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 2010/12/27 『マイ・バック・ページ』 川本三郎 平凡社

おや、と思った。何だかいつもの川本三郎と感じがちがう。文章も生硬で余裕が感じられない。それに、60年代をテーマに謳っているのに出てくる話が暗いことばかりじゃないか。死者についての話も多い。それに何より「週刊朝日」や「朝日ジャーナル」記者としての個人的な感想がいかにも青臭い。いや、臭すぎる。いったい何を書きたいのだろう、と思いながら読み進めていった。

先に書いておくが、実はこの本1988年に河出書房新社から出版された同名の書物の復刻版である。その前年に雑誌「SWITCH」誌上に連載された文章を集めたものだ。当初は「60年代の様々なできごとをさらりと客観的に書くつもりだった」と、88年版のあとがきのなかで川本は書いている。しかし、第一章から川本の口調は滑らかではない。何やら60年代のことを思い出したくない様子なのだ。映画の中に引用されている三里塚闘争の映像を見たときのことを「いやだな、思い出したくないな」と書いている。

当時川本は、ジャーナリストにあこがれて朝日新聞に入社したばかり。それなのに、新米社員にはつまらない仕事しか回ってこなかった。ベトナム戦争に取材に行っている先輩をしり目に、自分は安全地帯にいて第三者的な立場で意見を述べているばかりという事態に焦れていたのだろう。「センス・オブ・ギルティ」や「ベトナムから遠く離れて」といった章のタイトルにもそれは表れている。

それにもう一つ、川本は「週刊朝日」に配属されていたが、当時勢いのあったのは圧倒的に「朝日ジャーナル」の方だった。あの雑誌をくるっと巻いて小脇にはさんだり上着のポケットに指したりするのが流行りのスタイルになっていたくらいだ。三里塚闘争にしても「朝日ジャーナル」の方は支援の姿勢を明らかにしていたが、「週刊朝日」の方は旗幟鮮明ではなかった。同じ社内にあって、新左翼シンパの自分が「週刊朝日」の方にいることが悔しかったようだ。

しかし、上層部の判断で「朝日ジャーナル」のスタッフが配置転換され、その後を他の部局から入ってきた者が担うことになった。若い川本もその一人だったが、前メンバーからは第二組合的な扱いを受け、冷ややかな目で見られていたらしい。頼りになるメンバーも限られ、どうしたら「朝日ジャーナル」を続けていけるのかという不安の中で事件は起きた。

アメリカン・ニューシネマやウッドストックといった話題もあるのに、どうして暗い話ばかりと感じていたが、それには深い理由があった。「ニュース・ソースの秘匿」。今でもジャーナリズムのモラルの一つとしてよく取り沙汰される話題だ。「赤衛隊」という名前を記憶している人も少なくなっただろう。自衛隊朝霞基地で警備中の自衛官が刺され死亡するという事件があったが、なんと川本は、犯行以前に、その犯人に単独インタビューをしていたのだ。

それだけならまだしも、犯行後に証拠品である警衛腕章をもらい受けてもいる。インタビューに同行した社会部記者は警察に情報を流すべきだという。川本がそれに反対したのは、ジャーナリストのモラルを守るためであった。この事件を単なる殺人事件とする社会部記者に対し、思想犯だとする川本の論理は完全に食いちがう。その結果、逮捕され拘留。取り調べに対し完全否認するも犯人の方はぺらぺらと自分のことをしゃべっているらしく、このまま否認を続ければ「殺人教唆」の罪まで被る危険性が出てきた。

結果的には、事実を述べたことで「証憑湮滅」だけで起訴され執行猶予つきで釈放されるが、朝日は馘首。ジャーナリストのモラルに違反した自分を川本は許せなかった。以後、政治を語ることは自分に禁じてきたという。88年版が出たとき、丸谷才一が「比類なき青春の書」、「どう見ても愚行と失敗の記録であって、それゆゑ文学的」と評したのはさすが。72年に起きた事件を語るのに15年かかったのだなあ、と読み終えて思った。改装版が出ることになったのは映画化されることが決まったからだ。

暗い話ばかりと書いたが、後に高田渡と武蔵野タンポポ団のメンバーとなる青年(シバ)の下宿でフォークソングを一緒に歌ったり、阿佐ヶ谷の「ぽえむ」で永島慎二の隣でコーヒーを飲んでいたりと、懐かしい名前も登場する。後知恵ともいえようが、川本三郎の資質はむしろそちらの方に向いていたのではないだろうか。貧しい者や弱い者に優しく、声高にものを言うことのない筆者の書く物を愛読してきたが、こういう時代があって今の筆者があるのだなあという思いを強くした。

