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 2007/6/23 『アレクサンドリア四重奏U』 ロレンス・ダレル 河出書房新社

パランプセストというものがある。中世ヨーロッパにおいては、羊皮紙は貴重な資源だった。そこで、一度使った羊皮紙の表層部を削った後、再度使用するのが習いとなっていた。中には、新しく書いた文字の下から以前に書いた文字が浮かび上がって見えてくるようなこともあったらしい。パランプセストというのは、そのような羊皮紙をさして使われる言葉である。

『アレクサンドリア四重奏』という小説には、パランプセストを思い出させるものがある。第一巻「ジュスティーヌ」で、一つの世界が書かれながら、第二巻「バルタザール」において、小説家は一度書き上げた小説世界を消し去り、同じアレクサンドリアを舞台に、同じ登場人物、同じ事件を使いながら、別の図柄を描いてみせる。しかし、一度頭の中に作り上げられた世界は新しい物語を読んだ後でも消えてしまうことはなく、新しく描かれた図柄の下から、第一巻で描かれた図が浮かび上がることによって、ひとりの人間に二つの感情、一つの言葉に二つの意味がかぶさり、人間心理の複雑さがいや増す結果を生むことになる。

まるで、今見終わったばかりの映画と同じ物語を、同じ俳優を使って、別のキャメラ、別のアングルで初めからもう一度見せられるようで、読者は、何が本当なのか、いったい誰の言うことが事実なのかという、芥川龍之介の『藪の中』の読者やそれを映画化した黒澤明の『羅生門』を見た観客と同じ状態に置かれてしまう。

作者は登場人物のひとりで、早々と自殺して舞台から退場する作家パースウォーデンの言葉を借りて、次のように述べている。「ぼくらは選びとった虚構の上に築かれた生を生きている。ぼくらの現実感覚は自分たちが占める空間と時間の位置に左右される―ふつう考えるように、ぼくらの個性に左右されるのではない。だから、あらゆる現実解釈はそれぞれ独自の位置にもとづいてなされるのだ。二歩東か西に寄れば、画面のすべてが一変する。」

この世界に確実なものは何もない。みな、それぞれが自分の立つ位置からしか見ることのできない世界を現実と思いなすことによって、この世界は成立している。そんなことは分かり切っている。ただ、それを認めてしまうと、その中に存在している人間の数だけ世界が在ることになる。そうなれば、誰もが自分の見ているものこそ真実だと主張しはじめ、世界は統合失調状態になり安定を保てなくなる。

だから、現実感覚としては、自分の視点を括弧に入れて、世間一般というものを仮定し、みんなが見ている「共同幻想」を一つの現実解釈として受け容れることで、世界を安定させている。政治や社会一般の問題ならそれですむ。ところが、恋愛ばかりは共同幻想で処理する訳にはいかない。吉本に倣って言えば恋愛は「対幻想」の世界である。AがBを好きになり、BもAが好きであれば、それなりに安定が保てようが、Cという存在が中に割って入ることによって、簡単に崩れてしまうのが「対幻想」の世界なのだ。

ましてや、錯綜する人間関係が特徴的な『アレクサンドリア四重奏』の世界では、AはBを、BはCをという鎖状の恋愛関係で結ばれている上に、秘された恋愛感情や、隠さねばならぬ関係に溢れかえっている。これをできる限り誠実に描こうとすれば、複数視点の導入しかないだろう。ダレルは、「ぼく」という作家志望の青年を視点人物に据えることにより、一種のメタ小説を試みている。

第二巻は、「ぼく」によって書かれた「ジュスティーヌ」を読んだバルタザールが、「ぼく」の住む島を訪れ、「ぼく」の思い違いや錯誤を指摘した分厚い「行間解説」を置いていったことからはじまる。それによれば、ジュスティーヌが本当に愛していたのはパースウォーデンであり、ネッシムの嫉妬から彼を守るために囮にされていたのが、「ぼく」だったことが明らかになる。パースウォーデンが「ぼく」とメリッサに遺産を残していく理由もそれで分かる。

