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 2011/10/30 『誰がパロミノ・モレーロを殺したか』 M・V=リョサ 現代企画室

「若い男がイナゴマメの老木に吊るされ、同時に串刺しにされていた。」
書き出しからハードボイルドタッチである。主人公というか、探偵の助手でワトソン役をつとめる警官の名が、リトゥーマ。代表作の一つ『緑の家』にも登場するピウラ出身の若者なのだ。つまり、この作品は『緑の家』を本編とする「スピンオフ」にあたる。

リョサが、それまでの重厚なリアリズムの作風を変化させた時期に書かれた作品で、エンタテインメントに近づいたタッチで書かれている。砂漠の町や海岸線を舞台に、権力を振りかざす空軍大佐とその娘がからむ殺人事件を探偵役の警部補が解決するという筋立ては、チャンドラーの書くフィリップ・マーロウものを思い出させる。

ちがうのは、探偵役が一匹狼の私立探偵ではなく、二人の警官コンビになっていること。コナン・ドイルがホームズとワトソンというコンビを発明して以来、読者の目線で事件を見るワトソン役は、ミステリになくてはならない存在である。そのワトソン役にリトゥーマというのは、リョサの愛読者向けのサービスだろう。

しかも、このコンビなかなか相性がいい。片時もサングラスを放さないシルバ警部補は女にもてそうな風采なのに、太った年増の料理女にぞっこんで、亭主の留守に夜這いをかけたり水浴び姿をのぞいたりする好き者ときている。リトゥーマは、そんな警部補にあきれながらも、憎めないものを感じていて、どこに行くときもはなれない。けれども、女の趣味は別として、警部補の人間観察力はかなりのもので、権力をかさに威圧にかかる空軍大佐相手に一歩も退かない。このシルバ警部補の人物造型が魅力的だ。リトゥーマでなくとも好きになってしまう。

事件の謎はミステリファンならだいたい想像がつく設定になっている。それがつまらないという人には、この本はすすめられない。ミステリの一ジャンルに「捕物帖」という形式がある。形式はミステリながら、読者の楽しみは謎解きにはない。江戸の市井に住まう人々の人情や四季折々の風物をたっぷり味わうのがお目当てだ。この作品もペルー北端部のピウラやタラーラといった田舎町を背景に白人と混血、軍部の将校と兵隊、お偉方と庶民といった相容れない人種や階級間におこるひずみから生じる事件を題材に、警官コンビのユーモアに溢れた会話や村に一台しかないタクシーの運転手や料理女の亭主である老漁師などとのやりとりを楽しむのがほんとうだろう。

実際のところリョサの作品の中で、これほどシンプルな構成と主題を併せ持った作品はめずらしい。喜劇的なタッチで描かれるシルバ警部補とリトゥーマの醸し出すほのぼのとしたあたたかみと、事件の背後にあるものが垣間見せる冷え冷えとした人間関係の対比が鮮やかで、この作品の印象を陰影の濃いものにしている。

事件は解決されるのだが、その結末はほの苦いユーモアにまぶされながら一抹の哀感を漂わせて終わる。凸凹コンビのドタバタ劇が挿入される中間部は別としても、発端と終末は、紛れもないハード・ボイルドタッチに仕上げられている。ノーベル賞作家の手すさびと見る見方もあるだろうが、この味わいはちょっと他にかえがたい。二人のコンビものの続編を読みたいと思うのは評者一人だろうか。

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 2011/10/10 『ラ・カテドラルでの対話』 マリオ・バルガス=リョサ

リョサ初期の長篇ながらすでにただならぬ挫折感が漂う。ペルーという国とその国民性について。何をしたいのか、どうなりたいのか分からないままに常に状況に身を任せてしまう自分について。身を滅ぼすと知りながら、やめられない酒や煙草、女そして男。ついに分かり合うことのない父と子の関係。失意と挫折から若くして敗残者としての凋落の日々を送る男が探る父の秘密。

ペルーの首都リマを舞台に繰り広げられる、あるブルジョワ一家をめぐる物語である。主人公サンチャーゴは、独裁政権を陰で支える裕福な商人ドン・フェルミン・サバロの次男。成績優秀で父親にも溺愛されているが、本人は父の庇護下から抜け出したいと願っている。母の反対を押し切りサンマルコス大学に入学すると、級友の影響を受け共産主義にかぶれ、シンパになる。ストライキの密議の最中公安に踏みこまれ逮捕されるが、公安のトップカジョ・ペルムデスはドン・フェルミンの顔を立てて釈放する。サンチャーゴは大学を去り、伯父の伝手を頼って新聞記者となる。友を捨て戦線離脱し、生計のために詩を捨てて売文業に成り果てたサンチャーゴは以後淫売屋と酒場通いに明け暮れる。

ラ・カテドラルとは、下町の安酒場の名だ。愛犬が野犬狩りに捕まったのを救い出しに行った先で再会したのが、かつて父親の運転手をしていたアンブローシオというサンボ(インディオと黒人の混血)。第一部は、すでに結婚したサンチャーゴがアンブローシオと語る過去の回想から始まる。リョサの特徴とも言える唐突な話者の転換に最初のうちは戸惑うかもしれないが、挿入される過去の逸話の中に張られた伏線が、この大部の小説を読みすすむ上での重要な手がかりとなる。意表をつく話題の提出が異化効果となって、後になって効いてくるのだ。