 2010/12/26 『文豪の食卓』 宮本徳蔵 白水社

グルメと言うにはほど遠いが、美味い物を食べるのはきらいな方ではない。どうせ食べるなら美味いにこしたことはないからだが、味覚というのは人それぞれで、あの店が美味いと聞いて訪ね、がっかりさせられることも多い。その点、食べものについて書かれた文章は、実際に食べるわけではないからがっかりさせられることがない。上手く書かれたものなら美味しい料理を味わうのと同じ満足感が得られる。

宮本徳蔵著『文豪の食卓』がそれである。井伏鱒二を筆頭に、太宰、川端、三島、泉鏡花、埴谷雄高、谷崎潤一郎といった作家連中にまじり、寺田透、小林秀雄、といった批評家、井上究一郎、鈴木信太郎などの仏文学者が賑々しく登場する。いずれも食べ物にからんだ話が集められているが、錚々たる顔ぶれの文学関係者と、作家自身やその知人との出逢いにまつわる逸話の方が御馳走で、井伏の鰻や、川端の和菓子は、それぞれ名店の逸品が紹介されているが、それ自身が話題の対象ではない。

一つ興味深いのは、宮本徳蔵氏は今でこそ東京暮らしだが、もともとは伊勢市生まれだそうで、この本の中にも、伊勢饂飩や鮫のタレが登場する。伊勢に生まれ今でも伊勢に住む当方としては、同郷の者のみが知る味について触れられているだけでなんとなくうれしくなる。

『歌行燈』の取材を兼ねて鏡花が伊勢を訪れているのは当然と言えるが、他にも伊勢を舞台にした作品があるらしい。宮本氏の想像だが、鏡花は伊勢饂飩が食べたくて何度も伊勢を訪れたのではないかという愉快な説を立てている。というのも、鏡花は大のうどん好きでよく深夜におよぶ著述の合間に夜食として饂飩を食べていた事実が記録に残っていることをあげている。

『歌行燈』の舞台、古市は戦災を免れ、按摩の宗山が料理屋を営んでいることになっている細い長屋の並ぶ小路はこの辺りで言う岳道ではないかと考えられる。伊勢独特の切り妻妻入りの間口の狭い家並みが続くその界隈は、今でこそ櫛の歯の抜け落ちるように一軒、二軒と取り壊され、空き地となった細長い区画が無惨な姿をさらしているが、ほんの少し前までは格子戸に鍼灸師や琴三弦の師匠といった看板が掲げられ、ひっそりとした佇まいに往時が偲ばれたものだ。

また、学生時代伊勢で過ごした小津安二郎も伊勢饂飩を好んだようで、八間通りに今も残る喜八屋によく通ったという。何度も前を通ったことがあるが、饂飩屋にしては立派な看板だなあと思っていた木製の看板の題字があの小津の字だったなんてまったく知らなかった。それより、もっと驚いたのが小津映画に「喜八物」というシリーズがあることは知っていたが、その喜八が、この饂飩屋由来のものだということである。

なんでも喜八屋のご主人が俳優の坂本武似だったらしく、そこから坂本が好演する作品が「喜八物」と名づけられたのだそうだ。波切を舞台とした名作『浮草』を撮っていたころ、京マチ子や若尾文子、杉村春子をタクシーに乗せて「喜八屋」を訪れたことがあるという話を紹介している。

小さいころから「うどん」といえばゆですぎと思うほど軟らかく太めの白い麺に、鰹でだしをとった溜まり醤油で真っ黒になったごく少量のタレをからめて食べるあれだと思っていた。風邪をひいた時には近所から出前を取ってくれるのだが、何故か家では作ってもらったことがないのを不思議に思っていた。鰻屋と寿司屋、饂飩屋がやたらに多いのが伊勢の町だが、あのタレに店独特の工夫があって、近所の饂飩屋に教えを請うたのだが、溜まり醤油と鰹だし以外の秘伝は無論教えてくれなかったと母が後年話していた。今では名前も「伊勢うどん」となって、遠来の客にも喜ばれている。タレも鰻のタレと同型のパックをスーパーで求めれば簡単に家庭で味わうことができる。それでも、やはり贔屓の店の伊勢うどんが一番美味しいのは変わらない。でも、今度は一度喜八屋の伊勢うどんを食べに行きたいと考えている。