「ジュスティーヌ」が、アレクサンドリアという都市に眩惑されたような詩的な文章で、しかも断章的に描かれていたのに比べると、「バルタザール」は、よりリアリズム小説的な文体が採用されている。「ぼく」は登場人物としては背後に退き、話者として他の人物の感情に寄り添いながら事件を語ることに徹している。「ぼく」という紗幕が剥がれたことにより、読者は人物の近くで事件の推移を見守ることになり、臨場感溢れるドラマが展開される。「ぼく」の作家的成熟を感じさせるのが目的なら充分にその目的は充分に達成されているといえよう。

『アレクサンドリア四重奏』が、なぜ「四重奏」と謳っているのかが、おそまきながら分かってきたように思う。一つのテーマを異なる音色を持つ楽器、ちがった天分を持つ奏者によって演奏させることによって、ソロとは異なる効果を得ようというのが作家ダレルの野心的な目論見だったのだろう。しかも、まだ展開されてない重要なモチーフはいくつもある。第三巻、第四巻で、それらがどう動くことになるのか、今後の展開が待たれる。

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 2007/6/17 『バン・マリーへの手紙』 堀江敏幸 岩波書店

いかにも宛名めいているが、バン・マリーとは、人の名前にあらずして、ものを湯煎にかけること、もしくは湯煎鍋そのものをさすフランス語である。浴槽、お風呂を意味する「バン」に、マリー(マリア)をくっつけると「マリアの風呂」。湯を沸かした鍋の中に小さな鍋を浮かせ、その中でゆるやかな温度で調理したり、保温したりする技術が考案された14世紀頃はマリア信仰が盛んだったため、その優しさを喩えに使ったものとされる。

著者は幼稚園時代、冬になると石油ストーブの上にのせた銅メッキ製のたらいに、水を入れた鍋を浮かせ、その中に牛乳瓶をいれ湯煎して飲ませてもらった記憶を持つ。大学生時代、その話を披露すると、ひとりの友人が、「だからお前はいつも白黒をつけずに平気でいられるんだな。煮え切らないのがいちばんよくない。きりっと冷えてるか、湯気がほくほく立ったホットにするか、どちらかに決められないような奴はろくな人間にならない」と、説教されたという。

「友人の言葉に違和感を覚えたのは、それがどうやら重度の視野狭窄に見舞われつつあった時代の雰囲気を代弁しているようにも受けとりえたからだ。白黒がつけられないのではなく、白黒をつけない複眼的な思考に共感していた。そして今でも共感している私には、マリアの力を借りた湯煎に相当する中間地帯を設けることと表面的な優柔不断は、あくまで別物だったのである。」

話は、そこから「ヨハネの黙示録」に飛ぶ。「われ汝の行為を知る。我は寧ろ汝が冷かならんか、熱からんかを願ふ。かく熱きにもあらず、冷かにもあらず、ただ微温きが故に。我なんぢを我が口より吐出さん。」という例の有名な一節である。

いかにもキリスト教の神らしい二項対立的命題の立て方だが、階段の踊り場やら、回送電車やら、この本でいうなら飛び立たない飛行機という、中途半端というか、どっちつかずなものの様態を愛し、ものごとを一刀両断して二者択一を迫る思考法を嫌うのが、堀江敏幸というあり方なのだ。

牛乳の喩えに戻るなら、「熱いものが冷めてぬるくなったのではなく、はじめは冷たかったものに熱を与えてそこまで温度を上げていくことが誰の目から見ても積極的な行為であることは明らかだし、微温状態の維持だってかならずしも容易なことではない」。

