たらしい。こんな所に来る物好きはいるまいと勝手に思っていたが、これでなかなか繁盛しているようだ。大阪から来た四人連れは何かと喧しい。これでは隠れ家にはなりそうもない。ちょっと残念な気がした。妻が出たのを見て歩き出した。
「湯加減はどうでしたか。」
と、宿の主人がこちらを向いて訊ねた。
「好い湯加減でした。」と、答えた。追いついてきた妻が、
「またゆっくり来させてもらいます。」と続けた。

日はまだ高い所にあった。川波が光を反射して、目に痛い。枯れ残った尾花が日を透いて銀色に輝いている。上気した頬に川風が心地よい。川に沿った細道をゆっくり走った。一軒宿にしか通じていない一本道である。ガードレールのない道には、所々危険防止のためか、細く裂いた赤い布が道端の草に括りつけられている。川風が吹くと道に向かって揺れる仕掛けだ。ちょっとした気遣いだが、心に残る風景だ。たしか川の名は赤羽川といった。

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