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 2010/12/26 『話の終わり』 リディア・デイヴィス 作品社

作者自らが語るところによれば、この小説のテーマは「いなくなった男の話」だそうだ。

主人公の「私」は、アメリカ西海岸の町に住み、翻訳業で何とか食べている女性。巻末の著者略歴によれば、作者本人もフランス文学の翻訳者として知られる。限りなく作者自身に近いと思える「私」だが、この「私」が一筋縄ではいかない。短い章が変わるたびに別のレベルの「私」が登場するからだ。たとえば、今書きすすめつつある「いなくなった男の話」をテーマとする小説について言及する「私」。現在は別の土地で別の男性と暮らし、同居する男の父親を介護する傍らで小説を描く「私」というふうに。

簡単にいえば小説の主人公である過去の「私」と、若い男の恋愛について回想する現在の「私」、そしてもう一段高い位階にあって、それらを統御しつつ小説にまとめようと悪戦苦闘する作家である「私」が、短い断章形式で区切られながら、かわるがわる現れては語るというきわめてポストモダン的な小説である。

そういうと、なんだか小難しく感じられるかもしれないが、そんなことはない。知的で怜悧な観察眼が光る文章で、中年に差し掛かろうとする女性の心理が手にとるように分かる。その精緻な分析と矛盾する衝動的な行動のギャップが哀切な印象を残す作品である。

題名通り「話の終わり」の方から書きはじめられてはいるが、概ね時系列に沿って話は展開されていく。ただ、その間に何かによって連想された現在の暮らしや過去の回想が入り混じる。そのモザイクめいた叙述の印象が、ともすれば年下の男と別れた女性の喪失感と焦燥に別の彩りを添えて新鮮に感じられる。もし、この形式でなかったら、自分のもとを去っていった男の姿を探し求めて町中を探し回る中年女性の姿は傷ましく、つらすぎて読み続けることは難しいにちがいない。

かなり歳のはなれた若い男とどういう経緯で出会い、いっしょに暮らし、やがて別れていったのか、そして、その後男との再会を狂おしいまでに追い求める常軌を逸した行動と、フィクションとはいえ、恋愛中の心理についてこうまで正確に述べようと思えば、作家自らを語らざるを得ないのではないか。

リディア・デイヴィスは、レリスやビュトール、ブランショの翻訳家で、プルーストの『スワン家の方へ』新訳の功でフランスの芸術文化勲章シュバリエを受賞した作家である。並みの小説家ではない。あくまでも理知的で、過剰なまでの自意識は、ただひたすらのめり込むような恋愛には不向きなのかもしれない。相手と別れた後こんなふうに考えたり感じたりしていたら、誰でも自分が人を愛しているのかどうか自信が持てなくなるだろう。

中年に差し掛かろうとするインテリ女性の恋愛心理の解剖所見といった感のある『話の終わり』だが、小説家がどのようにして一篇の小説を描くのか、その具体的な作業がていねいに描かれている点でも特筆すべき作品ではないか。小説を描いてみようと考えている人には一読を勧めたい。


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 2010/12/12 『バウドリーノ』 ウンベルト・エーコ 岩波書店

『薔薇の名前』で一躍有名になったウンベルト・エーコの最新作。今回も題材を中世に求めているが、読後の印象はかなり異なる。山中の僧院を舞台とし、異端審問が影を落とす連続殺人事件の謎解きを描いた『薔薇の名前』が必然的に暗い印象を与えるのに対し、『バウドリーノ』は陰惨な場面も含まれているのにその色調は明るい。

その原因の一つは主人公バウドリーノにある。北イタリアのアレッサンドリア(作者の故郷でもある)の牛飼いの子として生まれたバウドリーノは、生まれつき言葉を操る才能に恵まれていた。人の会話を聞くと知らない国の言葉でも直ちに理解できるのだ。ある日霧深い山中で道に迷った騎士を助けたことが彼の将来を決定することになる。その騎士こそが神聖ローマ帝国皇帝フリードリヒ・バルバロッサその人だった。バウドリーノの才気が気に入った皇帝は彼を自分の養子にし、叔父であるオットーの下で学問をさせる。

バウドリーノは天性の夢想家で、自分の思いついたことを本当にあったこととして話す癖があった。つまり生来の大嘘つきである。ところが、「嘘からでた真」という言葉どおりに彼の嘘は次々と実現する。これは、そのバウドリーノが実際に経験したフリードリヒによるイタリア遠征と、その後の「司祭ヨハネ」の国への探検行を描いた物語である、とこう書いてすぐに気づく。嘘つきが実際に経験した物語というのはどこまでが本当の話なのか分からないということである。

