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 2004/4/17 自己責任

人質が解放され、それなりの日常性が回復されると、ああ、またかというように、彼らの行動に対する批判が巻き起こってきた。もっとも、事態が膠着するにつれ、やれ家族の態度が不遜だの、生い立ちがどうだのという、らちもない話題がマスコミを賑わしていたのだから、こうしたことは今にはじまったわけでもない。

おかしいのは、救出にかかった費用を彼らに請求するのが当然という政府与党内にある意見である。首相や官房長官の談話にも解放された人たちの現地に留まって活動したいという言葉に対する不快感があらわであったが、それはちがうのではないか、という気がした。官房長官が言うように、避難勧告はあくまでも勧告であり、イラクへの渡航は憲法で保障されている。憲法で保障され、パスポートを保持して、正式に海外渡航している邦人を守るのは、法治国家である日本やその政府の当然の責務である。そうでなくては、真面目に納税の義務を果たしている国民として立つ瀬がない。

戦場カメラマンが安全なところにいて、いい写真が撮れるはずがない。ロバート・キャパに危険だからパリにいろと言って、彼が聞いていたらあの有名な写真が撮れただろうか。非政府組織には非政府組織にしかできないことがあるのも事実である。政府やマスコミがここぞという感じで、解放された人質に対して非難がましい言い方をする背景には、民間人は引っ込んでいろ、という威圧が感じられ非常に不快である。

しかし、それ以上に、いやな気分にさせられたのは家族への嫌がらせ電話やファックス、掲示板への書き込みが相継いだという事実である。自分は安全な日常に終始し、匿名性という隠れ蓑で身を守りながら、報道に煽られて弱い立場にある者をみんなで虐めるという大衆心理に戦時中の「非国民」という言葉を思い出し、そら恐ろしくなった。

問題は、戦争終了というアメリカの発表を鵜呑みにして、「戦後」の復興支援という名目で自衛隊を派遣した政府与党に与した側の先見性のなさこそが責められるのではないか。国会の場で、「どこが戦闘地域で、どこが非戦闘地域であるかなどとは言えない」というような曖昧な認識に終始した首相を支持し、自衛隊を派遣した挙げ句、今度は危険度が高いから避難勧告を出しているところに行くのが悪いなどというのは矛盾でなくしてなんだろう。

危険だというなら、そんな危険なところに武器を携行した自衛官を出す方がよほど危険ではないか。万が一、自衛隊が襲撃され、人質に取られていたら今度のようなことではすまないだろう。あるいは、自分の身を守るために発砲し、イラク人を傷つけてでもいれば、矢張り日本はイラクの敵であったと言われても仕方のないことになろう。

自衛隊のイラク派遣については、国会で審議された法律に則って行われている。現在のイラクの状態は、国会審議のあった頃より格段に悪化している。なし崩し的に派遣の事実を積み重ねるのでなく、撤退を視野に入れながら、今一度イラク情勢を分析するには、邦人が無事に帰された今をおいてない。自己責任というなら、事態をこうまで複雑にしてしまった現政府を支持した者たちこそがとるべきである。

 2004/4/10 交渉役

ついに、日本がターゲットにされた。ソフト・ターゲットという言葉があるが、軍事施設を狙うより、民間人を狙う方が、楽にきまっている。映画などでは、ゲリラに民間人が誘拐され、身代金を要求されるシナリオはありふれている。今回の場合、要求されているのは自衛隊のイラクからの撤退で、強請られているのは日本国である。福田官房長官の父にあたる福田元首相はかつて「人命は地球よりも重い」という名(迷)言を吐いて、テロリストの要求をのみ、各国の非難を浴びたことがある。日本人の人命尊重にかける思いは、先の戦争に対する反省からきているもので、我が国においては、コンセンサスを得ているが、世界的にはどうだろう。現時点で、イラクは戦時下と考えるのが妥当と思われる。その戦時下の国へ自ら赴くのだから、それなりの覚悟があってしかるべきである。まして、派遣後は、自衛隊は米軍の同盟軍と目され、日本はテロリストの攻撃目標の上位にリストアップされたことはすでに周知の事実である。ボランティアとして、イラクのために身を挺しているのだから、自分が襲われる理由がないという思い込みが通用するほど、世界は甘くない。それは、「自衛隊は人道的復興支援を行なっているのだから撤退する理由がない」という官房長官談話と、奇妙に符合している。

自分の考えは、あくまでも自分の考えであって、他人がそれを額面通りに受け取ってくれる保障はどこにもない。自分の考えを相手が理解してくれるはずと勝手に思い込むのは、日本人に独特の『甘えの構造』でもあろうか。むしろ、人は誤解するものだという一般論から入り、だからこそ誤解されないように、あらゆる機会を捉えて、自分の立場を鮮明にし、他に自分を理解してもらえるようにしておくことが必要なのではないか。そのためには、説得術も学ばねばならぬだろうし、レトリックに磨きをかけることも必要だろう。誠心誠意で事に当たれば、道は開かれるなどというのは、狭い日本の中でだけ通用する共同体意識にすぎない。陸路、魔のトライアングルをタクシーで行くという危険なルート選択といい、自分の身は自分で守るという至極当然と思われることに対する不思議なほどの無防備さは、あまりにも戦後日本的と感じられる。それは、客観的に見れば、どう考えても軍隊でしかない自衛隊が、復興支援という名目でイラクに入り、他国軍に警備されながら活動していることに対する分かり難さと対応している。

自衛隊の撤退は、もとより賛成だが、今となっては遅い。テロに屈したという印象が強く、国際的な信用失墜に歯止めがきかなくなる。スペインのように政権交代があり、もとから派遣に反対していた野党が政権を取るということも、同じ穴の狢の民主党では、無理な話である。大政翼賛的体質が、国の舵を取るときどんなに危険なことか、今度のことでもよく分かる。なんでも反対する野党が健在だった55年体制が今となっては懐かしい。

事態は切迫している。ネゴシエイターの存在は、アメリカでも公には認められていないそうだが、こういう事態にあっては交渉役の存在が不可欠になる。おそらく金が動くことになろうが、その金が、またテロの資金源になるのだから、公に認められるはずもない。公的見解では救出ありきだが、アジトの場所さえつかめていないというのでは、首相の言う「撤退なし」という決定は、三人を見殺しにするということと同義である。短慮は禁物である。期限を延長しながら、あらゆる手段を使って人質の解放を進めるよりほかに手はない。その意味では、首相や官房長官の談話はあまりに断定口調で交渉の余地がないように受けとめられてしまう危険がある。二人のうちどちらかは、もっと含みを残したもの言いをする必要があるのではないか。まずは、交渉のテーブルに相手を着かせることだ。武断派の勢いが強い今のこの国で、政府見解とは別に事に当たれるほど腰の据わった人材がいるかどうかが決め手だろう。


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