その3「歴史」
起源
伊勢春慶の始まりについて「宇治山田市史」には、室町時代に神宮の工匠が御造営の余材をもって内職として作り初め、
そのため刳りものや曲げ物は少なく板物が主であると述べている。
また伝承として、戦国時代の武将・蒲生氏郷(がもううじさと)が町坂に赴任した時、近江日野から連れてきた漆職人たち
によって伝わったという話もあるが、いずれも確証はない。
しかし1400年代後半の古文書には「大漆師屋」「塗屋館」といった屋号がみられることから、それが春慶塗だったかは
確定できないが、すでにこの頃伊勢には塗師屋が存在していたことが推察される。
江戸時代
江戸時代になると御師の活躍によって伊勢参りが盛んになり、参宮客が増加するとお土産品として漆器の需要も多くなり、
安永2年(1773)の「宮川夜話草」には伊勢土産として漆器が特産品としてあげられている。
漆器店の老舗としてあげられる岡村町の若井源助家が延享2年(1745)創業、片岡善兵衛家が寛永元年(1748)創業、
橋本佐兵衛家が寛政元年(1789)創業していることからも、この頃から伊勢春慶が盛んに製造され、一つの産業として
成立していたことがわかる。
「江戸時代から伊勢は漆器の産地で、その流通を担ったのが、勢田川沿いに開けた河崎の問屋街です。当初、岡村地区で
製造されていた伊勢春慶は、勢田川の水運を利用する河崎の商人によって伊勢湾沿岸の各地を初め、全国へと販売されました。
幕末の頃になると河崎でも作られる様に成り、大勢の指物師や塗師などの職人が勢田川沿いに住むようになった。」
幕末から明治初年当時の伊勢春慶について「伊勢参宮春之賑」横地長重著・明治元年(1868)の記述によると
次の3つの重要なことが確認できる。
1: | 岡村町が生産の中心だったこと。 |
2: | 船で関東や大坂、京都に出荷していたこと。 |
3: | 絵から製造していた商品の種類は、重箱・めっぱ(弁当)おひつ・角切り膳・よろず(高枕・盆・炒り子など)を製造していたことがわかる。 |
明治時代
舟での東西への出荷は伊勢春慶の名を広め、明治初年には伊勢春慶は全国に知られた漆器となり、伊勢山田は江戸にも
知られた漆器産地となっていた。そして明治4年(1871)には、伊勢春慶は全国的にも有名な漆器として紹介されるようになった。
明治時代に入り、多くの博覧会や共進会が各地で開催されたが、こうした博覧会(内国勧業博覧会)に伊勢春慶も幾度となく
出品し、数々の賞を受賞した。しかしその評価は絶賛するものではなく「粗ナリト謂ヘドモ廉価ニテ堅固」という言葉が示す
ように、上品さはないが安くて丈夫であるというものであった。
明治30年代になると伊勢春慶の需要は大きく拡大し業者が乱立するようになり、品質維持のため明治35年(1902)山田漆器同業者
が結成された。
大正時代
大正期は日清・日露戦争や第一次世界大戦などの戦勝による好景気も手伝って需要が増加し、伊勢春慶が最も盛んに作られた
時代であった。 製造業者、職人共に急増はしたが、粗悪品を生む結果となった。
昭和時代(戦前)
昭和になり、戦争が始まると派手な祭りや祝い事は自粛され、ハレな食事を作ることも少なくなり、配りものに使う重箱や
ハレの時に用いる高膳の使用度は落ちていった。更に戦争は伊勢春慶に追い打ちをかけた。徴兵による職人不足、軍からの
弾薬箱製造命令などで伊勢春慶の生産体制は崩れ休止状態となってしまった。
昭和時代(戦後)
戦後伊勢春慶は復活を図るが、職人不足と中国との国交断絶から漆の入手が困難になったこと、また主要生産地であった
岡村地区の戦災もあって復活には困難を要した。こうした漆不足は代用漆が使われる様に成り解決の方向が見え始めたものの、
昭和30年代になるとプラスチック容器が登場し、軽くてどのような形にも加工できる新容器は伊勢春慶を追いやり、長く続いた
伝統産業は終止符を打つようになった。
平成時代〜
製造されなくなって40年近くたった平成16年(2004)地元の有志が「伊勢春慶の会」と称して保存会を立ち上げ、伊勢河崎商人館
を中心に伝統技術の伝承と新しい活用の道を求め活動している。
平成6年(1994)伊勢市で開催された世界祝祭博覧会に伊勢春慶が出品された。
同10月には三重県の伝統工芸品に指定されている。
平成16年(2004)1月には伊勢春慶を愛する有志が伊勢河崎商人館で「里帰り伊勢春慶展」を開始。
同5月には伊勢春慶の保存と再生を目的に伊勢春慶の会が発足。商品化をめざし生産が開催される。復活にあたり伊勢文化舎が
雑誌「伊勢人」で取り上げるなどして貢献した。
平成17年(2005)伊勢春慶の会と京都工芸繊維大学が共同で新感覚の「カジュアル春慶」を開発。
平成20年(2008)空き家となった米蔵を借り受け伊勢春慶デザイン工房開設。
平成22年(2010)伝統の技を受け継ぐ塗師の後継者養成を始める。
平成28年(2016)第42回先進国首脳会議(伊勢志摩サミット)で、伊勢春慶の二重弁当箱が首脳陣の食事の器として使用された。