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 2007/3/11 『獄中記』 佐藤 優 岩波書店

読み終わってよくできた芝居を見たような気がした。小説ではないところがみそだ。小説なら、もう少し人間的な弱みを持つ人物の方が話に深みが出る。主人公がこうも強気で挫折を知らず、敵を怨んだり憎んだりしないというのでは話が面白くならない。

それなら芝居でも同じじゃないかと思うだろうが、ちょっと違う。芝居は役者が演じているものだ。うまく演技すればするほど役柄が真に迫ってきはするが、それと同時にうまい役者じゃないか、という感想も抱く。『獄中記』を読む限り、この人は完全に一つの役を演じている。健全なナショナリストであり、よきクリスチャンであり、リアル・ポリティクスを知りつくしたインテリジェントという役柄をである。

そうすることで、外部にいる人間に、そんな人物がけちな背任・偽計業務妨害という微罪で起訴されること自体が何か変だ、これは「国策捜査」じゃないかと思わせることを目的として。だから、検察側が保釈をちらつかせてしてもいない罪を自白させようとしても拘置所の住み心地の良さを理由に頑として保釈を拒否し512日間の長期拘留に耐えてみせるのである。

誤解してもらっては困るのだが、役を演じるといっても自己を偽っているという意味ではない。むしろ、誠実に自分という人間を生ききるという姿勢を評価してそう呼んでみせたまでである。普通一般の人間は、そんなに自分という人間を意識もしないし首尾一貫して自分であることを意志して生きてなどいない。

ヘーゲルの「合理的なものは存在する。存在するものは合理的である。」という言葉が何度も出てくるが、身に覚えのない罪で検察に起訴されながら、立場が違えば自分も同じことをするだろうという冷静な分析をしてみせる。拘置所にいる自分を哀れんだり、憤ったりすることなく、運が悪かったと見ることのできる強靱な理性は尋常なものではない。

拘置所内で手に入れることのできる大学ノートにボールペンで書かれた62冊のノートから選び抜かれた文章である。拘留中に差し入れてもらったヘーゲルはじめ多くの哲学書、神学書、語学の文献・資料の読書メモは大幅に割愛され、弁護団や友人、後輩への手紙、メッセージ、手記が中心になる。

フーコーの『監獄の誕生』を監獄の中で読むというあたりにユーモアをにじませながら、日曜や長期休暇以外は午前と午後に飲めるインスタントコーヒーがいかに気分転換にいいか、ロシアやイギリスのホテルに比べたら、東京拘置所のコーヒーや料理がいかにうまいか、拘置所内の意外に豊かな食事メニューを逐一書きとめるなど、読者の興味関心を惹きつけることにも抜かりはない。拘置所内では所有が認められる哲学書や神学書を貪るように読み、何の不満もない佐藤氏だが、裁判のために出向く裁判所内の仮監では、ヤクザ・コミックスしかあてがわれないことに不満をもらしているのが面白い。

猫好きらしく、昔飼っていた猫の夢を見たり、拘置所の庭にやってくる猫を見ては心をなごませたりしている。SARSの流行でハクビシンが原因というニュースをラジオで聞くと猫に害が及ぶのではないかと心配したりもする。あまりに自制心が強くて非人間的に見えることを恐れてわざと入れたのではあるまいかと疑いたくなるようなエピソードである。

ハイエク流の傾斜配分を選択した日本の政治のパラダイム転換とロシア外交がいかに関連して今回の事件に至ったか、杉原千畝を顕彰した鈴木宗男という政治家のマスコミの知らない姿など、日本という国の外交を裏で支えてきた人物ならではの識見も光る。「フニャフニャ」になってしまった今の日本ではめったに見られない硬質の知性が見物である。

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