アンブローシオは、若い頃チンチャで高利貸しを営む禿鷹の息子カジョ・ペルムデスが後に妻となる娘を誘拐する手伝いをしたことがある。リマに出て来たアンブローシオは、昔なじみのカジョの運転手として雇われ、そこで、後にその運転手となるドン・フェルミンと出会う。アンブローシオはサバロ家の女中アマリアとつき合いはじめるが、何故かそのことを隠したがる。カジョはナイトクラブの歌手であった美女を囲っていたが、サバロ家を出た後アマリアはその女ムサの家で雇われる。

オドリア政権時代を中心に描かれるが、独裁者その人は登場しない。望めば大臣職にも就けるはずのカジョは公安の長にとどまることで政権の裏にあって側近の秘密や弱みを握り権力を操ることに暗い情念の炎を燃やしていた。成績優秀で将来は大臣と目されていたカジョがしくじったのは例の牛乳屋の娘との一見が父にばれて半殺しにされたことがきっかけだった。

世代も人種も社会的階層も異なるが、サンチャーゴとカジョ、アンブローシオは相似形をなす。サンマルコス大学で文学と法学を学ぶサンチャーゴが作家自身と重なるのは無論だが、父親との確執が子の人格形成に影響を与えている点ではあとの二人も同様である。三人の父親は質はそれぞれ異なるものの「力」で息子を圧倒する。サンチャーゴは、父の資産や名声に庇護される存在である。彼はそれをよしとせず自立を図るが、挫折してしまう。カジョは剥きつけの権力と暴力を奮う父の支配下に育った結果人を愛することのできない人間になる。アンブローシオは、父の力を恐れるあまり、常に人の機嫌をうかがわずにいられない臆病者となった。何故、父とうまくやっていくことができないのか、その理由を知りたいというのが、リョサが文学を志す契機だったという。小説の中では一人の女が殺される。その謎を追うサスペンスが後半部を牽引するのだが、見ようによっては、それも父と子の確執が遠因になっている。

人が人を愛するというのはデファクトスタンダードではない。人は成長する中で人を愛するということを学ぶのではないか。キリスト教圏では、父と子(息子)というのは他の関係に比べ絶対的なものがある。父は絶対者であり、子は一方的にその愛を求める存在である。しかし、必ずしも父に愛されるとは限らない。理不尽にも他者に愛を奪われることもある。その不条理をそのまま肯定できる強者がどれほどいるだろう。愛されなかった子はそれ故他者を愛せなくなったり、愛を乞うようになったりする。父の死は、サンチャーゴにとって父からの解放を意味した。小説は、サンチャーゴと彼を取り巻く世界との緩やかな和解を暗示させて終わる。サンチャーゴに息子ができる日も近いだろう。

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 2011/10/10 『紙の民』 サルバドール・プラセンシア 白水社

段ボールの脚とセロファンの肝臓、ティッシュペーパを撚って作られた血管でできた「紙の女」メルセド・デ・ペパル。バチカンが封鎖した人間を作る工場で、折り紙で人工臓器を作ることのできるアントニオの手によって生み出された女。彼女の中に入ろうとする男は舌から血を流さなければならない。雨の中を歩けば新聞の日曜版の腕は印刷がうすれ、足先はふやけてどろどろになってしまう「紙の女」は隠喩である。男の欲望によって作り出された物語としての女。ひととき愛し愛されはするものの、やがては男の体や心に傷を残し、男の住む世界を崩壊させずには置かない魔性の存在。捨てられた男が傷を癒すために頭の中で拵えた架空の女性。ペンを持つ手が、タイプのキイを叩く手が作り上げた嫉妬と哀憐の構築物。

ガルシア=マルケスを貪り読んだ文学青年が失恋の痛手から抜け出すために自分の失われた恋を物語として書くことで紙の中に封じ込めようとして小説を書くことを思いつく。ところが、登場人物たちは自分たちの生活が誰かによって始終監視されていることに気づく。自分たちの運命を握るのが土星であることを突きとめた登場人物たちは、土星との戦いを始める。彼らは機械仕掛けの亀の甲羅を買い集め、その鉛の平板を家の壁や天井に張りめぐらし、土星の視線をさえぎるが、鉛は彼らの身体を侵す。

土星は物語の作者の隠喩である。書かれる側の者が、書いている者を意識し、逆に作者の部屋に侵入したり、見られていることを意識して裸になってみたりする。所謂メタ小説である。普通の小説のレベルにあたる場合は、段組は一段だが、メタレベルに入ると、三段、四段と視点人物の数の分だけ段数が増殖し、果ては、縦書きの中に横書きが入りこんだり、思考が読みとれない部分は真っ黒に墨が塗られたり、文字の印刷が薄れていったりと、ずいぶん手の込んだ表現手段をとる。

白アリもいないのに町が崩壊したり、折り紙で作られた女性にキスをした男たちが舌に切り傷を負ったり、ありそうもないことをまことしやかに語るところは、いかにもガルシア=マルケスの洗礼を受けた作家らしい。ロスアンジェルスのエル・モンテが舞台だが、千の顔を持つ男ミル・マスカラスやタイガー・マスクがサトウ・サトルの名で登場したりすることからも分かるようにメキシコ文化が濃厚なラテン・アメリカ文学の一角を占める作品。ここでは、リタ・ヘイワースはメスティーソ(メキシコ人との混血)であることを隠してハリウッドに身売りした売女扱いである。

デビュー作である本作が評判を呼び、現代を代表する作家の一人に選ばれるという強運の持ち主。運も実力のうちというが、そればかりでもないだろう。読み終わったあとに不思議な余韻の残る一冊である。

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