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 2011/8/22 『韃靼の馬』 辻原 登 日本経済新聞出版社

「韃靼」と書いて「タタール」と読む。モンゴルから東ヨーロッパにまたがる広い範囲をさす。「韃靼の馬」とは、有名な武帝の故事にある、一日千里を走り、血の汗を流すという大苑(フェルガーナ)の天馬「汗血馬」のことである。

『遊動亭円木』で初めて出会って以来、その語り口の巧さには絶大の信頼を置く辻原登。その小説巧者が、エキゾチズム溢れる韃靼を舞台にどんな物語を見せてくれるのかと多大な興味をもって読んだ。もとは日本経済新聞朝刊に連載した小説である。新聞連載小説というのは、日替わりで興味をつないでいかないと読者に飽きられる。小難しい歴史的事実や時代考証をくだくだしく書き連ねることは許されない。その一方で、毎日少しずつ新知識が頭に入っていくことも事実で、短いからこそ読み続けていくこともできる。しかも当面の相手は経済新聞の契約読者であるが、連載終了時には単行本化は必至。そこのところを逆手にとって、竹島問題で難しい局面にある日韓両国の歴史に残る二つの事件を素材に、往年の山中峰太郎を髣髴させる冒険小説風に仕立ててみせた作家の手腕をまずは賞でたい。

その一つが「朝鮮通信使」にまつわる事件である。朝鮮通信使とは、将軍の代替わりごとに朝鮮国王からの親書を携え江戸を訪れた外交使節のことだが、その行列は華麗を極めたもので絵巻にも描かれ今に伝えられている。半島と本土の海峡にあって両者を取り持つ任務にあたったのは対馬藩であった。小藩対馬は日本で掘られた銀と中国の絹糸、朝鮮人参との貿易の利によって藩財政をまかなっていた。ところが、新たに将軍侍講となった新井白石は、国家経済の窮状を見据え国産銀流出停止、絹糸、朝鮮人参の国産化を実行に移そうとしていた。そんなことになれば対馬の存在意義はない。雨森芳洲は白石の投じた難題を解決するため半島に渡り、かつての僚友の子で今は朝鮮の倭館で暮らす阿比留克人を訪ねるのだった。

主な登場人物は薩南示現流の使い手で漢語、朝鮮語はおろか上代文字にまで通じている青年、阿比留克人。文武両道に秀で妹思いで優しくおまけに美男。その友人の陶工で李氏朝鮮の特務工作員暗行御史の李順之。好敵手で最後には一騎打ちの相手となる対馬藩家老職の血を引く監察御史柳成一。貿易商の看板を掲げる裏で半島の密貿易組織哥老会とつながる唐金屋等々。互いに複雑な事情を抱えた面々が入り乱れて、日朝二国間に持ち上がる国書の書き換えという外交問題の解決をはかり、暗闘するのが第一部。間諜が潜入した相手国の情報を得ようと要人に接近すればするほど、その見返りとしてなにがしかの情報が相手に流れることになる。つまり、どちらもが二重スパイにならざるを得ない。このジレンマを先物取引に活況を呈する大阪堂島、享楽的な元禄文化が花ひらく江戸を舞台にスパイ小説仕立てで展開して見せる。驚異的な能力で統計学を駆使し先物取引という取引形態を考えつく大阪商人の逸話がくわしく語られるのも経済新聞ならではか。

第二部は、それから十五年後。故あって朝鮮に渡り、名前も金次東と改め、李順之と共に陶工として働く克人のところへ、対馬藩の窮地を救うため将軍吉宗に献上する伝説の天馬を探してくれと唐金屋が現れる。藩の借金を天馬献上で相殺するという計画だ。題名「韃靼の馬」は、こちらが本編。克人を親の仇と狙う柳成一の一子徐青。克人が朝鮮に渡るきっかけを作った朝鮮通信使の一員朴秀美。それに、チャハル・ハーンとその子オーリらが、広大なタタールの地を舞台に伝説の天馬を追い求める冒険活劇。冷涼な山岳地帯を背景に意気に感じた流れ者が土地に暮らす人々の苦境を救うという映画『シェーン』を思わせる西部劇調の一幕。

中国大陸を舞台にした第二部は、勧善懲悪、恩讐を超えた情愛、囚われの美女奪還の電撃作戦と、読者サービスの満漢全席。さりげなく中島敦の『山月記』や『李稜』のもとになった伝説や史実に触れるなど、文学から文学を創る作家辻原登らしさも顔をのぞかせる。新聞小説という縛りがあり、構成の緻密さや語り口の巧さは他の作品に一歩譲るが、通俗小説的興味で読者をぐいぐい引っぱって、これだけスケールの大きい稗史小説を最後まで読ませるのは、作者の力量というものだろう。