主人公が作者と同じ村の出身となっていることからも想像できるように、嘘つきのバウドリーノは作者ウンベルト・エーコ自身であり、読者は初めから与太話につきあうことを求められているのだ。何故なら誰かによって書かれた歴史があって、はじめてその事件を知るのであって、事実が歴史を残したわけではない。歴史なんてものはみんな多かれ少なかれ為政者に都合よく捏造された偽史でしかない。つまり語った(騙った)者勝ちということさ、というエーコの得意気な顔が浮かんでくる。

碩学エーコのこと、語りは手が込んでいる。史実と伝説を按配よく配し、それに全くの嘘を織り交ぜた中世文献のタペストリー。その中には、有名な一角獣と処女の図柄が見事な美しさで中央に織り込まれている。その回りを取り囲むように伝説の一本足の生き物スキアポデスやら頭部を欠いた胴体と四肢だけの生き物やら澁澤龍彦によって早くに紹介されていてお馴染みのプリニウスやクテシアスから引用された中世ならではの奇っ怪な連中がぞろぞろ顔を並べている。

中世好きで、ボルヘスの『幻想動物学提要』を愛読していた澁澤が生きていてこれを読んだら、さぞ喜んだことだろう。澁澤の『幻想博物誌』に紹介されている犬頭のキュノケファロスや矮人ピュグマイオイ、巨大な貝殻のような耳をぴんと立てたパノッティが物語の中で大活躍する。中でもスキアポデスは重要な役を担う。これらの畸形人間は、フランス中部ヴェズレーの教会正面扉口に彫り込まれているという。エーコはエミール・マールあたりから引っぱり出してきたのだろう。因みに『幻想博物誌』には司祭ヨハネのことも英語読みでプレスター・ジョンとしてちゃんと載っている。

バウドリーノの話の聞き役はコムネノス朝とアンゲロス朝の多くの皇帝に使えた歴史家にしてビザンツ皇帝の書記官長を歴任したニケタス・コニアテス。時代は紀元1204年。コンスタンティノープルは、第4回十字軍によって蹂躙されている最中であった。火事と略奪で脱出もままならないニケタスは、バウドリーノに話をせがむ。所謂「枠物語」。ペストで足止めを食らった人々が物語る『デカメロン』や、古くは『千夜一夜物語』にまでさかのぼれる物語形式である。

ネタもととなっているのは、フライジングのオットーが書いた『二国年代記』。その中に、東方にキリスト教異端のネストリウス派を信じる王にして司教ヨハネが治める国があり、十字軍の救援にエルサレムに向かったがティグリス川の洪水にあって断念したという伝聞を記す記述がある。ヨーロッパで「司祭ヨハネ」について初めて言及したのがこれである。その後、司祭ヨハネの国からビザンツ皇帝宛てに送られてきた親書やら、それに対するローマ教皇の返書など多くの偽書が各国語に翻訳され様々な国に飛び交った。エルサレムで苦戦中の十字軍を東方のキリスト教国が助けにくるという一種の宣伝活動だが、エーコはこれもバウドリーノの仕業とする。

映画「インディ・ジョーンズ」シリーズにも登場する「聖杯」伝説も大事なネタの一つ。ここではグラダーレと呼ばれているが、バウドリーノの旅は、グラダーレを司祭ヨハネの国に返すという名目で行われる。質素な木造りの聖杯は、実はバウドリーノの父親がワインを飲むために作った物で真っ赤な偽物。しかし、それを本物と信じた探索の旅の仲間がフリードリヒ殺害計画を企てる。十字軍遠征中のフリードリヒが川で沐浴中に謎の死を遂げたという史実がミステリ仕立てとなって組み込まれている。さしもの密室殺人もニケタスの友人パフヌティウスによって見事な解決を得るが、それはバウドリードにとっては皮肉なものであった。

異形の種族が奇想天外な戦いぶりを発揮する場面のグロテスクなユーモア。一角獣に象徴される騎士道的恋愛、つまり愛への忠実のために愛を諦める愛。策謀渦巻く宮廷人の権力闘争とその壮絶な最期、いずれも暗黒の中世という時代背景を逆手にとって、旺盛な筆力と厖大な知識を持つエーコならでは描けない想像を絶する世界をひたすら奔放に描ききったピカレスク・ロマンである。ヤワな小説など足下にも寄れない構想力を示す圧巻の物語と言っておこう。

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