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 2011/2/26 『世界終末戦争』 マリオ・バルガス=リョサ 新潮社

ずっと絶版だった小説が、作者のノーベル文学賞受賞によって再刊された。これまで読みたくても手が出なかった読者には何よりの吉報だろう。それほど、この小説は面白い。ブラジルの奥地に忽然と現れた「聖人」によって、共和国の支配の及ばぬ独立国家が誕生する。それを倒すために次々と繰り出される共和国軍と「聖人」に従う者たちの凄絶な戦いを描く。二段組み700ページというヴォリュームだが、一度読みはじめたら途中で投げ出すことは難しい。二十世紀小説というよりもデュマかセルバンテスでも読んでいるような気分である。

19世紀後半のブラジル、バイア州の奥地サルタンゥを青い長衣を纏った長身の行者が放浪している。コンセリェイロ(教えを説く人)と呼ばれる男は、干魃による飢餓に苦しむ村人にキリスト教の教えを説いて回っているのだ。誰からも見捨てられ、この世の地獄を生きている民衆に、貧しい者こそが救われるという教えは干天の慈雨のように浸込んでゆく。付き従う人の数は次第に増え、やがて一団は周囲を丘に囲まれたカヌードスという土地に腰を据える。私有財産を放棄した貧しい者たちが共同生活を送る「地上の楽園」の噂を聞きつけた人々が近隣の村々から続々と集まってくる。

無断で人の土地に住み着き、政府の法に従わぬ一団を放っておけなくなった当局は少人数の警備隊をカヌードス制圧に送りこむ。しかし、最初の部隊は物の見事に敗退。続いて送り出した部隊も破れたことで、ついに共和国陸軍の英雄モレイラ・セザル大佐が精鋭部隊を率いてカヌードス鎮圧に乗り出すことになる。実は、カヌードスには、有名なパジェウを始め盗賊の首領達までがコンセリェイロに帰依して集まってきていた。彼らのゲリラ戦法は近代兵器を擁する共和国陸軍を翻弄する。しかし、いくら追い払っても次々と大量の兵を繰り出してくる政府軍の前にカヌードスは追い詰められる。死ねば天国に行けると信じている民衆は女、子どもまで投入して徹底抗戦する。カヌードスの運命や如何。

カヌードスに社会主義の理想郷を見た自称革命家のガリレオ・ガル。カヌードスの領主で王党派政治家の領袖カナブラーヴァ男爵。共和国派のブルジョア政治家エパミノンダス・ゴンサルヴェス。いかにもリョサの小説らしく、政治的立場や主義主張、階層の異なる数多の人物が登場し、その来歴を語り、自分の思いをてんでに披瀝する。子殺しの贖罪の果てについに聖女となった「全人類の母」マリア・クアドラード。生まれついての奇形児ながらあらゆる文字を読み書くことができる男ナトゥーバのレオン。己の中に居座る悪魔のために悪逆非道を繰り返してきたジョアン・サタン。無関係に見えていた人物同士が、コンセリェイロを核として結びつき、互いに絡まり合い、複雑な人間模様を描き出すにつれ、物語はダイナミックに動き出し、一気に終末に向かって突き進む。カヌードスの運命と幾組もの男女の愛憎が交錯し、徹底的な暴力と破壊の果て、立ちこめる硝煙の切れ間にのぞく青空にも似た結末が用意されている。

物語の舞台となるブラジル北東部バイア州は、サボテンや茨しか育たない乾燥地帯で、19世紀後半には二度にわたる大干魃に苦しめられ、大量の死者を出している。そこに住むのはインディオ、旧大陸からの移住者、その混血、と出自も皮膚の色も様々だが、近代ヨーロッパの洗礼を受けた華麗な建築が建ち並ぶ海岸部とは裏腹に、中世ヨーロッパや原住民由来の文化が今も色濃く残る、いわば新生ブラジル共和国の「内なる他者」のような存在であった。

海岸部から遠く離れたバイアは、荘園領主である貴族層の力が強く、新勢力の共和国派と覇を競っていた。そこに持ち上がったのがカナブラーヴァ男爵の領地カヌードスで起きた反乱である。これをイギリスに支援された王党派の陰謀に見せかけようとするのが共和派の領袖エパミノンダス。もともと敵対関係にあったカナブラーヴァ男爵との間にバイア州の権益をめぐる権力争いが勃発する。

主題の一つは本来は交わるはずのない世界の衝突である。男爵やエパミノンダスにとって、カヌードスの反乱は、いつに変わらぬ権力争いの口実に過ぎない。事態をどう収め、どちらが権力を把持するかが問題なのだ。モレイラ・セザルのような軍人から見ればカヌードスは狂信者の反乱であり制圧の対象でしかない。一方、カヌードスに集まる人々にとって、政府の行う戸籍調べや法律婚は奴隷制の復活や神による結婚を否定するものと映る。彼らから見れば共和国政府やその陸軍は戦争相手などではなく滅ぼされるべき悪魔なのだ。コルネットの合図で整然と軍を進める近代的軍隊と、蕃刀片手に忍び寄って性器や睾丸を切り落とす盗賊あがりの兵では殺し合いはあっても戦争にはならない。三者三様、同じ場にいながら、全く異なった世界を生きているのだ。

もう一つの主題は、性による人間の解放である。男爵はヴィクトリア朝のモラルに縛られ、自分の欲望を押し殺しながら政治家として生きてきた。ガリレオ・ガルは、革命の大義のために禁欲を守ってきた。夫以外の男に犯されたジュレーマは、嫌でもその男に付いていくしかなかった。夫を裏切った女に他にとるべき道はなかったからだ。それが、カヌードスの反乱をきっかけにして変化する。男爵は農園を焼かれたショックで正気を失った妻とその下女と三人で同衾する。ガルは、道案内に雇った男の留守にその妻のジュレーマを犯す。ジュレーマは、カヌードス崩壊の最中、近眼の記者の愛撫を受け、性の喜びをはじめて知る。マチスモという男性原理の社会にあって抑圧されていた欲望が、それまで盤石に見えた世界の崩壊をきっかけにして解き放たれる。死(タナトゥス)の氾濫する中に生まれた性愛(エロス)の饗宴である。

あえて主人公と言えるような人物はない。すべての登場人物がそれぞれの物語の主人公なのだ。しいてあげるとすれば、累々たる死者の中で最後まで生きのびる近眼の記者と、彼を母のように庇護するジュレーマだろうか。男たちの中で唯一人、近眼の記者は戦うということをせず、ひたすら逃げ続ける。一方、男性原理を体現する男たちに翻弄されながら、逆に男性原理を否定し、女に庇護を求めるような男を愛するようになるジュレーマ。不条理としか言いようのない戦いの中にあって、その世界から疎外されてしまっている二人の愛と性の成り行きが、その意外さゆえに悲惨な最後に一抹の明るさを添えてくれる。

途方もない話のようであるが、この小説は実話に基づいている。エウクリダス・ダ・クニャのノンフィクション『サルタンゥ』がそれで、コンセリェイロその人はもちろん、その参謀格の商人であるアントニオ・ヴィラノヴァ、カンガセイロのジョアン・アバージ、パジェウ等々、皆実在の人物である。もちろん、その中で引き起こされる人間同士の愛憎劇は作家の想像力の賜物である。同じラテン・アメリカの作家でノーベル賞作家であるガルシア=マルケスと比較されることが多いが、リョサの本分は「マジック」のつかないリアリズムにある。見てきたようなカヌードスの反乱を存分に愉しまれたい。


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