桃源郷の故事や『ロスト・ワールド』を想わせる天空の花畑、岩窟の寺院、暗夜に浮かび上がる「銀の道」と辻原ならではの凝ったロケーションも一大冒険ロマンに花を添える。花といえば、女の美しさと男の腕力を併せ持つ綱渡り芸人リョンハンの克人に寄せる思いが切なさを誘う。ひとつ気になるのは、リョンハンに横恋慕してふられたのを根に持ち、事あるごとに克人一行の邪魔をする朴が、眇(すがめ)で背中の曲がった人物として描かれていることだ。あえて一昔前の冒険活劇の線を狙ったものと考えることもできるが、ヒーローやヒロインの容姿端麗はよしとしても、嫌われ役の朴にわざわざ肉体的にも負のイメージを付す必要があったかどうか。再三にわたる眇という肉体的な特徴への言及には違和を覚えた。

第一部で描かれる外交上の駆け引きが興味深い。上司の中に教条主義者がいると現場がどれだけ苦労するか。過去の例がいかに現在を縛るか。相手の言うことをただ鵜呑みにするのでなく、こちらの言い分を声高に言いつのるのでもなく現実的な妥協点をねばり強く探ること。江戸時代の外交を描きながら、政権交代以来、外交が停滞していると言われる今の日本に何が欠けているのかを教えてくれる。政治家のパフォーマンスを受け、現実的な落としどころを見つけていく有能な官僚の存在である。頭脳明晰なだけでなく、古今の詩文に通暁し、尚かつ志の高い人物。どこかにいないのだろうか。


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 2011/8/15 『木曜日を左に曲がる』 片岡義男 左右社

洒落たタイトルである。時間と空間とがねじれた格好でくっついている。いつもながら片岡義男のスタイリストぶりは変わらない。タネを明かせば集中の一篇の題名で、「木曜日」とは、その中に看板だけ登場するバーの名前。表題は初めて訪れた店を再び訪ねるための道順をあらわしている。

もう何冊目になるのだろうか。片岡がこのスタイルで短篇を書きはじめてから。主人公は女性。それもとびきりの容姿の持ち主で、無論独身。職業はフリーランスの写真家であったり、小説家であったりすることが多いが、独りで生きていくための能力を充分すぎるほど身につけている。美貌の持ち主で、その上実力があるから仕事は放っておいても向こうからやってくる。

季節は圧倒的に夏が多い。白い袖なしのブラウスや膝が見える丈のスカートにサンダルやパンプスといった出で立ちが定番。脚の美しい女性が好みのようで、女性美の規準は、この作家の場合脚にあるといっていい。相手役の男が写真家の場合、まずこの脚を撮ろうとする。しかし、そこまでだ。互いに好感を持っていることは知っているのに、再会を約束して話は終わってしまう。余韻たっぷりである。

両親はすでに亡く、実家には兄が一人いる。自分は東京のアパートや借家で独り住まい。男嫌いではないが、目下のところ独りといった立ち位置を好む。つまりは孤独で自由な生活がしたい。調理師免許を持つ腕前で食事は自分で作る。深炒り珈琲とサンドイッチ、鯛焼きが好き。

片岡はあとがきで、フィクションとして自分の対極にあるものとしての女性を主人公にしていると述べている。しかし、虚構なら女性にしても、もっといろいろなタイプの女性が考えられるだろう。虚構というより理想の女性像ではないのか。こんな女がいて、こんな町に住み、こんな生活をしてたら。作家の思いのままに描けるのだから何でもありだ。それが、このシンプルさ。

片岡義男の書く小説には不快なものが登場しない。人通りの絶えた盛り場や忘れ去られたような商店街、どこにでもある歩道橋や私鉄のホームといったありふれた背景に容姿端麗な美女を一人置くだけでストーリーが動き出すのだ。不必要な脇役や話が横道にそれるような夾雑物は徹底的にあらかじめ排除されている。

作家の目に映るのは、作家が見ようとしたものだけ。つまりはお気に入りの商品だけで構成されたセレクトショップのような小説集。あまり現役の日本人作家の小説を読まないので比べようもないが、こんな短編集ってほかでは見たことがないような気がする。

舞台背景と人物名を変えたら、『ニューヨーカー』あたりに連載できそうな匂いがしている。日本の夏から湿気を取り去り、男から汗くささ、女から世間体を気にする不自由さを取っ払ったような、全然日本的でない味わいの短篇小説集である。好きな人にはたまらないが、理解できない人には何の意味もない、嗜好品のような小説集、といったら言い過ぎだろうか。

久しぶりにお気に入りの喫茶店に入ったらいつもの味と香りの珈琲が出てきた。そんな味わいの短編集。


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 2011/8/8 『密林の語り部』 マリオ・バルガス=リョサ 新潮社

題名から、密林(セルバ)を舞台にした作品かと想像したが、ちょっとちがった。『緑の家』にも登場するインディオの酋長フムや、密林の奧にハーレムを作り上げた日本人の悪漢トゥシーア(フシーア)といった人物もちらっと名は出るのだが、『緑の家』のような命をむき出しにして生きる男や女たちが多数登場し、互いに愛し合ったり憎み合ったりする、いかにもリョサらしい力の漲った全体小説を思い浮かべると裏切られる。