このエッセイ集には、はるかな時を経て甦る記憶が、言葉の連想によって、今ここにある事象と交錯する類の話が多い。著者は、バン・マリーという装置に「すべての事象に適用可能な無色透明な濾過層としての役割を与えてみたい」と語る。日々の暮らしの中にある何気ないものから生じた、それだけでは生硬な素材が、がんがん火であぶり、炒めるような作業でなく、火加減に気を配りながら湯煎にかけられるようにして、まるで別物のように変化して現れ出たのがこれらのエッセイ群である。

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 2007/6/10 『骨董裏おもて』 広田不孤斎 国書刊行会

幸田露伴に「骨董」という作品があるが、それによると骨董とは「元来シナの田舎言葉で、字には意味がなく、ただその音を表しているだけである」そうだ。これでは、どうにもらちがあかないので、著者はもと東京美術学校長正木直彦氏の受け売りと前置きをして次のような説を紹介している。

「骨董とは中国の俗語で、ゴチャゴチャといろいろなものを雑然とかき集めたもの」(ゴッタ煮の料理を骨董羹という)と考えられていた。ところが、明の董其昌が『骨董十三説』というものを書き、その中で骨董という字の解釈をしている。それによれば、「骨はホネで、ホネは肉に包まれ、その上に皮がかぶさっている。その皮が擦り切れ肉が破れて中から骨が出て来る。即ち骨董の骨という字は上のかぶさっているものがとれたナカミと申しますか。シンと申しますか。あるいは本体とも本質とも申せましょう。」つまり、長年使い込まれたものだけが持つ味のようなものをいうが、ただ古いのでなく、使えば使うほどよくなるものでなければいけない。「董というのは、敷物のことで、以上申し上げましたような価値のある骨がその上にのせて飾られる、これが即ち骨董である」ということになる。

著者は「おわら」で知られる富山県八尾町(現富山市)に生まれ、十二歳で上京し日本橋神通薫隆堂に小僧奉公する。関東大震災後、盟友と二人で古美術店「壺中居」を創業、優れた収集家として知られ、そのコレクションはほとんどが東京国立博物館に寄贈されている。

小僧時代の辛い修業にはじまり、国宝級の銘物を掘り出すまでの思い出話が丁寧な口調で語られる。骨董商としてのあり方、人としての生き方をはじめ、名のある人物のさすがと思わせる逸話やその反面世に知られる人でありながら、人としてはどうかと思わせる行いまで、長年に渉る骨董を通してのつきあいの中で見てきた人間観察に味わい深いものがある。「物でなく人を買う」とか、「耳で買わず目で買う」とかの骨董商としての生き方は、単に骨董を商う人に限らず、あらゆる仕事に通じる秘訣であろう。

評者は、骨董については門外漢であるが、もともと値があってないような骨董の売り買い、その駆け引きについての話は素人にも充分面白い。日本各地はもとより、中国まで足を伸ばしての買い付け、またそれにふさわしい買い手を捜して売るところまでの話。骨董の真贋の見分け方、偽物造りの様々な方法など。その中には、わざわざその焼き物が出土した場所に数年間埋めておいてシミの出るのを待つというような息の長いものまであり、この世界の奥深さを窺い知ることができる。

たかが、骨董品。老人の昔話のようにとられがちだが、世界的な名品の売買ともなると国益にまで話は及ぶ。読みを誤って海外に流出した美術品についての思い出話はいまだに口惜しそうだ。国際交流の役割も果たす。海外からも賓客が来日するとその度に呼ばれ、コレクションの案内をする。ロックフェラー夫人をはじめ登場する人物がすごい。高橋是清、岩崎小弥太、梅原龍三郎、小林古渓と錚々たる顔ぶれ。

中国や韓国での使い道を知らず、便器や骨壺に使われていた陶磁器を有り難がって床の間に飾ったり花を生け悦に入ったりしている日本人の話がでてくる。自分とは異なる相手の国の文化をよく知る必要があるという外交の不文律をさりげなく教えてくれていたりもする。どこまでも謙虚な人柄がしのばれる気持ちのよい随筆集である。

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