古市

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古市の成り立ち

「伊勢にいきたい伊勢路がみたい、せめて一生に一度でも」と 道中伊勢音頭にうたわれたように、江戸時代、伊勢参りは庶民 の夢でした。
  全国津々浦々から伊勢参りに向かう人々、特に 慶安3年(1650)・宝永2年(1705)・明和8年(1771)・文政13 年(1830)・慶応3年(1867)の『おかげ参り』には全盛期を迎え、 多い時には半年間で約458万人の参宮者があったと記録されて います。
  古市は、川柳に『伊勢参り大神宮へもちょっとより』とうた われたように、往来で賑わうにつれ、参宮を済ませた人々の精 進落としの場として、江戸の吉原・京の島原と並ぶ三大遊廓の ひとつに数えられました。また、妓楼・油屋でおこった殺傷事 件「油屋騒動」は歌舞伎の題材となって有名であり、さらに、 当地で行われた伊勢歌舞伎は、かつての松本幸四郎・尾上菊五 郎らが来訪するなど役者の登竜門といわれました。
  千束屋は『東海道中膝栗毛』の弥次・喜多の図にもみられた 妓楼(旅館)でしたが、後に貸衣装屋に転じ、伊勢歌舞伎を支え ました。唯一現存する麻吉、昭和40年代まで存在した大安など も古市を代表する旅館であります。
  その他、お紺の供養墓のある大林寺、千姫の菩提寺であり 画僧月僊が住職であった寂照寺、天細女命を祭神とする長峰 神社(俗称おすめさん)、松坂の朝田寺・関の地蔵院と共に 三大地蔵といわれた中之地蔵院跡、現存する桜木地蔵などがあ ります。
  耳を澄まば、聖地を目前にし心弾ませる人、無事念願を果 たし、土産話を胸に遠い故郷に心馳せる人の喧騒が聞こえてき そうな古市参宮街道。これらの文化遺産は、往時の古市の姿を 語っているようです。

参宮街道


 広重画「伊勢参宮宮川の渡し」

  江戸時代になると、全国の交通網の発達、経済の安定に より庶民の旅が可能となり、多くの人々が伊勢に参詣しま した。 外宮から内宮に向かう古市参宮街道はこの伊勢参りによ り栄えるとともに、古市では多種の文化が生まれ、参宮客 を魅了しました。

万金丹


 立て看板

  明治維新以降、西洋医薬がもたらされるまで、 万病薬「万金丹」が家庭及び道中薬として有名 でした。古市には「岩城万金丹」が店を構え、 薬本来の目的から離れて土産物として参宮客に 好まれました。

古市歌舞伎


 国周画「伊勢音頭恋寝刀」

  かつて、古市では歌舞伎が盛んに上演され、 全国にその名を知られました。
  寛政8年(1796)、妓楼・油屋で起こった お紺と孫福斎による殺傷事件「油屋騒動」は、 後に近松徳三により「伊勢音頭恋寝刀」という 歌舞伎になり、現代でも演じられています。

妓楼


 杉本屋

  全盛期の天明期には70軒、遊女約千人を数えたと言われ ています。中でも油屋、備前屋、杉本屋は古市の三大妓楼と 呼ばれました。内部には舞台のついた広間があり、毎晩、伊勢 音頭を唄い踊り、客への顔見世にしました。

間の山 お杉お玉

  明治、大正、昭和に興行として実際に使用した三味線や 明治初の興行小屋の様子を写真パネルなどで紹介しています。

古市略年表

1635(寛永12)古市に初めて浄瑠璃芝居が来演
1639(寛永16)古市に初めて歌舞伎芝居が来演
1672(寛文12)「お玉」の文字が芭蕉『貫におひ』に登場(初見)
1686(貞亨03)西鶴『好色一代女』刊行
(主人公が中之地蔵の遊山宿に身をおく)
1734(享保19)山田新町の遊所が初めて許可される
1748~1750
(寛延年間)
牛車楼こと備前屋、古市で伊勢音頭を踊り始める

1774(安永03)月僊、古市寂照寺の住職となる
1782(天明02)古市が全盛期に入る(人家342軒、妓楼70軒、寺3ケ所、大芝居2場、遊女約1,000人)
1796(寛政08)油屋騒動おこる。『伊勢土産菖蒲刀』(松坂)、近松徳三『伊勢音頭恋寝刀』(大阪)、奈河篤助の『いせみやげ川崎拍子』(京都)で上演される
1805(文化02)千束屋里登寄付金により、牛谷坂の本格的な改修工事
が行われる
1829(文政12)古市で初めて『伊勢音頭恋寝刀』が上演される
1838(天保09)『伊勢音頭恋寝刀』が浄瑠璃化され、大阪で上演

1851(嘉永04)料理旅館「麻吉」創業
1853(嘉永04)古市衰退の兆し(茶屋70軒、茶汲女780人に減少)
1872(明治05)この頃古市妓楼32軒に減少
1888(明治21)古市三大妓楼のひとつ「油屋」旅館に転業
1889(明治22)長盛座新築
1907(明治40)古市三大妓楼のひとつ「杉本屋」閉店
1915(大正04)古市三大妓楼で最後まで残っていた「備前屋」廃業
1927(昭和02)古市の大火により長盛座焼失
1945(昭和20)空襲により芝居小屋をはじめ町並みの多くは焼失

観察メモ

■独特の町並み(切妻屋根)

  伊勢の町並みは、建物の形態が切妻・妻入りであるところに特徴があります。 この理由として、神宮社殿が切妻・平入りであることへの遠慮という考え方が 一般化しています。軒が触れ合うほど間口が小さく、奥行きが大きい、いわゆる 「うなぎの寝床」と呼ばれる町並みであり、表通りから家並みの間に入り込んだ 路地は大変狭く、伊勢では「世古」と呼ばれています。

■蘇民将来子孫之家

  伊勢の家々には一年中しめ縄がかかっています。そして、しめ縄の中央には 「蘇民将来子孫之家」と書かれた木札が見られます。これは、スサノオノミコト が旅の途中伊勢の地を訪れ、蘇民将来の家に泊めてもらった時に、家の周りに しめ縄を張り巡らし、疫病から救ったという伝説によるもので、魔除けの木札 として、ことに病魔から護ってくれるとの言い伝えがあります。