もし、小説でなければ、バルガス=リョサ本人と錯覚してしまいそうなほど、高名な作家と経歴を同じくするペルー人の物書き「私」が視点人物。というか、ここは「私」=リョサと思って読むように作者は誘っている。日本でいうなら「私小説」的な書き出しである。小説は、旅行客で賑わう夏の朝のフィレンツェで幕を開け、星の瞬き始めたフィレンツェで幕を閉じる。ダンテとマキアベリを読み、ルネッサンス絵画の鑑賞を愉しみに夏のイタリアに滞在中の作家。気だるい頽廃さえ匂う幕開けではないか。

ショーウィンドウに飾られた一枚の写真が「私」をペルーに引き戻した。それは、インディオの村を撮影したもので、引き込まれるようにして写真展会場に入った「私」の目にとまったのは、輪になって座り込んだインディオたちが一人の男の話を夢中で聴いているところをとらえていた。外部の者にはめったに姿を見せることのない「語り部」の姿だった。

「私」には大学時代一人の友人がいた。赤毛のぼさぼさ頭で顔の右半分に紫色の痣を持つことから、みんなにマスカリータ(仮面)と呼ばれていたサウル・スターラス。キリスト教伝道者や言語学者といった西洋の浸出がインディオ固有の文化や森林を荒廃させると主張し、担当教官に手を焼かせていたが、成績優秀な好青年であった。「私」は彼に、小集団で常に密林を移動するマチゲンガ族の間を彼らの物語を語って歩くことで、その紐帯となっている「語り部」の存在を教えられ興味を持つようになる。

三十年後、テレビの仕事で訪れたインディオたちの村で、「私」は、昔なじみの言語学者の口から、顔に痣のある白子の「語り部」の噂を聞きつける。イスラエルに移住したと聞いていたマスカリータのことが「私」の頭をよぎる。伝手を頼って調べてみると、移住した形跡はないことが分かった。では、友は成績優秀者にのみ許されるフランス留学の話を捨て、褌一枚の姿で密林に分け入ったというのか。

ペルーという国は征服者の子孫である白人と、先住民であるインディオ、そしてその混血の人々で構成されている。手つかずの自然が残る密林に暮らすインディオの中には、白人の宗教や文化を受け容れ、そのメカニズムの中に組み入れられたフムのような者もいるが、白人との接触を嫌い密林を渡り歩くマチゲンガ族のような集団もいた。

『緑の家』では、リョサは、白人社会と関わりを持つフムのような者を別にすれば、インディオをのことを、白人に襲われ、殺され、搾取される存在としか見ていない。ペルーという同じ国に暮らしながら、白人である作家にとってインディオは外部の者であった。ところが、本作においては、「語り部」という存在を得て、インディたちを内部から描き出しすことに成功している。

第一章と最終章である八章は、フィレンツェで小説執筆中の現在の「私」の視点によるいわば額縁にあたる部分。物語の中心はリョサが得意とする対位法的な構成で描かれる。二、四、六章は、時間を遡り1953年から今に至る「私」が「語り部」を追う物語。そして三、五、七章は、「語り部」自身によって語られるマチゲンガ族の世界観、宇宙観を形づくる無数の物語群。人間と動物の関係、死と再生、放屁や糞尿に纏わる逸話が、突拍子もない連関で語り継がれる。この「語り部」の口を借りて語られるマチゲンガ族の物語が圧巻である。言語も習俗も異なるインディオをペルー人として認め、その文化に西洋化した自分たちにはない太古から営々として伝わる叡智を発見したことが作家をしてこのような小説を書かせたのだろうか。

「互いを隔てている遠い距離をものともせず、一つの共同体を形成し、伝統、信念、先祖、不運、喜びを共有している仲間がほかにも生きているということを、部族の一人一人に思い出させるために、何日も何週間もかけて、一つの話をあるマチゲンガ族から別のマチゲンガ族に長い旅をして携えはこんでいく、クスコの東部やマードレ・デ・ディオス川流域の不健康な森にいる一人、あるいは複数の語り部の存在。物語を語るという単純で非常に古い技術―務め、必然性、人間の習慣―によって、マチゲンガ族を一つの社会、連帯しあう人々の共同体にまとめあげる潤滑油となっている語り部の人目に触れない、伝説的な影に私は心を打たれた。」

引用文中の「マチゲンガ族」は、他の人々の集団に置き換えることも可能だろう。日本にもかつては「語り部」が存在した。はじめに言葉ありき。「語り部」の「言葉」によって語られる「ものがたり」なくしては神も人も民族もこの世に現れることはない。「語り部」こそは創造主である。リョサが、語り部に作家の姿を認めていることをわざわざ指摘することもあるまい。「語る」ことによって、遠くにいる人々を繋ぎ、一つの共同体にまとめあげることができる。創造の仕事に携わる者のみの知る悦びがここにある。

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